6:老爺の過去
ボロ姿の老爺が連れてこられた先は、アスターと南の村をつなぐ街道の途中にある、宿場跡の廃墟だった。
「ここは……」
長毛馬に跨った老人は、表情を険しくさせながら、先導する少年の背中に目を向ける。
「……キミのような若者が、野盗なんて真似をしているのか? 戦とは、罪深いものだな……」
ため息をつく老人を、アランは廃墟のドアのすぐ手前まで連れて来ていた。
そして、「白いエルクを見たか?!」と叫んでいた。
少しして、白い毛皮を頭から羽織っている数人の男たちが廃墟内からスコップを持って出てくるなり、木箱を開けて中から雪を出しては撒き始めるようになる。
「おいルーキー、副兵団長は? あと、その爺さんは何なんだ?」
長毛馬を預ける時に仲間から質問され、アランは「はい」と答えていた。
「副兵団長の命令で、この人をお連れするようにと……」
「この爺さんを? 浮浪者のようだが……」
老人の方へまじまじと目を向ける男に対して、「そうですよね」とアランは頷いた。
「俺もよくわからないんです。でも、副兵団長が連れて行けと仰るぐらいですから」
「……そうだな」
男は頷いた後、預かった長毛馬を連れて行ってしまった。
アランに案内される形で、老人は廃墟の中へと足を踏み入れていた。
「爺ちゃん、ラズベリーのスープでも入れようか? 副兵団長が帰るまで、ここで待っていてよ」
そう言いながらアランはカウンターの裏手へ行くと、スープを淹れ始めるようになった。
老人はボロの服に付いた汚れを気にしながらも、カウンター席の一つに腰掛けていた。
「……まるで兵団のような呼び方をするのだな」
「そうだろうね」とアランは頷いた。
「まさか、キミたちは……――」
目をすぼめる老人に、「副兵団長が帰ってきたら、話してくれるんじゃないか? ……話しても良いってなら」と、アランは答えていた。
しばらくして、戻ってきたカイは、コートをコート掛けに掛けた後、すぐに老人の元へ歩み寄っていた。
ラズベリースープの入ったカップを手にする老人と、カウンター越しに居るアランの姿を確認した後、「さてと」と、カイは老人の方に話し掛けていた。
「あんた、ただ者じゃないんだろ? ただのボケたジジイだと思ってたんだがな……。僕たちに話してもらおうか? あんたの正体を」
そう言ってフッと微笑んだカイの姿に、老人は笑い声を上げていた。
「ハハハ……単刀直入に切り込むのだな。私が何者であっても、お前たちには関係あるまい?」
「いや、そんな事も無いかもよ? それに、あんたをここに連れてきた以上、良い話を聞けなきゃ困るんだよな、僕たち」
「困る……とは?」
「あんたを殺さなければならなくなっちまうからね」
そう話しても尚、カイの面持ちには罪悪感や躊躇などといった感情が見られない。
ただ悠々とした笑みを老人に向けているのだ。
なるほど。何かあった時、この男は私を躊躇なく殺すだろう。
そう思って、老人はフッと微笑するようになった。
「……良かろう。話してやろう。この、みすぼらしい老いぼれの身の上話をな」
そう前置きの後、老人は話し始めた。
老人は、元はグランシェス貴族であり、アスターの町に屋敷を構えている、とある銀髪の上位貴族の女に婿入りした。
その女と結婚する事ができれば、家名を上げる事ができると聞いていたから、どれだけ好みでなくても、例え反吐が出るほどに低俗な会話しかできないような気位の低い女であったとしても、喜んで籍を入れる事ができた。
やがて女との間に二人の子供を設けることができた。
一番目の子供は重たい病を持って生まれ、すぐに死んでしまったが、二番目の子供は健康体ですくすくと育った。
女が死ぬ頃、家名を息子の名前に書き替えることができ、晴れて老人は、名高い上位貴族の家を我が物にする事ができた。
しっかり者の息子を据えれば、諸侯になる事も夢ではないと野心も抱いた。
息子は同じ上位貴族の女から嫁を貰い、娘を設けた。娘もまた健康体だった。
これで安泰だと思っていた。
ところが、突然の事故によって息子が死に、後を追うようにその妻も亡くなった辺りから風向きが悪くなってしまった。
残されたのは、まだ五歳にも満たない、幼い孫娘。
そして、知らぬ間に息子が作っていた、莫大な借金だった。
老人の知らない所で、息子は博打にはまっていたのだ。
嫁に出した娘が亡くなった家は、「お前の家が殺したのだ」といって老人の家を攻め立てた。
援助も得られなかったため、息子に変わって、老体にむち打って仕事に精を出すようになった。
不幸とは重なるもので、ちょうどその頃、所有していた土地の幾つかが雪崩に巻き込まれてしまった。
家の利益の一端を担っていた広大な農園が潰れてしまった。
金銭を工面するため、老人は益々仕事に打ち込むようになった。
いつの間にか、あれだけ可愛がっていた筈の、寂しがり屋の孫娘を疎んじるようになってしまっていた。
「切羽詰まっていた私は、知らぬうちに金の亡者になってしまっていたのだろう」と、老人は話す。
そして――あの日、運命の日が訪れた。
グランシェス王の使いを名乗る、一人の勅使が老人の元へ訪れた。
彼は十二歳になったばかりの孫娘を一目見るなり、養子に出す気は無いかと尋ねてきた。
国王は、亡くなったフェリシア公に変わるような、美しく可憐な姫を求めている。
この娘を養子に出せば、暮らしや身分の保証をしよう。と。
「それを聞いた私は、二つ返事で孫を養子に出すことに決めた。フレドリカは……私の孫娘は、『養子に行きなさい』と伝えた時、私の顔を見て……ああ、その時に何故気付いてやれなかったんだろうな。あの時、あの子は寂しそうな顔をしていたのだ。私のことを見て。……しかし、何も言わなかった。反発一つせず、一言、『わかりました』と言って、そしてあの日……迎えと共に城へ行った」
老人はそこまで話した後、カイに向かって、小さく頷いた。
「……左様。キミの言う通り、私はただの浮浪者ではない。私の名は――フリストフォン=ドーシュ。フレドリカの祖父だ」
「――副兵団長。この人は……」
呆気に取られた様子で目を見開くアランに対して、カイは頷いていた。
「ああ。ずっと変わったヤツだとは思っていたんだ。何せ、あのフレドリカ公の肩を持つんだぜ。でもまあ、ボケていると聞いていたから、これまでは戯言だと思っていたんだ。でも――アランと話をする姿を見て、ボケちゃいないと確信した。それどころか、この爺さん……――明瞭に見える。それだけじゃなく、意志があって話しているようにすら見えるじゃないか。ハッキリとした意志を持って、あのフレドリカ公をわざわざ擁護するような必要性がある人物。……身内ぐらいしか、思いつかないよな?」
カイの疑問に、フリストフォンは頷いた。
「私はな。私の愚かな判断によって貶めてしまったフレドリカの名声を、なんとか回復してやりたいのだ。それが私にできる、唯一の償いなのだ……」
「あんな事をしたって、名誉は回復なんてしないぜ」
カイはフリストフォンの目を見据え、きっぱりと言っていた。
「フレドリカ公というのは、民衆にとって都合の良いサンドバッグだからな。人となりをよく知らない小娘が何の努力もしないまま駆け上がった、シンデレラストーリー。それに伴い、瞬く間に崩落への道を歩んだグランシェス王国。一見、フレドリカ公が悪いように見えるよな? でも、聞けば十二歳の子供だったというじゃないか。そんな子供に何か影響力があったとは思えない。民衆だって薄々気付いているんだ。でもさ、ロジオン陛下も、前の王女だったフェリシア殿下も、立派そうな仮面を被るのが随分とお得意な王族だったからね。責めてはいけない空気が元からグランシェスにはあるんだよ。その結果、うっ憤の行先はどこになる? フレドリカ公ってのは、民衆にとって都合の良い立ち位置に居るんだ。責任を押し付けて、溜まったヘイトを消化するのに、都合の良い御方なんだよ」
「…………」
フリストフォンは悔しげに唇を噛み、俯いていた。
そんな老人に対して、カイは無慈悲な物言いで、言ったのだ。
「どう足掻いたって、あの可哀想なお姫様の名誉は回復されるわけがない。だって、誰が都合の良い憂さ晴らしのネタを手放すんだよ?」
「……ふ、副兵団長。その辺りで……」
慌ててアランが横から口をはさんだことによって、やっとカイは黙っていた。
しかしカイはフリストフォンを傷付けた事に対して、欠片も悪びれてはいないのだろう。むしろ、そうなって当然だとすら思っている節がある。
周りにそう思わせるような涼し気な表情を、カイはフリストフォンに向けていた。
いつまでも黙り込むフリストフォンに対して、「……ところで」とカイは話し掛けていた。
「ここに来た以上、あんたを僕たちは無傷で帰すことはできない。見てわかる通り、僕たちは野盗だからな」
カイの言葉に、フリストフォンは小さく頷いた。
「……だろうな。必要な事を聞きだしたのなら、後は、この私を殺すだけか」
「いや、違うな」と、カイは答えていた。
「僕はあんたから、良い話を聞かせてもらった。――だから」
カイは髪を掻き上げた後、フッと微笑んでいた。
「ドーシュの家名でも上位貴族は上位貴族だろ。あんた、僕らの後ろ盾をやれよ。爺さん、あんたのような育ちの良い人物に、そんなボロは似合わないぜ?」
そう言ってウインクするカイの姿を見たアランは、ボソボソと呟いていた。
「……すげえ……副兵団長が言うと、スカウトもただの口説きにしか見えないですよね……」
アランのそんな横やりに、「あまり褒めるなよ」と言ってカイは笑うのだった。




