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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 黒き復讐者
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1:黒髪の青年

 旧グランシェス、現モレク第二王国領土にあるゴート地方。

 そこは降り積もる雪が、一面に白粉おしろいをはたいたかのように地上を覆っている、北領の中で最も南側に位置する土地である。


 ゴートの中でも、特にモレク王国との国境に近い側にあるアスターの町は、先の戦によって半ば廃墟のような様相を纏っている。

 瓦礫こそは取り除かれているものの、穿たれた石壁の家屋は未だ復興の兆しを見せない。

 それでもこの地に根付いている人々は暮らしを止めるわけにはいかず、今も多くのグランシェス人が住み続けている。


 今日もいつもと変わらず、復興のためにあくせくと働く人々が行き交うアスターの街道を、一人の優男が歩いている。

 彼の姿は一段と人目を引くため、通り過ぎようとした女は立ち止まって振り返り、男は小さく舌打ちをする。

 黒いロングブーツと白いズボンを履き、モノトーンカラーのコートを羽織っている彼は、まだ二十代前半に見える若者である。


「ねえねえ、あの人って――」

「わ、すごいイケメン……」


 そう言ってひそひそと噂し合う、道すがらの女性たちの態度に気付いているのかいないのか。

 彼は涼し気な面持ちのまま、歩みを止めようとはしなかった。


 しかし、女性たちが足を止め振り返ってしまうのも無理はない。

 サラサラとした黒髪はエキゾチックな印象を周りに与え、涼し気な印象を与える瞳はヘーゼルカラーをしている。

 細身ながらしなやかで色白な体躯、甘いマスクを持ち、声ですら美しい。


 誰に言わせても『美青年』という評価が下される若者。それが、カイ=セリアンである。


「あら、あの人って……――」

「ほら、この前ヴィンセントの店で見た……」


 また新たに囁き合うようになる女性たちの声が聞こえ、カイは考えていた。


(……ここもそろそろ潮時かな……)


 そんなカイの耳に、女性たちではないまた別の声が届く。


「アスターの諸君! いざ括目するが良い! よもや我らは落ちぶれてはいない!」


 それはしわがれた老爺の声だった。

 アスターの市街にある大通りの片隅で、端に積まれた雪を踏みながら、ボロをまとった老人が声を張り上げている。


「見たか! 見ただろう! 我らは幸運なる者なのだ! 我らの地にはフレドリカ様がおられる! フレドリカ様が今に救い出してくれようぞ!」


 またか。とカイは思っていた。

 カイがこの町に来た時には既に、老人はいつも同じ場所に立って、同じことを叫んでいた。今日もまた。

 しかし、それをまともに聞く者など居るわけがない。居るはずもない。


(フレドリカ=ドーシュだったか)


 カイは他の通りすがりと同じように、老人の前を素通りしながら考える。

 グランシェス王国が滅びるほんの数ヵ月前に、養子としてグランシェス王に貰われた幸運の姫君のことを。


(いや、不幸と呼んだ方が正確か……?)


 フレドリカが王女となった後、あっという間に戦が始まり、あっという間に国が滅びた。

 おかげで、彼女には今や『傾国の姫』という印象が付いて回ってしまっている。

 周りの誰もが噂している。フレドリカ=ドーシュは、運気を吸い取る魔女なのだと。


(あんな十二歳の小娘が、バカバカしい)


 カイはそう思っているが、そう思わない者の方が多いのだろう。


 女なら誰もが憧れるような座に、一夜にして就いてしまった一人の少女。

 元から『小姫』という立場にある諸侯の娘ならばまだしも、それですらない娘が成り上がってしまったのだ。

 元から不人気な姫君だったが、グランシェス王国が滅びたと共に、今や益々嫌忌される存在となってしまっている。


「アスターの諸君! 我々には救世主がおられる! それは――」


 未だ老人の声が届く。


 人々が、「またか」とうんざりした声を零す。


「いい加減、ぶん殴ってでも黙らせるか……?」

「いや、放っておけよ。可哀想な痴呆の老人だ」

「それよりも、我々にはやる事が山積しているだろう?」


 この町の人々は忙しなく道を行き交っている。あんな老人を相手にしている暇なんて無い。

 町の復興を少しでも進めるために、女は籠を運び、男は荷車を運ぶ。


 この町が戦場になってから、既に半年近くが経とうというのに、復興は未だに終わっていない。

 ここアスターの町はフレドリカの生まれ故郷であるという。

 かつては大きく立派だったドーシュ家の屋敷は、戦の時に破壊され尽し廃墟となってしまった。


 すっかりボロボロになってしまったこの町は、モレク人にとって住み心地が悪いのだろう。

 ほとんど流入者は居ないものの、代わりにここ一帯は貿易の通り道として使われている。


 モレク人にとって、雪深い北の土地で得られる物だけでは、物資に不足を感じるのだろう。

 そんな贅沢者のために、贅沢品をモレク国から届けるための輸送馬車が頻繁に行き来している。

 だからこそカイは、この町に訪れているのだ。



 やがてカイがたどり着いた場所は、小さな看板の掛かっている一件の小さな石造りの家屋である。

 看板には、『ヴィンセント商店』と書かれている。


 ガチャリとドアを開けて入ると、中には木箱を並べたカウンターが設置されていて、壁沿いに並べた木箱の上に商品が無造作に積み上げてある店内を見渡すことができる。


「おお、カイじゃないか」


 そう言って気さくに声を掛けたのは、店主らしい身なりをしている、ライトブラウンの顎鬚を蓄えた男だった。


「やあ、ヴィンセントさん」とカイは軽く挨拶をしながら店内に足を踏み入れていた。

 中に人気が無いことを確認すると、カイは真っ直ぐカウンターに歩み寄って店主ヴィンセントに話し掛ける。


「売れ行きの方はどうだ?」


 カイの質問に、「ああ」とヴィンセントは頷いた。


「お陰で、上々だ。俺たちの暮らしは、アンタのお陰で成り立っているようなものだよ。――なあ、いい加減、仕入れ先を教えてくれても良いだろう?」


 するとカイはふっと微笑むと、唇に人差し指をあてがった。


「秘密、だな。前から言ってるだろ? 何度聞いても僕の答えは変わらないぜ」


「お前なあ」と、ヴィンセントは苦笑いの表情に変わった。


「そういう仕草は女の前でやれって何度言えばわかる? 気障ったらしいんだよ」


「そうか?」と言ってカイは破顔する。


 彼は狙ってこういった仕草を取っているわけではないのだ。

 それはそうなのだが、第一印象を見ていけ好かない印象を受ける同性は多い。とは言え、会話をするとまた印象が変わるのだが。


「とにかく、役に立てているなら良いんだ。それより、この前言ったものを都合してはくれたか?」


 そう話しながら、カイは歩み寄ってカウンターに手を突くと、ヴィンセントの眼をじっと見据えた。

 それでヴィンセントはすぐにハッとなると、「ああ、ああ」と頷いた。


「もちろんだとも。あんな物で良いなら幾らでも用意してやるとも」


 そう言ってヴィンセントはカウンターの上に席を外している旨が掛かれたプレートを置くと、カイを呼んで店の裏口へ出る。


 ヴィンセント商店は、比較的無事で済んだ破損の少ない建物を使って営まれている雑貨店である。

 食料品から日用品まで、なんでも取り扱っているため、ここアスターの町にとっての生命線となっている。

 そんな店舗の裏手には、穿たれた石の壁を埋めるように、雪を分厚く塗り固めてある倉庫が建っている。

 倉庫の傍らには、一頭の栗毛の自家用馬が繋がれている。


 ヴィンセントは倉庫の扉を開けると、カイを中に入れていた。

 倉庫の中には、壁一面にずらりと縦横1メートル程もある、正方形の形になった布袋が並んでいる。


「こちら側の列にあるものは、みんなアンタのために用意した物だ。馬にでも積んで持って行ってくれ」


 ヴィンセントの言葉に、「ありがとう」とカイは頭を下げる。

 それから袋を運び出し始めるカイに、「それにしても」とヴィンセントは話し掛けていた。


「なんだって、こんなものを欲しがるんだ? どこにでもある物だぞ。わざわざ買い付ける必要なんて無い。――いやまあ、そのお陰で、こっちは助かっているんだが……」


「ヴィンセントさん」と言ってカイは微笑んだ。


「ここにはどこにでもあるけどね、どこにでも無い場所だってあるんだぜ」


「それは例えば、モレク王国とか……か?」


 ヴィンセントの質問に、カイは頷いた。


「そうだな。しかし、モレクだけじゃない。ヴァロトア王国だって、それ以外の国々も、ひとたびこの土地を一歩出れば、これは貴重な品に早変わりするのさ」


「そういうものなのか? 俺たちにとっちゃこんな物、鬱陶しくて敵わんものだがな……結局、何の助けにもならなかったし……おっと、これ以上話すのは良くないかな? お天道様に罰を当てられてしまいかねない」


 ヴィンセントは笑った後、「それにしても」と話を続けた。


「こんなものを上手に売りつけるとは、大した経営手腕だよな。いやはや、その美貌を利用して、どれだけ得をしているんだ?」


「……ヴィンセントさん」


 次にカイが見せた表情は苦笑いだったため、「すまん、すまん」と言って店長は手を叩いた。


「些細な冗談だよ。しかし、アンタのそれは実に天職で羨ましい。商人ってのはやはり、顔も大事だよな。殺生な話ではあるが」


「いや、僕は話術の方がずっと大事だと思うぜ」


 カイは笑ってそう返していた。



「良い商売話があったら是非、俺にも紹介してくれ。今後ともご贔屓に頼むぜ」


 ヴィンセントにそう言って肩を叩かれた後、カイは借りた馬に荷車を引かせ、その場を後にしていた。


 雪原へ続く道、馬を走らせながら、カイは一人目をすぼめる。


(あの人、すっかり僕のことを交易商か何かだと思っているんだな)


 カイはコートの下に隠してあるショートソードの方へ目を向けていた。


(僕が商人なんかじゃないと知ったら、ヴィンセントさんはどういうリアクションをするんだろうか?)


 そんな事をふと考え。

 その整った眉目をスッと引き締めるのだった。


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