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欠者の旅路  作者: みかよ
旅立ち
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 ほろろ、ほろろ、と夜告げ鳥の声が響く。夕暮れがその色を濃くし、夜の闇がすぐそこまでやってきている。クツネのムラの衛士は、大きくひとつ欠伸をした。もうじき、ムラの大門を閉じる時刻である。外に出ていたムラの者たちが戻る時間は過ぎたし、旅人たちが駆け込みでやってくる忙しさの峠もやりすごした。あとは、刻限を待つだけなのだ。緊張も緩む。

そんな衛士を咎めたのでもないだろうが、不意にぱきりと枝を踏む鋭い音がした。衛士は一瞬で緊張を取り戻し、ムラを囲む森に目を凝らした。森からムラへの路はすでに闇が降りていて、篝火の光も届かない。ぱきり、とまた音がした。明らかに、こちらへやってくる足音だ。手の槍を握りしめたとき、暗闇から生まれたように、大きな四足の獣が姿を現した。枝分かれした角も見事なそれは、騎乗用のシシだ。衛士は、ほっと息をつく。人を襲う獣でなくてよかった。ただ、肝心の乗り手が見当たらない。

「ちょっと止まってもらうよ」

 ゆっくりと近づくシシに声をかけると、素直に足を止める。間近で見るシシの立派な様に、衛士は知らぬうちに感嘆と羨望の溜息を漏らしていた。立派な体躯をしている。黒に白の紋様が入った毛並が、篝火に濡れ光っているのが美しい。

「遅くにすまない。まだ、入れるだろうか」

 見惚れているところへ自分のものではない低い声がして、衛士は飛び上がるほど驚いた。他には誰もいない。シシが、喋ったのだろうか。

 今のはお前か、とシシを凝視していると、密やかな気配がした。笑い声のようだった。

「俺は、こちらだ」

 目を白黒させる衛士の前で、シシの影から人影がすう、と現れる。布を被いているために顔は見えないが、旅装に身を包んだその背格好と声からすると、どうやら男のようだ。姿を見れば、なんということはないただの旅人だった。ただ、あまりに気配が薄い。

「まだ、入れるのだろうか」

苛立った様子なく繰り返された台詞に、衛士は我に返った。

「い、いや、すまん。まだいけるぞ。ぎりぎりだがな。旅人か?」

「ああ。南へ抜ける途中だが、食料が切れた。それを調達するのと、宿を一晩借りたい」

何の変哲もない理由だ。怪しいところはない。衛士は、そうか、と頷いて連れのシシを見る。

「良いシシに乗ってるな。連れは、そのシシだけかい」

「ああ、そうだ。連れて入っても?」

「いいとも。だが、ちょっと顔を見せてくれるかい。仕事なもんでね」

 これは失礼、と取られた布の下から、夜目にも鮮やかな翠の髪が現れた。衛士は再び驚いて、瞬く。

「こりゃあ、驚いた。あんた、蛇の民かい」

 翠の髪に、抜けるような白い肌。それを持つのは、蛇の民以外にない。彼らはその容姿だけは広く知られているが、森深くのムラから滅多に出てこないことでも有名だった。近隣から多くの民の集まるクツネのムラでも、見かけることはそうない。まじまじと見る衛士に、まだ若い青年は、髪と同じ色の切れ長の目を一層細めて小さく笑った。

「検分は済んだか」

「え、ああ、すまんな。あんまり珍しかったもんで。もういいぞ」

 ようこそクツネのムラへ、と言った言葉に頷き、青年はシシを連れて大門を潜った。

 遠ざかるその姿を見送りながら、仕事終わりに驚くことが重なったな、と衛士は誰にともなく呟く。横を通った時ですら掴めなかった気配が、不思議だった。蛇の民とは、皆あんなものなのだろうか。もうすぐ交代にやってくる同僚に話してやろう、と思いながら、衛士は大門を閉じる用意を始めた。




 数多くのムラを抱えた大森おおきのもりの、一角。街道が側を通る場所に、クツネのムラはある。元は狐の民だけが棲むムラだったというが、現在は多種多様な民の行き来する交易の拠点である。夜の闇も掻き消そうかというほどにあちらこちらで篝火が焚かれ、多くの人々や騎乗獣が通りを行きかうムラのなかは、ひどく賑やかだ。そのなかに紛れたセンは、頭に布を被り直しながら宿を探していた。髪を隠してしまえば、ちらちらと受けていた視線も治まる。あの衛士の反応は面白かった、とセンは小さく笑う。セン自身も自身のムラを出て初めて知ったことだが、蛇の民はずいぶんと珍しがられるようだった。視線は害になるものではないが、どうにも落ち着かずに布を被ることにしたのは、旅に出て初めてのムラに立ち寄ってからだ。色の抜けたような肌も目立つには目立つが、これほど大きなムラのなかならそう人目につくものでもないようで、ほっとする。

 くん、と握っていた手綱が引かれた。横に伴っていたカノが、鼻を掲げるような仕草をしていた。少し先に、青い旗の立てられた店がある。食事を売る店のようだが、その旗を見る限りは宿も併設しているのだろう。知らせてくれたカノの鬣を撫でて感謝を表すと、カノは満足そうに鼻を鳴らす。

 店を目指しながら、センは足元が沈むような疲れを感じていた。久しぶりに屋根のある場所で休めるという、安堵感からだろうか。思った以上に疲労がたまっていたのかもしれない。半ばカノに連れられるようにして、センは店に辿り着いた。

 聞いてみると、店は二階が宿になっているという。丁度空きがあるという女将に代金を払うと、カノの世話をしてくれるようにだけ頼み、センは早々に部屋へ引き取った。


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