第十話 宝玉の代償
本部に入ると、エントランスには傷ついた鎧を着替え、丈の長い上着を羽織ったヴロンが立っていた。
上着の胸には、鷲を撃ち落とす描写を象った紋章が縫い付けられている。
階級を示す金色の線が紋章の上に輝いていた。
ひと二人分はあろうかという柱が支える、三階まで吹き抜けになったエントランスには、大きな窓から日の光が存分に取り込まれ、石畳の床に敷かれた複雑な模様の絨毯が際立っている。
「医務室で処置した後、俺の部屋に来い」
ヴロンは踵を返して階段を上っていった。
医務室でサラは挫いた足首に、パールは脱臼した肩に、グランデ・テレノにしか存在しない、鎮痛効果がある薬草の塗り込まれた湿布薬を巻いてもらった。
その効果は絶大なようで、先ほどまで足を引きずり、支えが無ければ立つこともできなかった、サラがすたすたと歩き回れるほどだ。
ロッドたちは再び、四階の一番大きな扉をくぐった。
ヴロンは奥の窓の前に立ち、後ろ手に手を組み、眼下に広がる軍事都市を見ていた。
「ロッド、パール……、そこに並べ」
二人は指示された通り、サラを扉の前に残し、大きく重厚な机の前に並んだ。
「その格好は偉そうに見えるな」
ロッドがそう言うと、サラが咳払いで窘めた。
「全く、空気の読めん奴じゃ」
ヴロンから視線を外さず、パールが溜め息を突いた。
「まぁいい、お前たち二人を正式に入隊させる。これにサインしろ」
そう言うと、椅子に座り机の引き出しから書類を二枚取り出し、二人の前へそれぞれ滑らせた。
その契約書の上に銀色のペンを置く。
ロッドたちが書類にサインしている間も話は続く。
「お前らの配属についてだが、まずパール、お前はサラと同じ参番隊に配属する」
サインの書かれた契約書をしまいながら、ヴロンがそう言った。
パールは承知したと頷いた。
「ロッド……は、零番隊の隊長になってもらう」
「総長!」
いきなりの隊長職に豆鉄砲を食らったような顔をするロッドとは対照的に、サラは厳しい表情を見せていた。
反論を言いかけた彼女を手で制してヴロンが続ける。
「心配するな。全部隊の再編を今日行う。夜七時に大広間に集まれ」
背もたれに体を預けあごひげに手を当て、ヴロンがそう言った。
サラはしぶしぶ下がった。
「一つ聞きたいことがある」
場の空気がひと段落したところで、ロッドが真剣な表情で切り出した。
何だとヴロンが返した。
「お前は敵か? それとも味方か?」
ロッドの言葉には重みがあった。
その眼には、答えによってはこの場で切り伏せるという決意が宿っていた。
その静かな覇気に場の空気が凍る。
ヴロンの言葉を一言も漏らすまいと全神経を耳に集中させる。
ヴロンは机に両肘を着き、組んだ手の上に顔を置いてため息を着いた。
「一つはっきりさせておく必要があるが、お前らが宝玉の使い手で、時代を超えて世界を救おうとしているのはわかっている。しかし、それとこの時代の人間の都合とは別物だ。俺が戦うのは俺の目的のためだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、お前たちは俺の部下になった。これも事実。まぁ、アクィラの皇帝が鬼神の宝玉を持っているという情報が入っている以上、目的は似た様なもんだがな」
敵でも、味方でもない。ただ、ここではお前らは駒だと言いたげだった。
「今日、俺たちが戦った堕族はどっから連れてきたんだ?」
ロッドの厳しい表情に変化はなかった。
「堕族は何で生まれるか知っているか?」
背もたれに体を預けてヴロンがそう言った。
そして、誰の答えを聞くわけでもなく、再び話し出した。
「堕族は自己の利益のために、同族殺しをしたものに課せられた、代償だということはわかるな?」
言葉を向けられたロッドが、無言のまま頷いた。
「自己の利益とは?」
ヴロンは独り言のようにつぶやくと一つ呼吸を置いた。
ロッドは眉根を寄せて考え込んだ。答えはなかなか出てこない。
まるで、出来の悪い生徒に授業をする教師だ。
ヴロンが机を指でたたく音が室内に響く。
「難しく考えるな。何だっていいんだ。金、女……、自己の利益ってのはどこまで行っても主観でしかない。つまり、どんなことでも自己の利益になり得るということだ。ミルタリアスに住む人間は聖人ではない。堕族に落ちる人間は少なからずいる。それだけではない。解放軍の目的である帝国の滅亡。団体ではたいそうな目的だが、極端な話をすれば、個人的には自己満足でしかない。それに耐えられない、心の弱い奴らも中にはいるのさ。うちの軍は、ミルタリアスの治安維持も行っている。堕族の処理もうちがやっているのだ。そんなわけで、堕族には事欠かないんだよ」
自己満足という言葉に苦しめられ、人を殺したことに対する罪悪感を持たないように感情を抑え込む。
ヴロンも例外ではなく、毎日苦しんでいるに違いない。
それが、彼の深い彫りの奥にある瞳に、陰りを落としているのだろう。
「ロッド、お前は人を切ることに慣れていないな?」
机に落とされていた視線がロッドに向けられる。
対照的に図星をつかれたロッドが机に視線を落とした。
「罪悪感を持つ前に慣れておけ」
「慣れられるわけねぇだろ」
吐き捨てるようにロッドが言った。
ヴロンは少し驚いたように眉毛を動かした。
そして、サラに目線を送った。
サラは少し厳しい表情で首を横に振った。
「そうか、まだ話してなかったのか」
ヴロンはそうか、そうかと静かにつぶやきながら立ち上がり、再び窓の前に立った。
ロッドが怪訝そうな表情でサラの顔を見た。
サラはバツが悪そうに視線を逸らした。
何かロッドの知らない事実がある。
パールは知っているのだろうか。
その表情を確認すると、先ほどと変わらず、表情一つ変えず正面を向いていた。
その心のうちは全くわからない。
「何の話なんだよ」
しびれを切らしたロッドがそう言った。
「よく聞けよ。場合によっては、お前は戦えない」
重い空気が部屋に漂う。
ヴロンは壁にもたれかかり、少し何かを考えていたように見えた。
そして、口を開こうとした瞬間、サラが一歩前に出て、私から話しますと言った。
「ロッド、あなたは戦いを始めて日が浅いわ。人を切り殺したことに罪悪感をもっているんじゃない?」
この時代にやってきてから、ロッドの心を悩ませていたことを見透かされ、ロッドの目線は泳いだ。
人間を切ったことのなかった彼にとって、罪悪感を持つなという事には、土台無理があった。
夜は毎晩うなされた。
ふとした瞬間に、罪悪感を抱こうとする正直な自分と、それから目を逸らし、抑え込もうとするもう一人の自分が心の中で争っていた。
しかし、すんでのところで、自分を欺いていた。
「私たち宝玉の使い手は、簡単に戦いをやめることはできないの」
感情の籠っていない声でサラが言った。
ロッドはその言葉の真意を計りかねていた。
「堕族にならないということだ」
腕を組んだヴロンが言った。
ロッドはますますわからないといった風に首を傾げた。
堕族にならないという事は、この世の不条理に罪悪感を抱きながらも、人間のままで戦い続けられるという事ではないのだろうか。
「ただ、それなりの代償は払わなければならないわ」
ロッドはオウムのようにサラが発した「代償」という言葉をつぶやいた。
「百聞は一見に如かず……だ」
そう言うと、ヴロンはパールのもとへ歩み寄った。
そして、上に着ている服を脱ぐように言った。
パールは話を聞いていた時と同様に、表情を変えず、言われた通り服を脱ぎ、上半身裸になった。
ロッドはその体を見て、驚きのあまり、目を見開き、声を出そうと開いた口から、音のない息を吐き出した。
パールの胸――ちょうど心臓のある位置を中心に――には放射状の傷跡のようなものがあった。
ただ、その傷跡のような部分は人間の皮膚ではなかった。
それは樹木の皮そのものだった。
ごつごつとした凹凸があり、茶色で、完全に樹木の皮だった。
それが、パールの皮膚を蝕むように不気味に広がっている。
「根源の弓は自然の力じゃ。人間を殺めることに罪悪感を抱いたときから、このような木がワシを蝕み始めた。いまだに広がり続けておる」
パールは服を着ながらそう言った。
「宝玉の力によって、症状の出方は違うけれど、共通しているのは、体全体を覆われると死んでしまうという事よ」
まるで呪いのような話だ。
ぞっとしたロッドの背中には冷や汗が滲んだ。
サラにもこの呪いが出ているのかと、ロッドは彼女の胸元に視線を落とした。
その視線を感じてか、サラは身をよじった。
あわててロッドはヴロンへと視線を投げた。
「どっちにしても死ぬかもしれないなら、戦って死ぬ方を選ぶよ」
半ばやけくそに、ロッドはそう吐き捨てた。
戦う道は死ぬとは決まっていないのだからと自分を落ち着かせる。
そうかとつぶやき、ヴロンは椅子に再び腰掛けた。
「夜七時に一階の大広間に集まれ。隊の編成を行う」