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五話 少女の願い

「いたいたー」


 次の朝。

 俺は山からすぐ近くにうずくまっているところを発見された。


「ドラゴンどんどことことん混沌、ドラゴンどんどことことん混沌、ドラ――」

「あ、壊れちゃってる」


 透き通った声が意識を洗う。

 目の前の幕が晴れ、俺はたった今目が覚めたような気分で眼前の人物に焦点をあわせて、


「ストロフライ……?」


 にっこりと微笑んだ少女が手をぐーぱーしていた。


「マギちゃん、おはよっ」

「俺は……なんで、こんなとこに? いったい、」


 外だった。


 どうやら俺はずっと藪のなかで一晩を明かしていたらしい。

 なんでそんなことをしていたのか、理由は自分でも定かではない。


「だいじょぶだいじょぶ。思い出さないほうがいいよっ」

「思い出す……?」


 確か昨日、酔っ払ったストロフライと部屋に戻ったあと、用をたすために抜け出して。

 ストロフライの父に強制的に外に連れ出されて話を聞いて。


 それで――


 ずきん、となにかを激しく訴える頭痛。


「ああ、竜が! 竜が!」

「ほらほら、落ち着いて。悪いヤツはあたしがぶっ飛ばしておいたからだいじょぶだよー、怖くないよー」


 あやすようにいわれ、よしよしと頭を撫でられる。

 そうすると不思議と頭の痛みがひいていって、全身を襲っていた怖気の走る感情も落ち着いた。


「な、なにかとてつもなく恐ろしい目にあったような……」

「うん。まあ、気にしない! マギちゃんが部屋からでちゃうのがいけないんだよー」


 いいながら手を引っ張られる。


「さ、帰ろ!」

「帰る――?」


 その言葉を聞いた瞬間、つうっと頬に冷たいものが流れた。


「俺、帰れる……? 帰れるの……?」

「うん。もうあたしの用はすんだし、こんなとこいつまでいてもつまんないもん。帰ろ帰ろっ」

「お、おおぉ……」


 涙が止まらなかった。


「帰る……! 我が家へ、スライムちゃんたちのもとへ……!」

「うんうん。なんかマギちゃん、一晩で老けたねえ」

「そりゃ昨日だけで何回死にかけたか! 老けるくら、い……?」


 不意になにかが脳裏にフラッシュバックした。


 闇夜に浮かぶ月。

 山のような怪物と、その咆哮。


「ううっ……。どんどこ! どんどこ!」

「ほらほら。落ち着いて、怖くないよ。どんどこなんてないよー、いないんだよー」


 ストロフライに支えられてふらふらと歩く。

 やけに荒れ果てた風景のなか、周囲に目を配れば思い出すべきではないことを連想してしまいそうで、俺はほとんど目をつぶっていた。


 もう嫌だ。

 とにかく嫌だ、思い出せないけど嫌だ。はやく帰って洞窟にひきこもりたい。


「――お嬢」


 声に、びくりと身体が反応した。

 俺たちの目の前に現れたのは、しかし俺が想像した岩みたいなゴツい顔ではなく、ひどく落ち着いた若い男。


「お帰りで?」

「うん。なぁに、イエロ。文句ある?」


 イエロと呼ばれた竜族の若者は、ストロフライの不機嫌な声に頭をさげて、


「とんでもない。親父が起きれそうにないので、代わりに自分がお見送りをと」

「別にいらないのに」

「そういわずに、あんな形でしか見送れない親父の気持ちも汲んでやってください。誰もお嬢を送らなかったとなれば、俺らがどやされちまいます」


 なんだ? ストロフライ、父親とのあいだに話ができたんだろうか。

 横をうかがうと、俺の手をひいたストロフライは鼻の頭をくしゃっとしたような表情で舌をだして、


「知らない。あたしがいないあいだにマギちゃんのこといじめたんだから、自業自得でしょ」

「まあ、そうなんですがね」


 いじめる……?


 なにかその言葉が深層に沈み込んだ記憶を浮かび上がらせるきっかけになりそうになっていると、


「マギさん」


 竜の若者がこちらを向いた。

 見た目は完全に人間のそれと変わらない相手の眼差しは、とても理性的で、かといって冷たさのあるようなものでもなかった。


 じっと内面を覗き込むような数秒のあと、


「お嬢のことを、よろしくお願いします」


 深々と頭をさげてくる。


 竜が、人間に頭をさげてる――。

 あまりに非現実な光景に俺は動転して、


「いや、そんな! 俺なんかなにもしてないし、できないですし! むしろこちらこそよろしくお願いしますというか、お願いだから顔あげてくださいっ」


 ほとんど悲鳴のようにいった。


 頭をあげた男が小さな微笑を浮かべる。


「なかなか面白い方ですね」

「そうだよ。だって、マギちゃんはこのあたしの家来だもん!」


 ガキ大将みたいな顔で得意げにいうストロフライに、男がそこからさらに少し笑みを大きくして、


「ご自愛ください。無茶をせぬようとは申しませんが、たまにはこちらにも顔をみせてやってください。親父、あれで本当に喜んでたんですから」

「んー……」

「じゃないと、親父から下にいっちまうかもしれませんよ」

「それは絶対にヤダ」


 きっぱりといったストロフライが、ちらりと俺を見ていたずらっぽく笑った。


「またマギちゃんが一緒に来てくれるっていうなら、考えてもいいかなー?」


 二人の竜の視線が俺を見る。


 また、ここに来る……?


 不確定の未来を想像しただけで、全身に一気に滝のような汗が流れた。

 そんなの殺されたってお断りです――と全身全霊でいいかけて。


 ふと思い出したのは、どこか寂しそうに遠くを眺める竜の父親の横顔。


「……また、来ます」


 俺は泣きながらうなずいた。

 なぜか男が意外そうに眉を持ち上げる。


「本当に、面白い方ですね」

「そうでしょ! 自慢の家来なんだからっ」


 ストロフライが満面の笑顔でいった。



 行きも地獄で着いた先も地獄なら、帰りが地獄でないはずがない。

 また雪山遭難のような拷問を耐え忍ばなければならないことに、俺はかかってきやがれと覚悟を決めた。


 別に悲壮というわけではない。

 苦しいのだってその先にゴールがあるのなら我慢できる。


 そう思っていたのだが、


「マギちゃん」


 竜の姿に戻ろうとしたストロフライが俺を手招きした。


「?」

「ていっ」


 そのまま首根っこを掴まれて、投げられる。


「えええええええええええええ!」


 視界が一気に蒼に染まる。


 加速の力と風に圧迫されて空をあがり、途方もなく跳ね上げられたあとに一瞬の制止。

 ほっと息を吐いた次の瞬間には、肺のなかの全てを搾り出されるような感覚で身体が降下していって、


 ――ぽすん、となにか柔らかいものに落ちた。


 恐る恐る顔をあげると、そこにあったのは黄金の大地。

 天国かと思ったがそうじゃない。


「だいじょぶー?」


 ストロフライの声が大地の先から聞こえた。

 下を見る。

 そこには滑らかな色つやをした人の体長ほどもある鱗が無数に並んでいて、触れると温かみを伝えてくることに、俺は状況を理解した。


「そこなら寒くないでしょっ」


 俺がいるのはストロフライの背だった。

 巨大な黄金竜。その背中。


「あ、はい。でも、なんで――」


 行きはずっと牙にひっかけられるようにしての移動だった。


 竜は馬じゃない。

 他のなにかや誰かを背中に乗せるなんて、彼らの自尊心が許すはずがなかった。


「んー。ご褒美かなっ」

「褒美?」

「うん。無理いってついてきてもらったしねー」

「いや、それは。俺に借りがあったからなんだし、お礼なんかいわれるようなことじゃ」

「マギちゃん細かいなぁ」 


 機嫌よく笑ったストロフライが、


「まあいいじゃない! あたしの背中に乗れるなんてもうないと思うよー? せっかくだから楽しんじゃえばっ」

「……そうですね」


 竜の背中に乗るなんて、それだけで他人に一生自慢できる。

 恐々と背中に手をついて、振動も衝撃も、それどころか風も寒さも一切を受けつけない不思議な在り方に興味をおぼえて、ふと違うことを思いついた。


「他に誰か、乗ったことあるのって――」

「いないよー。マギちゃんがはじめて! やったねマギちゃんっ」


 喜んでいいのか、恐縮すればいいのか微妙だった。


「逆鱗でも探してみる? それか、下、見てみたら?」


 声に誘われて、背中を移動して肩まで進む。

 恐々とのぞきこんで、


「うわあ」


 言葉にならない声がでた。


 蒼。白。隙間からのぞく大地の茶。そしてまた海の青。

 あまりに圧倒的な色彩が、自分が今、下を眺めているのか、上を仰いでいるのかという感覚さえ失わせる。


 いや、それは恐らく、上も下もなく彼らにとってはそのどちらも自在にあるということで。


 感嘆の思いで胸が満ちた。

 こんな光景を見せつけられてしまえば納得するしかない。


 ――この世界の王者は竜だ。


 そんなもの、頭ではとっくに理解していたつもりだったけれど。

 憧れるとか怯えるとか、妬むとかそんな感情の一片すら沸きようがない。

 ただ、その竜の視点を自分も体験できていることがなによりも嬉しくて、子どものように胸が躍った。


「ははっ。すごい……!」

「すごいでしょ!」

「うん。すごい、です」


 自分の貧相な語彙が情けないが、それ以上は言葉になりようがない。


「空を飛ぶのは好き。もう少しこの世界が広ければもっといいんだけどねー」


 ストロフライがいった。


 今の高さがどれくらいなのか俺にはわからないが、きっと俺の大きさなどこの下の光景の一点にすら劣るだろう。

 だが、そんな計り知れない世界を見おろして「小さい」といってのける竜の気持ちさえ、わかってしまうようだった。


 竜は強い。誇り高く、何者にも伏さない。


 けれど。

 そんな彼らだって何物からも自由というわけではない。


「……ストロフライ」


 呼び方を改めた問いかけに、ストロフライはそれを怒らなかった。


「なあに?」

「ストロフライは、自分の家が嫌いなのか?」

「嫌いだよー」


 返答。

 すぐに言葉が続いた。


「でもね、大っ嫌いだけど、大っ嫌いなだけじゃないよ」


 矛盾した答えに、それだけで俺は納得できた気分で口をつぐんだ。


 よかった、と心の底から思う。

 嫌いなら全てを壊せてしまえる力を持っているのに壊さないのは、ストロフライがちゃんとわかっているからだろう。


 だったら、ストロフライが魔王になんかなるわけがない。


「みんながあたしにどうして欲しいかってのはわかるんだ。なにを怖がってるのかってのも」


 心を読んだようにストロフライがいう。


「でも、あたしはお母さんじゃないし、この世界でもないし。あたしはあたしだもん。そりゃあたしにケンカうってきたら、世界とだってケンカしちゃうけどねー」


 もし。彼女が彼女の母親のように、なにかの箍が外れてしまったら?

 そのときは、いさめるのではない。

 止められるはずもない。


 ただ、一瞬で殺されるその直前まで、間違っているといってやろう。

 ――俺はこの奔放で無茶苦茶なヤクザ竜の手下なのだから。


「それに、あたしまだ若いんだよー? やりたいこといっぱいあるんだから!」

「たとえば?」

「恋とかっ」


 なんとも一般的なものを持ち出されて、答えに詰まった。

 沈黙しているわけにもいかないと思い、


「ちなみに、相手の条件は」

「んー。あたしくらい強いこと?」


 無理です。

 絶対に無理です。


 喉元まであがりかけた言葉を飲み下していると、ストロフライが意味深に笑った。


「マギちゃん」

「はい?」

「あたし別に、相手が竜じゃなくてもいいよー?」


 俺は答えなかった。答えようがない。


「マギちゃんがあたしくらい強くなったら、いつでもあたしに乗らせてあげるよっ。この姿でも、精霊形のときもっ」


 ますます答えようのないことをいってくる相手に、俺は口を開けて。閉じた。


「……努力します」

「あははっ。うん、頑張れ!」


 人と竜なんか比較になるわけがないのだけれど。


「そんなことないよ。一日一歩でも進んでいけば、千年もたてば最強にだってなるさー!」


 時間の単位からして桁が違う。

 俺は苦笑いで、だけどそれをストロフライに突っ込む気にはなれず。


「そうですね。……そうなれるといいなぁ」


 百年もたたずに死んでしまうとしたって、その目線だけは千年の頂を見つめていてもいいのだろうかと。

 才能もないちっぽけな身で、そんな大それたことを考えてしまう。


 目の前には遥かなる大空。

 背中に置いてきた太陽の光が変遷し、世界を一色に照らす。


 黄金色の世界を、竜とともに帰還した。


                                               4.9章 おわり

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