15:共通の目的
(……こいつ)と、カイは堪らずに眉を潜めていた。
確かにゴート兵団は、ドーシュ家に帰属している。しかしそれはあくまで名目上。
フリストフォン=ドーシュ卿という存在は、あくまでゴート兵団に従うべき傀儡でしかないのだ。
それが今、フリストフォンはカイに口を挟む余地すら与えないまま、グランシェス騎士団に所属するという、ルドルフという名の大男に縋りつき、必死になって叫んでいる。
「フレドリカをやつらの手から救い出す助けになると約束してくれるならば、私はキミたちに協力しようではないか! 是非とも我々に協力させてくれ!!」
フリストフォンはカイに指示を仰ぐよりも先に、独断によって、目を輝かせながらそのように応じていたのだ。
(……ほう?)と、目を細めるルドルフと、片やカイは苦々しい面持ちを隠し切れなくなっていた。
(こいつ、僕に無断で勝手な判断を……)
カイは平常心を装うと、足早にフリストフォンの背後へ歩み寄るなり、肩をポンと叩いていた。
「……フリストフォン卿、少し宜しいか?」
カイが微笑み掛ける前に、フリストフォンが自ら振り返ってきた。
そして、彼はカイの目を真っ直ぐに睨むと、こう話すのだ。
「こればかりは私の意見に従ってもらうからな……カイ=セリアン! 私はこれまでキミたちに甲斐甲斐しく従ってきたのだ! キミたちは私に権力を集約させた。……ならば! これだけは、これだけは私に判断を譲ってくれ……!!」
フリストフォンの必死の形相と強い意志を、カイは初めて見た気がした。
だからカイは咄嗟に、息を飲んでしまったのだ。
そんなカイの目を、フリストフォンが尚も真っ直ぐに見据えてくる。
深く皺が刻まれた老爺のその眼差しの奥底に見える、決死の覚悟を見た時、カイは驚愕に目を見開かざるを得なかった。
あれほどに死を恐れ続けていた老人が。カイ達に殺される事を怯え、大人しく服従していた彼が。
今、死を覚悟して、カイにこのような眼差しを向けてくるのだから。
(……それほどにフリストフォン卿は、フレドリカ様のことが……)
カイは唇を噛みしめていた。
ただ、ふと重なったのだ。
戦死したかつての友や仲間の為に、あらゆる人間らしさをかなぐり捨ててでも、戦う覚悟を決めた自分たちと。
ただ一人の孫娘の事を思い続けている、目の前の老爺。
「……フリストフォン卿。私たちはよく似ているのですね」
カイはやがて微笑を浮かべると、ルドルフの方へ向き直っていた。
そしてルドルフに対して、胸の前で腕を曲げると、敬礼の姿勢を取っていたのだ。
「ルドルフ殿。僕からもお願いしたい。きっとフリストフォン卿の望みを叶えてみせると、約束しては頂けませんか?」
「……!」
目を見開いてカイを見るフリストフォンをよそに、ルドルフは唇の端を持ち上げニヤリと笑っていた。
「嫌いじゃない。俺はな、熱いやつらが好きなんだ」
そう前置きの後、ルドルフは片手を差し出していた。
「答えは、“イエス”だ。約束しようじゃないか! しかしそれはきっとではない。絶対だ! 絶対に我々の手で、グランシェス王国を取り戻す! そして――……囚われの我らの姫を助け出してやろうじゃないか!」
「……ルドルフ殿」
カイとルドルフは固い握手を交わしていた。
その後、ルドルフはフリストフォン卿にも手を差し出してきたのだ。
「よろしく頼みますよ、フリストフォン卿」
ルドルフの笑顔に、「……――ああ。ありがとう……!」と答えながら、フリストフォンは握手をしていた。
こうして協力の約束を取り付けた後、ルドルフはカリーナを連れて、ここから一番近くにあるアスターの町へ行く事にした。
一泊して行けば良いとカイは言ったが、カリーナがそれを嫌がったから、近場の町で宿を取ることにしたのだ。
「なんだか監視されているようで……それに、どうも信用しきれないのよ、あの人たちは」
しつこくもそう話すカリーナに、ルドルフは苦笑いを浮かべていた。
「お前はずっと、怪しい怪しいと繰り返しているな。 しかし、そうも気に病む必要はあるまい? 確かに、引っかかる所はゼロかと聞かれればそうではない。しかし、あれほど熱い目ができるやつらだ。信用しても大丈夫だと俺は思うんだがな」
「……そうかしら。私の中の嫌な予感が、まだ消えないのよね……」
そう呟いてカリーナは、ため息をこぼしていた。
その一方でカイとフリストフォンは、客人を見送った後、二人食堂の間へと戻っていた。
「今日はコイヴへ行った上、客人の対応までした。お疲れでしょう。後は部屋に戻って、ゆっくりとお休みください」
いつものような調子でそう話した後、立ち去ろうとしたカイの背中にフリストフォンは声を掛けていた。
「待ちなさい」
「…………」
沈黙して足を止めるカイの背中に、フリストフォンは疑問をぶつけていた。
「……何故だね? 何故、キミは……」
フリストフォンが何を訊ねたいか、カイにはすぐわかった。
フリストフォンは、勝手にグランシェス騎士団との協力を約束してしまった自身に協調したカイの行動が理解できなかったのだ。
裏切れば殺すと。ただ黙って従えば良いと。そればかり話していたカイが。
「僕、言いましたよね」
カイは背を向けたまま答えていた。
「あなたと私は似ている」
「…………」
フリストフォンは目をすぼめていた。
そんなフリストフォンに背を向けたまま、カイは打ち明けたのだ。初めて、自分自身の本心を。
「私の大切な人は……――一人残らず殺されてしまいました。モレク人の手によって。我々だって正々堂々と仇討ちをしたかった! あの戦地で、生還した身である以上、最後まで先立った友の為に、仲間の為に、戦い尽したかったんだ! ……――でも、それすらをもモレク人は奪い取って行った」
そう語るカイの目は、憎悪の炎によって滾っていた。
「僕たちは信頼する仲間からも『裏切り者』というレッテルを張られ、共に最後まで戦い抜く道すらも奪われてしまった!! モレク共の手によって!! 僕は許さない……絶対に許したくないッ!! 卑怯者と罵られようが、石を投げられようが構わない……僕たちにはこれしか無かったんです……何もかもを奪われた僕たちにできる手段は、奪い返すこと……――これしか」
「…………」
尚も沈黙を続けるフリストフォンに背を向けたまま、カイはフッと微笑を見せていた。
「あなたは私を軽蔑しているでしょう。構いません。これが私の選んだ道。フレドリカ様を一途に思いやる、あなたの心境と私の心境とが似ていると感じたのは、私の勝手な感情です」
それから今度こそ立ち去ろうとしたカイの背中に、「……カイ」と、改めてフリストフォンは声を掛けていた。
「確かに、私とキミは似ているな。……グランシェス騎士団に協力を申し出た時、私は確かに、私自身の目的のために、キミたちが築き上げてきた物を利用しようとしたよ。キミたちが野盗紛いの事をして得た糧によって手に入れた、黒い人望を。あの時ばかりは、私は私の意志で……ハッキリと利用しようと考えた。あの、グランシェス騎士団に取り入るためにな。だから――」
フリストフォンはカイの方へ歩み寄ると、ニヤリとした笑みを浮かべていた。
「私とキミとは“共犯”だ」
カイもまた笑っていた。
「……その言葉、信頼していますよ。フリストフォン卿」
「……ああ、そうだな」
そう言って、フリストフォンは頷いていた。
翌日、アスターの町で落ち合ったのは、ルドルフとカリーナに対して、カイとフリストフォンだった。
「エルマー地方を任せているエリオットを呼んだ後、一度パトリック卿の元へ行こう」
それがルドルフの提案だった。
そのため、カイ達はゴート地方を部下たちに任せ、長旅の支度をした後、それぞれ長毛馬に跨ってきたのだ。
これでようやく、カルディア地方を除いた一通りの地域を回る事ができた。
一度人員がどれだけ集まったか、どれだけの協力を得ているかを見直した後、規模に合わせた作戦を立て直す必要があるだろう。
そのためには一度、協力している者同士の代表者が集結する必要があるのだ。
雪原の上、三頭の馬を走らせながら、ルドルフはふとカイに質問していた。
「――なあ。あんたは、女神イスティリアを信じているか?」
「……そうだな」と、カイはいったん言葉を止める。
カイは前の戦の時、戦場にて、あれほど待ち望んでいた女神の加護に裏切られた張本人である。
あれほどに失望を覚えた事は無かった。しかしまた、今も雪に生かされている事は事実である。
何故ならカイ達はこれまで、雪によって荷馬車への奇襲を成功させ、雪によって姿をくらまし続けてきたのだから。
「……わからんよ」
それがカイの答えだった。
「僕にはわからない。ただ、僕は……――」
しばらく考え込んだ後、カイは最も適切であろう言葉を拾って答えていた。
「……女神の意志が何であろうと、僕は僕の心意に従うまでさ。それが協力を得られるものなら協力を得る。そうでないなら、そうでないで構わない。ただ、それだけだ。この北領を支配する女神が何を思い考えていようと、実在しようとしなかろうと……――僕の行動は変わらないだろうな」
「そうか」と言ってルドルフは微笑んでいた。
「……それが、何か?」
カイの疑問に、ルドルフは「いや」と答えていた。
「きっと今俺たちの元に集う人々の意思はバラバラだろ? それをたった一つの元へ集結させようとすればさ、何が要ると思う?」
「…………」
カイは沈黙していた。
彼が言わんとする事を理解したからだ。
「女神……か」
カイは物思いに目をすぼめていた。
自身を見限ったのではと疑い、しかし常に側にあるのだと感じている、そんな不可視な存在に、頼らなければならない日が来るのかもしれない。
(しかし、そんな策はあるのか? そんな事が出来るような人物など、もう、この世には……)
カイは駆けている馬上から、地上の白雪へと目を落としていた。
雪は何も答えない。
ただいつもと変わらない純潔の象徴たる色と共に、この地を満たすばかりだった。
―― 第三部・第二章 黒き復讐者 ―― 終




