3:新たなる作戦
その日、カリーナはアゴナス城に退職願を出し、城主フォーゲルンの元へ挨拶に訪れていた。
フォーゲルンは書斎でカリーナの話を聞くと、「……そうか」と小さく頷いた。
「お前は従妹の娘。贔屓にはしていたが……やはり、その道を選ぶつもりか」
「やはりということは……」
戸惑うカリーナに、「うむ」とフォーゲルンは頷いていた。
「覚悟はしていた。お前の前姫への忠誠心はいつまでも潰えるようには見えなかったからな。フェリシア公の件なのだろう?」
「それは……そうと言いますか、そうでもないと言いますか」
言葉を濁すカリーナの姿に、フォーゲルンは笑みを浮かべていた。
「これまで、ご苦労だったな。これは退職金だ。期間が短かったから、小額になるが受け取りたまえ」
フォーゲルンの差し出した貨幣袋を受け取ると、カリーナは「恐れ入ります」と言って頭を深々と下げていた。
カリーナはメイド服を返した後、私服のワンピースドレスの上からコートを羽織って大きなバッグを一つ両手にぶら下げた姿で、城門を抜けて町へと出ていた。
「……お世話になりました」
一人、アゴナス城に向けてぺこりと頭を下げるカリーナの上に、ぬっと大きな影が重なる。
「遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ、馬鹿女」
そんな風に声を掛ける者など一人きりに決まっているのだ。
「それは悪かったわね、馬鹿男」と返事を返しながら、カリーナはムッとした表情で振り返っていた。
そこには案の定、ルドルフが立っていた。
ルドルフはカリーナの手に持たれたバッグを見つけるなり肩をすくめていた。
「随分と大荷物じゃないか」
「住み込みでしたからね」
答えながら、カリーナは城から背を向けて歩を進めていた。
その横をルドルフも歩くようになるが、どうにもルドルフから見て彼女は頼りない。
体格に似合わないほど大きなカバンを両手に提げて、よたよたと歩いているように見えた。
「どれ、貸せ。俺が持ってやる」
ルドルフはカリーナの返事も待たずにバッグを取ったから、カリーナはムッとしていた。
「何をするのよ」
「親切にしてやってるんじゃないか」
「そういうの、押し売りというのよ」
「……相変わらず恩知らずだなお前は」
はぁ、とルドルフはため息を零していた。
「まあ良い」とルドルフが言ったので、カリーナは余計に不機嫌そうな表情になっていた。
「それはこっちのセリフなんだけど。……まあ良いですけど」
「まあ良いなら良いんだろが」
半ば険悪気味な会話を交わした後、「それよりも」とカリーナは話題を切り替える事にした。
「これからどこへ向かうの? 再建の組織と言うからには、アジトか何かでもあるのかしら?」
「無い」
「……は?」
「だから、無い」
ルドルフの改めての返事に、カリーナは思わず「はあぁぁっ?!」と大声で叫んでいた。
「なんだよ、煩いな……」
しかめっ面になるルドルフに対して、カリーナは足を止めると。
「無いって、どういうこと?! じゃああなた、これからどうやって行くつもり?!」
「はあ、喧しいな」と、ルドルフは片手で耳を抑えていた。
「戦が終わったばかりで治安が安定しない世の中だ。傭兵の仕事なら幾らでもある。その傍らで、志を共にする同士を探すつもりだが?」
「傭兵って……!」
カリーナの表情は青ざめていた。
「そういうの、ノープランというんですよ、ノープラン! 大体、何の為にメイドを辞めたと思っているの?! グランシェス再興ということは、アゴナスに属していては、アゴナスの領主様に迷惑を掛けかねないのよ。そんな事、恩人に対してできるわけがないわ。だからこそ、あなた側について来るために生活を捨ててきたというのに、だというのにあなたという人は……!」
カリーナは腹立たしさを抑えることができなかった。
「まさか、そこまで無計画だとは思わなかったわ!!」
「ま、まあまあ。そう怒るな」
思いのほか激しい剣幕を見せるカリーナを、慌ててルドルフは宥めていた。
「仕方ないだろ? アテが二つも外れたんだ」
「だからって……」
ブツブツと言うカリーナに、ルドルフは「それに」と向き合っていた。
「だからこそのお前だろう? 良いアテが一つ新たに出来たんだ」
「あ、あのねえ……!」
カリーナは腹立たしさが収まらなかった。
「当たり前のように私を顎で使おうとするのはやめてくれない?! 大体、どうしてこの私が、あなたのような庶民に大きな顔をされなくちゃならないの? 私はこう見えてカルディアの中位貴族であるヴィステルホルム家の出自なんですよ。……まあ、今となってはその家も無事かどうか定かではありません。でも、それでも貴族は貴族なの。確かにメイドを務めていましたけどね、それは相手がお姫様だからであって、あなたのような庶民に女中のような扱いを受けるいわれはどこにも無いのよ。わかっているの?」
「……ほほう?」と、ルドルフは目を丸くしたから、カリーナはムッとなっていた。
「な、なによ……」
「いや、思っていたより身分があるんだなと思って。俺はてっきり、精々下位貴族か豪商の娘クラスかと」
「あのね。私は元・フェリシア=コーネイル=グランシェス様の専属メイドですよ?」
軽く見られたものだと思って、カリーナはため息をついていた。
これで少しは態度もマシになるかと思いきや、ルドルフはニッと笑うとこう言っていた。
「じゃあやはり、俺が思ったとおり。好都合な人材だな。幾ら馬鹿女と言えど、姫様付きのメイドならもちろん、名士に対して顔が利けば信用だってあるだろう?」
「は?」と、カリーナは怪訝そうな表情を浮かべていた。
そんなカリーナを指差すなり、ルドルフは言っていた。
「お前、覚えのある知人を片っ端からリストアップしろ。そいつらを一人一人、当たっていくぞ。今、グランシェスを追われた非降伏の名士の大半は、生きている以上はここアゴナス地方に来ている筈なんだ。モレク第二王国に留まれるわけがないからな。必ずどこかに亡命する。――となると、亡命先の候補地としてここは有力だ」
「……まあ、それもそうでしょうね」と頷きながら、カリーナはルドルフの様子を伺っていた。
(こいつ、筋肉と図体だけが取り得の馬鹿男かと思っていたんだけど。意外と頭が回る……?)
そんな失礼千万な事を考えながら。
そんなカリーナの心情に気付いているかいないのか、ルドルフは更に話す。
「元一端のエルマー兵でしかない俺と違って、お前なら心当たりを思い付くんじゃないのか? グランシェス王国に忠誠を誓う事のできる、名のある人物をな」
「あ、あのねえ」と、カリーナは咄嗟に嫌そうな表情を浮かべていた。
「幾らなんでも、そんな都合の良い人物なんて、すぐには……――あっ」
何か思い当たる節に当たったか、カリーナは途中で言葉を止めていた。
「居るんだろ?」
確認するためにルドルフが聞くと、やがてカリーナは小さく頷く。
「……もしかすれば、あの人なら」
「よーし」と、ルドルフが満足げに頷いていた。
「心当たりがあるなら結構。そいつから当たろうじゃないか。わかったな?」
ルドルフの言い方は相変わらず尊大に聞こえたから、カリーナは改めて腹立たしさを覚えていた。
「何故あなたがそこまで偉そうに振舞うのか理解不能だけど……わかったわ。そうしても構わないわよ。で、その間、あなたは何をしてくれるというのよ馬鹿男?」
カリーナは嫌味っぽく言ったが、ルドルフは気にした様子なく「そうだなあ、俺は」と言ってニッと笑うようになった。
「お前と一緒に行くに決まってるだろ?」
「はあ?」とカリーナは嫌な顔を浮かべていた。
「あなたね。私の知人は皆、基本的には貴族以上の身分なのよ。ただの庶民に誰が会おうというの?」
「そのためのお前だろうが。お前が顔利きをしてくれたら、後の説得は自分でやるって言ってるんだ。お前のような馬鹿女じゃ頼りないからな」
「お生憎様、馬鹿が増えたところで何の足しにもならないわよ馬鹿男」
「何を言ってるんだ。熱意ならあるぞ?」
「……やっぱり馬鹿だった」
カリーナははあ、とため息をこぼすと歩きだしていた。
その後をルドルフもまた歩くようになる。
「ホントに大丈夫なのかな、これ……」
「なんとかなるさ。俺を信じろ!」
ニコニコと機嫌良さそうに笑うルドルフの様子を見て、(少しも信じられない)と考えたカリーナは、改めてため息をこぼしていた。




