八話 秋夜の町に蠢く影
季節は早い秋を迎えて、暗くなりだした後は夜まで一気に坂を転げるように変わる。
あちこちの暗闇には黄暖色の明かりが灯り、貧しい家ではそれすら惜しんで早々に寝入ってしまっていた。夜遅くまで栄えるのは幾つかある酒場で、これは町の住民の社交場であり外からやってくる連中にとっては貴重な情報源になる。
麦酒を片手に一日のうっぷんをわめき散らす喧騒の場を避け、こっそりと町の奥へ。
広い敷地にぽつりぽつりと灯火の浮かぶ家の裏手にまわって窓を叩くと、少ししてから木製の窓が開いた。
「なにをされているのですか」
冷ややかな眼差しのルクレティアが、明るい室内からこちらを見下ろしてくる。
「スラ子さんに、スケルさんまで。――とにかく中へ、そんなところを誰かに見られては面倒です」
「そうさせてくれ」
こんなところで話をしてたら寒くてかなわない。
「……上がれますか?」
「馬鹿にするな」
とはいったものの、窓の枠まではけっこうな高さがあった。
身軽に登ったスラ子とスケルに続き、なんとかかんとか中にあがりこむ。
「いつものようにシィさんがいらっしゃるものと思っていましたわ」
町にいるルクレティアとの連絡には、空も飛べるし姿も消せるシィに頼むことが多い。
今日、そうしなかったのはもちろん理由があったからで、
「直接、話しておきたかったんだ」
ちらりと切れ長の視線がこちらを見た。
そうですか、とそっけない返事。
「どうぞお座りになってください。温かい飲み物をご用意しますか」
「いや、いい。それより顔役連中から報告はあったのか?」
「はい。話し合いの後、それぞれ客人として迎えている人々の数名を教えていただくことができました」
「それで相手の顔まではわからないよな」
「ええ。ですから昨日のあの襲撃者が報告にあったなかに含まれているかは不明です」
「どうせ最初からいるなんて思ってないんだろ?」
俺がいうと、ルクレティアは薄く笑って、
「もし顔役の方々のなかに私に含むところがある方がいたとして、その方からあがった報告が嘘偽りないものであると信じる理由がありませんわ」
「だが、報告は報告だ。あとから報告に載せなかったことがばれれば、相手がなにか企んでた証拠じゃないか」
「私ならそんな証拠になりそうなモノは残しません。まあ、そうした可能性はありますわね。しかし、今日の話では町に不審者がいると伝えられただけで十分です。町から不審者を燻りだす口実になりましたから」
「ギルドの連中を使うのか」
「ええ。顔役の方々から町の青年団を夜警にという話もありましたので、そちらとの兼ね合いもありますが。町にいるかもしれない不審者にはいささか動きづらい状況にはなるでしょうね」
淡々と告げるルクレティアにスラ子が小首をかしげる。
「しばらく相手の出方待ちです?」
「焦ってボロをだしてくれればそれが一番ですが、待っているだけというのも芸がありません。町に潜り込んでいるのは末端です。ならば本体を突いてみるのが手っ取り早いですわ」
その言い方がわざとなのか無意識のものかはともかく、俺には気になった。
「相手が誰かわかってるみたいな口振りだな」
「儲けたメジハに食指を伸ばすのは、近隣の町か商会か。いずれにしても相手は限られます。特に昨日の相手のような、暗殺者などという存在はどこにでもいるものではありません。あくまで自称つきですが」
「それだ。そのことが納得いかない」
ちょうどルクレティアから持ち出した話題に便乗して訊ねる。
「密偵をだすってのはわかる。次の金儲けに一口かませろとか、そういうのも。けど、暗殺者ってなんだよ。間者と暗殺者なんて意味合いがまるっきり違うぞ」
「そうですわね。私も昨日のあの方は、少し毛色が違うような気がしています。根拠も何もない、ただの勘ですが」
「……ギーツから送られてきたって線は?」
声を抑えた質問に、ルクレティアは静かな一瞥を返して、
「どうでしょう。今の状態でいきなりそれはさすがに飛躍しすぎていると思いますが、可能性としてなら。しかし、それをいえば王都や、アカデミーからということも考えられます」
「アカデミー?」
「人間を殺すために人間の暗殺者を雇うのが、人間でなくともよいはずですわ」
少し考えてから、脳裏に蛇の微笑を思い出す。
「――エキドナか? あの女が、俺を殺そうとしてあの変なやつを送りつけてきたってのか?」
「わかりません。その可能性もあるでしょうというだけです。現時点で確かなのは、自分で暗殺者と名乗った相手が洞窟に侵入してきて、“今日”は殺しに来たわけではないという言葉を残して消えたということだけ。オツムは残念なようでしたが、技量はありました。私だけでなく、警戒は必要でしょう」
まさか自分が昨日の相手に狙われているなんて考えてもいなかったから、そんなこともありえるのかと思わず考え込んでしまい、そんな俺に笑いかけるように声が届く。
「大丈夫です」
振り返ると、穏やかすぎて逆に不吉さを感じさせる笑顔のスラ子がこちらを見ていて、
「マスターは、必ずお守りします」
「……ああ。そうだな」
同じような台詞を、カーラもいってくれたことがある。
しかし、スラ子の発言はそれとはまったく意味合いが違って聞こえて、そのもやもやの意味を自分でも理解しないままルクレティアに顔を戻す。
「とにかく。町の云々は、お前が本体とやらに渡りをつけてみるってことでいいんだな」
「はい。昼のうち、そちらへ手紙を出しておきました。うまく商談にのってきてくれるかもしれません」
「少なくとも、リアクションは期待できるか」
「町の顔役などより、私と話をしたほうが手っ取り早いと向こうが思っていただけるのがベストですね。それに焦ったどなたかが尻尾をだしてくれることも期待できます」
「じゃあ、そのあいだは自分の身辺を守ってればいいな。もしかしたら別件かもしれない、あの変な暗殺者に用心して」
「それがよろしいでしょう。手紙が届くのにも日数はかかります。待っているあいだに馬車の準備も整いますし、王都からの追加の報告もあるでしょうし」
何事も上手くことが運んでくればいいが。
とりあえずの話がひと段落して、俺はあらためて室内を見回した。ルクレティアがいつも座る机に山高く積み上げられた書類の束を見て、
「相変わらず忙しそうだな」
「それなりに」
「全部、一人でやってるのか」
「どういう意味です?」
俺はルクレティアに向き直って、
「ちょっと一人で抱えすぎじゃないか。町のこと、ギルドのこと」
「ご心配していただけているのでしょうか。ありがとうございます。しかしお気遣いなく、この程度で処理能力を超えることはありません」
ルクレティアが優秀なのはわかってる。
だが、優秀だからって、一人でやればいいという理由にはならないはずだ。
「もう少し他人を使ったらどうだ。メジハのギルドにだって誰もいないわけじゃないだろう」
「こんな辺鄙な田舎町で、人材というものはそうそう見つかるものではありませんわ」
「カーラもか?」
ルクレティアを助けたい、とカーラはいっていた。
同じギルドに所属する彼女ならルクレティアの事情もわかっているし、気兼ねもないはずだ。
ちらりとこちらを見たルクレティアが、
「……信用できる相手というのは、それだけで貴重です」
「だったら、」
「お断りします」
きっぱりと言いきられた。
「なんでだよ」
「おわかりになりませんか」
「まったくわからん」
「だからスカタンなのですわ、貴方は」
ああ、そうですか。悪かったな。どうせ俺は察しが悪いよ。
そっちがその気ならもういい。
「――スケル」
後ろに控えた全身が白っぽい相手に声をかける。
「あいあいさ」
「お前、このあいだの竜騒動のあれでギルドに偽登録してあるんだよな」
「されてますぜっ」
「なら、しばらくこっちに寝泊りしてルクレティアの手伝いをしてやってくれないか」
「了解っす」
「……誰もそのようなお願いはしていませんが」
眉をひそめる令嬢を見返して、
「身辺の警護が必要なんだろ。俺は洞窟から出ないし、スラ子やシィがいる。狙われやすいのは圧倒的にお前のほうだ。違うか?」
「そうですが」
「お前が、お前の子飼いの連中をはべらせておいてもなんの問題もない。むしろ、襲撃を受けた以上、それを警戒するほうが普通だ。違うか」
「……違いません」
「なら、問題ない。スケルと、それからカーラにもいっておく。これは命令だ」
びしりと指をつきつける。
「文句あるか?」
じっとこちらを見たルクレティアが冷ややかに嘆息した。
「――いいえ。上に立つ者は、そのくらい傲慢でよろしいのですわ」
「おう。じゃあ、スケル、今日から頼むぞ」
「ラジャっす! 美味しいもんご馳走になりやす!」
別に歓待されてこいといったつもりはないが、なにか勘違いしてそうなスケルの発言にルクレティアがため息をついて、
「それはかまいませんが。せっかくなら私の仕事も手伝っていただいてもよろしいでしょうか。スケルさん、数字はお得意ですか?」
「両手で数えられる範囲なら!」
「……読み書きはおできになりましたかしら」
「無理っす!」
冷たい半眼が俺を突き刺した。
「連れて帰ってください」
「あっはっは。嫌っすねえ、不肖このスケル、心からルクレティアさんの応援をさせていただきますぜ! 一晩中眠らずに耳元で“頑張れ”ってささやき続けます!」
「なんの嫌がらせですか」
長の家を出て、町壁を越える。
真っ暗な森を洞窟に向かって帰りながら、スラ子はなぜか機嫌が良さそうだった。
姿消しの魔法も今は解いているが、一応のフードで全身をおおっているからこの暗さでスラ子の異形に気づくものはいないだろう。
「どうした」
「マスターとはじめて外に出たときのことを思い出しましたっ」
シィを拾った日のことか。
もうあれが二月前。
それから色々あった。仲間も増えて、いろんな騒動もあって。
俺はなにか変わっただろうか。
――スラ子は?
左側で腕にひっついて寄り添うように歩く不定形の生き物を見て、
「……スラ子」
問いかけた。
「はいっ」
「ルクレティアを守れっていったら。どうする?」
「もちろん、全力で守ります」
即答。
「じゃあ、殺せっていったら」
きょとんとした上目遣いが俺を見て、
「すぐに殺します」
返ってきたのは、やっぱり即答だった。
「カーラは? シィでもか?」
「はい」
答える声には少しの揺れもない。俺は渋面になった。
「止めたりしないのか。理由を聞いたり、迷ったりは」
「しません。マスターのお言葉ですから」
もしかして、とスラ子は妖しく微笑んだ。
「マスター、今のおもちゃに飽きられましたか? それでしたら、新しいのを捕まえてきましょうか。ちょうど面白そうな相手が昨日、洞窟に現れたばかりです」
「違う。そうじゃない」
スラ子の発言にある決定的なズレに、頭を抱えそうになった。
今さらながらに痛感する。
スラ子には仲間という認識がないのだろうか。
あるのは自分だけ? ――いや、それですらないのかもしれない。
スラ子にあるのは“俺”だけだ。
全ての価値基準。判断基準。生きる意味の全て。
創造者にすべてを捧げるというのは、被創造物としてはむしろ理想的な姿か?
俺にはとてもそう思えなかった。
同じ被創造物でも、スラ子とスケルではまったく違う。
スラ子のそれはもっと異質で、異様だ。
それは恐らく、自分というものを持っているかどうかという違いで――不定形性状という特有の性質が、スラ子の精神に大きな影響を与えていることは間違いない。
これじゃいけない。
スラ子は変わらないといけない。
だが、いくらでも変われるからこそ。スラ子は“こう”だ。
スラ子にとって、不定形な在り方に意味をもたせるための触媒こそが俺という存在とするなら――その問題を解消するためには、いったいどうすればいい?
……目の前に問題があるとわかってるのに、答えの糸口すら見つからない。
俺にはわからないことだらけだが、そのなかでもスラ子の存在こそが一番わからない。
自分でつくっておいて情けなくはある。だからこそ、本音をいえば一刻も早くアカデミーにいって恩師に相談したかった。
そういえば、ルクレティアから研究レポートの感想について聞けていない。
まあ、スラ子本人を目の前にして聞けることでもないが――
「マスター」
声に意識を戻す。
「お客様のようです」
「……昨日のやつか?」
まさか、本当に俺を狙ってるっていうのか。
「いいえ。違うようです……男の人が、後ろから。町からついてきたみたいですね。一人です」
「やれるか?」
「問題なく。――殺しますか?」
「いや、生かしておけ。ルクレティアが色々と聞きたがるはずだ。捕まえろ、ただしお前の素性についてもバレないようにだ」
「了解しました。ではっ」
うなずいて、いきなりスラ子が抱きついてきた。
「おい」
「お家に着くまで我慢できません! ……そのままで。相手の注意をひきます」
町の外でいきなり追跡対象が“いたし”はじめたら、そりゃ気にだってなるだろうが、
「ふふー」
やたら嬉しそうな表情で頬を擦り寄らせてくる態度をみれば、ただスラ子がこうしたかっただけにしか思えなかった。
こっそりと息を吐きながら、後ろの気配をさぐる。
もちろんそんなものを感じ取れるわけではないのだが、視界に見えないところに誰かがいるという認識は、それだけでちくちくと刃でつっつかれるような気分の悪さだった。
後ろを振り返りたい衝動をこらえていると、唇をふさがれた。
「こら」
「固いです、マスター。もっとリラックスしてください」
「できるか。んなもん」
こんな場面を誰かに見られているってだけでもう嫌だ。
「あと少しだけ。もうすぐ――はい、かかりました」
ぐぁ、とくぐもった声がかすかに背中に届いて、振り返ると誰もいない。
「あちらです」
スラ子が指差した、道の脇にある藪から男の上半身がのぞいていた。
「どうやったんだ?」
「地面を潜って、後ろからちょんってやりました!」
うつぶせにノビた男をひっくりかえす。
うっすらと伸びた髭に安そうな外套着。いかにも儲かってない冒険者といった格好で、どこかで見た覚えがあるが定かではない。
「連れて帰りますか?」
「お前の姿は見られてないんだよな?」
「はい。完全に不意をつけましたので」
「なら、町に連れて戻るぞ。ルクレティアだって、一人くらい誰かを隠せる場所は知ってるはずだ」
洞窟のことを知られてしまえば、この相手を生かしておくわけにはいかなくなる。
それから俺とスラ子は二人で男を抱え、来た道をひきかえしてメジハのなかに入り込んだ。
仕事に戻っていたルクレティアに男を突き出すと、ルクレティアは鋭い眼差しで唇の端を持ち上げて、
「さっそくボロを出してくれましたわね」
「知った顔か?」
「見た覚えはありますが、ギルドに登録した顔ではありません。モグリの一人ですね」
「そんなところだろうと思った。とりあえず連れてきたんだが、どこか隠せる場所はあるよな」
「この家にも地下はあります。そちらに運びましょう」
「倉庫か?」
「倉庫にも使えます」
微妙な発言に嫌な想像が思いつくが、怖かったので詳細は聞かないでおく。
「じゃあ、任せる。尋問も任せていいか」
「お手伝いしますか?」
にっこりと訊ねるスラ子に、ルクレティアは冷ややかな微笑みで応えた。
「お気持ちだけで十分です。スラ子さんのやり方とは違いますけれど、口を割らせる手法についてはそれなりに知っております」
言葉を交し合う二人の表情がどちらも物騒すぎて、俺は視線を外した。
そこでは、長椅子に座ったスケルが全身をほんのりと染めながらグラスを傾けていて、どうやら護衛という名目でいい酒をもらっているらしい。
「嗅ぎまわった相手が悪かったってことで、ご愁傷様としかいいようがないっすね」
スケルの言葉にうなずくしかない。
俺は気を失った男に心から同情した。
「気になるようでしたら、ご主人様も尋問を見学されますか?」
「……それってやっぱり、血とか」
「それなりに」
「心から遠慮します」
アカデミーの頃からそういうのは苦手だった。
そんな光景を見たら、しばらく食欲が湧かなくなるかもしれない。
「では、得られた情報については後ほどご報告いたします。ああ、その前に数日ほど地下に放り込んでおきましょうか。騒がれても面倒ですし、いなくなった仲間を探しに次の獲物がひっかかってくれるかもしれません」
「……例の暗殺者云々以外でも、俺とカーラはしばらく後ろに気をつけておいたほうがよさそうだな」
「そうですね。そのほうがよろしいでしょう」
昼間あった話し合いの場でルクレティアの手札として衆目の前に出たのだから、間者に狙われるのはある意味で当然の結果だ。
それを仕向けたのはルクレティアで、つまり俺とカーラは餌だ。
「ご協力、心から感謝いたしますわ。ご主人様」
悪気など微塵もなさそうな極寒の微笑を前にして、目の前で吐くため息が白くないことが俺にはひどく不思議だった。
◇
尋問の結果はすぐに届いた。
ブラクト・スウェッダ。
いつもはギーツに拠点をおいて活動している冒険者で、ルクレティアの読みどおりメジハには間者としてやってきていたらしい。
その人物を送ってきた黒幕と、メジハで接触していた相手こそが重要だったが、事態はそれを聞きだす前に駆け足でやってきた。
ルクレティアに接触してきた連中がいるのだ。
丁寧な手紙で会合の機会を求めてきたその存在は、バーデンゲン商会と名乗った。