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二話 伝説の在り処、神話の在り様

 竜。翼をはばたかせれば空を裂き、一声で山を砕き、その爪は大地や海を容易く割ってしまう。

 暴虐無頼の生きた天災。


 その圧倒的な存在に関する逸話は、いくつものおとぎ話に残るとんでもなく嘘っぽいものから、実際それが嘘でもおおげさでもなんでもなくてただのつつましい実話にすぎないのだという数々の証拠、証人も含めて世界中にたくさんある。


 一方で、彼らの生態についてはほとんど知られていない。

 竜はあまりに強すぎて、対等に近い立場で接することのできる存在がいないからだ。


 考えてみるといい。

 この世界をかたちづくる重要な要素であり、基本的な生命である精霊。それすら歯牙にもかけないそんなでたらめな連中の実態なんて、いったいどうやって調査しろというのか。


 だから、その社会性や文化様式、集団やその最小単位としての家族の在り方などについてはほとんど未知のまま、それが彼らの神秘性をいっそう強める結果になっていた。

 彼らが世界のどこに棲んでいるのかについてさえ、万人に認められた説は存在しない。


 ある伝説は彼らは世界のどこか、人の身では到達できない峻険な山々の奥深くに群れをつくっているといい、ある学者は彼らは個としてすでに完成されていて巣や群れという概念を必要とせず、住処という形で一所に留まることさえ稀なのだと力説した。


 世界的に有名な冒険者は自分は雲のうえ、浮かぶ大陸にある忘れ去られた文明遺産のなかで平和的に暮らす竜たちと語らったと謳い、酔っ払いの爺さんはなじみの酒場で竜ならわしの家の納屋で寝ているよと今夜もうそぶいている。


 噂が噂を呼び、伝説が伝説をつくりだし。

 もはや竜という言葉は一個の生物という枠を超えてしまっている感すらあった。


 世界の謎。力への羨望と恐怖。圧倒的な上位者に対する神性。それらをひとまとめにした概念。それが「竜」だ。


 もし、誰か竜の生態を調べ上げることに成功し、それを著作にまとめれば、その功績は未来永劫にこの世界史に残されることになるだろう。


 そして、そんなことができるかもしれないという立場に、幸か不幸か立たされてしまっているのが――辺境の洞窟でこそこそと生きてきた一介の小物な魔法使い。


 つまり俺だった。



 自分の専門分野であるかどうかなど無関係に、学問と研究の道に少しでも足を踏み入れた者ならば、竜の住処にいけるといわれて心を震わせずにいられるわけがない。


 知的好奇心、探究心に囚われた相手であればあるほどそうだ。

 たとえば俺がアカデミーで世話になったマッドな恩師なら、命を差し出してでもいいから今の俺の立場と替わってくれと懇願してくるだろう。


 そんな突然の強運、いや凶運に、しかし好奇心や探究心はあっても自分の命のほうがはるかに大事という凡俗な輩でしかない俺の心は燃え上がるどころか冷え冷えと凍りついていて、それは内心だけでなくて全身がそうだった。


「寒い……苦シい……息。イキ、したい――生きタイ……」


 いったい、今どれほどの高さに舞い上がってしまっているのか。


 猛スピードで空を駆ける上空の世界。

 そんなところで、竜に比べれば紙にも満たない貧弱な身体能力しかない人間種族なんて、ものの数秒も耐えられるはずがない。


 俺がかろうじて生を繋いでいられるのはストロフライが加護を与えてくれているからだが、それもどうにも細かい加減が面倒らしく、本当にかろうじて死なないくらいの状況で放っておかれている。


 気分はほとんど雪山で遭難しているようなもので、意識が落ちたらそれまでだと本能レベルで感じ取っていた。

 叩きつけられる強風にほとんど目もあけられず、人の身で拝むことのできない爽快な光景を楽しむなんてもってのほかで、ただひたすらに拷問のような時間が終わってくれるのを待つ。


 しまいには辛いのも寒いのも忘れて、うとうととしてしまい。

 ああ、これはヤバイ。

 ……だけど。どうだろう。――もういいんじゃないかな。俺、頑張ったんじゃないかなぁと甘美な誘惑に負けてしまいそうになりかけていたところに、声が響いた。


「――マギちゃん? マーギちゃんっ。着いたよ」


 気づくと、風の音も肌を刺す寒さもぴたりと消え。

 さっきまでの息苦しさもなくなって、逆にその静けさが響くように耳がじんじんと痛い。


「あはっ。マギちゃん、凍ってる! 凍っちゃってるよ!」


 いつのまにか人型になっているストロフライが、俺の顔に張りついた氷を軽くはたいて取り払ってくれていた。


「ここ、は……」


 ひりついた喉を動かす。

 いったいどれほどの時間、距離を費やしたのかわからない果てに訪れたその目的地。


 伝説と神秘に彩られた“竜の住処”。

 そこにあるものは――いたって普通の光景だった。


 別に天をつんざく針の山がそびえるわけでも、塔の如く樹林が生い茂るわけでもなく、真っ赤に彩られた空が広がるわけでもない。


 普通の山や空。温暖な気候。

 足元に芝生があれば日向ぼっこをしてそのまま一日を過ごしてしまいたくなりそうな、そんな穏やかな気配が満ちた大気。


 集落などの姿はなく、ただあるがままに自然の光景が広がっている。

 マグマが沸き立ち、空は曇天の雲で覆われて。などという光景を期待していたわけではなかったけれど、目の前にあるそれはあまりに予想外すぎて、奇妙だった。


 夢でも見てるんじゃないかと思うくらい、現実感がない。

 こんなところに、本当にあの竜族が棲んでいるというのだろうか。


「よし! 綺麗になったっ」


 全身の氷を落としてくれた竜の少女が、


「それじゃ、いこっか。もうすぐそこだからー」

「あ、はい」


 見知らぬ土地で一人こんなところにおいていかれるわけにはいかない。

 慣れた感じで先を歩く相手をあわてて追いかけながら、


「あの。ストロフライさん、」

「ジニー」


 人型の姿ではこちらの肩にも届かないくらい小柄な少女がいった。


「は?」

「あたしのことはこれから、ジニーって呼ぶこと。ヴァージニアでもおっけ!」


 ストロフライ・ヴァージニア・ウィルダーテステ。

 それが彼女の名前であることは知っていたから、俺が絶句してしまったのはそんなことではなくて、


「いや、それは、さすがに」


 竜を呼び捨てになんてできるわけがない。

 前に洞窟の地下でストロフライ、なんて口走ったのだって、我ながら頭がおかしくなっていたとしか思えない。


 実際あの後、呼び捨てにした相手から笑顔のままぶち殺される夢を何晩にわたって見てうなされ続けた俺だった。


「あたしがいいっていってるんだから、問題なしっ。ほら、練習しよ。いってみ? ジニー。それか、ヴァージニア。優しい感じでね」


 にっこりと笑顔の強制。


「じ、じ――」


 追い詰められた俺が搾り出したのは、


「じ?」

「じぃにぃ」


 ゾンビがもだえるような声にしかならなかった。


「しっかく! 次、ヴァージニア。さん、はいっ」

「ヴぁーじにあ……?」

「さんかく! もう一回。はい、ジニーっ」

「ジニィっ」

「惜しい! もっと愛を込めてー!」


 即席の呼び方特訓が始まった。


 ◇


 ようやく一応の合格をもらった頃にはもう俺の精神はげっそりと消耗しきっていて、


「もう帰ってもいいデスか……」

「ダメに決まってるでしょー」


 わかってた。

 にこにこと機嫌良さそうに歩くストロフライがいう。


「大丈夫だってば。マギちゃんは一緒にいてくれたらいいんだからっ。あ、一応、ブロックはかけとくけどさ、考えることは気をつけてね。強く意識しすぎたら、漏れちゃうかもだから」


 漏れる?


 俺の疑問の表情を見て、


「そ。せっかく、スラ子ちゃんにはついてきてもらうの我慢してもらったんだもん。バレちゃったら意味ないでしょ?」


 そういえば、と俺が出かける前に浮かない顔をしていたスラ子のことを思い出す。


 いくら相手がストロフライとはいえ、あのスラ子が俺が連れ去られるのを黙って見送っていたのは確かにらしくなかった。引き止めるのは無理でも、自分も同行しますくらいはいってもおかしくない。


 それをしなかった、させなかった理由があったとして、


「スラ子ちゃんのこと、絶対いい顔されないからねー」


 湖の水精霊や口の悪いエルフが脳裏に浮かんだ。

 彼女たちの感情、表情。こちらに叩きつけられた言葉を思い出す。


「それって、どういう――」


 俺がさらに詳しい話を聞こうとしたところに、


「あ、着いた」


 声に反応してちらりと前方を見て。俺は絶句した。


 しばらく前から視界に近かった山の麓、その岩肌にぽっかりと巨大な横穴があいている。

 竜の体長を考えれば、見上げれば首が痛くなるその大きさはむしろ当然のものだとして、俺が声をうしなったのはそのことについてではなく。


 その穴の左右にずらりと並ぶ人々の存在だった。

 見たこともない、いかにも着苦しそうな黒い衣装をまとった男たちが、何十人。いやもっといる。


 びしりと姿勢よく、全員がわずかな差もなく統一された角度で頭をさげていて、それが向けられているのはたった一人、



『お帰りなさいませ、お嬢!』



 ――帰りたい。

 わけもわからず、切実にそう思った。



「ん、ただいま」


 大勢にかしずかれるようにして、ストロフライは頭をさげたまま微動だにしない男たちのあいだを歩いていく。


 なんだこれは。俺はいまからどんな魔境に向かおうとしてるんだ。

 現状の意味不明さにほとんど泣きそうになりながら、俺は迷子になるのだけは勘弁とストロフライを追いかけて、


「あの、ストロ――」


 じろりとにらまれる。


「ねえジニー!」

「なあに、マギちゃんっ」


 ざわり。

 周囲の空気がざわめいた。


 なんだなんだ、なんなんだ?

 左右に整列する男たち、頭をさげたままの男の一人と横目があう。


 ――余裕で人を殺せそうな目つきだった。


「……こ、この人たちって。全員?」

「うん。竜だよー」


 百近くの竜。

 ぐらりと頭が揺れる。卒倒しそうだ。


「でもどうして、わざわざ人型なんか」


 とりあえず一番差しさわりのなさそうな疑問がそれだった。

 ストロフライもだが、自分たちの住まいでわざわざ元の姿から変化して過ごす理由なんてないはずだ。


「なんだかんだいって、精霊形が楽だからね。この世界って色々もろいから」


 精霊形。

 人型だなんて自分たちを中心において人間はいっているが、そもそも人間の外見も「精霊の似姿」なのだ。


 この世界を創った精霊たちの容姿こそがこの世界での基本であり、だからこそ魔物にもそれに近しい姿の生き物は大勢いる。妖精やマーメイドがそうだ。


 もちろん、なかには獣や鳥など、それとまったく異なる外見をしているものも少なくない。これはリザードマンたちなんかが該当するだろう。


 竜が、精霊の姿に準じるというのは普通に意外だった。

 竜は誇りある生き物で、自分たちの容姿にも相当のプライドがあると思っていた。


 その一方、なんとなくわかるような気もしてしまうのは、竜がけっこうおおらかというか、適当な気質も多分にある生き物らしいと、隣を歩く少女との関わりのなかで知っていたからだ。


「元の姿でずっと過ごしてる人たちもいるよっ。あたしの家じゃ、こうってだけ」


 家。

 つまり、この居並ぶ大勢が全て家族なのか?


「そだねー。住みこみだし。どっちかっていうと、……組?」


 組ってなんですかと声に出す前に、


「ヴァージニアあああ!」


 鼓膜を吹き飛ばすような大声がとどろいた。


 奥に目をやると、深く続く一本廊下の向こうにたたずむ一人の姿。

 人型にあってなお巨体。締め付けの緩そうなオリエントな衣服に包まれた体躯は筋骨隆々として、その肩のうえに乗っているのは野性味あふれた岩みたいに厳しい顔つき。刈り込まれた髪、ごつい眉、目。鼻、口。


 正直、山賊かなにか以外には見えません。怖すぎます。


「やぁっと帰ったンか、ヴァージニア!」

「帰ったよ」


 答えるストロフライの声はわずかに不機嫌そうで。

 俺の手をとってそちらに向かって歩き出しながら、


「大声出さないでってば。お客様に迷惑でしょ」


 まだ遠くにいる相手の視線が、ぎろりと俺を見た気がした。


「……そいつが、例のヤツか?」

「そう。――あたしの、大事なヒト」


 ざわざわざわざわざわ!


 一斉にどよめきが起こる。


 頭をさげた男たちが驚きの表情で顔をあげ、隣とささやきあっている。

 俺に向けられた視線は興味、敵意。それから――殺意?


「じ、ジニー? これはいったい、大事なって……」

「黙って。マギちゃん、一歩も離れちゃダメだよ」


 ぶるぶると震えて隣の少女にすがりつく、そんな俺のへたれた格好を見た遠くの相手がぴくりと動きを止めて。

 その全身がわななきだす。


「じにィ。だァ……?」


 どすん、と一歩を踏み出した。

 竜の重量そのままに大地を踏みしめた振動が周囲を揺らして、


「お、落ち着いてくだせえ!」

「まずは話から! お嬢の話から聞きやしょう!」

「じゃっかあしいわボケぇ!」


 制止しようと周囲から飛びかかる男たちを吹き飛ばし、さらに一歩。


 どぉんッと。

 その一踏みに、世界がおののいた。


「ヴァージニア。この、この――」


 憤怒の表情でにらみつける相手の眼差しを受けて、ストロフライはまったく退くことなく平然と、


「そっちが連れて来いっていうから、連れてきたんでしょ」

「こんの……ドラ娘がああああああああああああ!」


 その時点で俺は考えることを放棄して、もうどうにでもなれと忘我の極致にいたっていて。


 ドラゴンだからドラ娘かあ。

 ははっ。竜っておもしろいなー、楽しいなー。


 現実逃避気味のお花畑のなかで突風が巻きおこり、次の瞬間、意識もろとも吹き飛ばされた。



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