二話 視界の客人
「――失礼しました。少々気がたっているようです、申し訳ありません」
長い睫毛を伏せるように、金髪の令嬢は謝意を示した。
「……なにか町に被害があったのか?」
「畑の方に少々。雨は二日も続かず、根こそぎやられてしまうほどではありませんでしたが。スラ子さんが丸くなって内にひきこもられたと同時に気象の異変も落ち着きました。これがまったくの偶然であればよいのですが」
だとしたらあまりに出来すぎた偶然だろう。
こもった息を無理やり肺のなかから押し出して、俺はうなずいた。
「スラ子のことは。気をつけてみる」
なにかいいたげな表情をひらめかせてから、小さくあごをひくルクレティア。
「そうしていただけると助かります。他に申し上げておきたいことは三つほど。竜騒ぎ、王都からの報告、洞窟工事の進捗についてですわ」
「上から順に」
「竜騒ぎですが、状況そのものに大きな変化はございません。領主様からのお伝えからゆるやかに落ち着いてきています。けれども」
「けれど?」
「竜というものの存在が及ぼす影響について、私も考えが甘かったかもしれません」
物憂げなため息とともにルクレティアはいった。
「どういうことだ。落ち着いてきてるんだろ」
この一月、確かにメジハには竜のもたらした騒動が巻き起こっていたが、それもどうにか沈静化しはじめていたところだ。
「表面上は。狂騒的な沸騰は確かに収まりましたが、代わりに蠢動しはじめているものもあるようです。加えて王都から興味深い報告がありました。辺境に落ちた竜の存在に、高貴なお方も興味をお持ちとのことです」
王都に住む高貴な身分といえば、決まってる。
「王様が? ほんと、金を持ってる連中ってのはどいつもこいつも冒険やら伝説やら大好きだな」
「ただの趣味や物好きであればそれもけっこうでしょうが、そうとばかりは限りません。前に申し上げましたとおり、竜というのはステータスですから」
「俺の国には竜殺しがいるんだぞ。凄いだろ、ってことか?」
ほんの冗談でいったのだが、ルクレティアはにこりともしなかった。
「少なくとも、竜を打ち倒す力があることは他国への武威になるでしょう。それが魔力を失った生きる屍であったとしてもです。別に笑い話ではありません」
「だとしたら、王様は今ごろホクホクだな。腕のいい部下を持った領主も鼻が高いだろうさ」
あくまで対外的に、あの生屍竜を打倒したのはジクバールたちということになっている。
「報告では、その時点ではまだ竜討伐の連絡は入っておりませんでした。今ごろはすでに届いている頃合でしょうが。王都からの報告を聞いて私が思ったのは、先日の竜捜索でひどく動きの早かった領主様のことですわ」
少し考えて、なるほど、と思いつく。
「王様が喜ぶことを知ってたから、気張って探索隊をだしたのか」
「王都にもよく上らぬ一介の地方領主にそこまで敏い反応が可能かどうかは難しいところですが、領主様については色々と噂もあります」
長くこの地方を治めるゼベール・フォン・ノイテット二世の噂は色々と耳にしたことはあるが、別に悪いものではなかった気がする。ルクレティアのいう「噂」はまたそれとは違いそうだが、その内容について詳しくこの場で話すつもりはなさそうだった。
「ともかく、この件について王都からの反応があるとすれば、それは生屍竜討伐の報せがあって以降になるでしょう」
「まだまだ面倒が起こるかもしれないわけだ」
おとぎ話みたいな出来事が起こってしまったのだから、それも当然かもしれない。
「王都、あるいは領主様の思惑次第では十分にありえますわ。あわせて前後で蠢くものもあるでしょう。すでにそれらしき影もいくつか。三つ目の洞窟工事にも関わりがあります」
「問題か?」
「地下の二種族についてはスケルさんのほうがお詳しいでしょうから、そちらからお願いしますわ。工事そのものでは特に問題は起こっておりません。木材や生地を労働報酬にあてがわれたこともプラスになっているようです」
洞窟地下に住むリザードマンとマーメイドのあいだでは最近、木材いじりや生地いじりが流行っている。
探索にでているあいだにスケルが揉め事を収めようとしてやったことがきっかけになったらしいが、それまで近くになかった素材や慣習について知る機会があれば、そうしたことが起こることもあるだろう。
だが、それがよいことなのかどうか。
リザードマンもマーメイドも、それぞれ人間社会と距離をおいてきた種族だ。
種族交流といえば聞こえはいいが、それがもたらす変化は様々だろう。
まあ、起こってしまったものは仕方がない。生きているのだから変化はあって当たり前だ。
「で、影ってのは」
「ここ数日、洞窟周辺で人の姿が見かけられています。これは一昨日ごろからなので、ご主人様にはご存知ないことでしょう」
「……冒険者か」
自然と顔が厳しくなる。
竜や王都、どちらも関わりがあることだが、魔物の身で洞窟に住む身分からすれば一番怖いのがそこにやってくる冒険者だ。
メジハのギルドに所属する冒険者たちにはルクレティアから圧力がかかっているはずだが、竜騒動で外からやってきた連中にはそれも通じない可能性がある。
「どうでしょう。洞窟だけでなく、町そのものについて探りをいれているような報告もありますので、むしろ密偵というべきかもしれません」
「密偵? 領主から?」
「あるいは、他の町などから」
「なんで他の町からそんなもん向けられるんだ」
呆れ顔の俺に、呆れたような眼差しを返してルクレティアがいう。
「先日の竜騒動でメジハは名を売りましたし、相応に稼がせても頂きましたので。色々と周囲からの注目を浴びてしまっているのでしょう。それぞれの町ギルドの意向があってそこからの派遣となれば、素性が冒険者ということはもちろん考えられます」
ギルドとは、つまり町という集団単位が囲い込む自衛戦力だ。
小さな集落では何でも屋みたいな扱いだし、後ろめたいような依頼だって受けたりもする。
そこに所属する冒険者だってピンからキリまで玉石混淆で、名の知れた冒険家や腕の立つ勇者みたいなのもいれば、チンピラみたいなのだって飼われていたりするものだ。
「なら、洞窟の出入りにも気をつけないとな」
今日、洞窟を出るときも一応は周囲を確認してシィに姿消しの魔法をかけてもらってはいたが、帰るときも注意しないといけないだろう。
「ご不在のうち、シィさんにはカモフラージュのお願いをしておきました。しかし、注意は必要ですわね。工事も上層まであがってきましたし、奥の地下に繋がる縦穴から掘削音が聞こえてきてしまっては間が抜けています」
「……入り口を封鎖でもしておいたほうがいいか? それだとかえって目立つか」
「私個人の、私的な研究場所としてあらかじめ公にしておくことも可能ではあります」
下手に隠すより開けっぴろげのほうが問題にならないということはある。
「いや、それはやめておけ」
洞窟との関わりが明るみに出てしまったらルクレティアの立場がまずくなるかもしれない。というのと、ルクレティアの言葉をどこまで信じるべきかわからないのが半々の返事に、それを見透かしたような眼差しのルクレティアが、
「かしこまりました」
冷たく答えた。
「いずれにせよ、くれぐれもお気をつけください。不審を悟らせる相手ならまだましというべきでしょうし」
「不審、ね」
そういえば、昨日、洞窟に帰る途中や帰ってから何度かなにかの気配を感じた。
もしかしてそのことだったのか、と薄ら寒い思いを抱いてから気づく。
不審な気配は今もあった。
「……っ」
あわてて室内を見回してみても、誰の姿もない。
「ご主人様?」
「……スラ子。お前か」
眉をひそめるルクレティアをよそに、いるかもしれない姿の見えない相手へ問いかけてみる。
返事はない。
姿を消したスラ子なら呼びかけに応答しないことはないだろうが、今朝の様子ならそれもありえるか。
ちらりと横目でルクレティアの様子を確認すると、困惑したようにこちらを見ている。
腕利きの魔法使いであるルクレティアなら、スラ子がもし隠れていても察知できるはずだ。
ということは、部屋には誰もいないのだろう。そう思って意識をゆるめた瞬間、また視界の端にもやのような違和感に気づいて、俺は顔をしかめた。
なんだこれは。
意識すると気配は霞のように消えてしまう。
なら、意識しなければいい――意識しないように意識しろなんて、いったいどんな問答だ。
“勘は悪くないと思いますがね”
不意に、頭のなかに響く声。
大気を伝わり、鼓膜を震わせて聞こえたものではない、その声にはおぼえがあった。
「あんた、」
たしかイエロとかいった。冷たい目をした竜族の若者。
“姿も見せないままで失礼しますが、ご容赦を”
「いや、ご容赦って――。あんたいったい、どこにいるんだよっ」
どこを探してみたって、室内に姿はない。
相手が竜ならこちらに悟らせないくらい朝飯前だろうが、声は涼しい声音で、
“ああ、いえ。探されても無駄でしょう。自分は今、そちらの頭のなかにしかおりません”
とんでもないことをいった。
「……頭の、なか?」
“ええ。自分の声が聞こえているのはそちらだけですし、そもそもあなた以外に自分の存在はつかめません。ですので、お気をつけになったほうがよろしいんでは?”
はっと気づくと、ルクレティアが見たこともない表情をしていた。
「ご主人様。きっと、辛い目にあわれてきたのですね……」
おい、なんだ、その慈愛に満ちた眼差しは。
「戻ってすぐだというのに、このようなお話ばかりで申し訳ありませんでした。どうぞ羽を休めて、ゆっくりとおくつろぎください。ああ、温かいお茶でも淹れてまいりましょうか」
「やめろォ! そんな目で俺を見るなっ。違うんだ、頭のなかで声が――」
事実を説明しただけだが、それを聞いたルクレティアはますます可哀想なものを見る目になって、
「お辛かったのですね……」
「だからやめろ! お前そんなキャラじゃないだろ、本当に幻聴でも聞いちゃってるんじゃないかって不安になる!」
“ご心配なく。自分は幻聴なんかじゃありません”
まったく平然と声がいってくる。
「あんたも黙っててくれっ!」
「ご主人様。どうか落ち着いてください。わかっています、全てわかっておりますから」
結局、最後までルクレティアは俺のいうことを信じてくれなかった。
腫れ物に触れるような、らしくもなく優しい扱いを受けることにやわな心が耐え切れず、俺は泣きながら村長の家から逃げ出した。
「いったいなんなんだ、あんたっ!」
洞窟に帰る道すがら、周囲の人の気配に気をつけながら俺は小さく毒づいた。
“なんだといわれても、さきほど仰られたじゃありませんか。自分はイエロです、先日お会いしたでしょうよ”
「知ってますけど! 竜が、どうして他人の頭のなかにすみついてるんだよ!」
頭のなかに自分以外がいるなんてぞっとしない。
悲鳴みたいな叫びに、声はあくまで平静なまま、
“頭のなかに、というのとは少し違いますかね。正確にはマギさんの網膜――目に焼きついているようなもんです”
いつのまに、という問いを発する前に直感で気づく。
あのときだ。
帰り際、頭を下げられるまえに目を覗き込まれたあの一瞬。
たったそれだけで、と考えるのも馬鹿らしい。
相手は竜だ。気まぐれで他人を殺して生き返らせて、意図してかはともかく時間の流れだって変えてしまう無茶苦茶な存在。
その竜がどうして頭のなかに――目のなかにだろうが、そんなのどうでもいい――いるのか。問題はそこだ。
「……目的は? ストロフライならいないぞ、散歩してくるみたいなこといってた」
“ええ。聞いてましたよ。自分が用があるのはお嬢ではなく、マギさん。あなたです”
そんなことだろうさと思いついてはいても、実際にそういわれると絶望的になってしまう。
「なんだよ、なにか悪いことしましたかっ、俺」
せっかく竜の巣窟から生きて帰ってこれたと思っていたのにこれじゃ、ルクレティアが心配したように頭がおかしくなる。
“お気になさらず。ちょっとした個人的な興味ってやつです”
「そんな俺なんて竜さんに興味もってもらうような人間じゃないですからっ!」
脳裏で小さく笑ったような気配がした。
“こっちも人間がどうこうなんて興味ないんですがね”
「だったら、」
“人間なんざ興味もありませんが、それがお嬢のお気にとなると話は別です”
まったく静かな気配のまま声は続けた。
“あの家嫌いのお嬢が里帰りに伴ったんです、親父じゃなくたって気にはなります。さっき、あの若い人間もいっていたでしょう。マギさん、あなたは自分の立場というものに頓着するべきなんじゃあないですかね”
「そんなこといわれても、ストロフライにしてみれば俺なんてペットみたいなもんでしょうっ」
“ああ、やっぱり判っちゃない”
冷ややかにいう。
“失礼な言い方になりますがね。人間なんて、普通はペットだなんていうのもおこがましいってなもんなんですよ。しかも、里では自分の近くには同族だろうがまるで寄せつけなかったあのお嬢が。不思議に思わないのが無理って話です”
「それは」
“なにせたった五十年で死ぬようなか弱い連中だ。そのくせ、身体にはたっぷりと毒をもっていやがる。親父は親父なりに考えもあるんでしょうが、自分にだって思うところはあるわけでして、こうして少しお邪魔しているわけです”
わけです、なんていわれても困るわけなんだが。
「つまり、俺がストロフライになにか毒になる存在じゃないかって?」
“そういうことになりますか”
「馬鹿げてる」
俺は素直な感想を吐き出した。
「あのストロフライが、俺なんかでどうこうなるわけがないでしょう」
“さあ、それはどうでしょう。ともかく自分の戯れみたいなもんですから、どうぞおかまいなく。こうやってマギさんの目を通して色々と見させてもらうだけで、ご迷惑になるようなことはないでしょう”
「いや、ないでしょうって勝手に決めつけられても……」
“本当ならずっと黙っておこうとも思ってたんですがね。薄々気配に気づかれてたみたいですし、それならやはりここはお伝えしておくほうが筋かなと”
「心の底から余計な気遣いありがとうございます!」
できれば気遣いはやる前に、やるなら許可をとってほしいところだった。
答えながら、深く深くため息をつく。
またやっかいなことになったが、どうしようと考えたところでどうしようもない。
目のなかにいる竜をどうこうする方法なんてあるわけがない。
可能性があるとしたらストロフライにどうにかしてもらうことだが、奔放な黄金竜は世界一周の旅に出かけていつ戻ってくるかわからない。
とりあえず帰りを待つしかないだろう。
それまでは頭のなかの声につきあうしかない。いっそのこと幻聴とでも思おうか。
ああ、それにしたって、
「――竜ってのは、なんでもかんでも迷惑すぎる」
“なかなかよい台詞ですね”
本人を前にすれば絶対に口にだせない台詞に、まるで他人事のような同意が返ってきた。