第五話
時刻は午前零時十七分、ロッドは身支度を終え、解放の剣を背中のベルトに固定しロビーへ降りた。
ロビーではローラルがソファーに横になり寝ていた。
窓から差し込む月明かりが寝顔を照らしている。
ロッドが立ち止まると、静かなロビーに寝息が微かに響いた。
ロッドはローラルを起こさないように慎重にカウンターのよこにある地下室への扉を開き、階段を下りていった。
ロッドは扉の前に着くと、静かに扉をノックした。
「待って」
と返事が扉の向こうから帰ってきた。
がちゃがちゃと金属音がする。
おそらく身支度の途中だったのだろう。
しばらくして扉が開いた。
おそらくローラルがやったのだろうが、鎧についていた血の跡などはきれいになっていた。
紅龍の槍は鎧の背中の部分についている、専用の留め具に固定されていた。
この留め具は槍を抜こうとする動作で簡単に外れるように作られていた。
二人は足音を殺し、ローラルを起こさないようにロビーを横切った。
ロッドは出口の直前で突然立ち止まりローラルの方を振り返った。
「どうしたの?」
扉に手をかけた状態のサラが振り返り小声で言った。
「ローラル。この村の平和は俺が約束するよ。帝国軍の奴らは俺が倒すから、今度来たときは一緒に酒でも飲もうよ」
そう言ってロッドは扉へ向かった。
外に出ると辺りは真っ暗だった。
「ほんとによかったのかな。勝手に出てきちゃって」
村の出口までやってきたところでロッドがつぶやいた。
「世界平和とあいさつ、どっちが大事?」
村の外へ歩を進めながらサラがそう言った。
「わかってるよ」
頭を描きながらロッドはサラの後を追った。
そのころ、ホテルのロビーには明かりがともっていた。
「馬鹿な子だよ。自分のことだけ考えてりゃいいんだよ。私たちの平和なんか背負わなくてもいいのに……」
ローラルは涙を流しながらそうつぶやいた。
「サラー。ねみーよ」
ロッドは目をこすりながらそう言った。
ローラルの宿で少しの休息は取ったものの、もう四時間も歩き詰めだ。
砦での戦闘の疲れも取り切れていないロッドは、強烈な疲労感と眠気に襲われていた。
あたりはだんだんと明るくなってきている。
もし寝起きならば清々しい空気なのだろうが、今のロッドにはその清々しさが鬱陶しく感じられた。
「もう少し頑張って。もうすぐ商業の街カメルスがあるわ」
サラは珍しく微笑みかけながらそう言った。
ロッドと同等か、それ以上に疲労感を感じ、そのうえ重傷を負っているサラは、特に辛そうな表情は見せずに涼しい顔で淡々と歩いていた。
「けがは大丈夫かよ? 辛かったらまたおんぶしてやるよ」
そう言うとロッドの口からあくびが漏れた。
しかし、そのあくびは途中で飲み込まれることになる。
結構ですと言わんばかりの冷たい目線がサラから送られていた。
美しく微笑んでいた表情は、美しさを残し能面のように無機質になっていた。
ロッドは余計なことを言った自分を恨んでいた。
そこからしばらく歩くと、大きな街についた。
着くころには太陽は完全に顔を出していた。
馬に引かれた荷車や、大きな荷物を背負った商人が通りを行き来している。
とても賑やかな町だ。
通り沿いには店がいくつもあり、活気のいい声が飛び交っている。
ロッドたちは大通り沿いにある宿屋に入った。
利用する人の数に応じるように年季の入った宿屋の床は、ロッドたちの歩みに合わせて小さく軋んだ。
「二部屋空いているかしら?」
その問いに対して、受付の女性は笑顔で返事をして鍵を二つ差し出した。
部屋は二階にあるということで、ロッドたちは階段を上がった。
白を基調とした木造の建物で、掃除が行き届いており、とても小奇麗だ。
どうやら隣同士の部屋を借りられたようだ。
「どっちがいい?」
サラは二つのカギを見せながら言った。
「どっちも一緒だろ」
ため息交じりにロッドがいうと、サラはそれもそうねと表情で返すと、片方のカギをロッドに渡し自分の部屋へと入って行った。
部屋の中にはベッドに小さなテーブルとイスが二脚。
簡単な作りではあったが、体を休めるには十分すぎる広さと、清潔さがあった。
この上なくロッドを喜ばせたのは、シャワー室があったことだ。
彼は一目散に着ているものを脱ぎ捨てると熱めのシャワーを浴びた。
目を瞑り、頭からシャワーを浴びる。
こちらの時代に来てから起きた様々なことが頭をよぎる。
生身の人間を切り、血しぶきと悲鳴が飛び散る場面を思い出すたびに、それを振り払おうと反射的に首を振った。
手に残った不快な感触を打ち消すように壁に思い切り手を着いた。
彼の頭の中には整理できないことがあふれていたが、体が疲れていることに変わりはない。
シャワーを浴び終わると、服を着るのも億劫で、考えることを否定するように眠りへと落ちた。
自分が銀の兵士に向かって剣を振り下ろす場面で目が覚めた。
何度も同じ夢を見続けていたような気がする。
何時かわからなかったが、太陽は随分と高い位置にある。
二、三時間は眠っただろうか。
「おはよう」
唐突にサラの声がした。
彼女は鎧をしっかりと身に着けた状態で椅子に座って窓の外を眺めていた。
紅龍の槍は壁に立て掛けられている。
「どうやって入ったんだよ」
やれやれとロッドはベッドから出た。
「鍵が開いていたから。それより仕事よ」
そう言ってロッドの方を見たサラは、目を見開いて驚いた表情を見せたかと思うと視線を再び窓の外に向けた。
すぐにロッドはその理由に気付いた。彼は何も着ていなかったのだ。
「意外とかわいいとこあるんだな」
ロッドは笑いながらからかうように言った。
「う、うるさい。早く服を着てよ」
サラはより一層顔を赤くして言った。
少しは可愛いところもあるんだなと、ロッドは微笑ましく思った。
「それにしても、先を急ぐって言ったのに仕事なんかするのか?」
服を着ながらロッドが尋ねる。
「この街を出てすぐにある街道へ続く森の道で、商人が何人も襲われているみたい。帝国側が対応しないから、解放軍に依頼が来てたのよ。旅のお金を稼ぐためにもいい話でしょ?」
サラはそう答えると、立ち上がって紅龍の槍を背中の留め具に着けた。
「なるほどね。それじゃ、いっちょ悪者退治といきますか」
ロッドは気合を一つ入れ、解放の剣を背中のベルトに固定した。