2:変化の兆し
ルドルフ達がウェストザートの町を去った後、エリオットは少しずつ有志の輪を広げて行った。
主な対象は、元々エリオットが親しくしていた、貧民や不良といった類の人々である。
彼らは元々、社会に対する敵対心や反発心が強い。
また、現状貧民に転落した者の半ばは、モレク人が原因であり、モレク人に恨みを持っていたため、ルドルフの主張はすぐに受け入れられた。
後ろ盾が存在することは、彼らにとって勇気を与える事だった。
そのため、貧民を中心として、徐々に結託の輪は広がって行った。
ハンスはハンスで、自身を慕ってくれるエルマー兵に対して、貧民が集っていても、あまり過剰にはなるなと伝えていた。
元々エルマー兵の下っ端は、多かれ少なかれ上層部に不満を持っている上に面倒事を嫌っているため、その指示に従った。
それによって、エリオット達が集会を行う事は容易となった。
時同じくして、間もなく貢租の上昇が始まるようになった。
すると貧民がいっそう増え、身を落とす者はここエルマー地方でもどんどん増えて行った。
そんな時に力になってくれたのが、結託しているエリオットを初めとした人々だったのだ。
特に、エリオット達の事を頼まれていたアーシェル宿場が先陣を切る形で、助け合いの形を作り上げていった。
いつしか、金品のやり取りを抜きに、個々人がある物を持ち寄って別け合うという形が生まれていた。
「そうやって、自分達に出来ることを精一杯務めている彼らの姿を見ると、俺は何もしないでいる事ができなくてな……」
そう言ってハンスは照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「俺はエルマー兵だ。その上、隊長だ。そういった権力を持っているに関わらず、事を荒立てぬ事ばかりに力を費やしていた。その傍らで、何も持たない者達が現状に抵抗し続けている姿をみるとな。自分が情けなくなってしまった。彼らは生きている。しかし、俺は死んでいたのだ。俺が持つしがらみなどという物は、ただの言い訳にしかすぎなかったのだ」
ハンスは言葉を区切った後、笑みを消すとルドルフに対して頭を下げていた。
「……――ルドルフ。この俺も協力させてくれ。やはりモレク人による支配は、この地においては害悪でしかない! 俺はこの地に誇りを与えたいのだ!」
「隊長……!」
ルドルフは嬉しくなって、片手を差し出していた。
「頭を上げてください。もちろん、隊長が協力してくれる事は俺にとっても喜ばしい限りです!」
「ルドルフ……!」
こうして、二人の男は握手を交わしていた。
一通りの話を終える頃には時間帯が遅くなっていたため、明日改めて合流することにして、その日は解散という形になった。
この町に家を持っているハンスとエリオットは一度帰宅する事となり、ルドルフ達四人は、ここアーシェル宿場に泊まる事となった。
テーブル席の四人に夕食のパンとスープを出してくれたセシリアに、「それにしても」とルドルフは話し掛けていた。
「そんな事になっていたとはな。貢租がべらぼうに上がったと聞いて、俺はあんたたちが食うに困ってはいないかと心配していたんだ」
「大丈夫ですよ」と言ってセシリアはにっこり笑った。
「皆さんが食材を持ち寄ってくれますし……確かに豊かではありませんが、こうしてなんとか回せています。ルドルフ様のお陰です」
「俺の? ……俺は何もしていないんだが……」
怪訝そうに首を傾げるルドルフに、「いいえ」とセシリアは言う。
「あなた方がこの町に来てくださったから。そして、私やハンスさんやエリオットさんに、役割をくださいましたね。私たち、あなたの言う通りにしか動いていませんよ。あなたへ恩返しがしたかったからです。でも、それによって大きな波が生まれ、新しい形が生まれた。……――まあ、問題が生まれなかったわけではありませんが」
そう言ってセシリアは微笑んだが、「……そうだよな」と答えたルドルフは深刻な面持ちに変わっていた。
そう。何も問題が無いわけではないらしい。
ルドルフは、先のハンス達の話を思い返していた。
今、この町は大きく二つに別れているというのだ。
それは、ルードヴィック・ヴォーレ派と、ハンス・エリオット派。
この両者の元に民衆はスッパリと綺麗に別れ、実質的に内戦のような状態になっているという。
モレク第二王国の王イェルドが課した貢租は、モレク人もグランシェス人も等しく締め上げる形となっている。
エルマー領主であるルードヴィック諸侯が取った措置は、富を集約させ、自身に近しい者や有益な者に配布するという物だった。
おかげで、いっそう上層部は癒着によってガチガチに固まるようになり、片や市民は飢える形となってしまった。
その結果、ずっと沈黙を保っていた筈の事なかれ主義者までもを怒らせてしまった。
彼らをいっそう扇動したのは、エリオットだった。
エルマー兵は半ば暴徒と化した民衆を抑えられなくなってしまった。
理由は市民の主張が強くなり結託を始めてしまったという、一つの要素だけではない。
彼らは富を集約させる過程において、給与を惜しんだ結果、多くのエルマー兵を首にした。その中にはハンス率いる隊もあった。
お陰でエルマー兵は人手不足に陥っており、今、民を抑え込むことができないでいる。
彼らはその過程において、マスケット銃を発砲する事によって幾人か殺めた事件まで起こしている。
もちろん、民衆はいっそう激怒して、今や誰も諸侯達の命令を聞かなくなってしまっている。
町の半ばはハンス・エリオット派によって制圧状態となっており、この付近には既にモレク人の姿は無いとセシリアが話していた。
(大変な事になってしまった)
ルドルフは深刻にとらえていた。
「軽率な作戦だったな」
おもむろに、ルドルフに対してそう言ったのはカイだった。
ルドルフは思わずテーブル越しに向き合っているカイを睨んだが、カイはそれに涼し気な面持ちで対応した。
「僕たちは上手く水面下でやっているよ。表面化してしまっているとなると、直に本国が動きかねないんじゃないか?」
「グッ……」
ルドルフは何も言い返せなくなって、歯噛みしていた。
「ルドルフ様の責任ではありませんよ」そう言ってセシリアは困ったように笑った。
「ルドルフ様がそう指示を出されたわけではありません。こうなってしまったのは、抑圧された暮らしに私たちが我慢できなくなってしまったせいです。それに、きっとしばらくはモレク第二王国の首都は、エルマー地方の状況に気付かないと思います」
「何故だ?」
そう質問を向けたのは、ずっと黙って話を聞いていたフリストフォンだった。
フリストフォンに、セシリアは答えていた。
「どうも、ルードヴィック諸侯とヴォーレ補佐官は、王様に現状を知られたくないみたいなんですよね。この辺りは、ハンスさんがよく事情を知っていらっしゃって、私も聞いたことがあるんです。大丈夫なのかな、って。そうしたらハンスさんが、大丈夫だって。新しい王様は……イェルド陛下は、必要以上の戦争がしたくないらしいんです。だから、制圧後のグランシェス人と、同化したいんだって」
「……それは僕も知っている」
そう言ったのはカイだった。
「しかしそれはただのプロパガンダだ。敵対勢力の宣伝を素直に聞いてどうする? どうせあいつらは、グランシェス人が油断しきったころを見計らって、寝首を掻く気でいるに決まっているさ」
「そうなのかもしれませんが――」と言って、セシリアは微笑んでいた。
「少なくとも今はその、プロパガンダ通りに動きたいのが陛下の意向だそうなんです。そんな中、まさかここまであからさまなグランシェス人差別をやって、その上発砲事件まで起こしているという事を知られるのは、この地方を任されている、あの……ヴォーレ補佐官達にとって痛手なんだって、ハンスさんが仰っていました。彼らはこれまで、独断で差別行動をしていたようですから……」
「……だったら、ルードヴィック諸侯は、この現状を自分たちの手だけで終息させようとしているという事か」
ルドルフの言葉に、「はい」と言ってセシリアは頷いた。
「だからしばらくは大きな戦力が投入される心配は無いと、ハンスさんが」
「……だったら、あまり派手な動きはしないようにと周知してくれ。自分の手に余ると思われてしまったら、それこそ危険だ」
ルドルフの指示に、「わかりました」とセシリアは頷いた。
「そのように伝えておきますね」
「しかし、それなら万が一イェルド王にこの地方の状況を知られ、戦力が投入されたところで微々たる物かもしれないがな」
そう言ってカイは微笑んだ。
「あまり大々的にやって、モレクはやはりグランシェス人を虐殺する意志があると思われてしまっては元も子もないだろうからね。それよりも、これはイェルド王が利口だった場合――もっと警戒すべき事が他にある」
「それは?」
先を促したのはセシリアで、「それはね」とカイは答えていた。
「物資の配給だ。僕ならそうするぜ」と、カイは言った。
「現状を知ればイェルド王は、この地方に物資を配給するのではないかな? なにしろ、それが一番平和的に相手の不平不満を終息させる事ができるからね。そして抑圧していた施政者を処刑し、新たな施政者を据え直す。するとキミたちはどうだ? イェルド王は善王で、悪は諸侯だったと感じるよな。キミたちの戦意を削ぐ事が、彼らの狙いだ。そりゃ、この町の諸侯や補佐官は頑なに口を閉ざす筈だよ。何しろ、本国に知られるという事は、イコール、自分たちの死というパフォーマンスが始まるという事を指しているからね」
「でしたら……――」
困惑の色を宿すセシリアに、カイは首を横に振って見せた。
「まさか明かした方が有益だと思わないだろうな? そんな命知らずな真似はやめておくんだな。今のは、僕ならこうするって話だぜ。だから、今のこの話はキミの胸の内にだけ秘めておいた方が良い。何しろ、相手は戦神ダンターラの信仰者共なんだ。あいつら、武力こそ正義だと思っている節があるからな。それに貢租が上がっているのはエルマー地方だけじゃないんだ。今はどこも困窮しているよ。恐らく――首都シンバリを除いては、だがな」
「シンバリ限定か」とフリストフォンが苦笑した。
「当たり前。やつらだって、カルディア地方の全土を賄えるほどには余裕は多分、そんなに無いぜ? しかし、さすがに自分たちの身辺だけは固めない馬鹿はどこにも居ないだろ?」
「それはそうだが。いや、お前、改めてえげつない事をしたものだと思ってな」
「そう褒めるなよ」
「いや、私は褒めておらぬからな」
そう言ってフリストフォンとカイが笑い合ったのは、彼らが、今の困窮の原因を知っていたが故の物である。
事情を知らない他の三人は、キョトンとしていた。




