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四話 長の旅路。その前に

 翌日になって、再び町へ向かった。

 行き帰りのことを考えてシィと頭のうえのドラ子についてきてもらい、一緒に来たがったスラ子には地下の掘削作業の手伝いをいいつけておく。


 用事があったのは町長の家で書類仕事に勤しむルクレティアで、目的は今朝の食卓でその場にいなかった相手にあることを伝えるためだ。


「洞窟を留守にされるのですか」

「ああ」


 刺繍掛けのかかったテーブルで、ルクレティアが用意させた自分の体長ほどもある焼き菓子にかぶりついてご満悦のドラ子を眺めながら、


「アカデミーにいく。さすがに返事が遅すぎる」


 手紙を出してからもう一月以上たつ。

 相手がすっかり返事を忘れているか、途中で郵便事故でもあったか、それ以外か。とにかく、これ以上はさすがに待っていても望み薄だろうという気がしていた。


 我の強い魔物たちが例外的に協調姿勢をとろうというアカデミー組織の所在地はここから北西遠く、人間種族の領域外に存在する。

 往復するだけで一月以上かかるし、途中の道のりだってもちろん楽じゃない。

 先日の妖精族や竜騒動のときのようにはいかなかった。


 事前の準備だって相当に必要だし、なによりそれだけのあいだ、長く家を留守にするわけだから、


「つまり、それが可能なレベルまでこのあたりの状況を落ち着かせろと。そういうご命令ということですね」


 用件を先読みして確認をとってくる相手に、


「そうだ。お前にまでアカデミーについてこいなんていわないが、長旅だ。心配事はなるべくなくしておきたい」

「別に、ご一緒することもやぶさかではありませんが。さすがにすぐというわけにはまいりません」

「それはわかってる」


 近くに落ちた竜がもたらす影響は、しばらく続くだろうと昨日聞いたばかりだった。

 あごに手をあてて考え込む令嬢に向かって、


「明日、明後日に出発しようってわけじゃない。すこしでも早くそうできるよう、念頭においてくれ。そのためにこっちでできることがあればいってくれていい」


 俺の発言を聞いて、ルクレティアがちらりとさぐるような視線を向けてきた。


「珍しく。積極的ですわね、ご主人様」

「……例のエキドナの件。返事がないのだってあいつの妨害って線もある。ほっとくわけにはいかないだろ」

「それだけですか?」


 心を見通してくる眼差しに言葉がつまる。

 息を吐いて渋々と、


「――知り合いの先生に、スラ子のことも相談してみたいしな」


 俺がアカデミーで世話になった恩師はマッドな性格ではためいわくな人だが、魔法についての造詣は一級だ。人型をとったスライムという稀有な事例にも、なにかヒントになるようなことを教えてくれるかもしれない。


 本音を白状した俺に、ルクレティアは依然として冷たい目線をくれたままだった。


「なんだよ」


 訊ねると、不服そうにいう。


「魔法使いにとって自らの研究は命のようなもの。容易く相手に晒すわけにはいかず、師弟の間柄であればそれも能うということは理解できますが。不本意ではあります」

「だから、なにが」

「私も魔道の徒のはしくれです」

「……なるほど」


 ルクレティアは、どうしてまず自分に相談してもらえないのかといっているのだった。


 たしかに、それはまったく考えてなかった。

 間抜けな返答に眉を吊り上げかける相手にびびって、慌てて弁解する。


「いや、別にお前が信用できないからとかじゃないぞ」

「なにもいっておりません」

「目が怖いんだよっ。そうじゃなくて、誰かに相談するって発想がなかったんだ。研究なんていっても、一人でやってきたからな」


 アカデミーではずっとそうだった。


 魔法生体なんてのは研究分野としてポピュラーで、偉大な先駆者たちの手ですでに体系化されてしまっている、いってみれば古いネタだ。

 元々が日の目を見るような研究でもないし、そこに無理やり周囲の注意を惹きつけられる斬新さ――はあったとしても、それを納得させられるだけの折衝力がない。


 研究には場所も時間も金もかかる。

 人も集めるのも、金を集めるのも才能だ。


 そのどちらもない俺は、マッドな恩師の研究室に席を置いてその相手が巻き起こす騒動に巻き込まれながら、時間を見つけて自分の研究をやるくらいしかできなかった。


 この洞窟にきてからは、いうまでもない。


「いつまでも根暗な引きこもり気質が抜けないのは勝手ですが、現に貴方様は徒党の長であり、この私を従える身の上です。そのことをお忘れになっていただかれては困ります」

「根暗な引きこもりって。いや、それより徒党だなんてまるで悪党みたいな言い方だな」


 魔物の一味なんて、人間からしたら悪者で間違っちゃないが。


「スラ子さんについては、私も興味があります。お話いただけるのですか?」


 ルクレティアは挑みかかるような表情だった。

 相手の気迫にちょっと尻込みしながら、どうだろうなと考える。 


 ルクレティアは優秀だ。

 俺なんかじゃ思いつかないことに気づいてくれる可能性はあるだろう。


 だが、さっきのもルクレティアがいったように、自分の研究を開示するっていうのは、研究者にとってある意味で裸になるより抵抗があることだ。

 さらにいえば、それを聞いてルクレティアが悪用することだって考えないといけない。


 ようするに、さっき口走ったこと。

 俺がルクレティアを信用できるのかどうかだ。


「……スラ子のことは、微妙だな」


 返答に、ルクレティアの唇が軽く噛みしめられて、


「けど、俺が洞窟でやってきたことなら。整理もしてないし、レポートだって読みづらいだろうけどな」


 続いた台詞に意外そうに目を見開いた。


「よろしいのですか」

「いいっていってるだろ。いっとくが、一応、ずっと昔のことからレポートにはまとめてあるが、俺の字は汚いからな。解読するくらいの心構えでいろよ」


 氷細工のような美貌が冷笑をひらめかせる。


「ご主人様に後々まで考えた気配りができるなどと、はなから考えておりません」

「いってろ。それより、さっきの話だ」


 鼻を鳴らして俺は話題を戻す。


「現状を落ち着かせるためにということでしたら、懸念は二つあります」

「いってくれ」

「ひとつは、昨日申し上げました王都の動きです。現時点で竜についてなにかしらの思惑があれば、追ってそれに対する報告もあるでしょう。即応か否かについての判断をくだすためだけにでも、様子見は必要かと思われます」

「領主の動きがよすぎたってところも気になるからな」


 つぶやいて、今度はこちらがルクレティアに探った目線をくれる番だった。


「なにか思いついてたりするんじゃないのか? ルクレティア」

「――戦争です」


 ぴくりと眉を震わせたあと、平然とした表情で相手は答えた。


「竜殺しの武威が必要となるのであれば、もっとも簡単に思いつくのがそれです。恫喝、虚勢。ここ数年、我が国が置かれた外交状況も決してよろしくありません」 


 戦争云々というのは、以前ルクレティアがそんなようなことを匂わせていた気もするが、辺境の洞窟に生きる魔物な魔法使いが国なんて巨大な生き物の動向なんて知るはずがない。

 というか、一介の田舎町の長の身内がそれを知ってるのだって十分おかしすぎる話だ。


「どういう状況かお知りになりたいですか?」

「……軽くたのむ」

「昨年に先王妃シルオリア様が亡くなられたことで、外交の舵取りが危うくなったことが一番の痛手でしょう。多国間による婚姻関係は大陸に平穏をもたらしましたが、元々が自国の内政問題や人外領へ戦力を集中させるためのもの。その状況が変われば、他国への動向もまた変わるというものです。私たちの国は小国ですし、東西にグルジェ帝国、ミサニカ・フリダ連合王国という強国と隣接しています。だからこそ外交戦略が命綱となりますが、いずれかになびけば他からの反感を買い、容易に介入の口実を与えてしまいます。無論、座して待つだけでも状況は変わりません。特にグルジェ帝国の皇太子ラナハル様は梟雄として名高く、ご自身の継承問題で反対勢力を処断した手際は話に聞く限り見事なものでした。組織刷新、反対派貴族資産の強制徴発による国庫充実を経て現在は時期を見計らっていることは明白です。左をみればミサニカ・フリダとその同盟勢力がこちらを贄にしようと舌なめずりをしています。そもそも我が国は地勢的に貧しく、同時にそのことが国体を保持できた理由の一つでもあります。各大国が大陸で覇を唱えて中原に進出しようとする際、喉元の小骨となるのが我が国であり、それ故に……」

「なるほどわかったもういい」


 立て板に流した水のごとく語りだす相手を、俺は重々しくさえぎった。


「まだ肝心のところまでお伝えできておりませんが」

「いや、満足した。俺が悪かった。ごめんなさい」


 真顔で謝ると、ため息をつかれる。


「とにかく、王都が竜に関心を持つ動機はありえます。実際それがどういった動きになるか、あるいはすぐには起こらないかの確認をせず出発なさるのは危険でしょう」

「わかった」


 いざアカデミーへの遠出を計画したとして、食べ物や水を用意し、行程を確認したりなんかするだけでも数日はかかる。

 出発の用意を整えつつ、王都からルクレティアにはいる追加の報告を待てばいいだろう。


「もうひとつは?」

「最近、このあたりに出没している影です。いずれどこかの間者という線が強いですが、後顧の憂いという意味では、こちらもなんとかしておくべきです」

「追い払うとかか? 相手がどこの誰かもわかってないんだろ」

「想像できる相手は現時点でも絞れますが、どちらにせよ尻尾をつかんでみなければ始まりませんし、そうした対応はご主人様が洞窟を離れたあとにも可能なようになさっておくべきでしょう。留守役や周辺勢力との調停も含めて、地盤は堅固にしておかなければなりません」


 俺が顔をしかめたのは、ルクレティアの台詞がなにかしらをそそのかしているようにしか聞こえなかったからだ。


 ルクレティアが冷ややかに口の端を持ち上げる。


「まだ面倒ごとは嫌などと、甘えたことをお考えですか?」


 俺は沈黙でそれに応えた。


「いいかげんに覚悟をお決めください。貴方は既に、大勢の上に立っているのです。洞窟の面々、地下の二種族。この私、メジハの町。近隣の妖精族の方々とも親交をお持ちで、今さらそれはくつがえせません。責任なんて嫌だと駄々をこねるのはお止めください」


 ぴしゃりと叱る口調でルクレティアがいう。


「自身の無能を知るのはいいでしょう。分をわきまえるのも結構。しかし、たかが一度、地下でしたたかに失敗した程度でいったいいつまで恐れているのですか」


 ずばりと内心をいいあてられた俺は反論の言葉を持たない。


「上に立つ者が万能である必要などありません。失敗すれば次に生かし、無能なら他を生かせばよろしいのです。貴方は生屍竜から妖精族を守る為に戦われたではありませんか。それとも守るためには戦えるが、自分から動かれるのは好まれないと? そのくだらない考えが守るべき者を殺すことになるとおわかりにならないのですか」

「守ろうとして。余所に戦いを挑む事だって同じことくらい、くだらないぞ」

「血を流すことだけが戦いではありません。それに、血を流すのは貴方ではありません、貴方の部下です」

「ふざけるな、そんなの許せるか」

「でしたら血を流さないようですむよう、策をお講じください。そして、それを考えるのはこの私です。それも貴方のご意志があってこそ。貴方がお変わりにならなければなにもありません」


 変わる。そのルクレティアが発した単語に、苦い味わいが浮かぶ。


「……そんなことはわかってる」


 噛み殺した怒声ではなく、ため息をもらして、


「昔みたいにスケルと二人で洞窟に引きこもってた頃とは違う。俺だって変わらないといけないし、変わろうと思ってるさ」


 でもな、と途方もない思いで続ける。


「――いったい俺はどこまで変わるべきなんだ? どこが変わっちゃいけない?」

「……なんですって?」


 ルクレティアが眉をひそめた。

 相手の緑眼が映える虹彩を苦々しく見つめながら、


「俺が変わればスラ子だって変わる。今までみたいに、これからもどんどん変わっていく。その終着はなんだ。結末はどうなる。……俺はこれ以上、スラ子を変えてしまっていいのか?」


 不定形の生き物。

 俺という存在に全てを依存しきっているスラ子。


 いったいあいつは俺になにを期待しているのだろう。変化か、それとも逆なのか。


 私のマスターでいてください、と事あるごとに聞かされる台詞の意味が、俺にはそのどちらにも捉えられてしまう。


 変化は必要だ。

 けれど、無制限の変化は怖い。


「……なるほど。ご主人様、貴方が恐れていることはそれですか」


 ルクレティアの口調からかすかに刺が落ちていた。

 スラ子はもちろん、他の誰にもいったことのない本心を吐露してしまったことに俺は顔をしかめて、反対に表情を落ち着かせた金髪の令嬢がいう。


「自分が変わることで相手を変えてしまうのが怖い。普通ならなにを勘違いしているのかと唾棄するところでも、この場合はそうとばかりは申せませんが。しかし、それでもやはり、貴方は思い違いをなされていると思いますわ」

「なにがだ」

「なにもせずとも物事は移ろうものだからです」


 ルクレティアがいった。


「この世の全て、一時とて同じではありえません。ご主人様の思いと関わりなく周囲の状況は変わり、スラ子さんもまたお変わりになります。貴方がスラ子さんのために変わりたくないとおっしゃられたところで、それは変わっていないのではなく。ただ取り残されているだけです。変わりたくないというのなら、そのために、貴方は常に変わり続けなければならないはずでしょう」 


 いつものように高圧的にではなく、叱咤するのでもない。

 諭すような口調で語りかけてくる。


「もちろん、変わりようをお間違いになることも。それとも貴方はご自分がもう二度と間違いを起こさない賢者とでも?」

「……そんなわけあるか」

「当たり前です。そのために、周囲の者がいるのです。貴方一人にいったい何事が成せますか。そちらのシィさん、……頭のうえのドラ子さんはお喋りにはなれませんが、カーラに、スケルさん。そして――ご主人様。貴方はそんな時のためにこそ、呪印で隷属させておきながら、この私に自由な言動をお残しになっているのではないのですか」


 ――もちろん。

 まったくそんなわけがなかった。


 俺がルクレティアの呪印を極力使わないようにしてるのは、そうされてる相手を見るのが嫌だからだ。そんなことをする自分が嫌だからだ。


「貴方はとんだ小物です」


 心を読んだようにルクレティアはいう。


「たとえ絶大な権力を得ようが、莫大な富を稼ごうが。できる暴走などたかが知れていますわ。どうぞご安心ください」


 きっぱりと断定されて、思わず苦笑してしまった。


「馬鹿にしてるだろ」

「褒めているのです」


 真顔で返されてやれやれと首を振る。


「よくわかった、ありがとう」

「ごまかしにならないでください」

「そうじゃない。ほんとにわかったんだって」

「すがすがしい顔もなさらないでください。腹が立ちます」

「どうしろってんだ」


 ツッコミ気味の声が大きくなってしまい、びくりとドラ子が身体をすくめる。

 恐る恐るこちらを見上げる小さな生き物に慌てて悪い悪いと謝りながら、


「……とにかく、さっきのことはわかった。悪かった。なるべく早くにアカデミーにいきたいってのは俺のいったことだ、なんでもやるさ。具体的になにがある」

「……そうですわね。出立の準備と並行して動いていただきたいことがありますが、まずはこちらで現状を整理してみたいと思います。詳しいお話は明日、改めてということでもよろしいですか?」

「わかった」

「それから。先ほどのお話はご主人様もそう口にされるおつもりはないでしょうが。お気をつけください。スラ子さんはもとより、カーラも」


 カーラも?

 俺の表情を見たルクレティアは冷ややかに、


「あんな台詞を聞かされれば、嫉妬してしまうでしょうから」

「嫉妬?」


 きょとんとすると、呆れ果てたようなため息を吐かれた。


「そこまで鈍いと、もはや犯罪ですわ」

「いや、そうじゃなくて。スラ子相手で嫉妬ってあるのか?」

「あるに決まっているでしょう。なにをおっしゃっているのですか」

「……ルクレティア、お前もか?」


 まさかと思って聞いてみると、ゴミを見おろすような冷ややかさとともに返答がかえった。


「なんの冗談です」


 ですよね。


 ドラ子を見ると、ようやく焼き菓子を食べ終えたところで、次の一個に手を伸ばそうとしているのをシィが黙ったままたしなめている。


「じゃあ、明日また来る。このお菓子もらっていっていいか」

「包ませますわ。それから、明日はいらっしゃる必要はございません。こちらから洞窟の方にうかがわせていただきます」

「お前が?」

「はい。なにか問題がございますか?」


 竜騒動からこちら、ルクレティアが洞窟にやってきたことはほとんどない。

 事後処理からずっと業務に追われ、話に来るといつも机なのでそこから離れる時間すらあるのだろうかと思っていたほどだ。


「いや、問題はないけど、忙しいんだろ? 別にこっちから出向けばいいじゃないか。そっちがきたら洞窟の出入りに気をつけないといけないし、一泊するようなことになればまた別の面倒だって、」

「いいからお黙りになってとっととお帰りください、犯罪者様」


 相手を気遣ったつもりの台詞は不機嫌な一言で封殺されてしまい、俺は菓子入りのバスケットを手土産に町長宅から追い出された。



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