18:別れと出発
カリーナは前を歩くルドルフの背中に尋ねていた。
「良かったの?」
「なにがだ」と、ルドルフは歩みを止めないまま返事を返していた。
「積もる話もあったでしょうに、本当に用件しか話さなかったのね」
カリーナの言葉に、ルドルフはため息をついていた。
「男なんてそんなもんだろ。大体、あっちも忙しくやってるんだ」
「そうかしら? 私には先方が、随分と気に入っておられるように見えましたけどね、あなたのこと」
「……だと良いんだがな」と、ルドルフは微笑んでいた。
宿に戻り、夕食を取る際に配膳をしてくれたセシリアに対して、明日には発つ事を伝えると、彼女は涙ぐむようになった。
「もう行ってしまわれるのですか?」
「ああ。これまで世話になったな。お前にはとても助けられた」
ルドルフはそう言って笑ったが、セシリアは気が気でなかった。
「やっぱり、私が“あんなこと”をしてしまったから……――」
セシリアの言葉と、テーブル越しに腰掛けているカリーナの咳払いの声で、ルドルフは致しかけた事を思い出していた。
「あ、あれはだな……べつに、あれが原因というわけではない。予定が詰まっているだけだ」
「そ、そうなんですか?」
涙目を向けてくるセシリアに対して、「ああ」と頷いてルドルフは笑顔を向けていた。
「それでだな。世話になりっぱなしで悪いんだが、俺が居ない間、お前には頼みたいことがあるんだ」
ルドルフの言葉に、セシリアは表情を輝かせるとコクコクと頷くようになった。
「なんでしょうか? 私、ルドルフ様の為なら何でもやります!」
「はは、ありがとうな」
笑った後、ルドルフはセシリアに話していた。
「この先、色々あるかもしれんが――エリオット達の事をよろしく頼みたいんだ」
「そんな事で良いなら、幾らでも!」
そう言ってセシリアは微笑んだ。
「ああ。任せたからな、セシリア」
ルドルフがセシリアの頭をポンポンと撫でると、セシリアは頬を染めて頷くようになった。
翌朝、改めて店主とセシリアに挨拶をした後、予定通りに二人は宿を後にしていた。
ルドルフが二人分の荷を持ち、馬屋まで続くウェストザートの道のりを歩く。
「そういえば」と、ぽそりとカリーナが言った。
「この町ってルドルフさんの故郷と聞いていたけど、結局、実家には最後まで顔を出さないのね」
「まあな」と言ってルドルフは心なし不機嫌な表情を浮かべるようになる。
「故郷だからといって、実家があるとは限らんぞ」
ルドルフの簡潔なその言葉で、カリーナは察すると口を閉ざしていた。
「庶民はな、貴族と違って、親から子へと残していける物なんて持っていない者が大半なんだよ」
彼の嫌味っぽいその言葉を聞いて、カリーナは考え事をしてしまった。
――果たして、残したくとも何も残せない庶民と。残したくなくとも余計な物まで残してしまう貴族と。
どちらの方が良いのだろうか――と。
「ねえ、ルドルフさん」
ふと、カリーナがルドルフの隣で話す。
「貴族と庶民って、案外、上と下ではなく、右と左のようなものなのかもしれないわね。実のところ持たされた役割が違うだけ……とか」
「ふん」と言ってルドルフは笑みを浮かべていた。
「たまには良い事を言うじゃないか、馬鹿のくせに」
「なっ――なによ、それは」
カリーナはすぐにムッとした表情になっていた。
預けていた黒い長毛馬を、馬屋から引き取った後、ルドルフは馬に二人分の荷を積み上げる。
ルドルフは馬にまたがると、すぐにカリーナの手を取って引っ張り上げていた。
「いい加減、文句はもう言うなよ。これ以上わがままを言うようなら、道の途中で落として行くからな」
「はいはい。あなたがもう少し真っ当なレディーファーストを覚えたら考えるわね」
軽口を言い合いながらも、最初の頃ほどの険悪さは、いつの間にか二人の間からは消えていた。
ルドルフは「口の減らない女だな」とため息の後、馬の腹を蹴っていた。
雪かきされている道の上を、馬が軽快に歩いて行く。
こういった道を歩いていると、如何にアゴナス地方が雪深く不便な土地であるかを思い知らされてしまう。
同じ旧グランシェスの国土であれど、やはり最北とそれ以外とでは雪深さが変わってくるのだ。
「次はどこへ行くの?」
カリーナの質問に、ルドルフは「決まっているだろ」と答えていた。
「――旧グランシェス南部。最初にモレクに陥落させられた土地、ゴート地方だ」
ルドルフの表情は、いつの間にか険しいものに変わっていた。
「今回の戦争の中で、ゴート地方は一番被害が大きかったと聞いている。一体、どうなっている事かな……」
ルドルフの話を聞き、カリーナは小さく頷いていた。
「……協力してくれる人が居れば良いんですけどね」
「ああ、そうだな」と、ルドルフは頷いていた。
今はただ、少しずつ民衆を結束させて行く事しかできない。
モレクへの不満を嗅ぎ付け、焚きつけ、勇気を奮い立たせる事しかできない。
まだ事が動き出すには、多くのパーツが欠損している――
その事を知りながらも、ルドルフは前へ進むしかなかった。
(当たり前だろ? なんたって俺は――)
屈するものかと胸に誓う。
このままではグランシェス人には、真綿で絞殺されるような未来しか待っていない。
モレク第二王国の王イェルドは、モレクへの忠誠を誓うことができるなら、グランシェス人とモレク人を隔てることはしないと語っている。
しかし、どれだけ頭がそのように話していても、その通りには行かないものだ。
民衆同士の間で差別が生まれ、区別が生まれ、富む者と貧する者とへ別れて行く。
そんな民衆同士の軋轢を知ったところで、モレクの王は何もするまい。
迫害されるのは、ただでさえ縁もゆかりもない先住の民。知らなかったフリさえ通しておけば済む事に対して、何かをする筈がない。
(この土地はグランシェス人の物なんだ)
ルドルフはそのように考えていた。
(この土地というのは、一千年もの間、女神イスティリアの子である銀髪の方の元へ集う、北領の民の為の土地なんだ)
「なあ、カリーナ」と、おもむろにルドルフは前に座る彼女に話し掛けていた。
「いつまでもこのままというわけにもいくまい。所詮、俺たちはグランシェス人だ。女神の加護に幻滅しながらも、女神の加護を忘れられない。……形が整えば、必ず、銀髪の方に座してもらわねばならん時が来る……」
「……そう、よね……」
カリーナはため息を零していた。
(……フェリシア様)
カリーナは無意識のうちに、かつての主のことを思い出していた。
女神の加護を失くしたのは、もしかしたら、フェリシア公の責任であるのかもしれない。
しかし、あれほど、あれほどまでに。
「……――女神様を彷彿とさせるほどに、美しく清らかに見える王族は他にいらっしゃらない。だから……――」
「フェリシア公……か」
ルドルフはため息を吐き出していた。
「……いつかはまた、会わねばならん時が来るかもしれんな……」
ルドルフはそんな風に呟いていた。
純潔の色を宿す、白雪の加護と共に生き続けてきたこの土地は。
どこを見渡しても、女神イスティリアを忘れ去る事ができないように出来ているのだろう。
「白銀の加護を、今一度――そう望んでいる者は多く居るだろうな」
ルドルフの言葉に、カリーナは頷く。
まるで今でも加護は残されていると言わんばかりに、辺りには白い雪が今日も降り積もる。
その様は、女神イスティリアはここに居る――そのように、主張しているかのようだった。
―― 第三部・第一章 結束への道標 ―― 終




