12:縁故兵団
結局、その日は宿に引き返す事になった。
収入の伝手に限りがある現状、セシリアが提供してくれている寝床は大助かりだった。
ルドルフは暖炉を焚いた部屋で、身を清めた後寝床に就くつもりだったが、その前に脱線して、ちょうど剣の手入れをしている時に、ドアをコンコンとノックする音が聞こえた。
「誰だ?」と返事をしてみると、「私」と返事が聞こえたから、ルドルフは心底驚いていた。
「……カリーナ?」
「だったらなによ。開けて良いの?」
ドア越しのその声に、慌ててルドルフは頷く。
「あ、ああ……」
するとガチャリとドアが開いたかと思うと、シンプルなワンピースを身に着けたカリーナが部屋に入って来た。
もう仕事をする気が無いのか、いつもお団子にしている髪が降ろされており、栗色の髪が肩の上でウェーブするようになっている。
いつもと違う彼女の雰囲気に戸惑いを隠せずに、咄嗟にルドルフは不愛想な声を発していた。
「な、何の用だよ?」
「べつに。様子が変だったから、落ち込んでいるんじゃないかと思って来てあげただけよ」
そう言いながらカリーナが歩み寄って来たから、内心驚きながらもルドルフはニッと笑っていた。
「ほほう? 要するに、メイドらしくご主人様の慰みに来てくれたってことか?」
すると案の定、カリーナは腹を立てた様子でムッとした表情を浮かべるようになる。
「馬鹿は休み休み言いなさい。私は、お茶ぐらい入れてあげると言っているのよ馬鹿男!」
「……チッ。なんだよつまらん。さっきまでは、ルドルフ様なんて呼んでたクセに」
「それは、ただの建前に決まっているでしょう! 誰が好き好んであなた如きの底辺男を、主扱いなんてするのよ?」
「相変わらず可愛げのない奴め……」
ルドルフはため息を吐き出しながら、どっかりと椅子に腰掛けなおしていた。
そして、(幾ら印象が変わったって、カリーナはカリーナだな)なんて考えながら剣の手入れを再開するようになる。
「……まったく。身だしなみもその剣と同じくらい几帳面にやれば良いのに」
小言を言いながらも、カリーナは部屋に備え付けの小さなキッチンまで行っていた。
そしてお茶の支度をしながら、「もう髪が乱れてるんだから……」とか、「早く汗を流さないと臭くなるわよ」とか、注文を付けている。
「うるさいな……その口を閉ざせば、少しぐらい可愛げが出てくるんじゃないか?」
「あなたが言いたくなくなるぐらい、きちんと自己管理すれば良い話でしょうが」
そう話しながら、カリーナはやがてルドルフの横にあった小さなテーブルに、湯気の立つお茶の入ったカップを置いた。
「……悪いな」
返事をしながらも、ルドルフはお茶に目を向けようともせず、剣に丹念に油を塗り込んでいる。
カリーナはテーブルの傍らにある、空いている椅子に腰掛けると、頬杖をつくようになってじっとルドルフの作業を眺めるようになった。
「……あの人、良い人だったわね」
おもむろにカリーナが切り出したのはそれで、「あの人?」とルドルフは返事をする。
「そう。ハンス=エンジェスター。あなたの知人のわりに、ちゃんとした人だったじゃないの。正直、意外だったわ」
「そりゃどうも。……しかし、ハンス隊長を俺なんかと一緒にするんじゃない。あの方は特別だ。何しろ、あのエルマー兵に在りながら、身一つで隊長まで上り詰めた方なんだぞ」
「エルマー兵? そういえば、ルドルフさんって兵卒なのよね? その年齢で。兵士って、大体十五歳からなるでしょう? 十年以上も在籍して、小隊長の一つにもなれないなんて、一体どうなっているの?」
カリーナの疑問こそが、まさに確信を突くものだった。
「……嫌なことを思い出させるんじゃない」
ルドルフはため息をついたから、カリーナはムッとなっていた。
「なによ。私にも話せない事なの?」
「そうだな。あまり親しくない、その上信用も置けないような奴には話したくもないな」
「…………」
ムッとしたまま口を閉ざすカリーナに目を向けないまま、「――まあ」とルドルフは言葉を続けた。
「だからこれは、俺の独り言だ。お前に話すわけじゃない」
「……――」
カリーナは目をパチクリとさせる。
そんなカリーナに対して、まるで気にもしていないといった調子を取り繕いながら、ルドルフは話し始めていた。
「……俺がエルマー兵になったのは、十五歳の準成人になった年だった」
ルドルフの話はそこから始まっていた。
ルドルフは元々、騎士志望の少年だった。
しかし、母一人子一人の身であるため、母を置いて遠く離れた首都に行く気になれず、結局地元でエルマー兵になる道を選んだ。
エルマー兵とは、立派な人物の元に集った精鋭で、庶民を守り国土を守る立派な役目を任される立場であると夢見て入った道だった。
公明正大に兵士として活躍し、いつかは出世したいと野心だって抱いていた。
しかし実態は考えていたものとは随分と違っていた。
エルマー兵団の世界は、コネと縁故によって占められていた。
エルマー領主ルードヴィック=ジッツォーカ=エルマーの、叔父であるエイナル=ルンドバル卿がトップを務めるエルマー兵団。
主要な地位には身内や友人知人といった存在が優先的に就けられ、中には三十代を過ぎても兵卒のままの兵士が居るという、異常な状態になっていた。
大抵のエルマー兵はその事について文句を言う者は居らず、むしろすり寄る者ばかりである。
何故なら、上官に気に入られることは、イコール出世を指しているからだ。
「それでも俺がエルマー兵団に愛想を尽かさなかったのは、俺の直属の上司となったハンス隊長の存在が大きかった。ハンス隊長は俺にこう話した。『俺たちは何のためにここに居る? 出世する為ではない筈だ。俺たちは民を守るためにここに集った同士なのだ。兵卒の身であれど、出来ることは山のようにある。むしろ、現場に近いここだからこそ、出来ることがある。この仕事は誇りを持てる仕事だよ、ルドルフ』」
その言葉を励みに、ルドルフは兵士の仕事を続けた。
確かにエルマー兵団には縁故とコネの風潮が蔓延っていたが、少なくともハンスが隊長を務める、ルドルフが所属している部隊は違った。
この部隊だけは、出世とは別の場所にあったものの――最も兵士らしい仕事ができていたに違いない。
「そんなハンス隊長の考え方は、上層にとっても都合が良かったようだ。その上隊長は実力も人望もあった。それが故に無視できなかったんだろう。あの人ぐらいだよ、コネも無しに隊長の座まで上り詰めたのは。何しろエルマー兵は、コネの無い人間は退職するまで兵卒のままと決まっているからな」
「……なによそれ」
黙って聞こうと考えていたにも関わらず、カリーナは思わず呟いていた。
「辺境の地域だからって、栄えあるグランシェス貴族のする事とは思えない……あれでもルードヴィック卿は銀髪の方なのよ?」
「そんな事を言われても、知らん。血統と気質というものは、イコールではないんだろ」
ルドルフは軽くため息を付いていた。
それから、「独り言の続きだが――」と言って、話を続けるようになった。
「……俺がエルマー兵を見限る事になった切欠は、フェリシア=コーネイル=グランシェス公を拝見した事にあった」
ルドルフのその言葉を聞いて、カリーナは居ても立ってもいられずに、思わず立ち上がっていた。
「フェリシア様?! フェリシア様が、どうしたの?」
「……お前、独り言にいちいち口を挟む馬鹿が居るか?」
ルドルフは呆れた顔を向けてきたので、カリーナは恥ずかしくなって、咳払いをすると改めて着席していた。
そして、「お構いなく、どうぞ」と先を促す。
「そりゃどうも」と返事の後、ルドルフは話していた。
「フェリシア公が十八歳の成人になられたその日、成人記念パレードがシンバリで開かれていた。ちょうどその時、俺は野暮用でシンバリに来ていたんだ。本当に偶然、たまたまだったが――その時に見た騎士の面々。そして、遠巻きに拝見したフェリシア公やロジオン陛下のご尊顔――格の違いをひしひしと感じたよ。俺はこれまで……失礼ながら、どの地域の施政者も同じだと思っていたんだ。エルマー諸侯も、グランシェス王家も、同じ銀色の髪の血統。どちらも同じ。どちらも変わらないと思っていた。しかし、それがどうしたものか――いやはや」
ルドルフは感傷深げに目をすぼめていた。
「……違いって、あるんだな。見ただけで違いがハッキリとわかる。雰囲気もお顔付きも、何もかもが違うじゃないか。不思議なものだよな。同じ人間なのに、同じ髪と目の色なのに……仮に同じ見た目をしていたって、同じ服を身に着けたって……恐らくはルードヴィック卿には、あれほどに荘厳なオーラを出すことはできんだろうよ」
その時、その瞬間――ルドルフの中にあった物がプッツリと切れたのだという。
もはやルードヴィック卿に対する尊敬の念は無く、(これまでの俺は一体何だったんだろう)とルドルフに疑問を抱かせた。
一体、何者に仕えてきたというのか。
仕えるべき先の怠慢に幻滅していたルドルフに、ハンスは言った。
『兵士とは、民を助けるものなのだから、仕事さえできるならばこれでも良いのだ』と。
その言葉に納得し、これまでエルマー兵としての役割を務めてきた。
しかしルドルフは気付いてしまったのだ。
『俺はそんなんじゃ、満足できない』
ルドルフが騎士や兵士に憧れた、本当の理由。
――それは、立派な人物の元に仕え、そういった人物の一員として、誇りのある仕事を担う。
それであった筈なのだ。
「そりゃあ、民を助けること自体立派なお勤めだと思う。しかしそれを本当に誇り高いもの足らしめているのは、お上の存在あってこそなんじゃないか? そう思ってしまったら、俺はハンス隊長の言葉に百パーセント同意できなくなってしまったんだ。綺麗事じゃないんだ。俺だって人間なんだ。仰ぐ先に誇らしいものが無いというのは、心をバッキリ折るには十分な事だ。少なくとも俺にとっては、そうだったんだ」
ルドルフの言葉を聞いて、カリーナはようやく、すとんと入り込んだ気分だった。
何故、彼がこれほどまでにグランシェス再興を望むのか。
彼はフェリシア公やグランシェス貴族と直接的な繋がりがあるわけではない。縁もゆかりもない、一庶民である筈なのに――
「それに気づいたら、すぐにでもエルマー兵を辞めようとは思ったんだがな。その後間もなく、フェリシア公が病死された報を受けたから、しばらくの間何もできなくなったんだ。俺はこの先どうすれば良いんだろう、と思ってな。それでも動かざるを得ない時が来た。それが、エルマーのモレク王国への不戦降伏だった」
それはルドルフの重たい腰を上げるには、十分すぎるほどの決定打だった。
唯一、民を助けるのだと。それだけに縋って続けてきた仕事だったというのに。
「……結局、ルードヴィック卿は一夜にして、俺の十年間を無駄な物に貶めてしまったのさ」
ルドルフはそう言って、悔しげに唇を噛みしめた。




