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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第一章 雪上の契り
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8:主狩り

 雪深いリュミネス山の中、エーミールは一人身を伏せ然るべき時が訪れるのを、今か今かと待っていた。


(荷は確認した。罠の設置は済んだ。ヌシの行動パターンも確認した……)


 エーミールが口元を引き締める中、やがてズッズッという雪を踏む音が近づいてくる。


 それは北領鹿エルクの群れだった。

 前に見た時よりも頭数が膨らんだ鹿の群れが、食事の為の餌場へとやって来たのだ。

 彼らのリーダーを務めるのはもちろんの事、一際大きな体格をしたヌシ

 牙毛象マンムートにも引けを取らないほどに巨大な北領鹿エルクが、群れの真ん中へ歩み出て、ゆっくりと雪の中に鼻面を突っ込んでは草を食んでいる。


ヌシの庇護下に入りたくて、別の群れが合流したんだろうな……)


 それにしても、これほどに多くの鹿の群れを見るのはエーミールにとって初めてだった。それと同時に、ヌシとはいつまでも居てはいけない存在なのだと確信する。


(こうも一か所に鹿を集められて草を食い荒らされたんじゃ、他の動物が生きていけなくなる。そうなってしまえば獣の多様性も数も減ってしまうし、僕たち狩人にとっても死活問題だ)


 遅かれ早かれ、目の前の鹿は狩られるべき運命なのだ。


(人間の業と恨むる事なかれ。僕たちだって生活があるんだよ!)


 エーミールはザバッと身を潜めていた場所から飛び出していた。

 そして鹿の群れの方へと駆け寄りながら、口元に手を宛がう。


「グオオオォォォォッ!!」


 下手な銀狼の物真似である。似せるつもりはあるのだが恐ろしく似ていない。

 ちなみに以前はこれで鹿の一匹を怒らせて追われてしまったのだ。


 しかし腐っても北領鹿エルクにとって最も警戒すべき銀浪っぽいような、そうでもないような、微妙ながらもよく目立つ獣っぽい声。彼らの注目を一斉に浴びるには十分。

 大量の鹿の前に居るのは、ただの小柄なエーミール一人きりといえど。


「ギャアアァァァァッ!!」


 つんざくような悲鳴を上げたのはヌシである。

 他ののんびりとしている鹿たちとは対照的に、ヌシは身を翻し走り始める。


 幾ら巨体といえど、元は警戒心の強い草食動物である。

 一度丸太での一撃を食らったことがあるヌシにとって、エーミールは天敵に見えるのだろう。

 ヌシの逃げて行く姿を見て、他の鹿たちも危機感を覚えたのか、逃げようとして辺りをきょろきょろと見回し始める。

 そんな中エーミールはというと、いちもくさんにヌシを追い掛け始めたから、群れの鹿達は結局、危険である(であろう)エーミールを避けたのか、ヌシとは反対方向に走り去るようになる。


 すなわち、ヌシは山の上方に連なっている樺の森の方角へ。

 片や鹿の群れたちは、山の下方へ続いている雪の斜面の方向へ。


(僕の狙いは一点だけ。ヌシだけで十分だっ!)


 本来ならば素早い鹿と人間の足。

 しかしエーミールには追う事ができる算段があった。それはヌシが向かう先である。


(樺の森の中では、巨大なヌシは角が引っかかって速く動けない! だからヌシが率いる群れは、いつも見晴らしのいい場所に居るんだ!)


 エーミールの考え通り、ヌシは真っ直ぐに樺の森へと入って行った。


「知恵比べで人間に勝てると思うなよ!」


 エーミールはニッと笑うと、ヌシと同じように樺の森へと突き進むのだった。



 リュミネス山の森の中は『狩場』と呼ばれる。

 そこは狩人しか立ち入る事が許されない場所。

 狩猟用の罠が張られている事が多いため、旅行者などがむやみに足を踏み込むには危険だからだ。


 エーミールが狙ったポイントにヌシが訪れるのを根気強く待ったのには理由がある。


 前を逃げ去るヌシが、進路を右へ変えようとした瞬間、バコッ! と雪の中から木の板が跳ね上がってヌシの前足を叩いた。


「ブルルルッ!」


 驚いた様子で声を上げ、ヌシはまた進路を戻して逃げて行く。


(よし、そのままだ。まっすぐ、まっすぐ!)


 エーミールはヌシの後を追い続ける。


 引き離されそうになったらヌシは木の幹に角をぶつけ、進路を変え、また角をぶつけ、そうしながらジグザグに逃げて行く。

 時たま進路から外れそうになるのを、細々と仕掛けた簡易の罠が巧みに塞ぐ。


 それらは設置するのが簡単である一方、これといった決定打になることが無い。


(でも、それで十分だ)


 エーミールはあえてそういった少し驚かせたり不意を突くぐらいの役にしか立たない罠を選んで設置していたのだ。

 何故なら、今のヌシはエーミールを警戒しているせいで、少し驚いたぐらいでも逃げてくれる。

 あまり驚かせすぎたりすると、逆に怒り出して反撃を始めてしまうかもしれない。そんなヌシ相手には適度な加減なのだ。


 やがて逃げるヌシが前足を引っ掛けたのは、雪に半ば埋まるようにして低く張られた一本の縄である。

 先ほどから逃げるのに夢中だったヌシは、注意力散漫になっていたのだ。


「ブルルルッ!」と驚いた様子で鼻息を立てながらヌシがよろめいた先で、ズザーッと雪が崩れ落ち、それと共にヌシの姿も雪の下へ消える。

 それは定番の落とし穴だった。


 この日の為にエーミールは、巨大な落とし穴をせっせと掘っていたのだ。

 ヌシは普段は森へと立ち寄らないため、こんな罠がここにあるという事を知らないまま今日という日まで来た事はわかっている。


(でもそれじゃ『決定打』にはならない!)


 本来ならクロスボウで止めを刺すのだろうが、エーミールには残念ながらそれだけの腕も無い。

 けれど一点、これだけは自信があるのだ。


「だったら、これが僕の決定打だッ!!」


 エーミールは叫ぶと共に、腰のカバンの下、ベルトの上に横向きに取り付けられている鞘から一本のダガーを引き抜くが否や、傍らの木の幹に向かって叩き込んでいた。


 カコンッ! と軽快な音と共にダガーが断ち切ったもの――それは、幹を張り巡らせるようにして張られている一本の縄だった。


 縄が切断されると共に、ガラガラという複数の滑車の音が鳴り響く。――と同時に、張り巡らせた縄や木々を伝い、落とし穴のちょうど真上から“それ”が落下する。


 ズド――ンッ!!


 重たい音と共に、落とし穴を埋めるかのようにして落ちたそれ。

 丸太に石が括り付けられ、底面には先端を尖らせた杭を幾つも取り付けてある、大物獲り専用の、まさに止め刺し専用と呼ぶに相応しい大掛かりな仕掛けだった。


「ギャアァァッ!!」というヌシの放つ断末魔が響き渡る。

 そのうちに声は消え、グッグッという苦し気な音の後、何も聞こえなくなる。


 この時ばかりはエーミールは、表情を険しいものへと変えていた。


(幾ら獲物と言ったって。“自分の手に掛けた”っていうのは、何度やっても……考えさせられてしまうよな)


 でも、それも含めてエーミールは狩人という仕事を尊敬しているのだ。

 糧を得るという事は、そういう事。そんな摂理と真正面から向き合い、素直に付き合って行くというその姿勢に。


 エーミールは手元の縄を引くと、ガラガラと仕掛けた滑車を通じて仕掛けの『巨剣』を持ち上げていた。

 そして縄を近くの幹に括り付けると、穴の方へ駆け寄る。


 穴の底、絶命したヌシの姿を見て、思わず歓声を上げていた。


「やっ――たあぁぁぁッ!!」


 エーミールは両手を高らかと振り上げると、ガッツポーズを作っていた。


ヌシを仕留めた! 僕が考案して作った罠でやったんだ! クロスボウが無くたって仕留められたぞ!」


 エーミールは、これで一人前の狩人になれる!! という思いでいっぱいだった。


 その時、エーミールの傍らからザバッと父が這い出てきたのだ。


「なるほど、他の細々とした罠で威嚇しながら指定のポイントまで追い込んで、巨大な落とし穴に落とし込んだ上で、大規模な罠によって止めを刺す……か」


 父の神妙な面持ちに対し、エーミールは笑顔で頷いていた。

 上機嫌であるため、父の神出鬼没な面は欠片も気にならなかった。


「そうだよ。すごいだろ、父さん!」


「よくやった、と言いたいところだが……」


 父の表情は神妙なままだった。


「気付いているか? 今の罠、とてつもない振動が起こったぞ。雪山でこんな振動を起こしてみろ。ほら、聞こえるだろう? 耳を澄ませてみなさい」


 父に言われるがまま、エーミールは静まり返ると耳に手を宛がう。

 遠くに聞いたのは、ゴゴゴゴという音だった。


「……見てこい、エーミール。お前が引き起こした事だ」


 父の険しい表情を見るが否や、エーミールはバッと駆けだしていた。

 森を抜け向かう先は、斜面の下の方向だった。


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