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一話 黄金竜の頼みごと

 竜の躯騒ぎに一応の決着がついてから一月近くが経った。


 メジハの町に降って湧いたお祭り騒ぎもいくらか静まり、町にたむろっていた冒険者連中も方々へ散り始めて、最近では少しずつ近隣にも以前の落ち着きが戻りだしていた。


 町近くの洞窟に住む俺たちにとっては待ち望んだ平穏だが、今までそれをじっと待っていられたわけではない。

 森の奥に生屍竜が現れ、討伐されたという報はすぐに各地に知らされ、それは大勢をメジハに呼び込むことになった。


 なにしろおとぎ話の竜殺しが起こったのだ。


 その実際の戦闘があった場所や、その跡地だけでも一目見たいという人間はたくさんいて、そういう観光気分の連中にまじって、あわよくば“竜”を使って金儲けをできないかという輩も無数にいた。


 程なくしてメジハの町で売られだした竜饅頭や竜布巾。

 そんな程度ならまだ可愛い。

 メジハのあちこちで売られるそうした品々には全てルクレティアが如才なく目を光らせていて、ライセンス料をきっちりと巻きあげていたからだ。


 当然のこと、露天にまぎれて勝手に商売をするモグリ連中も後を絶たなかったが、ルクレティアはそれをあえて泳がし、ある程度稼がせたところで儲けを根こそぎ没収するというようなあくどいこともやっていたので、ひどいのはどっちもどっちだった。


 商売人側のほうでも心得たもので、町の顔役連中に黄金色のお菓子を送ったりしてまでこの竜特需にあやかろうとしていて、ルクレティアはそれについても十分に活用していた。


「清すぎる流れに魚は棲まないといいますが、泥のなかにいる何者かをしっかり確認できるほうが、この際は後のためになるでしょうね」


 と澄ました顔で金髪の令嬢はいった。


 つまりルクレティアは、そそのかされた町側の小悪党が商人と結託して小銭を懐に収めるのを見逃し、裏金や賄賂などの存在を把握しておくことで、近い将来、自分が町で権力を握ろうとする際に邪魔がはいったとき、切り札となるカードを手に入れようとしていたのだ。


 町長の孫であり、顔役の一人でもあるという表と裏の顔を他にも見事に使い分けて、ルクレティアは来るべき時に向けて自身の地盤を固めつつあった。

 そのあたりの町でのどろどろしたやりとり、権謀術数食らえや毒饅頭といったあれこれの行動については俺は全くのノータッチで、というか頼まれたって触りたくもない。


 かわりに、俺たちは町の外で活動していた。

 この機に乗じて金儲けを企もうという連中が蠢動するのは町中だけではないからだ。


 竜に関わるものは、それがなんであれ金儲けに結びつく。

 竜の躯は、それが武具や防具に利用できる素材になるようなものであればそれこそ天上の値段で取引されるが、そうでない場合だってまったくの価値がないわけではない。


 それがたとえ食べられもしないただの石ころでも、「これは珍しいものだ」といわれたら欲しがる人間はいるのだ。特に金に困っていない富裕層に。

 竜“詐欺”商法はしばらくこの地域全体を騒がせることになるだろうが、もちろんそうした商いにも本物を用意できればそれが一番いい。


 というわけで、ばらばらに砕け散った生屍竜、その墓場を目指して森へ忍び込む冒険者がべらぼうに増えた。


 そんな連中がもちろん森への配慮なんかするわけがない。

 俺たちは妖精族と一緒にそいつらを追い出しにかかり、そのあいだに「竜殺しの勇者」ジクバール一行がギーツに帰還。彼らは領主から賞賛と褒美を与えられ、同時に領主から「誇りある竜の死を無闇に商いにて穢すべからず」とのお触れがでたことでやっと状況は一段落を見せた。


 森に忍び込もうとする連中はまだしばらく続くだろうが、それも常に緊急態勢で構えていなければならないような破格の忙しさからは解放され。

 ある意味で、俺たちにとっての竜騒動は、最近ようやくにして終わりを迎えようとしていたのだった。



 そんな日々で忙しくしながら、俺はふとした疑問をおぼえていた。


 ひとつは、洞窟の上に住む黄金竜ストロフライ。

 そろそろ月に一度のみかじめの時期だというのに、やってこない。


 それどころか最近では山の上を飛びまわる姿を見かけることもなく、じっとねぐらにこもっているような性格でもなかったから、これは単純に不在なのだろうと思われた。


 まあ、先月は色々と何度も顔をあわすことがあったし、だいたい、長命すぎる竜は時間感覚が適当すぎるほどに適当だ。

 今までだって日にちどおりに顔を出すほうが稀だったのだから、特に気にすることではないのかもしれない。


 そして、もうひとつは手紙。

 昔、世話になった魔物アカデミーの恩師に出した手紙の返事がまだ届かない。


 これはどう考えてもおかしかった。

 アカデミーのある場所はここから遠いが、それでも普通なら二週間も前には届いていたっていいくらいだ。


 ただ、その恩師というのがかなり変わった性格の人で、返事を出すのをすっかり忘れてしまっているという恐れもあるにはある。

 しかし、その両者に共通するエキドナという存在を考えれば、どうも嫌な予感がしてしまう。


 アカデミーの査察員で、自分のためにストロフライを利用しようと考えている――そう思われる、ラミア族の美女。

 ストロフライの不在にあの女が関わっているとは思わないが、手紙が返ってこないことのほうについてはその可能性は十分ある。


 なにしろ、俺が手紙の内容で書いていたのは、まさにエキドナについてだったのだから。


 ――どうする。

 少し洞窟をあけることになるが、やはりアカデミーに直接向かうしかないか。


 返事がない以上、取れる手段としてはそれしかない。

 だがアカデミー所在地への行程は今までの遠出とは比べ物にならないほど長距離だ。


 竜騒動の後片付けにある程度の目処がつくまでは動きようがない。

 それが現状だったし、その二点については常に頭のなかに考えてはいたものの、目先の忙しさがそれ以上の行動を許してはくれなかった。


 それもようやく落ち着いてきたのだから、次の動きを考えないといけない。

 事件は、そうした頃合をまるで見計らったように訪れた。


 ◇


「お茶がはいりましたぜー」


 その日は森への侵入者の影もなく、久々に俺たちは朝からのんびりとした時間を過ごしていた。

 長椅子にだらりと横たわってぐうたらしていたところへ、我が家のお茶淹れ担当のスケルから声がかかる。


「“竜ごろティー”っすよー」

「おー」


 俺のうえで揃ってうたた寝しているシィとドラ子を起こさないよう、上半身を起こす。


「熱いっすー。火ぃ吹くっすー」

「おー」


 ひとすすりしたそれは、いつもの茶葉と変わらない。

 淹れかたも特にこだわりが感じ取れるわけでもなく、適度に美味く、適度に雑。ようするにいつもどおりのスケルのお茶だったが、


「むっ……」


 俺はわざとらしくしかめっ面をつくってみせた。


「どうかしましたか、ご主人」


 示し合わしたように真顔になるスケル。

 俺はきらりとした目で白色の少女を見て、


「これは――竜、してるな」

「さっすがっ。味わいのわかる男は違いますね~」

「まあなー、ちょっとわかっちゃうかなー」


 あっはっはー、と俺とスケルは二人で大笑い。

 いうまでもないが、完全にアホだった。 


 まあ、あれだ。

 なにせ“腐っても竜”だ。


 魔法が使えないとか、あの腐りかけた身体に残っていた能力は元の百分の一か、それとも千分の一か。

 あるいは数字にすら比較できないようなちっぽけなものであったかもしれないとしても。


 俺たちは、竜を倒したのだ。


 世に名が知られ、栄誉と報酬を受けたのがジクバールたちであっても、当人である自分たちだけは知っている。

 せめて本人たちのあいだだけでちょっと調子に乗るくらい、許してほしいという気分ではあった。


「いやあ、スケルが淹れるお茶は美味しいなあ。さすが竜殺しスケルだな~」

「いやいや、それをいうならご主人こそ。さっすが竜殺しご主人っすよ~」


 実に気持ち悪くお互いを褒め称えあっていると、


「マスター」


 部屋に戻ってきたのは半透明の質感を持った人外の美女、スラ子。


「ああ、竜殺しスラ子じゃないか。お疲れ。お茶はいってるぞー」

「あ、はい。えとですね」


 精霊に似た容姿を持つ人型のスライムは、なぜか困ったような表情で扉の前から動こうとせず、


「その、お客様が」


 客? と眉をしかめさせかけた瞬間だった。


「やっほ、マギちゃん」

「――ストロぶふぁ!」

「ふぎゃあああああああ!」


 俺は口のなかに含んであったお茶を吹き出して、それが全て対面のスケルの顔面に降りかかった。


「なな、なんすか、この仕打ち! いくらご主人からの愛情でも、こんなご褒美はちっとも求めてなんかいないっす!」

「ああ。す、すまん。それより――」


 あわててスケルの顔を拭きながら、視線を向ける。

 スラ子の後ろからひょいっと姿を見せたのは間違いなく、山頂に住む最強の黄金竜ストロフライその人だった。


「ストロフライ、サン……? いったい――オひさしぶり、デス」

「うん、おひさー。ちょっとね、今戻ってきたとこ! またすぐに出ないといけないんだけどねっ」


 にこにこといって、金色の少女は完璧に可愛らしい顔をくいっと横に傾けて、


「――竜殺しってなーに?」


 びしり、と空気が固まった。


 竜族はみな、誇り高い生き物だ。

 それがこんな下等な人間や魔物連中に、たとえ生屍竜で、たとえ他ならぬストロフライ自身が一度は殺した相手だとはいえ、手にかけられたときいていい顔をするわけがない。


 しかも、それで調子に乗ったどこぞのアホは、声を大きく「竜殺し」だのと連呼していたのだから――


 自分で自分に死刑宣告を署名した気分で、俺は人生を諦めた。


 遠くにいる父さん、母さん。先立つ不幸をお許しください。

 先生、手紙の返事はいりません。ルヴェ、できればもう一度君に会いたかった。


 スラ子、シィ、スケル。最後までダメな主でごめん。カーラ、どうか幸せになってくれ。ルクレティア、程ほどに頑張れ。婆さん。長生きしろよ――と思いつく限りの知人に感謝と惜別の思いでいるところに、


「あ、このあいだの黒いの。あれ倒したんだー。すごいじゃん!」


 思いのほか上機嫌な声が、俺の意識野に響いた。

 同類を下等生物に殺されたというのに、ストロフライは怒りの微塵も表情には見せておらず、


「なんであたしが怒らないといけないの。あんなのどうでもいいしっ」


 こちらの心を読んで当然とばかりに、そういった。


「そう、ナンですか?」

「うんうん。けど、頑張ったねー。ほとんど焼け焦げてたとは思うけど、大変だったでしょ。あたしがもっとちゃんと粉々にしとけばよかったねー」

「いえいえ、とんでもないデス!」


 あわてて手を振りながら、俺はストロフライの顔色をうかがう。

 いつもニコニコしてる――というか、ニコニコしてないストロフライに遭遇したら、まず生きてはいられない――彼女だが、今日はなんだかいつも以上に機嫌がよさそうな雰囲気だった。


 そのストロフライの隣では、なぜかスラ子が眉をひそめていて、こちらはこちらでいつも微笑んでいるのが基本スタイルだから珍しい。

 はっきりとわかりやすすぎる両者のコントラストを見比べるようにしていると、


「今日はね、マギちゃんに用があってきたの!」


 とストロフライがいった。


「用、デスか?」

「うん。おぼえてるー? マギちゃん、あたしに借りがあったでしょっ」


 もちろん、覚えてる。


 洞窟の地下。

 リザードマンたちとマーメイドたちが縄張り争いをしていたとき、突然現れたストロフライはあっさりとマーメイドたちを皆殺しにしようとして。


 彼女たちを助命してもらうかわりに、俺がだした条件。

 それが――貸しひとつ、出世払い。


 今思えば、竜を相手になにを無茶なことをと背筋を寒くするしかない、その約束事はもちろん忘れているはずもなく。

 ぞっと、寒くなった身体をさらに凍らせる認識が次ぐ。


「それは、つまり――」

「うん。約束果たしてもらおっかなーって。お願いがあるんだぁ」


 にっこりと満面の笑み。


 目の前が真っ暗になった。


 竜の頼み。

 竜に借りていた返済。

 それがいったいどれほどのものになるのか見当もつかない。


 国ひとつ、山一個の黄金?

 そんなものは竜がその気になれば簡単に手に入る。


 じゃあ、いったい。その竜からの“お願い”だなんていったいどれほどの代物なのか――


「心配しないでいいよっ。そんな大したものじゃないから!」


 といってくれるのにほんの少し期待しなかったわけではなかったが、それも続く一言に完璧に打ち砕かれた。


「一緒にね、家まで来て欲しいんだー」

「――イエ?」

「うん。家。いえー」

「い、いえー」


 とりあえず適当にノリを返しておきながら、もちろん意味がわからない。


 竜の、家?

 それはまあ、ストロフライにだって家族もいれば親もいて、実家もあるのだろうけれども。


 なんでそんなところに俺が連れて行かれることになる?


「ちょっとねー。あたしがいつまでも地上で遊んでるから、親が怒ってて。あたしだけじゃ納得してくれそうにないんだぁ」

「い、イエぃ?」

「いえい。んで、だからマギちゃんにね、こう――理由づけになって欲しいっていうか。あ、大丈夫。もし怒った親父に殺されたりしてもさ、ちゃんと生き返らせてあげるから!」


 さらりと最後につけたした台詞は、とても聞き流してはいけないはずの言葉で。

 それに応える余裕すらなく固まった俺の首根っこをひょいとストロフライが猫のように捕まえて、


「じゃ、マギちゃん借りてくね。なるべく元のまま返すから、ごめんねっ」


 とことこと歩き出す。

 ひきずられる俺。


 それを見送るスラ子たち一同は、それぞれ青くなったり、おろおろしたり、渋面だったり。

 だが、誰一人として声をあげられる者はいない。


 そりゃそうだ。

 相手は竜なのだから。

 反対なんかしたら、その瞬間に殺されてしまう。


 それはずるずると出来の悪い玩具のように引きずられる俺にしたって同じことで、


「い、いっ……」

「ん? なあに、マギちゃん」

「いええええええええ!」

「おー! テンション高いなマギちゃんっ。その意気だっ。一緒にあほ親父をぶっ倒そー!」

「いええええええええええええええ!」

「いやはー!」

「いぃええええええええええええええええええええええええ!」

「うーはー!」


 涙を流しながらの絶叫に、痛ましげに見送るスラ子たちがはらはらと手を振って応えてくれていた。



 ――そうして、俺はヤクザな竜にさらわれて。


 巨大な黄金竜の口に甘噛みされ、眼下にはるか小さくなって消えゆく全てを視界に収めながら、さきほどの続きへと戻る。


 それはつまり、感謝と惜別の儀式。

 さよならみんな――俺は多分、もう帰って来れないと思います。



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