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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 北領の決起
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14:女神の演説

 その日は快晴だった。

 それでもこの地の風は冷たく、土の色は白銀の下に埋もれて見えない。


 アゴナスの主都カルカロスでは、その日、多くの民が緊急の招集を掛けられる事によって、アゴナス城のバルコニーの袂にある広場へと集っていた。

 こうやって急な招集を掛けられることは珍しかったせいで、広場はざわざわとどよめいている。


「領主様は、一体何の話があるんだろう……?」

「仕事が休みになるのは嬉しいけどさ。でも、急すぎるよな……」

「何かあったのかしら?」


 そうやって民衆がざわめく中、やがてバルコニーに姿を現したのは、領主補佐官であるヴィーノだった。


「静粛に、静粛に!」と、ヴィーノは声を張り上げる事によって、民衆を静まり返らせていた。


「今日、諸君らにここへ集って頂いたのは、他でもない。このアゴナスの地の命運を分ける、重要な事項を、アゴナス代表者たるカルカロス市民による、市民投票を参考にして決定するためです!」


 ヴィーノはそう言った後、領主の名を呼んだ。

 すると間もなくバルコニーに通じる扉が開き、領主フォーゲルンが姿を現した。


 フォーゲルンの傍らには、ドレスを纏ったフェリシアと、そのメイドであるカリーナ、そして、急ぎで新調されたばかりの神官服を身に着けたエーミールが立っていたから、それを見た民衆たちが再びざわめくようになった。

 彼らがざわめいている理由は、他の誰でもない。フェリシアにあった。

 あの、銀色の髪の少女が、立っているのだ。ざわめかないわけが無い。


 再びヴィーノが「静粛に!」と叫ぶことによって、ようやく喧騒は落ち着いた。


 やがて静まり返った場の中、口を開いたのはフォーゲルンだった。


「此度は急な呼び出しに関わらず集まってくれた皆の者に感謝する。そして皆誰もが気付いたに違いない。そう。今日、この場に私がキミたちを呼び集めた理由を。それは――この御方。フェリシア=コーネイル=グランシェス様にある」


 フォーゲルンの前置きによって、一気に広場がどよめきに包まれる。


「フェリシア様だって……?!」

「あの、優しく聡明な美姫だと評判だった御方だよな……?」

「フェリシア様って、確か、病死された筈じゃ……?!」

「お、おいおい! そんな“曰く付き”の御方をお披露目して、モレクが怒り出したらどうするんだよ……?」


 ざわめき立つ広場は、再びヴィーノが「静粛に!」と言うことによって、再びしんと静まり返るようになった。


「……――みなさん」


 静まり返ったこの場で、フェリシアの放つ凛とした透き通るような声は、よく通り抜けた。


「あなた方の動揺はよくわかります。何故なら、私は――本来ならば病死と発表された身ですからね。しかし我が身を救い出してくれた者があったのです。それは――女神イスティリア様です。加護は今でもこの地に根付き続けています。北領を思う女神様が、あの異国から来た侵略者を快く思うはずがありません!」


 再びどよめきを始めた聴衆たちの声をあえて留めないまま、フェリシアは続けていた。


「今、私達グランシェス人は、辺境のこの地へ追いやられてしまっています。それだけではない。モレクの支配下に置かれてしまった民は、ここアゴナス以上の苦しみの渦中にいると聞いています。このままで良いのでしょうか? 否! 良い筈がありません! そしてそれを女神様も良しとしておられないからこそ、私をこの場に遣わされたのです!」


 フェリシアは多くの聴衆の眼差しを一身に受けながら、堂々とした態度で伝えていた。


「私はこれより、グランシェスの国土を奪ったモレクの者達に宣戦布告を致します。女神の加護を再び得る事ができた今の我々なら、勝利を掴む事は可能であるからです!」


 途端、案の定聴衆たちはいっそうどよめくようになる。


「おいおい、正気か?」

「一度負けているのに、二度目なんて……」

「あの時、女神様は何もしてくれなかったじゃないか!」

「次敗れたら、それこそ我々の暮らしは御終いだ! もう一度信じようなんて気になれるものか……」


 聴衆たちのその反応は、フェリシアにとって予想の範疇だった。


「――エーミール」


 フェリシアの視線が向けられ、いよいよ来た。とエーミールは思っていた。


(……――僕は)


 反対だ。なんて言葉、この場で言うことはできない。

 今度こそ。今度こそ、これが最後だと自分に言い聞かせ、エーミールは口を開く。


 やがて旋律が紡がれ始める。

 神殿で行われる厳かな儀式のように、神官の姿をした、灰色の髪の少年が呪文を唱えている。


 民は彼の行動によって、エーミールの存在を女神の神官として認識していた。

 やがてフェリシアの体を白い霧が覆うようになる。

 はらりはらりと、空から雪が降り始めてくる。


 空がいっそうキンと冷え、雪が人々の頭上へ降り注ぐ中、そこに女神イスティリアは降臨したのだ。

 多くの人々を前にして、フェリシアの代わりに、樺の杖や鏡は無いものの、それ以外は全て伝説通りの姿をした女神がそこに立っている。


 唖然と口を開きながら見守る衆生に向けて、やがてイスティリアはスッと手を掲げ、言った。


『私は我が娘フェリシアと共に在ります。これより先、我が祝福を、マルゴル(灰色の髪)の神官の唇を介し、この白き地へと捧げましょう――』


 イスティリアの声は確実に、人々の頭の中に直接届けられていたのだ。


 次の瞬間、オオオォォッ! と唸るような歓声が衆生から上がった。

 すうっと再び白い靄のようになって、イスティリアの姿が消え、肉体がフェリシアへ返される。


 ふらっとよろめいたフェリシアを、慌ててカリーナが支えていた。


「フェリシア様、大丈夫ですか?」


 心配そうに問い掛けるメイドに、「ええ、大丈夫ですよ」と微笑み掛けた後、フェリシアは自分の足で立っていた。

 そして、未だに興奮の冷め止まない民衆に向け、言っていたのだ。


「その目でしっかりと御覧になったでしょう。今、あなた方が目の当たりにした事こそが女神様の証! 私がここに在り、そして女神の神官が在る限り――いつでも奇跡を見せることができるのです! 私は女神様に誓って、ここに約束致します! あなた方の平安を! グランシェスの勝利を!!」


 すると民衆たちは次々と両手を掲げ、口々に叫ぶようになった。


「グランシェス王国、万歳!!」

「フェリシア姫殿下、万歳!!」

「女神イスティリア様、万歳!!」


 大声で歓声を上げる人々を眼下に確認すると、フェリシアはすぐにフォーゲルンに対して、「後は任せましたよ」と一言の後、きびすを返していた。

 そしてすぐにバルコニーを後にするフェリシアを、慌てた様子でカリーナが追い掛けていく。


「…………」


 エーミールは黙っていたが、すぐにわかった。彼女が何故、すぐにこの場を後にしたのか。


 フォーゲルンがフェリシアの代わりに、閉めの言葉を話し始めてすぐ、エーミールもその場を後にしていた。



 エーミールはバルコニーを後にしたフェリシアがどこへ向かったか、最初からわかっていた。

 エーミールが足早にやって来るのを見て、カリーナはハッと顔を上げていた。


「え、エーミールくん……?」


 動揺した声を漏らしたカリーナは、フェリシアの部屋の、閉ざされたドアの前に立っていた。


「カリーナさん。そこ、退いて」


 エーミールはカリーナに対してキッパリ言ったため、カリーナは戸惑っていた。


「エーミールくん。良くないわ。ここは姫様の私室ですよ」


「でも」


「……あのね。あなたが姫様が記憶喪失の間、世話を焼いてくれていたのは知っている。でも、あれは無かった事にすべきなのよ。今のあなたは、子供じゃなくて準成人で……フェリシア様は、プリンセス。わかるでしょう? 純愛の女神様でもあるイスティリア様を主神に掲げているグランシェス王族が、特に異性に関しては多くの制約を持っていると、知っているでしょう?」


「……僕がダメなら、カリーナさんが側に居てあげてよ」


 エーミールはキッパリと言ったが、カリーナは「それは……」と言いよどんでいた。

 そんな彼女の反応に、エーミールは確信を持ちながら尋ねていたのだ。


「拒まれたんだよね?」


「…………」


 沈黙するカリーナに、改めてエーミールは問う。


「一人にさせてって。言われたんでしょ?」


「……っ――」


 息を飲むカリーナに、エーミールは言ったのだ。


「フェリシアだったらそう言うよ。僕は知ってるんだ。彼女が何を考えていて、どんな性格で、どんな考え方なのか……簡単にわかる」


「え、エーミールくんっ……」


 動揺が入り交じりながら、尚もカリーナはドアの前から退こうとしなかった。


「いけないわ。いけないのよ……幾ら女神様があなたを特別な神官と仰っていたからといって、庶民は庶民。庶民が姫様に近付くなんてこと、普通ならありえない。あなたは『神官』という名の忠実な家臣として、在らなければいけない。フェリシア様の事を、そんな風に呼んではいけないのよ……」


「……僕にはわからないよ。人と人とを別つような仕来りの事なんて」


 ため息をつくエーミールを、カリーナは咄嗟に睨み付けていた。

 ただなんとなく――このままでは気押されてしまうような気がしたのだ。


 何故かエーミールの存在が、今までのカリーナが知っているような、ただあどけなくて無垢で可愛らしいだけの少年であるようには見えなかったから。


「……フェリシアは、苦しんでいるよ。このドアの向こうで、たった独りで」


 ボソッと呟かれたエーミールの言葉は、カリーナの胸をギュッと締め付けた。

 しばらくの後、カリーナは観念したかのようにドアの前から退いたのだ。


「……私も同席しますからね」


 それが最後のカリーナの抵抗だった。


 何しろ、カリーナだって気にならないわけではないのだ。

 フェリシアが無理をする人だということは、専属メイドであるカリーナであってすら、重々に知っているのだから。



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