文章評価AI
古海新一はどうにも困り果ていた。彼はとある出版社の編集者である。勤労二十年を過ぎ、ようやくベテランの風格を自他共に認めつつある頃合いであった。
彼の悩みの種は、とある文学賞から生まれていた。その文学賞はある作家の作風を尊重して創設されたのだが、従来の文学賞とは少し違う性質を持っており、それが彼の頭痛の原因になっていたのだ。
少しでもキャッチーなものにしたかったのだろう。SF作家でもあったその作家を思えば、そのアイデアはすこぶる良かった。古海自身も良かったと思えたし、その結果どんな作品が来るのか楽しみであった。
古海は手に持っていたチラシに眼を落とした。丸眼鏡をかけたイカニモな男性の頭から、おもちゃ箱をひっくり返したように様々なモノが飛び出していた。〈圧倒的な想像力でテクノロジーを刺激せよ〉という謳い文句のその下。応募規定の下の欄。赤線を引いたのは彼自身だ。
人間以外(人工知能等)の応募作品も受け付けます。
この一文が、彼を悩ませていた。
応募当初は別段気にするようなモノでもないと思っていた。いくら自然言語処理の技術が進歩しているとはいえ、未だに翻訳ソフトすらまともにできていないのだ。小説を、しかも人に読ませるレベルのものを書けるとは到底思えなかった。
事実、この一文を受けて応募してきた人工知能の作品を試しに読んでみたが、人称や文体がばらばらであったり、助詞と助動詞が混然一体となって意味不明であったり、酷いものではまるで猿かなんかにタイピングさせたのか、と思うような文章もあった(タイトルが『あああああ』だったのだ)。
問題なのは作品の質ではない。
作品の量だ。
人工知能の開発者達は、物量に任せて、できた小説を片っ端からこの賞に投稿してきたのだ。その数およそ五千四十七万三千九十二。
数字にしてみよう。50473092作品である。人工知能の作品が賞を取れなかったとて、そんなものは彼らに関係ないようだ。審査をするからには一度は読まなければならない。一次審査の担当は十五人。とてもじゃないが、読み終わらない。
試しに計算してみた。作品を人数で分割して、一日あたり千作品を読めるものとして(これでもかなり多いほうだ)概算してみる。
三千三百六十四日。およそ九年かかることが分かった。古海は電卓を投げた。
「古海さん、まだ悩んでるんですか。例のサイドン」
後輩の新谷が声をかけてくる。サイドンとはこの件についての呼称だ。編集部内に問題が知れ渡ったときに、誰かが「DoSattackみたいですね」と言い出し、「DoS、AIねぇ」と応え、「ドサイじゃ言いづらいな……。ドサイドサイ……、サイドンで良くね」というわけでこの件はサイドンと呼ばれることとなった。ちなみに古海は「saturation attackのほうが良い」と言ったが「なんすかそれ」の一言で片付けられた。
「もう全部きっちゃいましょうよ。人工知能のとこだけ。特別ゲスト枠の応募作品だけ残しといて、他は落選でいいじゃないですか。これだけに時間かけられませんて」
飄々と新谷はそう言うが、それは真っ先に古海も考えていた。編集長からも、どうにかできなければ最悪そうするしかないと言われていた。
「そっか、そうだよな……」
「ですって。あ、外線」新谷は自分の机に戻り、受話器を取った。
それしか方法がないことは古海にも分かっていた。しかし、なかなかその決断に踏み切れないのは、どうにも負けた気がして悔しいからだ。応募者の中には千万単位で応募してきた者もいる。こちらが処理しきれないことは向こうも承知のうえだろう。だからこそ、いや、それだけにそいつの思う壺な気がして、その決断に踏み切れなかったのだ。要するに彼は負けず嫌いであった。
「え、はぁ。……。では、少しお待ちください。古海さん、外線三番ですけど……」
「はい。……けど?」古海は怪訝な表情を浮かべる。
「それが、サイドンについてなんですけど、文学賞の担当者が困ってるなら代わってくれって。力になれるはずだって言ってるんですが……」
ファミレスの席に姿を表したのは、少し白髪が交じったどこにでもいそうな男性だった。
「あなたが、守田先生ですか?」
「はい、そうです。古海さんですね。初めまして守田と申します」と挨拶をして、二人は名刺を交換する。守田文宏。肩書きは某大学の情報処理研究室、教授とあった。コーヒーを二つ注文して、古海は早速口を開く。
「早速ですが先生。電話で仰っていたことは本当ですが?」
「ははぁ、〈先生〉はよして下さいよ。古海さんは別に僕の生徒じゃないんですから」苦笑しながら守田は言う。温和な顔がキュッとさらに皺だらけになった。
「そうですね。まあ、そうなるんじゃないかとは思いましたよ。可能性の話ですけどね。不況ですから。時間と、ささやかな悪意を持ち合わせている輩が何十人いてもおかしくはない。だからこそ、困ってるじゃないかと思いましてね。連絡した次第です。いや、突然連絡してすいません」
「いや、それは構わないのですが、そうではなくて。本当なんですか?」
「本当、とは?」
「小説を評価する人工知能を創ったというのは本当でしょうか」
「ああ、そっちですか。ええ、本当ですよ。冗談で貴重な時間を煩わせはしません」
古海は冷静に守田の表情を観察した。温和な顔には微塵も変化がない。冗談ではなさそうだった。
「そんなことが可能なんですか? 一応、こちらもプロの編集としてやってきています。もしそんな人工知能があるなら、こちらとしても商売上がったりなんですが……」
そこで会話は中断した。ウェイトレスがコーヒーを運んできたのだ。軽く喉を湿らせて、守田は口を開く。
「もちろん、それは可能ですし、古海さんが心配しているようなこと――人工知能に職を奪われるようなことは無いと思いますよ。所詮、機械ですからね。人間と違って雑味が少ない。言われたことしかできない。僕が創った人工知能は簡単に言えば、誰でもできることしかできないんです」
「誰でもできることしか、できない?」
「ええ。編集部が欲しい小説は売れる作品ですよね」
「……まあ、極論すればそうですね」
「そうして、売れる作品というのはある程度の共通項があるはずでよね。《こういうのが売れる!》という評価基準は、社内であり個人であり持ってるはずです。その、より多くの人が持っているだろう、持つはずだろう広い評価基準、文章・文体が統一されている、小説が一つの作品としてまとまっている、そういった低レベルでの評価基準を、開発した人工知能に学習させました」
「ははあ。それが誰でもできること、ですね」
うんうんと古海は頷く。
「そうです。そして、その評価関数は物真似で達成できます。コンピュータ将棋とほぼ同じですね。最近、プロ棋士にも勝ったでしょう? あれは過去の棋譜データを使って評価基準を作りますが、こちらは古今東西ありとあらゆるヒット小説を使います。ジャンルごとに選別、分類し、何段階かに抽象して別々の評価基準を造り上げる。それらをあえてまとめないで非線形に結合し、類似度を定義して……」
「ああ、もういいです守田先生」
話が難しくなり始めたので古海は守田の口を制す。
「人工知能についてはよく分かりました。ところで、その人工知能の性能を見てみたいので、ちょっと試させてもらってもよろしいでしょうか」
人工知能の話は面白そうだったが、重要なのはこれがサイドン――あの数の暴力に上手く対応できるかどうかだ。速さも重要だが、それで面白い作品が切られてしまっても意味が無い。もちろん、その逆でも。
「ええ、もちろん。そう言うと思ってましたよ」
そう言って守田はバッグからパソコンを取り出す。
「何か評価して欲しい小説とかありますか? テストデータもありますけど、古海さんが知ってる作品のほうが良いですよね」
「あ、じゃあこれをお願いできますか」
そう言って古海はペンケースから用意しておいたUSBメモリを取り出す。中には例の『あああああ』と、青空文庫の短編小説、それに人工知能について書かれたウェブページの文章がそれぞれテキストファイルに収まっていた。前の二つは小説のレベルテストで、最後のはちょっとした悪戯心から用意したものだ。
「はい、ちょっと待って下さいね……。タイトルはファイル名ですか?」
「そうです」
「では、基本モードで評価しますね。一般的な文章であれば、高得点が出力されます」
守田は適当にキーボードをいじる。
「はい、できました」
「え、もう」
驚く古海を意に介さず守田はパソコンの画面を見せる。
『あああああ』 0点 青空文庫 100点 人工知能 95点
「……」
「あ、言い忘れてましたけど100点満点ですので」そう言って守田は歯を見せて笑った。
「これは……どうなんですかね?」
「ああ、これはですね。『あああああ』っていうのが0点。これはヒトが書いた文章じゃないですね。猿にでもタイピングさせたんですか? 100点は、サンプルデータと同じですね。物真似の元なので、だから100点です。最後のはまあ、一般的に読める小説ですね」
合ってます? という風に守田は古海を見る。
「始めの二つはその通りですね。あ、別に猿に打たせたわけではありませんよ。最後のは外れですね。実を言うと、小説じゃありません」
「あ、ずるいですね。小説以外も入ってるんですか、先に言ってくださいよ」
「いや、でも実際に送ってくる人がいるんですよ。小説の賞に論文とか」そういうのも悪い点数にしてくれると良かったんですけどね。と彼は心のなかで呟く。
少々期待はずれだったが仕方がない。速度は十分だし、『あああああ』のような文章を切れることが分かっただけでも良しとしよう。賞の要項には評価を人間がするとは書いてないわけだし、これで少なくとも半分くらいは減らせそうだ。
「じゃあ、分類モードにしてもっかいやりますね」
「え?」
守田はそう言ってキーボードを叩く。画面には
『あああああ』 0点 分類不能
青空文庫 100点 青春・心情
人工知能 95点 説明書
と、出力された。
「あ、説明書だったんですね。wikipediaのコピペかな? レポートだったらアウトですね。じゃあ、これだけ小説として評価させます」
人工知能 26点
「あー、やっぱり悪くなりますね」
得心がいったように頷きながら、守田はひとりごつ。
「あ、あの守田先生。何をしたんですか? 何でこんなに悪い評価が……?」
身を乗り出して古海は尋ねる。
「最初は基本的な文章の巧さだけで評価したんですよ。その時の評価は95点。まあ説明書なら当然ですね、読めない説明書はゴミクズですから。次は説明書を小説として評価したんですよ。だからこんなに点数が悪くなるわけです」
守田は誇らしげに古海を見る。
「え、えと、そのへんがよく……」
「そうですねー。編集者の仕事で例えましょうか。編集者はSFはSFとして評価するし、恋愛物は恋愛物として評価する。そうですよね」
「え……、まあそうですね。一概に類別できないものもありますけど」
「それはなぜですか? SFを恋愛物として評価しないのはなぜですか?」
「え、いやだってそれはSFと恋愛物じゃ市場も狙いも全然違うし、そもそも評価方法が違うから……」
そう言って古海はハッとなる。そうか、小説と説明書じゃ評価方法が違うんだ。だからこんなにも点数が悪くなるんだ。
「ステージが違うんですよ。ステージが違えば役者の振る舞いも変わる。当然、評価の仕方も変わる。一般には文脈が違うと言うんですけどね」
「……初めから小説として評価しなかったのは?」
「人工知能と人間が書いた文章を区別したいなら、文章の巧さだけで良いかと思いまして。もしこの人工知能を使いたいなら、どちらのモードでも好きに使って下さい」
守田は変わらない柔和な表情でそう言った。
「……ありがとうございます。ぜひよろしくお願いします」
古海は立ち上がって、守田に握手を求めていた。
文学賞の表彰が終わり、数ヶ月が経過した。
金曜日の夜である。古海と守田の二人はとある洋風のバーで酒を交わしていた。
「いや、遅くまですいません。時間は大丈夫ですか」
「ええ、妻には言ってありますので」
ロックアイスを揺らす守田の顔は軽く朱に染まっている。
サイドンの問題は、守田の創った小説評価AIで解決した。人の手では数年かかる作業を、AIは一週間足らずで終えたのだ。審査は順調に進み、予定通りに表彰式を迎えることができた。古海は安堵の気持で一杯だった。
「今日は私のおごりですので、遠慮なく」古海はそう言ってコップを掲げ、
「ええ、ありがたく」守田は軽くそれに合わせる。キンッという高い周波数が、周囲の空気を震わせる。
文学賞の審査が終わった後、古海は今後も小説評価AIを使わせて欲しいと守田に頼んだ。そのスピードもさることながら、評価の精度の良さが好評だったらしい。文学賞短篇集を売りだしたところ、編集部の評価が低くAIの評価が高かった作品が人気を博したこともあった。当初は守田も渋っていたが、編集長が積極的にその意向を示したこととと頼み込む古海に負け、自分がメンテナンスするならという条件付きで、AIの賃貸を許可したのだ。
「そういえば、二人だけで飲みに来るのは初めてでしたね」
「そういえばそうですね。喫茶店なら時々ありましたけど」
今日はそのメンテナンスの帰りである。情報漏洩を防ぐため、AIのサーバは社内からでないと操作できないようになっている。そのため、守田は月に一回は編集部に足を運び、AIをアップデートしているのだ。
「そういえば、前から訊きたかったんですけど……」
勿体ぶるように前置きして、古海は口を開く。
「どうして小説を評価するAIなんて創ろうと思ったんですか? 話を聞いてて思ったんですけど、このAIを仕事の合間に一人で創ろうと思ったら、数ヶ月程度じゃ無理ですよね。この賞の存在を知ってから開発を始めたのでは、とてもじゃないけど間に合わないと思うんですけど……」
「……」
「先生は小説もあまり読まないと伺いましたから、何か理由があるのかなと思いまして。あ、もちろん言いたくなかったら結構です」
守田はさっきからずっと、琥珀に染まるロックアイスを揺らしている。その眼は廻るロックアイスを追っていた。暫くそうしていたかと思うと、不意に彼の動きは止まった。
「……私には息子がいましてね。小説を書いてたんですよ」
「……息子さん、小説家だったんですか」
「いえ、残念ながらそこまで届かなかったんですよ。小説を書いては幾つもの新人賞に投稿していたんですが、なかなか結果に現れなくて……」
「……」
「親として、少しでも息子に力になってやりたかったんですが、あいにく私は学問一筋に生きてきまして、小説はまともに読んだこともなかったんです。それで私の代わりに小説を読んで、評価してくれる機械があれば良いなって思ったんです。息子からすると余計なお世話だったみたいですけどね。俺の気持が機械に分かるわけないって言われましたよ。もともと息子は病弱でして、生前の時間をほとんどベッドで過ごしていました。それで、その思いの丈を誰かに訴えたかったんでしょうね。うまくいかなかったみたいですけど……」
自嘲気味に守田は笑う。古海とは目を合わせようとしなかった。
「そして、まあ息子の為に創ったんですけど、病死して、使われなくなるのも忍びなくてね。ほら、開発者ですから愛着も持ってますし。たまたま目にした文学賞の案内で、人工知能の作品も可とあったんで、大量の作品が投稿されていたら困っているだろうなと思ったんですよ」
それで、編集部に連絡したわけですと言って、守田は古海の方を向いた。
「……すみません。辛いことを思い出させてしまいました」
「いえ、お気になさらず。黙って置いておくよりかは、時々取り出したほうが良いんです。こういう思い出は」
はははっと守田は笑った。いつもと変わらないはずの柔和な笑顔だが、どこか違うと古海は感じていた。
「今日は飲みましょう」
そう言って、守田はグラスを高く掲げた。
古海に支えられるようにタクシーに乗せられると、挨拶もそこそこに古海と別れ、守田は帰路についた。
タクシーを出て家に入ると、覚束なかったはずの彼の足取りは途端に截然とし、酔っている風は微塵も感じられなくなった。
冷気に満ちた部屋の扉を開けて電気をつけると、そこには数台のコンピュータが置かれていた。彼は椅子に座りバッグからUSBメモリを取り出してインタフェースに差し込む。青色LEDが輝き、認識されたことを告げる。
「ふう、危なかった……。まさか本当のことを言うわけにもいかないしな……」
本当のこと。
つまり、息子が小説を書いていたというのは嘘であった。
小説を書いていたのは彼自身であり、さらに言えば小説を書いていたのは彼自身が創った人工知能(傍点)であった。
「出来の悪い小説はSaturation attackみたいな嫌がらせにしか使えない。編集部から評価AIの信頼を得られたのは予定通りだったな……」
彼は机の上に置いてあったチラシを手に取る。そこには、丸眼鏡をかけたイカニモな男性のイラストが描いてあった。守田は両手でそれを丸めると、当然のように隅にあったゴミ箱に放り込んだ。
LEDの光が消えると、モニタに一つのウィンドウが開かれる。USBメモリには、この二週間で編集部の評価AIに通された小説のデータが入っていた。その移動と消去が完了した合図である。
「これでまたデータが増え、質の高い小説ができるはず……」
出版社のAIを自分でメンテナンスするのは、原稿のデータを盗むためだ。欲しいのはヒットした小説ではなく、出版される見込みのない、中途半端な評価の小説だ。
小説の作成は評価と違って物真似だけでは達成できない。幾つもの組み合わせをひとつひとつ試す必要があるのだ。まるで作家がプロットをああでもない、こうでもないと練り直すかのように。実際にその組み合わせの小説を書いて評価機に通さなければ、そのダメさ具合が分からない。機械といえど、何億通りのパラメータを一々組み替えて小説を書いていては、時間がかかりすぎてしまう。
駄目な小説を掻き集めて分析すれば、駄目な組み合わせを見つけることができる。つまり、探索時間を減らすことができるのだ。その役回りを出版社に押し付けられたのは、有難い。
「まあ、それが狙いでわざわざ連絡したんだけどね……」
椅子に座り、彼はそう独り言つ。と、そこで彼の携帯が鳴った。
「もしもし……ああ、君か。それで、小説はどうなった? ……うん、通ったか。こっちも問題ないよ。怪しまれている様子もない。次は……そうだね、少し時間を空けようか。アップしたほうも試してみたいし、そのほうが良いでしょう。それじゃあ、よろしく」
携帯を閉じて、伸びをする。彼が書いていることにしている(傍点)小説が通ったようだ。少し予定が遅れているが、まあ順調であると言えよう。
できた小説は、家にある小説評価AIに評価させる。少しでも高評価であったものは、ジャンルごとに別の作家になりすまして出版社に送る。そこまで巧い小説でなくとも、作家に固定ファンがつけばそこそこは売れる。一生は持たずとも、数年でも持てば良い。そんな作家が百人分もあれば、十分な収入になるだろう。
冷気に満ちた部屋で、彼はひとり冷笑を浮かべた。守田文宏の計画は始まったばかりである。