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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第一章 雪上の契り
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10:冷たい姫君

 死の息遣いが聞こえる。

 まさに女神イスティリアが人の魂を氷の世界へ連れて行く途中なのだということを――エーミールは、ハッキリと実感した。


 目の前の姫君プリンセスは冷たかった。

 ゾッとするほどに冷たかった。

 フェリシア公は浅い息遣いをして、朦朧とした眼差しを向けて、“あなたは誰?”と訊ねてきた。


 エーミールはその質問に答えなかった。

 やんごとない方を抱き抱えると、すぐに登っていた場所から降りるなり、再びなんとかうず高い雪の中を通り抜け、いったん雪崩の場所から離れる事を優先した。

 ここの雪はすっかり緩くなってしまっている。そのため、再び雪崩が起きない可能性は無い。このままこの場所にとどまり続ける事が一番危険だったせいだ。


 そうやって樺の木のある安全そうな場所まで行くと、そこに凭れ掛からせるようにして雪の上に座らせていた。

 ここまでの道中でも、随分と体温は奪われてしまった筈だ。濡れた衣服は急速に体の温度を奪って行ってしまう。


(父さんを呼ぶ? いや、そんな時間は無い。増してや、村まで帰る時間も無い……今、ここで対処するしか……!)


「ちょっと、ごめん」


 軽く謝った後、エーミールは彼女のコートに手を掛けていた。


 それがどういう事なのか、知らないわけではない。増してや相手は一国の王女である。

 母は子供だと言ってはばからないものの、実際のところ、何の知識も持たされないほどに無垢な年齢であるわけでもない。


 とは言え、エーミールは下心を出すほど大人でもなかった。

 だから、良くないよな? という遠慮の気持ちこそは生まれたが、そのまま彼女の衣服も、下着すら剥いで行った。


 その下にあったのは、雪のように白くきめ細やかで滑らかな、女性の素肌だった。

 大人になり始めている、まるで未熟な果実の如く曲線を持った肢体を見て、エーミールはドギマギとするよりも先にゾッとしていた。


(青白い)


 まるで死人のように血色が悪くなっていた。

 氷点下の環境において、濡れた衣服はあっという間に体温を奪ってしまうせいだろう。


「……?」


 フェリシアは不思議そうな表情を浮かべた。頭がよく働かないせいで、いまいち状況が掴めていないのだ。


 エーミールの手が直にフェリシアの素肌に触れると、「熱い」と彼女が言った。


「僕は熱くないよ。キミが冷たいだけなんだよ」


 エーミールはカバンの中から毛布を取り出すなり、フェリシアのその白雪のような素肌の上に優しく巻きつけた後、自身の胸に凭れ掛からせていた。


「……?」


 自分と同じくらいか、少し高いくらいかの背の高さに見える姫君が、相変わらず不思議そうにエーミールの目を見つめている。


 そんな彼女にエーミールが差し出したのは水筒だった。


「意識はあるよね。飲める?」


 聞きながらエーミールはすぐに水筒の蓋を開けると、コポコポとスープを注ぐ。

 母がいつも朝のうちに用意してくれるそのブルーベリーのスープはしっかりと保温されており、湯気が立ち上っている。


 エーミールはスープを差し出すものの、フェリシアはそれをボーっと眺めているだけだったから、彼女の口元まで持って行ってやった。


「ゆっくり飲むといいよ」と改めて話しかけながら蓋を傾けようとするが、フェリシアはぼんやりと見ているだけである。


「だ、大丈夫?」


 いったんスープを引いて質問をすると、彼女は不思議そうな目を向けてきたから、(ダメだ)とエーミールは思った。


(あんまり頭が働いてないんだな。かといって何もしないわけにもいかないし……)


 だからって、このまま蓋を傾けていって零してしまっては、せっかく巻きつけた毛布まで濡れてしまう。

 そうなっては、余計に冷える要因を作り出してしまうだけだ。


 結局エーミールが取った行動はこれだった。

 自分の口にスープを流し込むと、フェリシアの顔を上に傾けるようにして両手で押さえる。

 そうやってから直に唇を唇に宛がうと、流し込むようにして飲ませる。


 いわゆる口移しであるが、あまりエーミールはそのことを意識していなかった。

 いや、少しも躊躇しなかったと言えば嘘になる。

 相手はなにしろお姫様だし、悪い事するかなーとか、後で怒られちゃうのかなーぐらいは考えた。


 しかし命には代えられないのだ。

 増してやこれは自分の責任によって引き起こされたこと。


(なんとしてでも助けなくちゃ!)


 その思いが、エーミールの行動を後押しする。


 やがてエーミールは一通り飲ませ終えた頃、水筒の蓋を閉めていた。

 そうしてベルトに元通り水筒を引っ掛けた後、フェリシアを背負う。

 お姫様というものは思った以上に軽かった。


 脱がせた衣服は持って行けそうに無いが、後でどうにかすれば良いと思ったから、そのまま雪の上を走っていた。


(急いでイド村へ連れて行かないと)と思って、エーミールは走り続けた。


 もしかした父が心配するかもしれない。狩り取ったヌシや現場の事も気になった。

 しかし、お姫様を助けるという事は、それよりもずっと重要な事なのだ。


(悠長に悩んでる時間なんて無い……!)


 今は一目散に村へ行った方が良いという判断だった。





「ただいま」とエーミールが帰ってきたから、母はちょうど繕っていた途中の布団から手を離すと、パッと立ち上がっていた。 


「あらあら、早かったわね。それで、ヌシは狩れたの?」

 ガチャリとドアを開け、母は硬直する。


 エーミールの背中には、毛布でぐるぐる巻きにされた少女が背負われていたからだ。

 しかもその少女は透き通った銀色の髪をしていて。


「王女様っっ――?!」


 母は思わず悲鳴を上げていた。


「うん、そうなんだ。雪崩に巻き込んじゃって……」


 そう話すエーミールをよそに、母は急いで王女の頬に手を触れて体温を確認する。


「……あら冷たい! 大変! エーミール、早く、早く王女様をお運びしなさい!」


 母は半ばパニックになりながら、パタパタと家の中に戻っていく。

 そうして、「エドラさん! エドラさーん!」と、今し方まで居間で一緒に作業していたお婆さんの名前を呼んでいる。


 エーミールは言われるまでもなく、急いだ足取りでフェリシアを背負ったまま、家のドアをくぐっていた。



 とりあえず母の部屋のベッドに王女を横たわらせると、掛け布団をかけてから、すぐに部屋の暖炉に火をつける作業を始めていた。

 その間、母は老婆のエドラと連れ立って部屋に来たかと思うと、てきぱきと応急処置を行っている。


 エーミールが背を向けてフーフーと薪の火種に息を吹きかけている間にも、母と老婆は二人掛りで王女の毛布を脱がせ、首の下、口の中、脇の下と一通り触った後、やんごとない人のお尻を抱えていた。

 そして何の迷いも無く体温測定のために指をお尻に差し込んでいるもので、火を上手く起こし終えたエーミールは自己満足と共に振り返ったものの、「うわっ?!」と慌てて視線を顔ごと逸らしていた。


「なっ、ななな――僕がまだいるんだよ?! なにやってんの!」


「こういうのは時間が勝負なのよ! ――で、体温は……まだいける、エーミール、お湯と水持ってきて!」


 エーミールは母の気迫にすっかり押されてしまって、「はいっ!」と返事するなり慌てて部屋を後にしていた。


 そうやって走っていってすぐにお湯を沸かし始めながら、エーミールは気付いていた。


(……あれ。もしかして僕って、男扱いされてない……?!)


 そのまさかだった。


 エーミールはこの後も、父がヌシを積んだそりを引きながら帰ってくるまでの間、さんざんこき使われ倒すのだった……。


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