第三話
「どうなってる……」
そう言うとロッドは村へ飛び込んだ。
村を見渡したロッドの頭の中はぐちゃぐちゃになった。
いったい何が起こったのか彼には全くわからなかった。
あまりの混乱に彼はめまいに襲われた。
そんな彼の意識をはっきりさせたのは背中から聞こえてきたうめき声だった。
とにかくサラを手当てしなければ。
そう思いロッドは正面の建物へ向かった。
ドアを開け中に入る。
表には宿屋という掛札があった。
外観こそそこそこ歴史を感じる造りだが、中は木目際立つきれいな作りだ。
利用するものが一休みできるように、テーブルといすがいくつか並べられているロビーには、日の光をふんだんに取り込めるような大きな窓がある。
曇り一つないガラスが宿屋の主人の心を移しているようだった。
「いらっしゃい」
ありきたりな言葉を投げかけたのはフロントに座る女性だった。
彼女は新聞を読んだままロッドたちに声をかけた。
「泊まりかい?」
彼女はそう言って新聞を下げ、金髪がよく似合う彼女――おそらく中年ぐらい――は驚きの表情を浮かべた。
それは無理もない。
目の前には、血で汚れた剣を下げた、血だらけの男に担がれた、血糊がこびりついた槍を持った、血まみれで意識のない女がいるのだ。
「そんなことはどうでもいいんだ。この子を手当てしてくれないか?」
ロッドはフロントの前まで歩いて行った。
「いったい何があったんだい?」
中年の女性は新聞をフロントの上に置き、立ち上がり不審そうにそうに言った。
しかし、次の瞬間にはロッドたちへ向けていた不審感は一変することになる。
「詳しいことは俺もわからない。帝国軍の砦から逃げてきたんだ。」
「なんだって?」
一瞬、その女性の顔には怒りが満ちた。
すぐに怒りから心配そうな表情へと変わった。
「早くこの扉に入りな」
その中年の女性はフロントの下にあった扉を開けるとそこへロッドたちを招き入れた。
中には階段があり地下へと続いていた。かなり狭い通路だったが、腰をかがめロッドはサラを背負ったまま女性の後を追いかけた。
石を積み上げて作られた通路には壁にランプがかけられていて少し明るかった。
地下には木の扉があり、その扉を開けると、ベッドと机といすがあるだけの簡素な石造りの部屋があった。
「その子の治療が先だ。そこのベッドに寝かせてあんたは出ていきな」
中年の女性はそう言うと机の引き出しからありとあらゆる治療道具をとりだした。
「俺の名前はロッド。それにしても、俺やサラの素性すら聞かずに、帝国軍の名前を出しただけでこんな隠し部屋に匿うなんてあんた何者なんだ?」
ロッドは言われた通りサラの体をベッドに寝かしながら言った。
「私はローラル。モグリの医者さ。治療の邪魔だ。出て行きな」
治療の準備をあわただしくしていたローラルは、ロッドのことは見ずにそう言った。
ロッドは今はサラをローラルに預けるしかないと思い、その部屋を後にすることにした。
帝国軍の名を聞いたときに見せたローラルの明らかな怒りは、帝国軍を憎んでいるからだろう。
そうであるならば帝国軍に傷つけられたサラのことは治療をしてくれるはずだ。
そんなことを考えながらロッドはロビーへと戻った。
ロビーの端の方には、大きなソファーが向かい合ってテーブルを挟み置いてあった。
窓から差し込む光はここについた時よりも強くなっていた。
つまり、今は朝なのだ。ロッドがロビーに掛けられた時計に目をやると、午前七時を針は指していた。
彼は窓際にあるソファーに腰を下ろした。
途端、体の力が抜けソファーの上で横になってしまった。
彼は困惑したが次の瞬間に襲ってきた全身の激し痛みが理由を説明してくれた。
全身が脈打つたびに激しく痛い。
サラを運ぶためにシャットダウンされていた感覚が徐々に戻ってくる。
全身から血の匂いが漂っていた。
次にやってきたのは激しい喉の渇きと空腹感だ。
しかし、それに勝る脱力感と、その脱力感をも凌駕する痛みがロッドの体を襲う。
体のどこかに少しでも力を入れようとすると、全身を激痛が襲った。
銀の巨兵が持っていた盾にぶつかったときの打ち身のせいだと活動を再開したロッドの脳は結論付けた。
ロッドは何とか体を起こし辺りを見渡した。
他の客の姿は見当たらない。
しばらくじっとしていると痛みが少し落ち着いてきた。
ロッドは立ち上がると洗面所へ一直線に向かっていった。
中に入り蛇口にしゃぶりつくように水を飲み、そして顔を洗った。
洗面台が真っ赤に染まる。
背筋が凍りついた。
これほどの返り血を浴びていたのだ。
それに気づかないほどに必死だったということだろう。
ロッドは顔を洗った後、痛む体に鞭打ってホテルのドアを引き外に出た。
彼にはどうしても確かめなければならないことがあった。
朝日が建物を照らしている。
レンガを積み上げて作られたいくつもの建物たち、そしてそれを照らす朝日。
ロッドはこの景色を幾度となく経験していた。
錯覚などではない。
なにせ、ロッドが住んでいたのも、ラルシア村という名前で村の作りもほぼ同じなのだから。
ロッドは自然と呼吸が早く浅くなっていた。
嫌な汗がにじむ。
体の痛みと合わさってロッドの意識は朦朧としていた。
彼の体は二酸化炭素を欲していた。
若干違うものの、ここがラルシア村とわかった以上、自分の家があるのかどうか確かめたい。
その欲求だけがロッドを突き動かす。
ふらつく足取りで彼は歩き出した。
しかし、数歩で体が言うことを聞かず倒れ込む。
体を動かそうとするが、しびれて動かない。
声も出ない。
朝早いため人通りもない。
しかし、ぼやけた視界の中に一人の人影が見える。その男はロッドの方へ近づいてきた。
「お主、無事か?」
男はロッドのもとにしゃがみ込み声をかけ、布の袋でロッドの口と鼻を覆った。
段々と焦点が定まってきた。
ロッドに布の袋をあてがった男は茶色のローブを着ていて、深々とフードをかぶっていたが、鋭い眼光を放つ緑色の瞳が印象的だ。
この地方に(ここがロッドの住んでいたラルシア村と同じ場所と仮定した場合)住む人たちとは違い、彫りは深くない。
鼻もそれほど高くない。
段々とロッドの体は自由を取り戻していった。
「飲むか?」
そう言ってローブの男は金属製のボトルをロッドに渡した。
ロッドはぐいっとあおったがすぐさま噴水のごとく吐き出した。
「酒じゃねーか!」
激しくせき込みながらロッドは叫んだ。
「飲み物といえば酒じゃろうが」
ローブの男はこの地方とはかけ離れた聞き取りづらい言葉で、わけのわからない理論を振りかざした。
「あんた出身どこだ?」
ロッドはいぶかしげにそう尋ねた。
まだ喉が熱い。
よほどアルコール度数の高い酒だったのだろう。
「このしゃべり方じゃな? 遠く東の地出身じゃ。名はパロディック・ルイス。通り名はパール。主の名は?」
パールは高らかに名乗った。
「俺はロッド」
ロッドはそう言って、パールが差し出した手をつかみ立ち上がった。
「お主、その剣をどこで手に入れたのじゃ?」
パールはロッドの腰にぶら下げられた解放の剣を指さし言った。
ロッドはその質問に口ごもり、体の影に剣が隠れるようにした。
「警戒せんでもよい。わしもそれについとるのと同じ宝玉を持っておるのじゃ」
パールはロッドの警戒を解くように笑みを浮かべ、手をひらひらと振って見せた。
「これについて何か知っているのか?」
ロッドは今にも掴み掛りそうな勢いで詰め寄った。
「い、いや何も……」
今度はたじろぎながらパールは手を振った。
ロッドはあからさまに肩を落とした。
いまだに状況完全には把握し切れていない。
少しでも情報を得たかったが空振りに終わった。
「その様子だとお主も知らんようじゃな」
パールはロッドから酒の入ったボトルを受け取りながら苦笑いを浮かべて言った。
「あんたと同じさ」
ロッドは肩をすくめ、ため息交じりにそう言った。
「では何故、お主はその剣を持っているのじゃ?」
ぐいっと酒を飲み、パールはそう言った。
「導かれたのさ」
ロッドは今日これまでに起きたことを細かく話し始めた。
初対面だったが、そんなことよりも、誰でもいいから聞いてほしいという気持ちがロッドを饒舌にさせた。
パールは腕を組み、眉間にしわを寄せ、腕組みをしながら黙って最後までロッドの話を聞いていた。
「導かれた……か。」
話が終わると、パールは不思議そうにそう言った。
無理もない、目の前にいる人間はここと似た違う世界から来ましたなんて、到底すぐには飲み込めない。
「そういうパールは違うのか?」
ふと疑問を投げつけてロッドは驚くことになる。
「ワシはこの世界で生まれ育ったからのぉ。宝玉はある日生死の淵をさまよっていたとき、絶望の中で夢を見て、その夢から覚めると持っていたのじゃ」
パールは遠い昔を思い出すように言った。顔つきからしてロッドとあまり変わらない年齢だとは思うが。
「じゃが、主の言うようなことは起こらなかった」
パールはもう一度口を開くとそう言った。
ロッドはますます状況がわからなくなった。
同じ宝玉を持つ者と出会ったが、自分と境遇が違いすぎる。
その違いが意味するものはいったい何なのか。
そんな疑問が頭の中を鬱陶しく漂っている感覚が彼にはあった。
そんなロッドを他所に、パールはさてと一言いうと身をひるがえした。
「また会いまみえよう」
それだけ言い残し、パールは村の外へ向かい歩き出した。
その背中を見つめながら、自分とサラ以外に宝玉の持ち主がいることへの疑問を膨らませていた。
宝玉のついた武器、それの意味するものは何なのだろうか。疑問は尽きることはなかった。
「肝心のパールの武器を見せてもらうのを忘れたな…」
そうつぶやき、ロッドは自分の目指す目的地へ歩き出した。