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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 黒き復讐者
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2:雪原の盗賊

 近頃、ゴート地方南部の治安は目に見えて悪化している。

 戦が終わってまだ間無しなのだ。それも仕方がない。


 誰もがそれを理解しているから、この辺りの道を走らせる荷馬車には必ず複数人の警備兵を同行させる事が義務付けられている。

 それはモレク王国の国王が出したお触れだった。


「――とは言ってもさあ」


 荷馬車に積まれた荷の隙間で揺られながら、一人の恰幅の良い商人の身なりをした男が笑う。


「ハイそうですかと、言われた通りにそう何人も雇っていられるものか。『最低十名を雇用せよ』とは、お上も庶民の懐事情を少しも理解しちゃいない。戯言も休み休み話してほしいものだな。こっちにも、利益があるんだ。せっかく、遠路はるばる北の土地まで足を運ぶというのにな」


「ご尤もですな、旦那」


 そう言ってゲラゲラと笑うのは、商人に雇われている四名の傭兵たちだった。


「まあ、ご安心くださいよ、旦那」


 自信満々に笑うのは、傭兵のうち一人の男だった。


「俺たちはこう見えて、ただの一度だって依頼をヘマした事は無ぇんだ。そこらの難民上がりの賊なんかに、遅れを取るわけがありませんよ」


 すると他の傭兵たちが笑い声をあげる。


「お前、そもそもヘマをしていたら、俺たちはとうの昔に墓の下だろ?」


「それもそうだ」と言って、彼らは笑っている。


 そんな逞しい男たちの姿に頼もしさを覚え、商人は笑みを浮かべていた。その時である。

 ガクンッと、急に馬車が歩みを止める。


 商人は慌てて立ち上がると、崩れかけた荷の木箱を両手で抑えながら御者台に座る少年の方へ目を向ける。


「おい、何をやっているんだ!」


 鋭い声で叱られ、「はいっ!」と慌てた様子で彼は立ち上がった。


「馬が急に立ち止まって……どうやら、雪に車輪が取られてしまったようです……!」


「はあ?! これだから雪国というのは! ゴート地方の雪かさは浅いから、まだ馬車を走らせることができると言っていたのは誰だったか……! ああ、ヨシュアだった! ヨシュアのクソ野郎め!」


 声を荒げ始める雇用主の姿に、慌てて少年は御者台から降りていた。

 彼の主人は一度怒り始めると収まりがつかなくなるから、怒りがこちらに来る前になんとかしなければならないのだ。


「すぐに雪を取り除きます!」


 そう叫びながら少年は荷馬車の車輪の元に身を屈めていた。

 するとすぐに車輪の動きを止めた原因を見つけることができた。

 やや小高くなった雪が、右側の前輪を留めていたのだ。


(くそっ、なんで僕がこんな目に……)


 少年は掌から伝わってくる冷たさを押し殺しながら、車輪の隙間にも流れ込んでいる雪を素手で一生懸命に掻き出す。

 心の中で、決して雇用主に聞かれてはいけない愚痴を吐き出しながら。


(雪ってなんでこんなにツルツルして冷たいんだろう……大体、たかだか1リートぽっちの積雪じゃないか。こんなに簡単に車輪が取られるなんて……)


 ふと、少年の手が“違和感”をつかみ取った。


「ん……?」


 車輪を引っ掛けている、小さな雪の膨らみを、彼はゆっくりと持ち上げる。

 彼の手の中にあったのは、まるで人工的に切り出したかのような形状をした、煉瓦状の雪塊だった。

 周りの雪が張り付いて丸みを帯びてはいるものの――明らかにこの部位だけ、踏み固められたかのように硬い。


「これは……」


 少年が首をひねっている、その時だった。


「お、おい!」


 荷馬車の上から声が聞こえる。


「見ろよ――雪が“動いて”いるぞ……!」


 それは傭兵たちの声だった。


 町から町へと真っ直ぐに道が伸びている、雪原のあちこちには樺の木が生えている。

 その樺の木の根元には、それぞれ、葉の上から蓄積した雪が落ちて生まれたのであろう雪の山があるのだが――そのうちの何個かが、不自然に膨らんだのだ。


 ――否、それは雪ではなかった。


「な、なんだ……?」


 立ち尽くしたまま商人は表情を強張らせ、四人の傭兵たちはすぐに立ち上がる。

 そんな彼らの元へ走り寄るのは、雪と同じ色をした毛皮を覆い被った、幾人もの“人間”だった。


 彼らはモレク人では理解できないような速度で雪上を駆けながら、ジャラリと腰の剣を引き抜く。その時、商人は確信したのだ。


「――賊だ! 賊が来たぞッ!!」


 商人の声に応じるかのようにして、傭兵たちは荷馬車から次々と地面の上に飛び降りる。

 それぞれの武器を引き抜く傭兵たちの姿を確認した後、少年は慌てて御者台に飛び乗っていた。


「馬車を走らせろ!」


 商人の支持に従い、少年は馬に手綱を打って馬はすぐに足を速める。――が。

 すぐにまたガクンッと何かに引っかかり、馬車は動きを止めてしまう。


「何をやっているんだ!!」


「はいっ、また何かに引っかかったようです!!」


 怒声を上げる商人と涙目になる少年をよそに、賊は瞬く間に距離を詰めてくる。

 傭兵たちはすぐに荷馬車の前後左右を囲むかのように布陣した。

 が、迫りくる白ずくめの賊は、前からは六名。後方からも四名と、知らぬ間に囲まれているようだ。


「くそっ、どうすれば……! 頼むぞお前たち! ワシを守ってくれ!」


 青ざめた顔で商人は傭兵たちに声を掛け、「「了解!!」」と彼らは声を重ねる。


 間もなく戦闘は始まった。

 剣を打ち付け合う音があちこちから聞こえる。


 必死に剣を裁きながら、傭兵たちは背に冷や汗を浮かべていた。


 難民上がりなんてとんでもない!

 白ずくめの彼らの眼光は射貫くように鋭く、服越しに伺える体はガッシリと引き締まっており、一振り一振りに鍛錬の跡が見える。


 ザシュッ!


 刃が肉を断つ音がした。


 傭兵のうち一人が崩れ落ちるのと、他の三人が崩れ落ちるのとで時差はそう無かった。

 後には荷馬車の上で震える、肥え太った中年と、あどけない少年だけ。


「うわあぁ……! お、お前たち、何が目的だッ?! そ――そうか、この荷か! わ、わかった。荷なら置いていく! だから、だから、ワシらの事は見逃してはくれまいか?!」


 ガチガチと震えて歯を打ち鳴らしながら、商人が裏返った声を出す。


 すると賊のうち一人が毛皮をマントのように翻し、ガタリと荷馬車の上に飛び乗って来た。

 右手にショートソードを握り締めたまま、荷馬車の縁に足を掛け、間もなくその男は頭に被った毛皮のフード部分をはらりと降ろす。


「――いいや、ダメだね」


 そう言いながらフードの下から現れたのは、ヘーゼル色の瞳と黒い髪をした、美しい青年だった。


「だってお前ら、モレク人だろ?」


 言うが否や、青年の手から放たれたショートソードの一閃が、商人を頭と胴体とで断ち割った。

 驚愕に目が見開かれたまま、ゴロリと首が荷馬車の床へと転がり落ちる。一寸遅れ、ブッと切断部から血が吹き上がる。

 そのままどうと倒れた商人を見届けた後、振り返った青年の視線の先には、腰を抜かした様子で御者台に腰掛けたままになっている少年の姿があった。


「あ、ああ……」


 言葉を失くす少年の方へも黒髪の彼は歩み寄る。

 頬に付いた返り血を手の甲で拭い、そして、にこりと浮かべたのは、まるで貴人のような微笑みだった。


「お前もモレク人だよな」


 言うが否や、少年が返事をする前に、青年の剣は彼の小さな命をも絶っていた。

 涼し気な表情で、ピッと剣にこびりついた血糊を振り払う青年に対して、馬車を取り囲んだままになっている他の白ずくめたちが手を叩く。


「相変わらず、容赦の無い御方だ」


「しかし、そこがまたリーダーらしさじゃないか。――ですよね、カイ副兵団長?」


 話し掛けられ、荷馬車の縁に足を掛けたまま、カイはニコリと微笑んでいた。


「あまり褒めるなよ。何も出ないぜ?」


「はは。褒めてませんよ」


 そう言いながら白ずくめたちはすぐに剣を鞘に納めると、道にばら撒かれていた雪造りの煉瓦の処理を行っていた。

 カチカチに固まっているそれらも、鋭い物を使って突き刺せば簡単に砕ける。それは例えば、グランシェス人なら誰もが持ち歩いているような折り畳みスコップで十分に事足りる。

 そうやって仲間たちが手早く処理を済ませるうちに、カイは少年と商人の遺体を地面へと蹴り落とした後、御者台に腰降ろしていた。


「さて、誰かに見られる前に、この荷馬車をさっさと運ぼうぜ。その後、馬の方は――」と、カイは馬に目を向ける。


 モレク人が連れてくる馬は、北領産の長毛馬と異なり、毛足が短く体つきも細い。

 こういった一般品種の馬は、雪の無い土地では長毛馬以上に素早く走るようだが、雪深くなると途端に愚鈍な生き物と化す。

 彼らは馬の首から体に掛けて、マントを羽織らせる事で防寒をしているようだが、このままグランシェスの野に放てばいずれ寒さで死んでしまうだろう。


「さすがに馬は可哀想だよな。幾らモレク人の飼い馬だからって、馬にまで罪は無い」


 そう話すカイの言葉を聞いて、仲間たちが笑い声を上げるようになる。


「副兵団長にも慈悲心っていうのがあったんですね」


「心外だな。僕だって、さすがに猫も杓子もってわけじゃないぜ」


「どうですかね」


「――まあ、馬は頭が良いからな。放逐すれば後は勝手に帰り着くかもしれん。それより、この荷馬車は大きくて目立つ。僕は先に戻るから、後のことはお前たちに任せるよ」


 カイの言葉に、仲間たちは「「はっ」」と返事をした後、右腕を胸の前に掲げるという、兵隊式の敬礼を行っていた。

 カイもまた彼らに敬礼を返した後、手綱を振るい馬を走らせるようになる。


 ガラガラという車輪の音を聞きながら、カイはふと考え事をしていた。


(まさかヴィンセントさんも思うまい。自らが僕に卸している雪塊が、こんな使われ方をしているだなんて。そしてそれと引き換えに仕入れている格安の商品が、こんな仕入れ方をされているだなんて)


「――でもまあ、他人に教えるには勿体ない、格好の仕入れ先であることは間違いないな」


 そう呟いてカイは不敵な笑みを浮かべるのだった。


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