15:雪の呪詛
ガチャッとドアの開く音を聞いて、椅子に座り込んでいたフェリシアは、まずい。と思った。
そのため、咄嗟に顔を上げると言っていた。
「カリーナ。外で待っていて頂戴と言ったはずで……――」
フェリシアは途中で言葉を失くしていた。
部屋に入ってきたのが、エーミールだったからだ。
「…………――」
言葉を失くすフェリシアの元へ、エーミールが足早に歩み寄って来る。
「フェリシア。体の調子がおかしいんだろ?」
エーミールがズバリ言い当てたせいで、フェリシアはギクッとなっていた。
ギュッと胸の前で拳を握りしめると、フェリシアは視線を漂わせながら答えていた。
「な……なんてことはありません」
「嘘だよね。前に僕がブレスをキミの体に注ぎ込んだ時みたいな感覚がある筈だよ。熱くて、冷たくて、痛い。……――違う?」
「…………」
フェリシアは沈黙の後、はあっと息を吐き出していた。
彼に誤魔化しは利かないと悟ったからだ。
「……お構いなく。どうせ少し我慢すれば、すぐに消える感覚です。昨日もそうだったのだから」
「気付いているだろ? 昨日よりずっと長い感覚だろ?」
エーミールに顔を覗き込みながら問い掛けられ、フェリシアはいよいよ誤魔化せなくなって唇を噛んでいた。
「……だったら何なの」と、フェリシアはエーミールを睨み付けていた。
「あなたがどうにかしてくれるの?」
「いや、僕は」
困惑して頭を掻くエーミールに、フェリシアは膨れ面になると、まるで駄々っ子のような調子で言う。
「お説教なら結構です。どうせまた、やめておいた方が良いなんて言うのでしょう? こんな時に、嫌な話なんて聞きたくない」
そんなフェリシアをよそに、エーミールはおもむろに辺りをきょろきょろと見回していた。
そしてすぐに目的の物を見つけると、そちらの方へ行って持って来ていた。
不機嫌そうなフェリシアの肩に、ふわっと掛けられたのは、毛布だった。
「体を温めると少しは楽になる筈だよ。後は暖かい飲み物があると良いんだけど……あ、そうだ。カリーナさん」
エーミールがドアの前に立っているカリーナに向けて声を掛ける事で、初めてフェリシアは部屋にカリーナの姿もある事に気付いていた。
「暖かいスープを淹れて来てもらえるかな?」
「あっ。は、はい」
カリーナは慌てた様子でパタパタと部屋を後にした。
その頃になって、フェリシアは恥ずかしくなっていた。
「い……居たんだ、カリーナ……」
「うん。そりゃあ」
エーミールはサラッと答えていた。
(それもそうよね……カリーナはドアの前に居たんだし、エーミールの入室を許可したという事は、当然カリーナも)
「――って、行ってしまいましたよ? 私の部屋にエーミールなんか置いて、行ってしまったわよ?」
ハッと気付いたフェリシアに、「そうみたいだね」とエーミールは苦笑する。
「なんか、動揺してたっぽいね」
「わ、私とした事が。少し痛いからと言って、不機嫌な態度を取ってしまったから、驚かせてしまったんだわ……」
「その程度で驚くなら、フェリシアの普段の態度なんて見たら卒倒しそうだよね」
「えっ……?! わ、私、もうあんな態度なんて取っていませんよ?! あんな子供の真似なんて――」
焦った様子で赤面するフェリシアに対して、エーミールは余計に苦笑いの表情になっていた。
「いや、そっちじゃなくて。気軽に僕のこと叩いて来るじゃないか」
「う……あ、あれは、気軽というわけでも……」
ごにょごにょと言うフェリシアの様子を見て、エーミールはホッと胸をなでおろしていた。
「その様子だと、少し楽になってきたかな?」
エーミールの質問に、フェリシアはハッとしていた。
「あ……そ、そうみたいですね。……ご心配をお掛けしましたね、エーミール」
すぐに気を取り直した様子で微笑んだフェリシアの態度を見て、エーミールは苦笑していた。
「……また元に戻ったか」
「え?」
キョトンとするフェリシアに、「いや」とエーミールは笑う。
「こっちの話だよ」
そう答えながら内心で、(フェリシアってすぐに仮面を被っちゃうんだな)なんて思っていた。
少しして、カリーナが戻ってきた。
カリーナはすぐにフェリシアに対して、「私としたことが、うっかり部屋を開けてしまいました。申し訳ありません!」と慌てて謝った後、淹れたてのスープが入った木製のカップをテーブルに置いてくれた。
「少し驚いたけれど、大丈夫ですよ」と応じた後、フェリシアは毛布を羽織ったまま、スープをゆっくりと喉に通すようになる。
そんなフェリシアとカリーナに、エーミールは話していた。
「フェリシアには聞きたくないと言われたばかりだけど、やっぱりこれだけは聞いておいてほしい。この、『女神の奇跡』というのは、フェリシア。キミの体内に封じ込めてある白いブレスを呼び覚ます行為なんだよ」
エーミールの忠告は、そこから始まっていた。
「今はまだ体感に変化があるぐらいだけど、あまり何度も何度も繰り返し使ってしまえば、キミの中に存在する『概念』が、キミの存在を超えてしまいかねない。その時、キミは女神と一体化してしまう。それは即ち――肉体の消滅を指しているんだ。だって神は肉体を持たない存在だからね」
「これは本当に危険な行為なんだ」と、エーミールは語気を強めて訴えていた。
「だから気軽に奇跡なんかに頼っちゃいけない。それは確実にキミの心身を蝕んでしまう物なんだから。キミの事を思うなら、本当は使っちゃいけない力なんだよ、この力は……」
エーミールはそう言って、真剣な眼差しをフェリシアに向けてきた。
フェリシアは苛立たしいのを噛み殺しながら、エーミールに問い掛けていた。
「……何故、そのような重要な話を、メイドが居る前でするのかしら?」
「わざとだよ」
エーミールはフェリシアを見据え、きっぱりと答えていた。
「今日みたいにキミが無茶をすると言うなら、カリーナさんも知っておくべきだと思ったんだ。カリーナさんは、“キミが信頼している人だから”ね。せめて一人ぐらい、耳に入れておいた方が良い」
「…………そう」
フェリシアは静かに頷いていた。
そして心の中で歯噛みしていたのだ。
(エーミールは小賢しいわね)と、内心で思っていた。
(私が誰の事も信用していないと知った上で、本人の目の前で、信頼している人と念押しをする。私が、否定する事ができないと知りながら)
フェリシアはチラッとカリーナの方を見ると、カリーナはどうやら、今のエーミールの言葉に励まされた様子だ。
「お任せください、フェリシア様!」とカリーナは張り切っている。
「私が姫様のフォローを致します。それに、この事は誰にも知られないようにすれば良いんですよね?」
カリーナの質問に、「ええ、そうですよ」とフェリシアは微笑んで頷いていた。
「お願いしますね、カリーナ」
フェリシアの言葉に、「お任せください!」とカリーナは頷いていた。
そんなカリーナの様子を見て、フェリシアは確信していたのだ。
エーミールを出し抜くことはできない――と。
(グランシェス人は弱い。ハッキリ言って……――本当に、弱い。だから本当は、この身が朽ちるまで徹底的にやり尽すつもりでいたのですが……)
フェリシアは考えていた。
(エーミールは、一体どこを、どうやって、着地点にするつもりなのかしら?)と。
(私は、理想や綺麗事なんて言っていられないと思うのだけれど……――)
フェリシアは誰にも感付かれないように、エーミールを観察していた。
(あなたはどうやって、犠牲を出さずにやって行くつもりですか? 私を人柱にしない気で居るなら、どうやってこの戦に勝てる気でいるの?)
フェリシアは考え込んでいたが、どれだけ思い悩んでも、答えは出なかった。




