13:一行の滞在
リュミネス山の中腹にある、雪深い小さな村では、昨日の切羽詰った空気と一転して、今日は喜びの空気が蔓延していた。
エーミールの家の前で、元気そうにしている主である王女と再開した巡礼団の一行は、安堵に胸を撫で下ろしていたのだ。
「ああ……良かった! 姫様、本当に良かった……!」
そう言って涙を浮かべた専属メイドにギューッと抱き締められ、十五歳の若い王女は、困ったような、でも嬉しそうな笑顔を覗かせる。
「皆も無事で良かったわ。怪我も無いようで安心しました」
王女の寛容な言葉に、隊列している巡礼団の一部でむせび泣く人まで出ている。
「プリンセス・フェリシア=コーネイル=グランシェス様!」
格式張った形で名前を呼びながらフェリシアの足元に跪いたのは、団長のパトリックだった。
「此度の件は私の不甲斐なさの結果です! どうか……どうか、処罰をお与えください!」
「そんな、構わないのよ。自然災害の事など誰にも責められはしないわ。それに見ての通り、私はこうして無事ですから」
「姫様……!! あり難きお言葉……!!」
深々と頭を下げるパトリック並びに最敬礼を行う巡礼団の騎士たちを見て、エーミールは一人気まずい思いを抱いていた。
(し……自然災害……)
あの雪崩は僕が引き起こした物なんだよな。と考えると、居てもたっても居られなかった。
「ごめんなさいっ、お姫様!」
慌てて頭を下げるエーミールを見て、フェリシアは焦っていた。
(ちょっと、ばか! 内密にと言ったでしょう?!)
エーミールが接吻の件を話し出すのかと思って慌てたが、彼が切り出したのは違う内容だった。
「あの雪崩が起こったのは、僕のせいなんだ。狩猟の時に振動が起こるような罠を使っちゃって、それで……」
深刻な面持ちで一生懸命に告げるあどけない少年の態度を見ると、フェリシアだけでなく巡礼団の面々も表情を緩ませるようになる。
「……頭を上げなさい」
やがてそう言ったのはフェリシアだった。
「仮にそうだとしても、雪崩の先に我々が居た事を予測してやった事ではないでしょう?」
フェリシアの問いかけに対し、エーミールは頷いていた。
「あんな場所に雪崩が起きるだなんて思ってもみなかったんだ。僕が罠を仕掛けた場所からも少しずれたポイントだったし。多分、雪の中でもあそこが一番緩くなっていたせいなんだろうけど……」
「だったら尚更、何もかもが偶然の結果である事には変わりありません。気に病むような事ではありませんよ」
フェリシアは頭を上げたエーミールと目線を合わせると、にこっと微笑み掛ける。
エーミールは真っ赤になっていた。
「う、うん……」
もじもじと頷きながらも、エーミールはふと思っていた。
(お姫様って意外と優しいんだな。僕にお姉ちゃんがいたら、こんなかんじなのかな……?)
そう思っているうち、遅れて村長が巡礼団の元へ杖をつきながら早足でやってきた。
「出迎えが遅れて申し訳ありませぬ」
そう断った後、巡礼団及び王女の向かって深々と頭を下げていた。
「此度はようこそ、イド村にお越しくださいました! こんな辺鄙なところで申し訳ない……何もありませんが精一杯おもてなしをさせて頂きますので、今日はごゆるりとおくつろぎください!」
エーミールの抱いている村長の印象なんて、敬語を一度も使っている姿を見たことが無い。
普段から、「あーそろそろワシも年じゃのう。これエーミール、ワシを負ぶっていってくれんかのう? 歩くのが億劫でのう……」なんて言っているようなヨボヨボでシワシワのお爺ちゃんなのだ。
そのお爺ちゃんが、今日ばかりは自分の足で歩いて巡礼団の人々を宿泊場所に案内している。
「村長にもあんな力が残されていただなんて……」
半ば驚愕の心境と共にボソボソと呟きながらも、普段の村長を回想しているうちにいつの間にやら挨拶は終わっていたようで、バラバラと巡礼団たちは村人に案内される形で解散しているようだ。
まあ良いか。と思って、エーミールは自宅へ入るためにドアを開けていた。
すると、ドアに入ってすぐあるリビングのダイニングテーブルを囲むようにして、フェリシア王女とその隣にはカリーナが座って、既に紅茶を飲みながら母と和気藹々と語らっていた。
「あれ。お姫様は村長に家の案内してもらわないの?」
キョトンとするエーミールの方を振り返って、「あらエーミール」と言ったのは母である。
「メイドさんが付いてるって聞いてたから、元々は村長のお宅で宿泊して頂く予定だったけどねえ。お姫様って病み上がりでしょ? メイドさんって医療の知識が無いらしくて。それに女手があるのってウチだけだから――」
「今日から姫様と一緒に滞在させて頂く事になりました。改めてよろしくね、エーミールくん」
にこっと笑いかけてきたカリーナに対し、エーミールは慌てて頷いていた。
「よ、よろしく」
そう応じながらも、エーミールはなんとなく恥ずかしさを覚えていた。
カリーナの方は十八歳を超えた成人に見えるが、それでも、こんなに若い女の子が二人も居るのだ。エーミールにとっては生まれて初めての体験である。何しろこの村の女性の最年少は、今年で三十六歳を迎えるエーミール母なのだから。
いや、それを言うなら、昨日は昨日で色々と初めての体験をしてしまったわけだが。
母ときたらエーミールの居る目の前で、隣家の老婆エドラさんと一緒になって、あれやこれやの看病をお姫様にしていた。忙しさに相殺されて昨日は何も考えていなかったが、今朝、フェリシアのあんな態度を見た後で思い返すと――今更になって、あれはとんでもなかった。と、思い至るに当たってしまっていた。
「ぼ、僕、弓の手入れをしに行ってくるね……」
エーミールはもじもじとしながらコート掛けからコートを取って羽織ると、玄関ドアに手を掛けていた。
そんな彼の後ろから、「カワイイ息子さんですね」というカリーナの声と、「あらそう? うふふ、エーミールってまだまだウブな年頃で……」という母の会話が聞こえてくる。
(聞こえてるよ!!)とエーミールは内心で叫びながら、強めにバタンとドアを閉じていた。
それでも気恥ずかしいからと言っていつまでも倉庫に引き篭もっているわけにもいかず、エーミールはクロスボウに油を布き終えると、渋々と家の居間に戻っていた。
その時には既に話を終えたようで、フェリシアとカリーナの姿は既に無く、リビングには母が一人で立って、居間の台所で普段は見ないような大きな鍋を使って調理に勤しんでいる様子だった。
「母さん、今から食事の準備? 早いんだね」
エーミールが声を掛けると、慌しそうにしながら母が答える。
「何言ってんの。今日から何十人もの巡礼団の方々が滞在されるのよ? どれだけ準備に時間が掛かると思ってるの。今からやらなくちゃ間に合わないでしょ」
それもそうか。と納得するエーミールに、母が思い出したように言葉を繋ぐ。
「そうそう、そろそろお姫様の検温の時間だから、あんたが代わりに行ってちょうだい。あのメイドさん、検温のやり方も知らないって。お医者という専門職の人が居るそうよ。それだけで食べて行けるだなんて、首都は豊かで良いわね」
「ふうん……そうなんだ」
エーミールは、母の言葉に若干嫌味っぽいものが混ざっている事にはあまり気に掛けなかった。
代わりに調理場の傍らにある棚を開くと、「これ使うね」と一言、鍋を持ち出して傍らの水がめから水を汲んで行く。
ドアの閉まる音を聞きながら、「任せたわよー」と言う母は、相変わらず忙しそうに動き回っていた。