序章
木漏れ日が降り注ぐ森の中、獣道を歩く一人の青年がいた。彼の名前はロッド。
この世界に存在する五つの大陸のうち、最も大きな大陸であるグランデ・テレノ。
世界の大地の四分の一を占める広大な大陸だ。三百年ほど前、その雄大な大地は、一つの帝国によって揺るがされていた。
その名はアクィラ帝国。猛るワシの紋章が国旗に刻まれた新興国家だった。
元々それ程大きな国ではなかったが、数年で領土を拡大していた。
もちろん穏便に事が進むほど、領土を広げるというのは生ぬるいものではない。
破竹の勢いで領土を広げるアクィラ帝国の軍を見た人々は、自分たちの領土を飲み込む彼らを、まるで土地を飲み込む津波のようだったと残した。
まるで一世一代の博打が成功した成金のような国家だ。
とはいえ、戦争が博打とは程遠いことを考えれば、アクィラ帝国の皇帝の手腕は本物だとわかる。
その所業には、大陸の主要五か国から成る最高権力者会議も頭を悩ませていた。
自分たちに降りかかる火の粉を他人に流すことしか考えていないのだから無理もない。
そんな大陸を脅かした国の、内陸部に位置する農業が盛んなラルシア村、国境に近いその村のすぐそばには、かつて激戦が繰り広げられた砦があった。
今は砦の面影を残し関所として機能している。
ロッドはラルシア村に住んでいた。整った顔立ちに茶色い目、髪質のいい茶髪が風になびいている。
彼は毎朝早い時間にこの村はずれの森を散策するのを日課としていた。
いつも少しずつ違う道を選んでは変化を楽しんでいた。
今日も昨日とは違う道に足を踏み入れていた。
鳥の美しいさえずりが聞こえてくる。
ふと開けたところに出た。
さっきまで木々に覆われていた空が顔を出す。
絵具をぶちまけた様な原色の青空がそこには広がっている。
行き交う雲も今日見当たらない。確かに雲はなかった。
「なんだ?」
ロッドは目を凝らして空を見た。
何か光の塊のようなものが落ちてきている。
見る見るうちにその光の塊は大きくなってくる。
次の瞬間、大きな音と共にラルシア村の方角に落ちた。
不思議と地震のような揺れはなかったが、そんなことを考える間もなくロッドはラルシア村の方へ駆け出していた。しかし、道は人がほとんど通らないけもの道だ。
行く手を木や草が阻む。鞭のように叩き付ける枝、絡みつく雑草。
足首や手には次々に小さな擦り傷や切り傷が刻まれていく。
それでも、息が上がろうが、つまずこうがロッドは村へ急いだ。
村のみんなが、何より一緒に住んでいる祖父が心配だった。
しばらくしてようやく村についた。
そこでロッドの目に飛び込んできたものは不可思議なものだった。
あれだけ遠くにいたロッドにすら聞こえた爆音だったのに、村の人々はいつもと変わらぬ様子だった。
壊れるどころか、建物もいつも通りだ。
まるで先ほど起こったことが夢か幻だと言わんばかりだ。
しかし、どうやら夢でも幻でもないらしい。
ロッドの目の前には人一人分ぐらいの穴が開いている。
今日村を出るときにはなかったものだ。
この村に生まれて十六年だが、こんな穴は見たことが無い。
ロッドは落ちないように注意しながら中を覗き込んだ。
穴の中にはどんな光も吸い込まれてしまうような漆黒の闇が広がっていた。
どれぐらいの深さなのか全く見当もつかない。
「待っているわ」
突然知らない女の声がロッドの脳裏に響いた。
「誰だ?」
ロッドはあたりを見渡した。しかし、声の主らしき人物は見当たらない。
「今はそれどころじゃないの。早くこっちに来て」
女の声はそう一方的に答えた。
「行くってどこへ?」
ロッドは全く状況を飲み込めずにいた。
とりあえず穴の中に向かって話しかけてみる。
彼の問いに対する女の返答はなかった。
代わりにロッドの体が光に包まれた。
そした次の瞬間、彼の体は光と共に穴の中に吸い込まれていった。
ロッドは叫んだが、村の人々には声はまるで聞こえていないようだ。
ロッドは腕や足を思い切り振り回したが、抵抗はむなしく闇の中で空振りに終わった。