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三話 世界最悪の親子喧嘩

 目を開けると、視界が低かった。


 ――あれ、と思考する時間がやけに遅い。

 朝、目覚めたばかりみたいに鈍い感覚。おろしたての服を着てるような奇妙なぎこちなさを全身におぼえて、目を落として。


 すぐそこの地面が真っ赤に染まっていた。

 え、と思ってから気づく。

 赤いのは地面ばかりじゃなく。手も足も、身体中そうだった。


 ……お?


「マギちゃん、だいじょぶ?」

「――う、ぇ……?」


 まわらない舌に相手の名前をのせられない、俺を見おろしたストロフライが、


「あ、そのままでいいよー。動かないで、下みないようにね。そういうのって、あんまり見てて気分いいものじゃないんでしょ?」


 状況を把握できない俺に語りかけてから、すっと視線を細めて遠くを睨みつける。


「あたしのマギちゃんに、なにしてくれるわけ?」


 言葉が向けられた先では、傲然とたった厳しい見かけの中年男が獰猛な唸り声をあげていた。


「……あたしの、だ?」

「そうだよ。あたしのマギちゃん。文句ある?」

「大アリじゃ、こんボケがァ!」


 雷みたいな怒声がとどろいた。


 ふっと意識が遠くなって、すぐに戻る。

 俺の額に手を置いたストロフライが、もう片手で自分の耳をふさいでいて、


「うるっさいなあ。大声ださないでよねー」

「これが大声ださずにいられるか! なぁにがあたしのじゃあ!」

「そんな変な声でいってないし。似てないし」

「別に似せとらんわ!」


 くわっとまなじりを見開いた一喝は恐ろしいほどだったが、声の衝撃はさっきより少なくなっているのはストロフライの加護だろう。

 ……単純に俺の耳がおかしくなっているだけかもしれない。


「竜が! 人間を!? 冗談にしても笑えんわ!」

「冗談じゃないっていってるでしょ」


 不機嫌そうにストロフライ。


「いわれたとおり、ちゃんと連れてきたんだから。これであたしが地上にいること、認めてよね」

「だぁれが認めるかああああ!」


 爆発した。

 言葉の比喩でもなんでもなく、なんかもうわからんけどなにかが弾けた。


 激昂する男を中心に膨れ上がり、光や音や衝撃が跳ね回る。触れただけで即死だと見ただけでわかる破壊の衝動はストロフライの手前ですべて遮断され、


「お、おやっさん、落ち着いてくだせえ!」

「こんなところで暴れられちゃあ家が崩れっちまいます!」


 中年男にわらわらと群がろうとする黒服たちが紙のように吹き飛ばされている。びたん、と壁に叩きつけられ、それでもへこたれず立ち向かっていく姿がちょっとしたコントだった。


 周囲の声を無視して、破壊の権化と化した男がぎろりとストロフライを睨みつけ、


「絶対に許さぁん! ヴァージニア、お前はもう地上にはいかせん! 外出禁止じゃあ!」


 びしりと指を突きつける。


「ばっかみたい。自分からいいだしといて、それ?」


 ざわり、と肌に触れる不吉さが倍増した。

 目の前にたつ小柄な少女の全身から殺気としか表現できないなにかがたちのぼる。


「お嬢! 落ち着いてください、お嬢おおおおおお!」


 あわてて今度はストロフライを制止しようと駆け寄ってきた黒服の男たちが、ストロフライに触れることすらできず跳ね返され、ありえない速度できりもみしながら空中を転がっていく。


 そのまま天井にぶつかり、頭からめりこんで。

 ずどんずどんとリズムよく、次々に並んで突き刺さっていった。


「お嬢をとめろー! おやっさんもだー!」


 わらわらと二人に向かい、なすすべもなく弾き飛ばされていく。

 壁に貼りつけられ、天上に突き刺さるシュールすぎる絶望光景。あまりに前衛的なそのオブジェ群を見上げて、絶句して。


 ――まったくの唐突に俺は理解した。

 これは世界の終わりなのだと。


 今、俺の目の前で起きているものがなんなのか。

 これまでの経緯と洞窟を出る前のストロフライの台詞を思い出して考えれば、きっとあの怖すぎる顔の男はストロフライの父親で。


 つまりこれは父と娘のケンカに他ならない。

 ようするに、竜の親子喧嘩でこれから世界は滅ぶのだ。


「もうやだこの世界」


 さめざめと泣くことしかできない。それに呼応するように、


「まったくです」


 ため息のような声が響いた。


「親父。お嬢も。客人の手前で恥ィさらしてどうすんですか」


 破壊のなにかを撒き散らす二人のあいだにゆっくりとはいったのは、黒髪をオールバックに流した怜悧な表情の男だった。


「む」


 ストロフライ父が顔をしかめ、ストロフライも無言のまま眉をひそめる。


「親父。お嬢は親父のいわれたとおり、ご自分の理由をお連れになったんです。それを許す許さないはともかく、まったく話を聞かないってんじゃ、そりゃ筋が違うでしょう」 

「そりゃあ、……そうだが」


 ひどく目つきの鋭い男は静かに一方をさとし、


「お嬢。お嬢も売り言葉に買い言葉でことをややこしくせんでください。理由ってのは、相手に認められてこそのもん。喧嘩のダシにするならそれこそ外に転がってる石ころでもかまわなくなっちまう。違いますか?」

「……そうだね。ごめん」


 おお、あの二人がひきさがってる。

 というかストロフライが誰かに謝ってるところなんかはじめて見た。


 ちょっとした感動をおぼえているところに、その若い見かけの男がこちらを見おろして、


「客人、失礼しました。お見苦しいとこをお見せしちまって申し訳ない」

「あ。いえ、」


 感謝の言葉が途中でつまる。

 俺を見る男の眼差しはよく感情が抑えられていたが、深い水底だからこそ表面は落ち着いて流れてみえる、そんな気配だった。


「――お嬢。そちらの方について我々にご紹介いただけますか」

「いいよ」


 少なくともこちらに対して好意を抱いてはいない、若い男の言葉にストロフライがうなずく。


「このヒトが、マギちゃん。あたしが下で住んでる山の近くに住んでる人間の魔法使い」

「その方が、お嬢が地上にとどまっておられる大事な理由なんですかい?」

「そうだよ」


 ぎり、と空間がきしむような音は、ストロフライの紹介を聞くその父が歯をこすりあわせて響かせているものだった。


 とても正視できない表情で、こっちを見ているのがわかる。

 怒りに歪みまくった顔。そのしたで噛みしめられている苦虫はこの場合、もちろん俺だろう。


 それにしても――理由?

 地上にいられる。地上にいることについて文句をいわれているというようなことを、ストロフライもいっていた。


 いったいどういう意味だろう、と相変わらず事情がわからない俺にわざわざ説明してくれる相手はいない。


 小さく息を吐いたオールバックの男が、


「ともあれ、客人には違いません。親父、わざわざこんなとこまで来てもらった相手を歓待しないわけにもいかんでしょう」

「てめえ! なにいいだしやがる!」

「別にあたしはそんなのいらないけどね。帰れっていうならすぐに帰るし」


 またため息。


「ですから、それじゃあ話が進まないでしょうが。どっちもいい加減にしてくださいよ」


 むう、と竜の親子が黙る。


「客人には一晩、泊まっていただきます。もちろんお嬢も。それでよろしいですね?」

「……勝手にしろ」

「……わかった」


 渋々とうなずく両者。


 ――いや、全然よくないんですけど。


 内心で全力でいいながら、そんな俺の自由意志が確かめられることなんて、もちろんあるわけがないのだった。



 見たことない様式の建物。

 ばかみたいにでかい室内。

 植物を編みこんだようなきめ細かい模様の床に直接座り、整列してずらりと並ぶ前にそれぞれ脚つきのお盆のうえに細々とした食べ物らしきものが飾るように置かれている。


「それでは、お嬢のお連れしたただの人間、マギさんのご来を祝して――」


 オールバックの男が、ひらべったい陶器のコップを掲げた。


「乾杯」


 それに応える声はない。

 誰もが無言のまま、手にもったコップをあおった。


 重苦しい空気のなか、俺もとりあえず目の前のコップに手をつけないわけにもいかず、透明な液体を恐る恐る口にふくんで、


「ふぐわっ!」


 吐き出した。


 熱! てか、痛!

 それがアルコールの類らしいというのは匂いでわかったが、これはもう酒じゃない。毒だ。


 げほげほと涙を流して咳き込んでいると、


「あっはははは。マギちゃんはもう、しょうがないなー」


 隣に座るストロフライがおかしそうに背中をさすってくれる。


「まあ竜の飲み物だもんねー。あたしの飲む? これならお酒じゃないからだいじょぶだよ。そっちはあたしが飲むし」


 機嫌よさそうに、自分の飲み物と交換してくれた。


「お嬢。お嬢も、酒は――」


 近くに座ったオールバックの男が眉をひそめるのに、


「だぁいじょうぶだって。もうあたしも子どもじゃないんだからっ」


 その一言で、部屋にいる全員の表情がびしりとひきつったのが俺にはわかったが、もっと恐ろしいのはストロフライの向こう側に座っているはずの人物から、ほとんど殺気のような激しい気配がこちらにむかっていることだった。


 ストロフライもそれに気づいていないはずがなかったが、むしろ上機嫌そうに、


「あ。意外とお酒も美味しいね。えへへー、やっぱりマギちゃんが一緒だからかなー」


 びしりびしりとその場の空気が凍っていく。


 居並ぶ一同から極寒の視線を叩きつけられ、隣の隣からは物理的な重さをともなった気配を送り込まれ、食が進むはずがなかった。

 というか、食器も用意された食物も初めて見るようなものばかりで、どうやって手をつければいいかわからない。


 ただストロフライから手渡されたコップをちびちびとやっていると、


「――客人」


 ストロフライの隣に座っている人物が、のそりと立ち上がった。


「は、はいっ?」


 対面にどすんと座り込み、据わった目つきが俺を見る。


「飲め」


 突き出されたのは、両手でかかえるような平たいコップ。


「いや、でも……」

「儂の酒が飲めんってか?」

「喜んでいただきます!」


 飲めない=死だと理解して、俺は泣き顔で受け取った。

 なみなみと注がれたそれはさっき俺が口にしたもの。


 ――飲めるわけねえ!


 ちらりと隣を見ると、酒のせいかほんのり頬を上気させたストロフライがこっちを見ていた。


 止める気配はない。

 つまり、やれということだ。


 なんでこんなことになったのだろうともう何度目になるかわからない泣き言をうめきつつ、俺は覚悟を決めて。

 一気にあおる。


 そして、


「ぶふわあ!」


 思いっきり吹き出した。

 ――厳しい、目の前の岩のような顔面に向けて。


「あっははははははははは!」


 ストロフライが指をさして笑った。


「マギちゃん! サイコー!」


 お腹をかかえて笑う娘に、びしょ濡れになったストロフライ父が無言で顔を拭いて、


「……人間にしてはいい度胸じゃのぅ、コラ」


 違います。心の底から、違います。

 ふるふると首を振って、俺は声もだせない。


「なーにカッコ悪い嫌がらせしてんの。そんなのあたしが飲むし」


 隣からコップを奪ったストロフライが軽々とそれを飲み干して、


「おかわりー! ……これでいい? マギちゃんができないことはねー、あたしがやるから。あたしのマギちゃんだもんねー」


 ねー、とそんな可愛い顔でいわれても困る。

 手下から布巾を受け取って顔を拭いている、ストロフライ父の肩がぶるぶると震えだしていた。


 ヤバイ。

 またさっきの続きか、と今度こそ人生の終わりを覚悟していると、


「儂は、わっしは悲しい……!」


 布巾から持ち上げた顔は、男泣きに泣いていた。


「ずっと男手一つで、大事に大事に育て上げた一粒種が……! それがこんなしょーもない人間のカス野郎に手篭めにされて! 儂ゃ、悲しゅうて、悔しゅうて……!」


『おやっさん……!』


 男親の悲哀に共感して、部屋にいる他一同がもらい泣きしていた。

 なんだか自分がひどい間男にでもなったような気分でいると、


「なにいってんだか。泣かないでよね、うっとうしー」


 そんな親心など知ったことかとストロフライは呆れ顔だった。


「あたし、手篭めになんかされてないし」

「お前の大事なヒトなんじゃろうが!」


 泣きながら怒った顔で俺を見る。


「そうだよ」


 ストロフライはあっさりとうなずいて、


「マギちゃんはー、あたしの大事な家来! あたしがいなかったら、すぐいじめられちゃうんだもん。これからも守ってあげないといけないよねー」


 にこにこと、あどけない言葉を聞き届けて。

 室内で涙にくれていた男たちの表情が固まった。


「……家来?」


 男くさい顔でぱちくりとする自分の親に、


「そうだよ」

「大事な、家来?」

「そうだってば」


 沈黙。


 ああ、そういうことか、と俺はむしろ納得した気分だったのだが、他にとってはそういうわけにもいかなかったらしい。


 すっきりと険のとれたストロフライ父と目があった。


 にっこりととてもいい顔で微笑まれて。

 とりあえず俺も笑いかえしてみたら、


「まぎらわしいんじゃ、このニンカスがああああああああああ!」


 怒りはなぜかこっちに向けられた。


 振るわれる鉄拳に気持ちよく吹き飛ばされながら感じたのは、さっきもあった既視感。

 つまり、俺がこんなふうに死ぬのははじめてなんかじゃないらしかった。



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