七話 思惑
「お忙しいところ集まっていただいてありがとうございます」
氷を弾いたような澄んだ声が室内に響いた。
町の話し合いなんかに使われる講堂に並ぶ顔ぶれは、いずれもメジハで店や土地を抱えるいわゆる“顔役”とよばれる壮年期の連中だ。
男女の割合は半ばといったそのなかで、一番の年嵩に見える道具屋のリリィ婆さんがうさんくさそうな眼差しをこちらに向けてくるのに、俺は仏頂面で見返した。
――そんなとこでなにやってんだい、あんた。
――知るか。俺は悪くないぞ。
目と目のやりとりでそんな会話が成立した気がする。
かといってため息をつくわけにもいかないのは、そんなちょっとした行為さえ見咎められてしまう気配があったからで、うさんくさそうな目をしているのがリリアーヌ婆としたら、他の連中がルクレティアに向けているものは疑心と警戒のそれ。
王都からやってきたルクレティアは決して町の連中と打ち解けられていない、というのは俺たちとルクレティアが敵対していたときに聞いていたが、それは今も変わらずらしい。
らしい、と他人事のようにいうのもおかしな話だった。ルクレティアの町での評判を落とした理由のひとつは俺とスラ子だ。
信頼のおけない町長の孫娘に、前から町に出没する変な男。さらにその隣には、過去に町を襲ったというウェアウルフの血をひくと噂のカーラまでいる。
町の連中からしてみたら嫌な顔になるなというのが無理な話で、これは明らかにルクレティアのミスだろうと思えたが、俺の斜め前に座るルクレティアは後ろ姿だけでもわかる平然とした態度で場の雰囲気に対していて、
「皆さんに集まってもらったのは、この町で起きている問題についてお話したいからです」
「問題たあ、いったいどんなことだい? できれば手短に願いたいね。こちとら仕事を抜けてきてるんだからよ」
たくましい髭をはやした男がいった。
いかにも日々、重労働をやってきていますといった風体で、むきだしの腕がものすごくごつい。強面の顔にじろりとにらみつけられて、俺はあわてて目をそらした。
「町に不審な輩がまぎれこんでいる恐れがあります」
うなずいたルクレティアが、前置きなしにずばりと本題を口にする。
「不審というと?」
「昨日、ギルドの鍛錬場として使われていた近くの洞窟へ様子を確認にいき、時間が遅くなってしまったのでそこで夜を明かそうとしていたところに襲ってきた賊がいるのです。残念ながら取り逃がしてしまいましたが」
淡々とした報告に、町の連中が近くの人間と顔を見合わせる。
参加者のひとりがいぶかしむように、
「近くの野盗かなんかじゃあないのか。あの洞窟、ギルドのルーキー連中で使わなくなっちまったんだろ。寝床を求めた魔物連中が住みついちまってもおかしくはねえ」
「そのようなことにならないよう、私が定期的に様子を見にいっているのです。町の近くにおかしな連中がはびこってもらっては困りますので」
内心でぎくりとしてしまうが、それに答えるルクレティアの声は落ち着き払っていた。
「おかしな連中っていわれてもな」
太い眉を寄せたはげ頭のおっさん、たしか町で鍛冶屋をやっている中年男がぽりぽりと頭をかいた。愛嬌のある顔におおきな苦笑を浮かべて、
「ルクレティアさんよ。俺らには、あんたの後ろにいる二人のことがまずそう見えちまうんだが」
ほら、やっぱりいわれた。
町の連中からの不審の表情に、俺はぎこちない笑みを浮かべる。
ああ、こういう人前は最悪に苦手だ。帰りたい。
ふと横目で隣の様子をさぐってみれば、カーラが唇をかみしめて、決して下をうつむかず顔をあげているのが見えて、俺も自分のふざけた表情をあらためた。
カーラだって頑張ってるのに、俺がへらへらしててどうする。
自分を叱咤して、ほとんど悪意すら感じられるような視線の群れに、二人で相対する。
「この二人は昨日の調査に同行させた者たちです。証言が必要だろうと連れてきましたが、素性の保証はこの私がいたします。もちろん、それだけで皆さんの心象までどうこうできるわけではないでしょうけれど」
なんだその中途半端なフォローは、と俺が内心でツッコミを入れる前に、
「しかし、それが目に見えている不審であれば、ただ注意しておけばよいだけですわ。私がいっている問題とは、そうではないものについてです」
ルクレティアは冷ややかに続けた。
「先日の竜騒動でメジハには多くの人がやってきました。そのおかげで町は大変にうるおいましたが、しかしそのことが落とした影もあります。入出記録に一致しない数。ギルドに登録していない冒険者や、それ以外の人々も。騒動の際にご協力いただいた皆さんにも、接せられた方は多いでしょう」
その場にいる連中で顔をしかめた人間がいたのは、ルクレティアのいいたいことに気づいたからかもしれない。
顔役というくらいだから、竜騒動でメジハに大勢の余所者がやってきたとき、宿屋がわりに寝床を提供することはあったはずだ。
ルクレティアは、この顔役連中のなかに、前にいっていたモグリたちを囲っている誰かが存在するといっているようなものだった。
もちろんはっきりと言葉にしたわけではないが、そう匂わせるだけでも十分、挑発的だ。
「そりゃ、前はあんまり見かけなかった余所者の顔をいまだに見るし、このあいだの騒動で外の知り合いをつくった連中も多い。今も家に客人を泊めているやつだっているだろうがね」
髭の男が据わった目をルクレティアに向ける。
「つまりルクレティア。あんたは、自分を襲った賊が町のなかにいるって思ってるってことかい。町の誰かがそいつを囲ってるんじゃないかって?」
ストレートな意訳に、室内の気配が一気に険悪化するのを肌で感じる。
ここでルクレティアがうなずきでもしたら、顔役連中の感情が悪いほうに傾くのは決定的だ。
冷や冷やと場の成り行きを見守っていて、
「そうです」
あっさりと肯定した返答を耳に、俺は立ちくらみを覚えた。
なにやってんだ。自分から敵をつくってどうするんだ。この馬鹿女――ありったけの罵詈雑言を背中にぶつけてやっていると、
「もちろん、皆さんがそんなことをお考えとは思っておりません。新しい知己を得られることも喜ばしいことです。しかし、不特定多数の“記録にない誰か”の存在を許している現状が、皆さんの好意の影に賊をすべりこませている可能性は否定できません。これはギルドを預かる者として、町の保安的な立場からも見過ごせないことです」
「……まあ、そりゃそうかもしれんがね」
ルクレティアの説明で一応は納得いったように、髭の男がひきさがる。
鍛冶屋の男がかわりに手をあげて、
「悪い。俺は頭が悪くてよくわからん! つまり、ルクレティアよ。いったいどうしたらいいっていうんだ? 町に怪しい連中がいるから、追い出そうってことかい」
「せっかく交友の機会を得られたというのに、そんなことになってしまっては申し訳がありませんわ。しかしながら、仮に誰も知らない何者かが町のどこかに潜んでいるとなれば少々恐ろしくあります。昨日のようなこともありますので……、よろしければ皆さんには、ご客人など家に招待されている余所からの方々の数名について、それぞれ教えていただけたらありがたく思います。もしまだギルドに登録されていない冒険者の方がいらっしゃれば、是非お仕事の依頼もしたいのでご登録をと」
そして、ルクレティアは最後に付け加えた。
「まずは目に見えてさえいれば、余計な誤解も余分な揉め事も回避できるものだと思いますわ」
ああ、なるほどと俺はようやくルクレティアの狙いに気づいた。
町の住人にいい印象を抱かせるはずがない俺やカーラをわざわざ連れてきた理由。――こちらが手札を見せているのだから、そちらもそうしろと。そういうことか。
牽制と、自分は隠すものはないという証拠を眼前にされて、しかもルクレティアの発言は町の治安を考えれば理にかなっている。
これに反対する者がいればルクレティアが暗にいっていたことを認めることになるかもしれないし、報告のあとにそこにない何者かが見つかってしまえば嘘をついていたことになる。
正論を盾に外堀を埋めてきたルクレティアに、顔役連中の顔が渋いものに見える理由がいかなるものなのか、じっと見定めようとしても俺には判断がつかなかった。
話し合いが終わり、俺とカーラは自宅に戻るルクレティアと別れた。
洞窟へ戻る途中、町外れの道具屋に寄ったのは習慣みたいなものだったが、話し合いが終わったときにさりげない視線でこちらに合図が送られていたことにも気づいていた。
立て付けの悪い扉を押し込んで中に入る。
薄暗い室内の奥にはいつもどおり不機嫌そうな皺くちゃ顔が鎮座していて、
「まったく。あの子はいったいなにを考えてんだか」
俺たちの顔を見るなり開口一番いってきた。
「ルクレティアか」
「それ以外に誰がいるってんだい」
忌々しそうに俺を睨みつけて、
「それとも、あんたがなにかそそのかしたのかい?」
「知るか。俺だって、あんな牽制役に使われるなんて知らされてなかったんだ」
むっとして答えると、婆さんはじろりとした半眼でふんと鼻を鳴らして、
「あんなんじゃ、敵をつくっちまうばっかりじゃないか。なにを焦ってるんだか」
焦ってる。
やっぱり、そう見えるのか。
「リリアーヌ。あんたはいいのか? ルクレティアと一緒にいた俺たちが、話し合いのあとですぐに店に来たりしたら、あんたまで変な誤解されたりするんじゃ」
「あんたらがなにか買いもしないのに店に来るのは別に今に始まったことじゃないだろうさ。それに、あたしゃこんな小さい町での揉め事なんか興味ないんだよ、馬鹿らしい」
町でも最年長だと思われる婆さんはきっぱりと言い捨ててから、
「ルクレティアが襲われたってのは。ほんとかい」
「ああ。なんだか変わったやつで、町の人間じゃなかったのは間違いない。闇属の魔法なんて使ってたから只者でもないんだろう。自分じゃ、暗殺者だなんていってたけどな」
「――なんだって?」
何事にも動じることのないような顔が驚きに歪んで、はじめてみる表情にこっちがびっくりした。
「なんだよ。いや、物騒なことはいってたけど、人は殺したことないとかっていってたし。なにか知ってるのか?」
「……自称で暗殺者なんて名乗るだけの馬鹿ならかまいやしないんだけどね。そういう職業の連中なら昔、色々とあったもんでね」
前からちょっと思ってたんだが、この婆さんはいったい何者なんだ。
「いや、でも若かったぞ」
「別にあたしの知ってる相手なんていっちゃないさ。ただ、そういう職業が成り立つ環境なんて知れてるってことだよ。そうだろう。こんな田舎にそんな需要があるもんかい」
それはそうだ。
思わず納得してから、はっと気づく。
「もしかして」
「相変わらず鈍いね。このあたりでそんなものがありえそうな場所は、一つっきりだろ」
あの変な女の子が、ギーツから?
ギーツといえばここいらで一番大きな街だ。こないだの竜騒動でやってきたジクバールやノイエン、その父親である領主が治める街。
そんなところからどうして密偵なんて送られるのかと考えれば、思いつくのはやっぱり竜に関わることしかないわけだが。
顔をしかめたこちらを見たリリアーヌが顔中に皺をつくって聞いてくる。
「なにか思い当たることでもあるのかい」
それに答えるわけにもいかず、リリアーヌが視線を送ったカーラも困ったような表情で沈黙している。
盛大にため息を吐いた老婆が、
「ルクレティアが焦ってるとしたら、なにかそっちの理由もあるのかもしれないね。それにしたって、やりようってもんがあるはずさ」
「やりよう?」
「町の連中と一緒に、汗にまみれて農作業でもすればいいんだよ。ちょうど今は脱穀の最中でどこも手が足りてないんだ。そうすりゃ、自然とあの子のことだって認めてくれる。打ち解けてもらえさえすれば、誰があの子の立場を狙おうとなんてするもんかい。今のままじゃ、町のなかで孤立するだけじゃないか」
確か初めてルクレティアと会ったときにも似たようなことをいっていた気がする。
ルクレティアとリリアーヌ。決して仲がいい様子ではなかったが、気にはなっているらしい相手を思いやる表情の老婆がこちらの視線に気づいて、
「……別に孤立ってだけじゃあないのかもしれないけどね」
それが俺たちのことをいっているのなら、微妙なところだ。
俺はルクレティアのことを決して嫌いではなかったけれど、魔法で無理やり隷属させておいて仲間面するのはどう考えてもあれだし、ルクレティアだってそんなことをいわれたら蹴り飛ばしたくなるだろう。
カーラとルクレティアのあいだにもまた色々とあるので、さっきから無言のままのカーラを見て、リリアーヌがいった。
「カーラ。ルクレティアとのことは、あんたにとってもそう簡単に割り切れるもんでもないだろう。別に無理にどうこうしろなんてないさ」
「……うん」
「ただ、あたしにとってはあの子も孫みたいなものなんだよ。カーラ、あんたとおんなじでね。……あんたが辛いときになんにもしてやれなかったような婆が、なにをいうんだって思われても仕方ないだろうけど」
「そんなことないっ」
大きく頭を振ったカーラが、決意を固めた眼差しで顔をあげる。
「大丈夫、ボクも、マスターも。ルクレティアを一人になんてしないからっ。安心して、おばあちゃん」
それを聞いた老婆は頬をほころばせて、
「ありがとうよ」
その表情は孫娘に笑いかける祖母そのままで。
隣でそれをニヤニヤと見ていたら、一気に顔を険しくしたリリアーヌに投げナイフで追い払われ、俺はあわてて店から逃げ出した。
“人間ってのは変わってますね”
唐突に頭のなかに響く声にはいつまでたっても慣れそうにない。
洞窟への帰り道、ぽつりとつぶやかれた台詞にカーラと歩いていて答えるわけにもいかず、俺は渋面をつくった。
“こんなに小さいのに、本当に色々と考えるもんだ。こんな小さな身体のどこに、いったいそれだけのものが詰まっているのか不思議になりますよ”
「いきなりなんですか」
「え?」
きょとんとした顔のカーラが振り返る。
「ああ、すまん。独り言がつい、声になって。悪い」
「はい」
くすりと笑われる恥ずかしさに頭の竜を呪う。
“これはちょっとした驚きですよ。あのお嬢が下を好んでるのもそんな理由なんですかね。あるいは――まあ、どっちにしても変わった趣味だとしかいえませんが”
ああ、そうですか。
ずっと黙っていたかと思ったら、急に喋りだしたりする。
ルクレティアとは違った意味で変わってる。というか、変わってるといえるほど他の竜を知っているわけでもないし、そもそも“竜”という存在自体がもう他の生き物と比べ物にならないくらい変わりすぎているのだけれども。
精霊と同じく崇められるような存在とこんな身近にあるだけでも、普通じゃない。
そんな当たり前のことさえこの数日の珍体験の連続で俺は忘れそうになっているのかもしれなかった。
「ルクレティアはなに考えてるんだろうな」
さっきのリリアーヌとの会話を思い出して俺はつぶやいた。
昨日の夜、洞窟で色々と話したりはしたけども、それでもいまだにルクレティアのことがよくわからない。
俺の頭がよくないのもあるだろう。ルクレティアが説明しようという気がなさすぎるんじゃないかとも思う。……それとも、俺の頭が悪すぎるだけか。
いちいち全てを説明させるのも気がひけるし、かといって聞かなかったらいつまでもわからないままになりそうだ。
あの女の頭の回転がよすぎるのだ、で全てを終わらせるのもなんだか癪だった。
“ああ。あの金髪の人間は聡明ですね”
聞いてもいないのに頭の竜が答える。
竜が人間を褒めるなんてありえない。びっくりして足がとまりかけて、カーラが不思議そうに振り返った。
“あの人間はきっと、人間にあって竜にないものをしっかりと理解しているんでしょう。やはり人間は面白い。問題は、そういう人間の存在について、あの連中が把握しているかどうかですが……まあ、我々にとってはどうでもいいことですね”
おい、なんの話だ。独り言で終わらせるつもりか。
……人間にあって竜にない?
わけがわからないのでとりあえず頭のなかの声はほうっておくことにして、俺は質問の答えを求めてカーラを見た。
「……ボクには、よくわかりません」
カーラがつぶやくようにいう。
「けど。ルクレティアが困ってるなら、助けたい。ルクレティアは嫌がるかもしれないけど」
「……そうだな。感謝しても、嫌そうな顔されそうだが。それでちょっとは仲良くなれるかもしれない」
ようするに、俺たちとルクレティアが互いにわかりあえていないことが問題なんだろうと俺は思ったが、カーラは首を振って、
「仲良くなりたいっていうのとは、ちょっと違います」
困ったような笑みを浮かべた。
「仲良くなんかならなくてもいいから、助けたいです。仲良くなんかなくても助けます」
小さい声の宣言。
それから、恥ずかしそうにこちらから顔を背けて、先に歩き出す。
俺は理解しきれなかった台詞の意味を相手に聞くこともできず、黙ってその後ろをついていった。
――やっぱりよくわからない。
竜のいってることなんてわからなくたって仕方がないだろうが、同じ人間の相手のこともわからないのは、やっぱり俺がとんでもない馬鹿だからではないだろうか。
“本当に。面白い”
揶揄するような声音で竜がいった。