7:次なる地へ
協力を約束してくれたパトリックは、他に信頼の置けそうな元騎士を当たってみると言う。
以前にパトリックが国王に辞表を出した時に、同じように責任を取るつもりで辞めた騎士が他にも居るのだ。
「彼らならフェリシア公の生存を聞けば、惜しまず協力してくれるに違いない」
パトリックはそう言った。
そのためルドルフはアゴナス地方のことをパトリックに任せると、自身はカルディア地方を迂回する形でエルマー地方へ向かう事にした。
エルマーはモレクに寝返った領主が統治している土地だが、その事に不満を抱えているのは自分だけではない筈だとルドルフは考えている。
ルドルフは荷を相棒の黒い馬に積みながら、「……で」と、後ろをよたよたと追いかけてきた人物に向かって話し掛けていた。
「なんでお前がついて来る? パトリック卿と居ろって言ったろう?」
ルドルフの疑問に、ムッとした表情を浮かべながら、大きなバッグを両手に抱えて歩み寄ってきたのはカリーナである。
「初めに仲介役を引き受けてほしいと言ったのはどこの誰? あなた一人じゃ不足でしょ?」
「お前、エルマー地方にもアテがあるのか? エルマー地方なら領主が寝返った時に、グランシェスに肩入れする気のある貴族は全員離れた筈だから、お前の出る幕は無いと思うぞ。ここから先は、お前が大嫌いな庶民の管轄だ」
「あのね、ルドルフさん」とカリーナは眉を潜めていた。
「私がいつ庶民が嫌いだと言った?」
「違うのか?」
「違うわよ。私が嫌いなのはあなた一人だけで」
「お前……」
ルドルフはムッとしていた。
「だったら尚更ついて来るなよ。また相乗りになるぞ?」
「わかっているけど、仕方ないでしょ? あなた、私が居なければどうしようもないんだから」
ため息をつくカリーナの姿に、「は?」とルドルフは聞き返していた。
「俺がいつ、お前を必要としたって?」
「自覚が無いなら尚更よ。数日一緒に居て確信したけど、あなた、身の回りのことが一切! できていないじゃないの」
「な、なんだよ。それがどうしたんだよ……?」
多少なりとも自覚のあったルドルフは、若干怖気づいていた。
そんなルドルフに、カリーナはずいと自身のカバンを押し付ける。
「これから人望を得ていこうという人が、野盗まがいの身なりでどうするのよ。これからは私があなたの身の回りのお世話をするから、そのつもりで」
「は、はあ?!」とルドルフは叫んでいた。
「じょ、冗談じゃない! 何故この俺が、あれこれと世話を焼かれにゃならんのだ?!」
「私だって世話を焼きたくて焼くわけじゃないわよ!」とカリーナは言い返していた。
「でもあなた、本当に呆れるほどに身なりに無頓着なんだから、仕方ないでしょう?! ただの庶民が、元は姫様付きを務めていた程のメイドの世話を受けられるのよ。在り難いと思ってほしいぐらいよ!」
「ぐぬぬ……!」
唸り声を上げるルドルフに、改めてカリーナはカバンを押し付けると、「ほらほら、早く受け取る!」と言っていた。
結局ルドルフは渋々とカリーナの大荷物を受け取ると、馬に括り付けたのだ。
「……それにしても、女の持ち物は何故こうも大きいんだ」
「メイドですからね。その中には色々な仕事道具が入っているのよ」
「まったく、仕事熱心なことで……」
ため息をこぼしながら、ルドルフはカリーナの同行を認めるしかなかった。
実際にカリーナの言う言葉は一理あるのだ。
自分でそれぐらい……と言いたいが、自力ではいくら努力しても、精々が浮浪者風剣士から強盗団風剣士に変化する程度である。
(確かに、パトリック卿と会う為にこいつが仕立ててくれた身なりは大したものだった……)
それを思うと、不満はあるものの、ルドルフは自分の馬にカリーナを乗せることを選んでいた。
ルドルフが先に馬にまたがった後、片手を伸ばしてカリーナを自身の前へ引っ張り上げて乗せる。
「いたた……もう少し優しく引っ張れないの?」
文句を言うその背中には腹が立つものの。
「文句言うな。俺は元から雑な男なんだよ。その軟弱な手をバッキリ折らないように気を付けるのが精々だ」
「確かに、雑でなければそこまで乱暴な身だしなみをしないわね」
さらっと言い返すカリーナは、ルドルフのような大男を目の前にしても一切ひるまない理由が、先の出来事でよくわかった。
カリーナはパトリックのような騎士たちが近くに居たから、体格の良い男に対する苦手意識が無いのだろう。
(どいつもこいつもが紳士だと思わない方が良いとは思うが――)
ルドルフは言葉を飲んだまま、馬を走らせていた。
(一度くらい痛い目見てみろってんだ、馬鹿女め。そうしたら少しは俺の在り難さも身に染みるだろう)
ルドルフはこっそりと、そんな風に考えていた。
馬を休ませながら一週間半の道のりの後、ようやくエルマー地方に到着していた。
エルマー地方は、アゴナス地方ほどに積雪は深くないものの、カルディア地方のような地熱があるわけでもない。
雪を掻いた道だけ土がむき出しになっており、それ以外は全てうず高く真っ白い平野が広がっているのが、エルマー地方の景色である。
ルドルフはここに来るまでの道中で、十分すぎるほどに思い知らされた。
(カリーナは口煩い……!)と。
何しろ、毎朝毎朝身だしなみに関して口を出されるのだ。
顔を洗えだの髭を剃れだの。野宿の日くらい勘弁てくれと思っても、「いいえ、良いわけがないでしょう!」とカリーナが立腹する。
そして宿に泊まれた日は、必ずそこに服のクリーニングや髪の手入れなどが混ざる。
町と町の途中にある宿場などは洗濯屋などが居ないため服を洗いたい場合は手洗いとなるのだが、ルドルフのやり方を見て「それではいけません、服がすぐに傷んでしまうじゃないの!」とカリーナが怒ったその日以来、洗濯はカリーナの仕事になってしまった。
特に安宿の掃除など気に食わないようで、泊まった部屋の掃除をする時もある始末。
(王侯貴族って、なんだ。ここまで世話焼かれながら口出しされながら毎日暮らしているというのか……!)
ルドルフは身をもって思い知らされていた。王侯貴族は面倒くさい。と。
それぐらい、適当で良いじゃないか。が通用しない。
気付けばルドルフがこれまで自分でやっていた身の回りの事までカリーナがやるようになっていた。
髭剃りや洗濯といった事柄にまで口を出してくるのだから仕方がない。
エルマーに到着する頃のルドルフというのは、頬に古傷を持った巨体の男。……なのだが、ボサボサだったターコイズグリーンの髪は今やソフトモヒカン風に切り揃えられ、髭は顎鬚のみを残す形で短く整えられ、服はのりをパリッと聞かせたものを着るのが普通となっており、一見、位のある武人のように見える風貌となっていた。
「……なあカリーナ。最近、どの鏡を見ても俺が映り込まないんだよな……」
馬上でふと遠い目をするルドルフに、「何を言っているの」とカリーナは答える。
「立派になりましたよ、ルドルフさん。少なくとも隣に立って恥ずかしくないぐらいにはね。少しは私の有難味を感じるようになった?」
「うむぅ……」
ルドルフは小さく呻いていた。
(まあなあ、確かに……見た目を多少整えたところで、何が変わるんだと思っていたものだが――)
少なくともこれまでの道中だけでもつくづくと知らされてしまったのだ。
立ち寄る宿の店主から向けられる目すら変わったということに。
「……仕方がない」と、ルドルフはため息をついていた。
「褒美に馬鹿女と呼ぶことは止めてやろう」
「なにが褒美よ。相変わらず立場を弁えない礼儀知らずね」と応じながらも、カリーナは最初の頃ほどムキになって怒っていなかった。
いい加減、この品位を知らないやり取りに慣れてしまったせいである。
(……それに、ここまで身なりを整えてしまった以上は、今度は欠点ばかりではないのよね、これって。貴族のメイドを付き従えさせる者なんだから、よほどの大物に違いないと周りに畏怖させることができるはず……なんだけど)
カリーナがため息をついたから、「なんだ?」とルドルフが聞いていた。
「なんでもありません」
カリーナはそう答えた後、内心でこっそりと考えていた。
(……私が割り切る気になれるかどうかが一番の問題ね……)と。
そんなカリーナの思いとはよそに、馬は二人を乗せて目的地に向けて走り続ける。
行先は、エルマー地方の中心地ウェストザート。
そこは今やモレク第二王国に帰属してしまった諸侯ルードヴィック=ジッツォーカ=エルマーの住む城がある地であり、またルドルフにとって故郷でもある場所である。
因縁のその地をルドルフが目指すには理由があった。
(あそこは弱虫でグズなやつらの掃き溜めだ。しかし、恩師なら、あるいは……)
ルドルフは小さな期待と大きな不安を抱きながら、馬を繰るのだった。




