9:決定打
イェルドは廊下を駆けていた。
グランシェス騎士は大した強さではないとはいえ、こうも次々に斬り掛かられるようでは、流石に体力に限度がある。
そもそも、今の自分は鎧を着ていないため、どうしても防御主体となってしまう。無茶をする事ができないのだ。
そのため、シンバリの町ごとぐるりと取り囲んでいる、外周の城壁で籠城戦を繰り広げている兵と合流し、一掃しようと考えた。
イェルドは城の三階にある扉を開いていた。
その先は、外と通じており、夜の冷え切ったキンとした空気が辺りを満たしている。
幅十メートルはあるであろう城壁が、巨大な石造りの通路を生み出している。
この、大きいばかりの城壁は、モレク兵が扱う大砲による多段攻撃を前にすると、容易く砕けてしまう。
しかし、グランシェス兵が使うような、わずかなカタパルトでの攻撃には耐えられる造りとなっている。
先の戦の時、自ら破壊したこの城壁を修復したのは、見栄えの悪さを嫌悪した故だったが、今はそれが幸いしているとイェルドは考えた。
結局、グランシェス人の攻城戦の脆弱さが露呈するばかりとなっている。
(……――とはいえ、まさかこの九千の兵が囮だったとはな。ただでさえ今は少ない本城の警備を、更に手薄にするための作戦だったのか。――とはいえ)
イェルドは前方から近付いてくるモレク兵の姿を見て、ニヤッと笑みを浮かべていた。
「小賢しい小細工も、これで終わりだ! 弱き者は強き者の前に平伏すのみ!! 後は正々堂々と戦おうじゃないか、なあ、卑怯なグランシェス人共よ!!」
イェルドは立ち止まると、振り返っていた。次の瞬間、顔色を変える。
「ヴィズ、いけっ!!」
どこからともなく聞こえてきたのは、少年の声。
そして迫り来る騎士達の後ろ側から、身をひるがえし、一匹の大きな犬が飛び掛かってきた。
「バウッ!!」
北領でしか見掛けないような、大きな体格をした白い犬が、真っ直ぐにイェルドの方へと突っ込んでくる。
「い、犬ッ……――?!」
イェルドは目を見開いていた。
確か、あの準成人程にしか見えない狩人らしき子供が犬を従えているのを、王の書斎で見た気がする。
が、あまり気にしていなかった。犬は所詮犬。愛玩用のペットという認識しかイェルドには無かったからだ。
その犬が、体ごと突っ込むようにして、イェルドの体を物凄い力で突き飛ばしてきたのだ。
次の瞬間、イェルドの体は跳ね上がり、高い城壁の上から塀を乗り越えて、犬共々空中へ放り出されていた。
「う、うわああぁぁっ!!」
叫び声を上げながら、犬に伸し掛かられた状態で、イェルドの体は雪の無い地上へと真っ直ぐ落下していく。
「い、イェルド様ぁ――ッ!!」
騎士に対抗しようとしていた兵士たちが、一斉に慌てた様子になって、次々と城壁の塀へ走り寄るようになった。
「討ち方やめ! やめ――!!」
イェルドに弾丸が当たるのを恐れ、大慌てで指揮官が叫び、銃兵の銃撃が止む中、骨の砕けるような嫌な音が辺りに響き渡る。
みるみるうちに背から血をにじませるイェルドの上から、ヴィズは飛びのいた。しかしイェルドは地の上に身を横たえたまま、動き出さなかった。
「イェルド様!」
「イェルド様ぁ――!!」
兵士たちが血相を変え、次々にこの場から立ち去るようになる。
もはや彼らは、グランシェス騎士の存在などどうでも良い様子だった。
何しろ目の前では、王が今まさに絶命しょうとしているのだ。
呆気に取られたまま、グランシェス騎士たちが見守る中、攻城戦を仕掛けている側のグランシェス兵が射る矢ぶすまの中をなんとか掻い潜りながら、兵士たちがイェルドに駆け寄るようになる。
「やめろ! 攻撃をやめるんだッ!!」
エーミールは城壁の上から身を乗り出すと、矢を射り続けている遠くの仲間に向かって、慌てて叫んでいた。
エーミールのその一般男性の中でも高めの声は、夜の静けさの中によく響くようで、矢の雨がピタリと止まるようになった。
そびえ立つ城壁の方からエーミールの声を聞き取って、「攻撃やめ!!」と、指示を出したのは、東側より城攻めを行わせていたルドルフだった。
「なんだ、どうした?」と、ルドルフの傍らに馬を寄せながら尋ねたのはハンスだった。
「いや、今、エーミールの声が……」
ルドルフは応じながら、馬に乗ったまま、城の方へと目を向ける。
(どうするつもりだ?)
イェルドが白犬共々降ってきた姿は、遠巻きながら、ここからでもハッキリと見ることができた。
あれは間違いなくエーミールの犬であるヴィズが、イェルドを突き落とした様子だった。
(このままあのクソッタレな王を殺してしまった方が良いんじゃないか?)
ルドルフはそうは思ったものの、エーミールの指示に従って攻撃を止めさせる事を選んでいた。
(この作戦を打ち立てたのはエーミールだ。だったら、あいつの声にゃ従った方が間違いは無いだろ)
そう考えながら、鋭く先の方を睨む。
案の定、モレク兵はイェルドの側へ集まって、イェルドの事を担架で運び始めるようになった。
(おいおい。あのまま逃がしても良いのか? おい……)
結局、誰もが見守る中、瀕死の王を連れたモレク兵たちはこの場を引き上げて行ったのだ。
夜の闇の中、一万の兵たちが武器を持ったままぞろぞろと去って行く。
追いかければ威嚇するぞと銃を使って示しながら、彼らはすぐに戦をやめて、死ぬか生きるかの瀬戸際である王を、より安全な場所へ運ぶことを優先する事に決めた様子だった。
それは敗走というよりも、撤退だった。
静かに逃げ去る彼らの姿を黙って見送った後、フェリシアは城の頂に立っていた。
騎士たちとカリーナに付き添われながら城壁の中ほどに立ち、戦を終えたばかりの兵達に向かって、高らかに宣言していた。
「今ここに! カルディア地方及びグランシェス城を取り戻しました!! 私達は自らの手によって、誇りと権威を取り返したのです!! 新生グランシェス王国に、女神様の祝福があらんことを!!」
するとこの戦いに参加している兵士たちは両手を上げて、「グランシェス王国、万歳!!」「フェリシア姫様、万歳!!」「女神イスティリア様、万歳!!」と高らかに叫んでいた。
そうやって熱狂する兵たちの姿を見ながら、フェリシアは胸を震わせていたのだ。
(まさか、本当に私たちの力だけで、これだけの事が出来てしまうなんて……!)
フェリシアは手に持ったグランシェスの国旗を高く掲げた後、振り返ってエーミールの方を見ていた。
(見てください、エーミール! あなたが打ち立てた作戦の賜物ですよ! 私だけならば、こんな作戦、思いつきもしなかった。あなたのお陰で、ようやくこの旗を立てることができる……――だから見てください、エーミール!)
その時、フェリシアは気付いたのだ。
遠く離れた場所で、エーミールがフレドリカと何やら話し込んでいる姿に。
「……姫様、如何されましたか?」
ふとフェリシアの表情に違和感を覚えたカリーナが傍らから声を掛けてくる。
「……いえ、なんでもありません」
フェリシアはカリーナに対して微笑むと、改めて熱狂し続けている兵士たちの方へと視線を戻していた。




