11:過ち
朝、爽やかな日差しが窓から差し込む石造りの貧相な一室にて。
「ああぁ……」と、呻き声を上げながら、ベッドの上にうずくまるようにして掛け布団を頭からすっぽりと被っている者の姿があった。
それは銀色の腰まである髪をした美しい少女だった。
「……お姫様?」
彼女のその様子を最初に目撃したのは、ちょうど朝食の乗ったプレートを運んできたエーミールだった。
そんな彼にフェリシアは沈黙を返していた。
ただ、昨日のことを思い出せば思い出すほど――死にたいほど恥ずかしさが込み上げてくるのだ。何しろ。
(わ、私、年下とは言え男の子に……! あ、アンナコトやコンナコトをされた挙句、あまつさえあんな姿まで見られて……!!)
彼女は朦朧としていただけで決して意識を失くしていたわけじゃなかったから、何から何まで覚えていた。
「あぁー……!!」
いきなり叫んだ王女の声に、エーミールは思わずビクッとしていた。
そうして恐る恐る、ベッドから離れた位置にある丸テーブルにプレートを置いた後、(……良いのかなあ?)と悩みつつも、両手の袖をまくっていた。
ついでに体温を測ってくるように母から頼まれてきたからだ。
でもまあ、何もせずに引き返すわけにもいくまい。
「……あの、お姫様。検温を……――」
言いかけたエーミールの言葉を遮るように、「もう許して……」とすすり泣くような声が布団越しに聞こえてくる。
「あ、あんな思いをするのは、昨日だけで十分だから……」
どうやらフェリシアは消え入るような声ながらも、布団の中でただ悶絶しているよりも、抵抗する事を選んだ様子だった。
「昨日……覚えてるの?」
エーミールの質問に返ってきたのは沈黙だったが、エーミールはそれを応と受け取ることにした。
「意識があって良かったよ。それが境界線だって、母さんが言ってた。もし意識が無くなってたら、危なかったかも……って」
エーミールのその言葉には純粋さと善意しか感じられなかった。
だからやがてフェリシアは、布団を被ったままながらも、ぽつりぽつりと話し始めるようになる。
「その……ありがとう。た、助けてくれて……。私は昨日、危なかったのよね……?」
「う、うん……そうだね」
頷いたエーミールに、やっとフェリシアは布団から顔を覗かせるようになってくれた。といっても、まだ恥ずかしい様子で目元だけだが。
透き通った宝石のような青い瞳がエーミールに向けられているのがわかり、エーミールは思わずドキッとしていた。
「で、でも、本当は良くないのよ? 私は王族で、あなたは平民でしょう?」
おもむろに彼女が始めたのは説教のように聞こえたので、エーミールは戸惑いながらも、「う、うん」と頷く。
「だ、大体、私には生まれた頃から婚約者がいるし……あ、あなたとの事は、ちょっとした間違いと言いますか」
「……え?」と、エーミールは思わず聞き返していた。
婚約者だのなんだの……なんだか、話が変な方向へ向かっているような気がする。
「とにかくこの事は、内密にした方が良いわ。幾ら相手が子供とは言え……――女神イスティリア様のお怒りを買ってしまうと言って、家臣たちが大袈裟に騒ぎ出すかもしれない」
「え、え?」
なんだか大それた方向へ突き進んでいるような気がする。それもエーミール置き去りで。
そんなエーミールを、「良いですか?」と釘を刺すかのようにフェリシアがじっと見据えてきた。
「あなたが私の肌に触れたことや、その、せ、接吻を契ってしまった事は……く、くれぐれも内密にお願いします」
「……接吻?」とエーミールは聞き返していた。
そんな事をした覚えがまるで無かったからだ。
「し、したわよね?」
フェリシアに睨まれ、エーミールは急いで首を横に振る。
「し、してないよ」
「……した」
「えっ? だ、だから、してないってば」
「しました! だ、だって、甘いスープを私の口に……――」
涙目で言いかけるフェリシアの言葉で、やっとエーミールは気付いていた。
「……あ」
そういえば、口移しという行為は接吻に分類して良いのか、と。
「き、気付かないでやったの……?!」
フェリシアは呆気に取られたような表情を浮かべた後、再び頭から布団を被るなり、はあぁぁ~……と、何やら中で深い深い溜息を吐き出しているのが聞こえた。
「あ、あの。お、お姫様?」
僕、悪いこと言ったかな? と思って、エーミールは焦っていた。
しばらくの間フェリシアは沈黙を続けていたが、「あの……それで、検温」とエーミールが言った辺りでやっと改めて顔を布団から出してくるようになる。
「……ど、どうしてもしなくちゃだめ……?」
じとーっとした様子で睨まれて、エーミールはたじろぎながらも頷いていた。
「そ、そりゃそうだよ。昨日はありえないぐらい冷えてたんだから、どうしても嫌でも、せめて今日一日は体温を見ておかないと」
「うう……」
「心配しなくても、ちゃんと手は洗ってきたし、痛くしないから大丈夫だよ」
「そ、それはわかってますけどぉ……」
フェリシアは不満たっぷりな表情をしているから、検温ぐらいで大袈裟だなあとエーミールは思った。
そんなエーミールの見守る前で、やがてフェリシアは深呼吸の後、意を決した様子で被っていた布団を自ら剥いでいた。
昨日のうちに母が着せたようで、彼女は厚手のロングワンピースを身につけている。
「良かった。やっと検温してくれる気になったんだね」
エーミールはホッとすると、彼女の方へ歩み寄っていた。
そうする間にもフェリシアはもぞもぞと寝返りを打ってうつ伏せになったかと思うと、重苦しく溜息を吐き出し、そして何やら耳まで真っ赤になりながら、ワンピースの裾の方へ手を伸ばすようになる。
(……ん?)と違和感を覚えるエーミールの目の前で、フェリシアはスカートをたくし上げた。
エーミールは思わずぶっと噴き出していた。
「お、おお、お姫様?!」
一気にカアッと赤くなるエーミールに対して、耳まで真っ赤になりながらフェリシアがむき出しになった白いお尻を突き出している。
そうして泣きそうな顔をしながら観念した様子で「……ど、どうぞ」と言った。
あ、うん。それでここまで抵抗していたのか。と、エーミールは全てを悟っていた。
(……言われてみれば昨日は常時こっちで測ってたもんなあ)
納得の後、エーミールはぐるっと視線を横に向けながら話していた。
「あ、あの? そっちは大丈夫だから……今日は脇の下と口の中を触らせてもらうだけで十分だから! さ、さすがにそれは母さんでも僕には頼まないから大丈夫だよ!」
「……え?」
「だ、だから早く、お尻しまってくれないかな……」
消え入りそうな声で言うエーミールが次の瞬間体感したのは、衝撃だった。
ゴスッ! と、腹を足の裏で蹴られ、エーミールはごろごろと床の上を転がった後、暖炉の手前で止まっていた。
「そ、それを早く言いなさい~~!!」
耳の裏まで真っ赤になりながら、涙目でフェリシアが怒鳴ってくる。
「ご、ごめんなさい!」とエーミールは答えていた。
(まったく……検温一つで大変な目に遭ったなあ……)
エーミールは肩を落としながら、とぼとぼとリビングへ戻っていた。
そこにはテーブルに朝食を並べている母と、その一方で父がテーブルの椅子に腰掛けている。
「さっき王女様の叫び声が聞こえた気がしたけど、何かあったの?」
母におもむろに質問され、エーミールは慌てて首を横に振っていた。
「な、なんでもないよ? ……多分」
一応、エーミールは誤魔化す方向を選んでいた。……王女様のプライドのために。
「そう? それで――」と、母は大して気にしなかったようで、手でエーミールに席に着くように促しながら話を始める。
「まだ巡礼団の方々が到着しないのよね。あまり遠くではないとは思うけれど……」
「もしかしたら、王女様を探してるのかもな」と答えたのは父だった。
「こっちから迎えに行った方が良いかもしれない」
そう続けた父に、「そうだね」とエーミールは頷いていた。
そんなエーミールに対し、父はおもむろに険しい表情を浮かべるようになる。
「……それにしても」
ため息をつく父の言いたい事は痛いほどわかっていた。
何しろお姫様が巻き込まれた雪崩の原因はエーミールが作ったのだから。
(僕のせいで……お姫様は)
しばらくの間重たい沈黙が続いたものの、「……まあ」と父はため息をこぼす。
「その話は後で良いだろう。それよりも、朝食を食べ終えたら行くぞ、エーミール。場所はわかるか?」
「あ、うん。多分……巡礼団の人はお姫様を探しているだろうから、きっと、あの場所に」
「よし、案内しなさい」と父に言われ、エーミールは頷いていた。