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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 北領の決起
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13:二人の密談

 変だな。と、多少ぐらいはエーミールでも思った。

 しかしエーミールは基本的に、他人の感情の機微に対しては鈍感なタチなのだ。


「あなた様のようなお方のお世話ができるなんて、光栄です! 私、喜んでなんでもやりますからねっ! ですから、遠慮せず、いつでも呼び付けてください!」


 部屋に戻るなり、目をキラキラとさせながら言うメイドの態度に、エーミールはキョトンとしていた。

 が、よくわからないまま、「ありがとう」と笑って退室するメイドを見送っていた。


「……なんで光栄なんだろう……」


 エーミールは首を傾げたものの、しばらく退屈な時間ができた事だし、クロスボウと大事な矢の手入れでもする事にした。





 その頃、フェリシアは、借りた私室にて姿見の前に立ち、カリーナの手によって、久しぶりに身嗜みの世話を受けていた。


「こうして私が姫様のお世話をさせて頂くのは、本当に久しぶりですね」


 そう言いながらも、カリーナは上機嫌でフェリシアの細い腰にコルセットを巻き、ドレスを着せて行く。

 本当はこの時間、後は寝衣であるネグリジェに着替えるだけだろうと思ったのだが、フェリシアが「まだ後の時間、会いたい人が居る」と言うから、ネグリジェの代わりにドレスを着せる事に決めたのだ。


「この格好のままで良いですよ」


 フェリシアは困った風に笑ってそう言ったが、「そうはいきません」とカリーナは返していた。


「どなたとお会いする気か存じ上げませんが、フェリシア様はプリンセスなのですよ。きちんとしたお召し物を身に着けて頂かないと……! フォーゲルン卿から、先刻のうちに、きちんと衣服の手配は受けておりますので」


「……あなたは変わらないわね、カリーナ」


 フェリシアは思わず笑った後、「わかりました。では、お願いしますね」とカリーナに微笑み掛けていた。


「任せてください、姫様!」と、カリーナは張り切って身支度を始める事にしたのだ。



 カリーナはフェリシアが元々着ていた庶民用の服を脱がせ、代わりに貴人に相応しい衣服を着せて行く。

 その後、フェリシアの髪に櫛を通し始めると、否応なしにその髪飾りに目が行く。

 フェリシアが身に着けている物の中では、一番良い品であろうことが伺える、造りの細かな一品である。


「フェリシア様。これは如何されますか?」


 髪飾りを指差してカリーナが聞くと、「着けておいてちょうだい」とフェリシアは答えた。


「もしかして、エーミールくんから頂いたんですか? でも、失礼ながら、とても庶民が買えるような品には思えません。これって、貴人向けの物ですよね?」


「エーミールから貰ったわけじゃないわ。でも、大切な物なの。私の、失ってしまった髪の代わりのようなものなのです」


 フェリシアはそんな風に答えていた。

 そのためカリーナは、「……そうですか」と返事をし、深く聞こうとはしなかった。



 やがて身嗜みを整え終えたフェリシアは、ふわりとしたレースのあしらわれた白地のドレスを身に着け、すっかり姫君そのものの外見となっていた。


「やはりフェリシア様はドレスのお姿が一番似合われますよ」


 カリーナの言葉に、「ありがとう」とフェリシアは礼を返す。


「……はあ。ルドルフさんも、姫様ほど手入れのし甲斐があれば良かったんですけどね。あの人、どうやっても巨熊止まりなんですよね。その上、だらしがないから、少し放っておいたらあっという間に強盗団みたいな見た目になるし」


 引き続いてカリーナが愚痴っぽく言ったのはそれだったため、フェリシアは笑っていた。


「あなた、ルドルフの事をやけに気に掛けているのね」


「えっ?!」と、カリーナは驚いた表情を浮かべた後、焦った様子で首を大きく横に振った。


「滅相もない! 私の真心は、フェリシア様ただ一人の為に、一心に注がれていますから!」


「ふふ、そうですか? でも、幾ら私があなたの事を必要としているからと言って残らなくても。このお城にはメイドがたくさん居ますし、ルドルフ達と一緒に行ってくれても構わなかったのですよ?」


「滅相もありません!」と、改めてカリーナは叫んでいた。


「あんな生き物、幾らでも、好きなだけ、強盗団にでも浮浪者にでもなっておけば良いんですよ! 私が心配しているのは、わざわざ手を割いた、私のこれまでの手間を無駄にされかねないという事だけなんですから!」


「そうですか」と言ってフェリシアは微笑んでいるため、カリーナはなんとなく気まずい思いをしていた。


「そんな事よりも」と、カリーナは気まずさを回避するために話題を逸らすことにした。


「これから人にお会いするのですよね? 私もご一緒致しますね。参りましょうか、フェリシア様」


「え? ……ええ、その」


 フェリシアは急にぎこちない態度で言いよどんだ後、にこっと微笑んだ。


「そ……そうだ。カリーナ、悪いのだけれど、今からお茶を淹れて来てくれませんか? そうそう。私、久しぶりに、あなたが作る焼き菓子を頂きたいわ。あの、一から焼いてくださった品」


「え? この時間にですか?」


「ええ。いけませんか?」


「い、いえ。そんな事は! ですが……今から作るとなると時間が……」


「構わないわ。待っていますから。しばらく時間があるのよ」


「そうなのですね。……承知いたしました。では、しばらくの間、お待ちくださいね」


 カリーナはキョトンとしながらも、フェリシアの指示に従って部屋を後にしていた。


 フェリシアは黙ってカリーナを見送った後、一人きりになった部屋の中、「……さてと」と笑みを消していた。


「カリーナが戻ってくる前に、さっさと用事を終わらせてしまわなければ……」


 フェリシアはそんな風に呟いた後、そっと部屋を後にするのだった。



 フェリシアがカリーナの目を盗んで一人で行った先は、フェリシアが借りている部屋を三つほど跨いだすぐ近くにある、とある部屋である。

 きょろきょろと辺りを見回し、廊下に誰も居ない事を確認した後、コンコン。とフェリシアは、ドアをノックしていた。


「はい?」と言う返事と共にガチャッとドアを開けて顔を出したのは、エーミールだった。


「さっきのメイドさん? 心配しなくても、用事はこれといって――」


 言い掛けた途中で、エーミールは言葉を止める。

 目の前にフェリシアが立っていたからだ。しかも彼女、如何にもお姫様らしいドレスを着ている。


「……――すごい。フェリシアって、本当にお姫様だったんだね」


 思わず息を飲みながら、エーミールは呟いていた。


「本当にって……元から、本当のお姫様なのだけれど?」


 フェリシアはムッとしたものの、「支障が無いようでしたら、入らせてもらいますよ」と一言の後、ぼんやり立ち塞がったままでいるエーミールの肩を軽く押して退かせると、部屋に入っていた。

 そして、エーミールの返事も聞かないままパタンとドアを閉じてしまったから、エーミールはキョトンとしていた。


「あれ? カリーナさんは一緒じゃないの?」


「理由を付けて退席させました」


「えっ?」


 尚もキョトンとするエーミールに、「こんな時間に一人きりで殿方に会いに行くなんて言えば、確実に咎められてしまいますからね」とフェリシアはしれっと答える。


「だったら、連れてきたら良かったのに」


 苦笑いを浮かべるエーミールに、「そうもいかないわ」と言いながらフェリシアは部屋の奥へ歩いて行ったかと思うと、椅子を引いて腰掛けていた。


「これから、カリーナには聞かれたくない話をしますからね」


「聞かれたくない話って?」


「明日の件です」と、フェリシアが言った。


「……明日?」と目を丸くさせるエーミールの姿に、フェリシアは不安を覚えていた。

 この人、本当に何十代分の王族を経験したのかしら? と思って。


「察しの悪い人ね。明日、演説を行わなければならないでしょう? そこで私は、アゴナスの民に納得して頂く必要があります。そのためにはエーミール、あなたの協力は必要不可欠であると私は考えているのよ」


「……まさか、フェリシア」


 エーミールは顔色を変えたから、「やっと察してくれたかしら?」とフェリシアは微笑んだ。


「ダメだよ!」


 エーミールの次の瞬間、そう叫んでいた。


「奇跡は簡単に起こしちゃならない……何度も起こるような物は、それはもう奇跡とは言えないよ……?」


 エーミールはジッとフェリシアの目を見据えるが、フェリシアも負けていなかった。


「しかし、起こさなければ。一度失墜した女神の信頼を取り戻すのです。そうせねば、民は誰も納得する事はできません」


 そう言ってフェリシアはエーミールの目を真っ直ぐ見据え返していた。


「……フェリシア」


 やがてエーミールは悲しげな表情を浮かべると、視線を落としていた。


「……どうしても譲れないの? でも……人の身にこれは重いよ。重たすぎるんだよ……」


「承知の上です」と、フェリシアは答えていた。


「エーミールだって、王を経験したと仰るなら、わかるのではなくて? 我が身がどのようになろうとも――とうの昔に、覚悟しているつもりなのよ。民は王たる私を望んでいます。ならば私は、王として生き王として死ぬ。それがわたくしがここに居る理由なのですよ」


「……理解できるよ。でも、だからこそ……」


(……理解できるんだ。その道が、どれだけ辛く孤独であるかということを)


 エーミールは悔しげに唇を噛んでいた。

 そんなエーミールにフェリシアは微笑み掛けてから、腰掛けていた椅子から立ち上がっていた。


「あなたなら奇跡を引き起こすことができる。明日はよろしくお願いしますね」


 そう言ってからフェリシアはエーミールの横をすり抜けて、ドアの方へと歩いて行った。

 ドアノブに手を掛けた時、「……そうでした」と思い出した様子でフェリシアが口を開いた。


「あなたの事だから念押ししておかねば心配です。私がここへ訪ねてきたことは、内密でお願いします」


 それだけ言い残すと、今度こそフェリシアは立ち去ろうとしてドアノブを捻る。

 その時、「……フェリシア」とエーミールが声を掛けた。


「……?」


 動きを止めるフェリシアの背中の方を振り返ると、エーミールは尋ねていた。


「キミは何もかもを思い出してから、途端に僕に対してすら、どこか余所余所しくなってしまったね。一時でも、王の仮面を脱ぐことはできないの? せめて僕の目の前でぐらい……――こんなの、キミらしくもない」


「……私らしさ? そんな物、とうの昔に私自身ですらわからなくなっていますよ」


 感嘆の無い声でそう答えた後、改めてフェリシアは部屋を後にするのだった。



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