11:一抹の懐疑
どこも物価が上がっている故、借りる宿を探すにも苦労する。
普通、ボストーム程も広い町となると、各区域に一軒ずつは手頃な価格帯の宿があるのだが、今はどこも高級宿と変わらない値段になっている。
そのため、歩き回って歩き回って、日もとっぷり暮れたころ、やっと、町外れの一角に、こじんまりとした個人がやっているような安宿を見つけることができた。
その宿は大きめの民家と変わらない佇まいをしていて、ドアをくぐるとすぐに居間を改造したのであろう食堂が広がっていた。
宿の主人はヨボヨボの腰が曲がった白髪の老人で、六人掛けの食卓テーブルの椅子に座って、広報誌を広げているという緩みっぷりだった。
「部屋はあるか?」
ルドルフが話し掛けると、主人はやっと来客の存在に気付いた様子で顔を上げた。
「おや……客人とは珍しい」
「珍しいって……おいおい、宿の看板を出しているだろう?」
「それはそうじゃが、趣味でやっている店だもんでな。ここまで泊まりに来る人は少ないんじゃよ。皆同じ値段なら、よそに流れていく」
「同じ値段じゃないから、ここへ来たんだろ。今はどこも馬鹿みたいに高いじゃないか」
「そうか……世間は、そうじゃったかもなあ」
主人はそう話すから、『この爺さん、大丈夫か?』と言いたくて、ルドルフは視線をカリーナの方へ向けていた。
そんなルドルフに、主人が話し掛けてきた。
「部屋ならたんまり空いておるぞ。一人用の部屋が二室と、二人用の部屋が四室ある。洗い場とトイレは共用、毛布の追加は無料、飯は別料金で、朝と夕にここで出す。部屋の値段はどれも同じじゃ」
「随分と雑な価格設定だな……」
「趣味でやっていると言っておるじゃろ?」
「まあ良い。金が勿体ないから、二人部屋で良いよな、カリーナ?」
ルドルフは改めてカリーナの方を振り返るが、彼女はまだ考え事をしている様子だった。
そのためルドルフはため息の後、「……まあ良い」と呟いた。
「今は俺が立て替えておいてやろう。後で一割増しで返金させてやる」
そう言いながら、ルドルフは主人に金を払うのだった。
部屋に入る頃になって、やっとカリーナは思考の世界から戻ってきたようだ。
「えっ。また勝手に二人部屋を借りたの? どうして私があなたと相部屋をしなくちゃならないの? 馬鹿なの? 学習能力は無いの?」
第一声がそれだったため、ルドルフはげんなりしていた。
「お前な。少しは懐事情を考えろよ! 大体、おまえだって贅沢できるような経済状況じゃなくなってきてるだろ?!」
「それはそうだけど、あなたが払うべき分を私が出したりとか、よくやっているわよね? 貧乏な傭兵さん?」
カリーナは眉間に皺をよせながらそう言ったから、明らかにこれは非難だとルドルフは受け取った。
「そりゃあお前に比べれば稼ぎは少ないだろうさ。露銭を稼ごうにも、近頃は出し渋るクライアントばっかりと来たもんだ! しかしそれって、仕方がないじゃないか。大体お前だって知ってるだろう? ここ最近、世間の様子が本当におかしいんだよ」
「それはわかっていますけどね……」
「だったら、お前もお前で、少しは節約しようという方向に頭を動かせよ! 大体、俺の分までって言うけどな。お前が払うのって、大半が贅沢品じゃないか! それも、俺が大して必要としていないような類の!」
「多少ならいいけどね、あまりに庶民臭い生活が続くと耐えられないのよ」
そう話しながら、カリーナは暖炉の方へ行くと火を起こし始めるようになった。
「まったく……」とため息をつきながら、ルドルフは部屋を見回したが、テーブルも椅子も無かったため、ベッドに直接腰降ろしていた。
気付けば、火を起こし終えたカリーナが、もう一方のベッドの方へと行っていた。
「ああ……見てよこれ。木組みの箱に毛皮がたった一枚敷いてあるだけ。これにベッドを名乗らせても良いと思う? ひどい宿ね」
「寝冷えしそうなら毛布を追加してもらってこいよ。何枚でも無料だって主人の爺さんが言ってたぞ」
「そういう問題じゃないんだけど……理解できないかしらね?」
口を尖らせるカリーナを見て、理解できてたまるものか。とルドルフは思っていた。
「で、いい加減、思い出したのかよ?」
これ以上文句を聞くのも煩わしかったため、すぐにルドルフは本題に入っていた。
すると、「そう、それよ!」とルドルフの方へ身を乗り出しながら、カリーナが言った。
「フリストフォン卿。よく考えれば、名前だけ聞いたことがあったわ。確かあれは、六年ほど前。フェリシア様に付き添って社交界へ行った時だったかしら。あの頃のフェリシア様ときたら、まだ十二歳程で。今ももちろんお美しいけれど、その時も、それはそれはもう、珠のように美しく愛くるしい方だったのよ」
「そうかそうか。で、フェリシア公の事はさて置いて、早く本題に入ってくれないか?」
ルドルフの指摘に、「そうだったわね」とカリーナは我に返った後、すぐに本筋へと話を戻すことにした。
「それで……えーと、何の話だったかしら。そう、フリストフォン卿だったわね。その方なら、フレドリカ卿と一緒に社交界に参加されていたわ。あの時、ドーシュ家の事が少し話題になったのよね。当主のミゲル卿が亡くなったばかりだったから。新しい当主の挨拶をするために、フェリシア様と一緒におられたロジオン陛下の元に一度、来られたの。あの時既に随分とお年を召しておられるように見えたけれど。幼くして家名を継いだフレドリカ卿に変わって、公的な執務に当たっていると。フリストフォン卿が、そのように仰られていたわ」
「……――かなり重要な記憶じゃないか!!」
ルドルフが急に大声を出したため、カリーナは慌てて身を引くと両耳を抑えていた。
「ビックリした……何なの、急に?」
「お前な。なんでそんな重要なことをポッカリと忘れていたんだよ?」
ルドルフに睨まれ、カリーナはムッとしていた。
「仕方ないでしょ? 一度の社交界で、どれだけ大勢の王侯貴族からの挨拶を受けると思っているの。いっておきますけどね、私の主様は、フェリシア公なのよ。あの、フェリシア=コーネイル=グランシェス公。おわかり?」
「そうやって他人の名声で胸を張るんじゃない。それより、だったら、フォーゲルン卿は実在の人物と見て良いという事だよな? だったら、心強い味方になりそうじゃないか! 明日になったら、すぐにコンタクトを取ろう!」
目を輝かせるルドルフに、「どうかしらね」とカリーナは渋い表情をしていた。
そのため、ルドルフはムッとなっていた。
「なんだよ。文句がありそうな面じゃないか。相手はモレクが生み出した現状から庶民を救うために、慈善活動をするような人物なんだろ? グランシェス再興の夢を語れば、如何にも、真っ先に賛同してくれそうな人物だと思わないか?」
「それはね、そうなんでしょうけど……」
「なんだ?」
ルドルフが先を促すと、カリーナはためらいがちに話し始めていた。
「……おかしいのよ。怪しいのよ、絶対に」
「ああ?」
ルドルフの問いかけに、カリーナはため息を零していた。
「だって、普通じゃ考えられないのよ。どれだけ有力な貴族だからって……そこまで多くの私財を蓄えているわけがないでしょう? 増してやドーシュ家なんてモレク兵にお屋敷を壊されてしまったのよ?」
「他にも色々あったんだろ? ドーシュ家は上位貴族なんだろ? だったら、土地を多く諸侯から預かっている筈だろ?」
「だとしても、不自然よ」と、カリーナは即答していた。
「さっきの人、ゴート地方の全土で、ドーシュ家は物資の配給と求人をやっていると話していたわ。どうやって、そこまでの量を……」
再び顎に手を当てて考え事を始めるカリーナに、「まあ良いじゃないか」とルドルフは言っていた。
「細かい事を今考えても仕方あるまい? それよりも、今日は早く休もう。明日からまた忙しくなるからな」
あっけらかんとそう話すルドルフの姿に、カリーナは腹を立てていた。
「ルドルフさん、人の話を聞いていました? 私は、絶対に怪しいと思うんだけど」
「なんでも構わんぞ、俺は」と、ルドルフは答えた後、じっとカリーナの目を見据えていた。
「怪しかろうが、怪しくなかろうが、いずれによ俺は会いに行く。そう決めたからな」
「…………っ」
カリーナは言葉を失くした後、結局、呆れた様子でため息をこぼしていた。
「あなたと言う人は……相変わらずよね。わかりました、良いでしょう。……けれど、絶対に危ない事はしてはいけないわよ」
そう話すカリーナに対して、「馬鹿を言うな」と言ってルドルフは笑っていた。
「危ない事をするな、だと? ……違うだろ。俺は、万が一危なくなっても、お前の事は危険な目には晒さんよ。こいつは、何のための図体だと思う?」
そう言ってルドルフはポンと自身の大きな胸を叩いていた。
「荒事は任せておけと言っているだろ?」
それからニカニカと笑うルドルフの姿に対して、カリーナは「相変わらず野蛮な人ね」と軽口を叩いた後、微笑していた。
「……まあでも、ルドルフさんのそういう所、最近はそこまで嫌でもないのよね」
ボソ、と呟いたカリーナの言葉を聞き逃して、「は?」とルドルフは尋ねていた。
カリーナは慌てて首を横に振ると、そっぽを向いていた。
「……なんでもないわよ、馬鹿男」
「ああ? なんでそこで馬鹿呼ばわりが出てくるんだよ?!」
久しぶりに聞いた気がする暴言に、ルドルフは腹を立てていた。
そんなルドルフに赤くなった顔を見られないよう、くるりと背を向けてから、「さあね」とカリーナは答えていた。
「自分で考えれば如何ですか? そんな事よりも、私は一足先に汗を流してくるわね」
それからカリーナはパタパタと足早に部屋を出て行ってしまったから、ルドルフは呆気に取られながら見送るしかできなかった。
「なんなんだ、あの女……相変わらず愛想の悪いやつめ……」
釈然としない気持ちを抱えたまま、ルドルフは一人部屋に取り残されるのだった。




