12:近付く両者
王族や貴族と言った存在が、煌びやかで偉そうな見た目をしているのは、なにもただ贅沢をしているからというだけではない。
確かにそういった見た目は、日々の暮らしや環境から作られる物である。それから、婚姻によっても。
しかしそれは、庶民が思うような、ただ意味も無く欲望の赴くままに贅沢をしているという事ではない。
贅沢で豊かな暮らしぶりをする事によって、立派な見た目や立ち振る舞いを身に着ける事こそが、王族や貴族に求められる物なのだ。
まるでそれは、磨き上げられた調度品のような物だとフリストフォンは思った。
(確かに、私は孫娘にもそれを当たり前のように課して、そして立派に養子となって貰われていった)
それを疑った日は無かった。それが当たり前だと思っていた。
そしてまた、家名を上げる事こそが大儀なのであると信じて疑わなかった。
(我々は選ぶ立場に居るのだと思っていたのだがな……)
後悔をしても、過ぎ去ってしまった物を取り戻す事はできないのだ。
フリストフォンは、ようやく老爺の歳になって、今になって、気付いていた。悟っていた。
貴族とは、庶民を使う立場であるわけではない。
庶民を使っていると見せ掛けて、体良くプロパガンダの顔として立たされる存在なのだと。
ゴート兵団と――否、カイと共に居ると、その事を否応無しに感じさせられてしまう。
「……また私にやれと言うのか」
フリストフォンはため息をこぼしていた。
ここは、ゴート兵団の拠点である廃墟の宿場である。
そこの無人の食堂にて、カウンター席にフリストフォンは腰掛け、傍らに立つカイの話を聞いていた。
ここ数週間という短い期間であるに関わらず、今やゴート兵団に入隊した者は、数千名にも膨れ上がっている。
貢租によって困窮した状況の中、物資を振舞う姿を見て胸打たれた人々は決して少なくない。そのため、みるみるうちにドーシュ家の名声は高まっていた。
「なにが不満なんです?」
カイは微笑していた。
そんなカイに、フリストフォンはゆっくりと首を横に振る。
「……私はな。前にまだグランシェスが健在だった頃、何故、フレドリカに孤独な思いをさせてまで、金策に走っていたか……。それは、悪行をしたくなかったからだ。落ちぶれて、犯罪行為に手を染める貴族は往々にして存在している。しかし私は……意地でもそれをしなかった。それが私のプライドだった……」
「まるで主君は私たちを犯罪者集団のように言うのですね」
カイは意外そうに目を見開いた。
それがわざとらしく思えて、フリストフォンは苦々しい表情を浮かべていた。
「違いあるまい? キミは少々……やり過ぎだ。信念がある事を悪とは言わん。しかし……そのために他者を踏みにじるとなると、話は違うのではあるまいか? 一体キミは、どこまで多くの者を騙せば気が済むのだね?」
「騙す? ……騙すですって?」
カイは歪な笑みを浮かべていた。
「モレクの連中がやった事と比べれば! 私たちの行為など、可愛らしいものではないですか。あいつらはこの地をどれだけの血で濡らし、他者の愛する物を、人権を、富を、どれだけ奪いつくしたと思っているのです? 私はね、決めているんです。とうの昔に腹をくくっている! どんな手を使おうが、モレクの連中をこの地から追い出してやる……それが可能だというなら、悪魔にでもなんでも魂を売り渡す覚悟なのですよ」
「カイよ……」
フリストフォンは目を背けていた。
「今のキミは、確かに、この私にとっては悪魔のように見えるよ」
フリストフォンの呟きを聞いて、カイはニヤッとしていた。
「好きなように言えば良い。どれだけ私を悪く言おうが、あなたも共犯者なのですからね。まさか囚われの姫のような気持ちで居られるとは仰りますまい? 確かに私たちはあなたの命を握っているが、私たちを裏切るか否かはあなたの意志次第ですよ」
そこまで言った後、「……まあ、裏切れば殺すだけですがね」とカイは言い足していた。
「…………」
黙り込むフリストフォンに、「さてと」とカイは口を開いていた。
「今日は共にコイヴまで来てもらいましょうかね? ボストームの西側にある小さな町です。配給そのものは部下たちが分散して回っていますが、定期的に主君も直々に民衆へそのご立派な尊顔を見せてあげれば民の忠誠心が高まりますからね」
カイの飄々とした話しぶりに対して、フリストフォンは沈黙で返していた。
とはいえ、だからと言ってカイが予定を変更してくれる事など、これまでただの一度もあった試しが無い。
(私はこの者たちの傀儡だからな……)
フリストフォンは諦めにも似た心境と共に、そう考えていた。
その頃、ルドルフ達は雪原の中伸びる道、黒い長毛馬を走らせていた。
手綱を握るルドルフの前には、カリーナが座っている。今となってはすっかりこの配置が定番となっている。
「しかしカリーナ、お前もいい加減、乗馬くらい学べばどうだ?」
ルドルフの疑問に、カリーナは「あら」と答えていた。
「料理と刺繍が女の物であるのと同じだけ、馬と剣は殿方の物なのよ」
「お前……まさかとは思うが、その精神で俺を半恒久的に運転手扱いすると言うんじゃないだろうな?!」
ギョッとするルドルフに対して、「とんでもない」とカリーナは応じていた。
「これほど乗り心地の悪い乗り物に、いつまでも乗るわけがないでしょう? 元通りになった暁には、きちんと馬車を手配するわよ」
「そ……そうか」
ルドルフは納得こそしたものの、釈然とはしなかった。
しかし近頃は、必要以上に庶民感覚から離れすぎていない以上は、これがカリーナだと言い聞かせ、自分を納得させることにしている。あまり深くつっこみを入れても、喧嘩になるだけだからだ。
「それにしても……――幸運で良かったわね」
ふとカリーナが振ってきた話題に、表情を和らげて「そうだな」とルドルフは頷いていた。
カリーナが言う通り、今日の自分たちは幸運だった。
今朝方、噂に聞くフリストフォン卿と会いたくて、居場所を聞くために、前にドーシュ家の話を明かしてくれた男の元へ足を向ける事にした。
と言っても、有効な話が聞ける事を、ほとんど期待はしていなかった。何しろ相手はドーシュ家に対する帰属意識があるとはいえ、施しを受けているだけの立場であるからだ。
そのような箸にも棒にも掛からないような人物が、重役の居場所を知っているとは思えない。
とは言え、動かない事には何も始まらない。そう思って、ルドルフ達が歩いていると、取っていた宿のある住宅区を抜けるより早く、幾らかの人とバラバラすれ違った。
ルドルフは図体が大きいせいもあってか、その中の一人と、ドンとぶつかったのだ。
「す、すみません!」
その人物はルドルフの見た目に畏怖したか、大慌て謝ってきた。それに対して、連れらしき男が「馬鹿、何やってんだよ!」と、ぶつかった人を潜めた声で叱り付ける。
「ホントにすんません! よそ見してて……」
ペコペコと頭を下げた後、二人はそそくさと立ち去ってしまった。
「……よそ見だあ?」と、ルドルフは頭をぽりぽり掻いていた。
「確かに、そうね。よっぽどボーっとしていない限り、ルドルフさんほどに大きな熊男を見落とすとは思えないのだけど」
「熊男は余計だ。……――しかし、怪しいな、やつら」
ルドルフは振り返ると、今しがた立ち去ったばかりの人物に目を向ける。
よく見ると、すれ違った人々は皆同じ方向へ歩いて行っている。
「……何かあるのかしら?」
カリーナは首を傾げていた。
「行ってみるか」とルドルフが言うと、カリーナはこくんと頷いていた。
そして彼らについて行った先にて――
見つけたのだ。
町の外れ、雪原に面した樺の木の麓で、白い毛皮を被った二人の男が、木箱を前にして立っている。
彼らの元に人々は集まって行くと、持ち込んだカバンの中に何か受け取っては入れて引き返して行く。
「あれって、まさか……」
昨日、話を聞いたばかりのルドルフはピンと来ると、カリーナを促して二人の毛皮の男の前へ歩み寄っていた。
彼らは歩み寄ってきたルドルフの姿を見ると、驚いた様子で目を丸くした。
きっと、ここらでは見られないほどに大きな体をしているから、驚いたのだろう。
「見ない顔ですね。あなたは?」
毛皮の一人に尋ねられ、ルドルフは答えていた。
「ルドルフ=セーデルクと申す。あんたたちこそ、何者だ?」
「いや、我々は……」
彼らは互いに目を見合わせている。
そんな彼らに、ルドルフは言っていた。
「当ててやろうか。ドーシュ家のゴート兵団だろ?」
ルドルフの言葉に、彼らは驚いた様子で目を見開いた。
「……紹介を受けたのですか?」
「ああ、そうだとも」
「紹介者の名前は?」
警戒心の強い連中だな。と思いながら、ルドルフは昨日であった男の名前を答えていた。
すると彼らは名簿らしき手帳を取り出してめくり始めたから、(ここでも手帳か)とルドルフは思った。
そんなルドルフの気持ちをよそに、どうやら名前を見つけたようで、彼らは頷き合うようになる。
「なるほど。確かに、うちの者のようですね。配給を受けたいなら、署名が必要なのですが。加入の話は彼から聞きましたか?」
「…………」
ルドルフは傍らに居たカリーナと目配せしあっていた。
こいつら、狡猾だぞ。と言いたげなルドルフの視線に、カリーナはすぐに気付いていた。
(配給品を餌にして、署名を得て所属させることで一蓮托生としてしまう。万が一モレクが彼らの片鱗を掴めば、芋づる式に自分達までも処刑対象となりかねない。そうやって結束を高めているのね。……やっぱり、飛び込むには危険すぎるわよ、この相手)
カリーナはそう思ったが、そんなカリーナの意に反して、「いや」とルドルフは答えていた。
「俺たちは配給に来たわけじゃない」
ルドルフは彼らに対して、ニヤッと笑い掛けていた。
「お前たちの頭である、フォーゲルン卿に会わせてはくれまいか?」
途端、その場がざわめき立つようになる。
聞き耳を立てていた周りの一般人は、「個人であの方に……?」「なんて図々しいヤツだ!」と噂をしているし、目の前に居る二人の毛皮の男はというと、「なんだこいつ?」「何者だ?」と、互いに耳打ちしあっている。
そんな彼らに、「ならば」とルドルフは続けていた。
「これを明かせば会せてくれるかな? 我々はグランシェス騎士団だ。パトリック卿の命の元、各地を回っている」
途端、ざわめきが一層大きくなった。
「ちょ、ちょっと、ルドルフさん!」
カリーナは思わず頭を抱えていたが、ルドルフの狙い通り、毛皮の男達は表情を変えていた。
彼らのうち一人が大慌てで走り去って行き、もう一人が「し、失礼いたしました……しょ、少々お待ちください」と動揺した声でルドルフ達を促す。
しばらくして戻ってきた毛皮の男は、ルドルフ達に対して、ついて来るようにと言った。
「ほら。上手く行ったろ?」
にっこりとカリーナに笑い掛けるルドルフに対して、カリーナはげんなりとした様子でため息をついていた。
「もう……少しは慎重になればどうなの? 私、あなたのせいでどれだけ心臓が縮み上がる思いをしていると思っているのよ……」
「良いじゃないか。何かあってもなんとかしてやるって言ってるだろ?」
「まったく……」と呟いて、カリーナは呆れた様子で首を横に振っていた。




