十七話 御伽噺の魔物たちと
戦場になった開けた森の隙間からほど近い、小高い丘。
その斜面に探していた姿はあった。
銀の長髪が地面に広がり、しなやかな肢体が大きく投げ出されている。
特徴的な長い耳を持つ顔は、芝生に寝転がって草花の香りを楽しむように目を閉じていたが、
「――クソだりィ」
可憐といってもいい容姿にまるでそぐわない言葉遣いで、ぱちりと開いた瞳が俺を見上げた。
「ひっくりかえって見ても。シケた面だぜ、ボンクラ」
「上下さかさまになるくらいで見た目が良く変わるなら、ずっと逆立ちしてる」
「ハッ。くっだらねぇ……」
口元をゆがめて目を閉じる。
そのまま相手が昼寝にはいりそうだったので、
「一応、礼をいっとかないとな。助かった。ありがとう。近くにいるんだろ、シルフィリアも」
感謝の言葉を告げると、エルフはそれを鼻で笑い飛ばした。
「アホか。オレが勝手にやったことだ。感謝されるいわれはねぇし、されたくもねえ。寝言は寝ていえ。気持ち悪ィ」
「だから、勝手にいってるんだよ」
「ここですんなボケ。人間の寝言なんざ聞いたら耳が腐る」
とりつく島もない台詞に軽口で応えかけ、閉じる。
いかにも人間嫌いな雰囲気を周囲に発しているこの若いエルフが、なぜそんなに人間のことを嫌うのか。俺は知らない。
洞窟の地下で微妙な共存関係を築こうとしている二つの種族のことを思い出した。
蜥蜴人族。そして魚人族。
彼らが一日で仲良くできるわけがないのも当たり前だ。
先日までのいさかいやその因縁だけでなく、二つの種族のあいだにある溝は深くて大きい。
生態や思想嗜好。文化習慣や生き方そのものがまず違う。
人間とエルフ。
はるか昔から関わりを持つといわれている、同じ言葉を共通できる相手だってこうなのだから。
俺は、このエルフの名前さえ知らない。
「……名前」
「あァ?」
「名前、教えてくれないか」
誰が教えるかよバーカ、とか返ってくると思ったが、
「ツェツィ――、だ」
声は風に消えるくらい小さかった。
「悪い。もう一回」
「ツェツィーリャ、だ。ちゃんと聞いてろ、タコ」
険悪な口調ですごむ相手に、
「そうか。俺は、」
「聞いてねーよ」
あっさり断られてしまう。
「人間の名前なんか知りたくもねえ。用がすんだならどっかいけ。失せろ」
「……殺すんじゃなかったのか?」
別に挑発したわけではなかった。
不思議に思っただけだったが、ツェツィーリャはぎろりと殺気立つ視線になって、
「んだよ。ヤリてぇなら最初っからそういえよ」
身を起こしかけて、途中でぽすんとまた寝転がった。
「――やめた。気がノらねー」
「正直に疲れてるっていえばいいジャン」
微風が集まって人の形をなし、風の精霊がツェツィーリャにのっかるようにあらわれる。
「うっせ。あの変態野郎にいえ。さんざん人のこと弄ってくれやがって……」
なんだか気まずい話題になりそうなので、黙ってその場を離れようとすると、
「おい、ボンクラ」
声に立ち止まった。
振り返ると、寝転がったままの相手から気の抜けた声。
「あんなクソチビ一匹助けるのに必死こきやがって。意味わかんねぇ。んなボロボロになって這いずりまわるより、あいつをさっさと殺せばすむ話だっただろうがよ」
「……そういう台詞は、もうちょっと説明する努力をしてからいってくれ」
いきなり矢を射掛けられてきて、はいそうですかってうなずけるか。
「うるせ。黙って寄越してればよかったってんだ。んじゃ、てめぇは人が懇切丁寧に教えてやってたら、素直に引き渡してたってのか」
「……いや、渡さなかっただろうな」
「ほらみろ。――帰る前に、その理由だけ聞かせろ」
理由。
それはたとえば、シィがとてもドラ子と仲良さそうにしていたり、スラ子やカーラもとても可愛がっているのを見ていたり。どれだけ弱くたって、生きようとしたっていいじゃないかって思ったりとか色々ある。
だけど、きっとそのなかでも一番。強く感じていたことはそれとは別のことで。
「在ったらいけない。自然の敵。……そうなのかもしれないとしたって、でも。――生まれたんだから。生かしてやりたい」
むくりと起き上がったツェツィーリャが鋭い眼差しを向ける。
「そりゃ、あの精霊喰いのこといってんのか」
俺は無言でその問いかけに答えた。
「――ハッ。笑わせるぜ。自分のつくったオモチャを否定されたくないからって、他を巻き込んであんな命懸けたバカやったってのかよ。くだらねぇ、笑えねぇ」
「……スラ子は。俺が今こんなふうにしてるのはあいつのおかげだ。無茶ばっかりで、とんでもないやつだけど。――大事なやつなんだ」
ほんの偶然みたいな幸運の結果、スラ子が生まれてくれなかったら。
今でも俺はあの洞窟にひきこもって、スケルと二人きり、たまにダンジョンにやってくる人間たちから隠れながらビクビクして生きていただろう。
俺はあの頃からなにひとつ変わってない。
相変わらず弱っちくて、自分ひとりじゃなにもできない。雑魚のままだ。
だけど。
もしも、こんな俺でもなにか変わったことがあったとしたら――それはスラ子だ。
全部、スラ子がくれたものだ。
「スラ子は。大事なんだ」
かみしめるようにいう。
俺を睨みつけるツェツィーリャの眼差しは、ほとんど引き絞った弓矢のような鋭さで、
「――そのくだらねえ感情のせいで、全部がダメになるとしたってか?」
「……どういう意味だ?」
「知るか。甘えんな」
立ち上がる。
「やっぱりてめぇはオレの敵だ。敵に教えてやるバカがどこにいる」
銀髪のエルフはこちらを振り返らず、
「今日はナシだ。けど、絶対に殺してやる。てめぇとあいつは、オレの敵で――世界の敵だ」
寄り添った風精霊の力を受け、ふわりと身体が浮く。
「それまで精々生きてやがれ。オレが眉間に矢をくれてやるその日までな」
重さを感じさせない質量で風に乗り、ツェツィーリャとシルフィリアはその場を去った。
残された俺は、エルフの言葉の意味を考えていた。
スラ子は大事だ。とても、とても大事だ。
だけど、もし。
――スラ子が本当に世界を滅ぼすようななにかになってしまったとしたら。
そのとき俺はどうするだろう。
あちこち痛む身体をひきずって丘をおりると、野戦病院と化した広場に慌ただしく人がいきかっていた。
自分たちの身内にこそたいした怪我はなかったが。というか一番重傷なのが俺だったが、ほとんど捨て身の突撃を死竜に仕掛けていた冒険者たちには大勢の負傷者がでていた。
後方に控えていた輜重隊から医薬品が届き、心得がある者が消毒や包帯など手当てに忙しくしている。
人手や物資はメジハの町からも出てきていて、それはルクレティアが前もって連絡して手配したものだった。
そのルクレティアがジクバールと話しているのを見かけて、近寄っていく。
ちらりとこちらに目線をくれた二人が、こちらの存在を無視して話を続けている。
「では、怪我人の収容と運搬の手立てはそのように」
「ええ。町の建物にも限界はありますが、外で横になるよりはよいはずです。町の者も、狂い竜に襲われるかもしれなかったところを救われたとなれば、皆で感謝していることでしょうから」
「ありがたい。治療費用については、私からギーツのギルド長に伝えておきましょう。無論、全てというわけにはいきませんでしょうが……」
「そのあたりはお気遣いなく。各町のギルドが微妙な関係にあるのは、仕方がないことです」
「そういっていただけると。ですが、領主様には必ずお伝えしましょう。今回の件、あの竜を退治した第一功は間違いなく――」
「その必要はございませんわ」
男にそれ以上の言葉を口にださせず、やんわりとルクレティアがさえぎった。
「見事、あの竜を討ち果たしたのはジクバール様。貴方と、貴方が指揮なさった勇気ある男達。そしてあの――」
冷ややかな目線を中央で高らかに笑って酒飲みをはじめている領主の息子に向けて、
「ノイエン様なのですから。そういうことで、よろしいではありませんか」
うかがうような視線で、ジクバールはルクレティアの言葉をしばらく咀嚼してから、
「それはつまり、我々以外の者はあの場になかったと。そういうことでしょうかな」
「竜殺しは伝説です」
ルクレティアはいった。
「それは誰もが憧れ、誰もが望む御伽話。ならば、それ相応の在り方というものがあるでしょう」
「なるほど。御伽話――ですか」
ちらりと視線が林を見る。そこにはこちらの様子を見守る大勢の妖精たちと、そこにまじったスラ子やシィ、リーザの姿があった。
壮年の男が皺を刻んで苦笑する。
「確かに。御伽話でもなければ、ありえないものでしたな」
人間と魔物は相容れないものだ。
「魔物」という言葉がまず、人間の領域外の全てを指す自分勝手な名称なのだから。
人間とその魔物が協力してなにか事にあたるなんていうのは、お話にこそよくあるものだが――現実はそうはいかない。
「全ては竜へ。竜殺しへ。その他の些細なことなど、酒場の武勇伝になりさがるうちに有耶無耶に流転していくでしょう。御伽話とはそういうものではございませんか」
「確かに。ことの事実など気にする者はおりますまい。いくらでも自分好みに作られ、解釈されていく。声が大きいもの、巧みなものの話が好まれ、大げさに虚飾されていくものですが――」
ですが、とジクバールは続けた。
「ルクレティア様。貴女はそれでよろしいのですかな?」
「かまいません」
問われた美貌の令嬢は即答した。
その一言だけでは納得していないようなジクバールに、
「王都からこの町にやってきて色々ありました。馬鹿げたこと、腹立たしいことも多いですけれど」
そこでルクレティアは言葉をきり、微笑んだ。
「――案外、嫌いではありませんの。今のような御伽話じみた生活も」
はじめて目にする素直な表情と台詞。
そして偽者かと疑いたくなるような屈託のない微笑に、俺は思わず目を奪われて、
「……なるほど」
軽く目を見開いたジクバールも、笑った。
「かしこまりました。では、私も此度のことは御伽話であったと。そのように思うことにいたしましょう」
「そうしてくださいますか」
では、とジクバールはルクレティアに頭をさげて去っていった。
最後まで俺にむかっては一言もない。名前さえ聞かれなかった。
別に不快ではなかった。
おとぎ話の登場人物が名前を聞かれる必要はない。そういうことだ。
「ということになりましたが、よろしかったでしょうか」
はじめて俺の存在に気づいたように、ちらりとルクレティアの視線が向く。
俺は肩をすくめて、
「いいも悪いもないだろ」
「そうですか」
答える表情はいつもどおり、冷ややかなそれに戻っている。
つくりは同じなのにどうしてこうも違うのかとまじまじと見ていると、ルクレティアが嫌そうに顔をしかめた。
「なんですか、不躾な」
「いや。うーん」
と、そこに遠くでカーラが誰かと話をしているのが見えた。
包帯を巻いた男になにごとかをいわれ、頭をさげられる。あわてて両手を振ったカーラが、それからなにかいわれ、首を振って。それでもなにかいいつのる相手に頭をさげて、こちらに走ってやってくる。
「どうしたんだ?」
「あ、えっと」
カーラはとても嬉しそうにしていて。だけどちょっと涙ぐんでいるみたいでもあったから、まさかまたなにか文句いわれたのかと遠くにいる男を睨みつけると、
「ありがとうって。いってもらえて――ちょっと、嬉しくって」
困ったように笑った。
ウェアウルフの血をひくせいで町で嫌われていたカーラが、誰かからお礼をいわれるなんてほとんどなかっただろう。
俺は、そのまま泣いてしまいそうなカーラの表情をかくすために小さな頭をぽんと撫でて、
「――そか。よかったな」
「はいっ。それで、メジハで夜通し宴会があるはずから、来るんだろうって。マスターはどうしますか?」
「あー。いや、さすがにあいつらを連れてはいけないし。俺は帰るよ。カーラはいってくればいい」
森のなかからじーっとこちらを眺めている魔物ズを指差すと、
「わかりました。じゃあ、ボクも帰ります」
「……いいのか? 町の連中と打ち解けるチャンスだぞ?」
カーラはにっこりと微笑んで、
「ボク、魔物だから」
胸をはっていった。
「わかった。じゃあ、帰るか」
「はいっ」
俺は黙っているルクレティアを見る。
「ルクレティア、お前は」
「……私は、このまま怪我人の手当てや宿の手配など。町での宴にも顔をだしてまいりますので」
「そうか。わかった」
じゃあ、と続ける。
「終わったら来い。みんなで待ってるから」
ルクレティアの眉がぴくりと動く。
だが惜しい。
その澄まし顔は崩れることなく、
「ご命令とあれば。遅くになりますが、うかがいますわ。ご主人様」
俺は苦笑して、カーラとともに森にむかって歩き出す。
「なんだかみんな、懐かしいですね。スケルさん、元気かな」
「騒ぎを起こしてなきゃいいが。リザードマンの連中と、エリアルたちも」
帰ったら、やらなきゃいけないことも多い。
洞窟のこと。リザードマンたちのこと、魚人族のこと。
ストロフライへのみかじめだって迫ってきてるし、そろそろアカデミーに出した手紙の返事が戻ってきてもおかしくない。
――エキドナ。あの蛇女を放っておくわけにもいかない。
だが、ひとまずそれらはおいておくとして。
「そうだな。帰ったらとりあえず、地下の連中を集めてみるか」
「エリアルさんたちを?」
「ああ。異種族交流、相互理解。色々あるだろうが――まずはお互いに名前を名乗りあうことから、始めないとな」
思えばそんなことさえしていなかったのだと。
そんなことを考えながら、我が家への帰路についた。
◇
ルクレティアがやってきたのはほとんど深夜になってからだった。
洞窟に帰ったら、スケルが「イスの使いの使い」として地下に君臨していたり、リザードマンたちのあいだで椅子作りが流行っていたり、マーメイドたちはマーメイドたちで裁縫がブームになっていたりして、なぜか泉へ帰らず洞窟にやってきた妖精連中も含めて宴会じみたものまで始まって。
全身にけっこうな傷をおっていた俺までそれに巻き込まれ、途中で逃げ出すように地上の自室にひきこもる。
痛みにうなりながら寝付けずにいるところにドアをノックする音が響いた。
苦労して起き上がると、そこには冷ややかな美貌のルクレティア。
「遅くなりました」
「お疲れ。今、みんなして地下で騒いでるぞ。いってみるか」
「けっこうですわ。馬鹿騒ぎには、町でさんざつきあわされました」
かすかに酒の香りがして、でも顔色はまったくの素面だったので、きいてみた。
「酔わないのか?」
「自分の手綱を放すつもりはありませんわ。たとえ、それが自分相手でも」
ご立派なことだ。
肩をすくめて、とりあえず中に入らせる。
自分はベッドに座り、ルクレティアを椅子に座らせて。
沈黙。
「なにか話せよ」
「お聞きになりたいことがあるのは、そちらでは?」
むっと顔をしかめて、
「……町は、どんなだ」
「大騒ぎです。竜殺しの英雄譚がうまれたのですから、当然でしょう。しばらく話の種にはことかかないはずです」
「討伐にやってきた連中は?」
「我こそが竜に最後のとどめをくれてやったのだとそれぞれが言いふらしていますわ。この様子では、いったい何人の自称竜殺しがでてくることか。実際には、ジクバール様方護衛隊の手柄ということになるでしょうが」
「報酬の5000枚はどうなる。ジクバールたちの総取りか?」
いいえ、とルクレティアは首を振った。
「あの突撃に参加した冒険者に、護衛隊や輜重隊。それらを含めた総勢百人ほどが、領主様から勇者として功績を受けることになるでしょう。報酬はそのなかで配分。各人30枚から100枚といったところでしょうか」
「随分と減るな。まあ、それでもしばらく遊んで暮らせるか」
「無形の名誉というものもございます。命があっただけでも儲けものでしょう。決して、全員が町に帰還できたわけではありません」
それはそうだ。
ある町の近くに一匹の竜が堕ちた。
その噂を聞き、竜の躯を求めて大勢の冒険者が集まった。
それを知った領主は自ら探索隊を派遣し、そこには勇敢な領主の息子がそれを率いた。
彼らは森の奥深くで竜の躯を発見し、しかしその竜は死んではいなかった。
生屍竜となって蘇り、町へむかいだす竜へ探索隊と冒険者たちは力をあわせ、見事それを打ち破った。
勇者たち、万歳。人間、万歳。
――これが今回の騒動と、竜の躯に関する依頼の顛末だ。
俺たちや妖精たちのことなんて出てこない。
実際には俺たちの姿を見たのはジクバールだけではないし、竜の倒され方や、それに関わった存在に疑問をもつ者だっているだろう。
だが、昼間にルクレティアとジクバールが話していたとおり――すべては御伽話。
竜にとどめをさした魔法はスラ子ではなく、冒険者の誰かの仕業とされ。
都合のよいことは飾られ、都合の悪いことは忘れ去られていく。
人間が、人間の力で竜を破った。
そういうふうになっていくだろう。
あるいは、それに手を貸した何者かがいたのだという話がそこに添えられることはあっても、あくまで脇役にすぎない。
人間にとっての主役は、どこまでも人間だ。
「……ご自分が勇者として讃えられないことが、ご不満ですか?」
「まさか」
俺は笑った。
「勇者なんてガラじゃない。妖精たちと、森が無事だった。依頼もなくなって、冒険者連中はどっかいってくれる。ドラ子なんていう家族も増えた。それで十分だろ」
「無欲なのですね」
「お前はどうなんだよ」
「どうということも。色々と煩わしいことはありましたが、竜殺しの舞台ということでメジハの名前も売れますし。それに、よい薬草の宣伝にもなりましたから」
ルクレティアはにこりともせず、
「負傷者の方々は身をもって効果の程を確かめられたはずです。メジハの薬草というだけで、彼らという存在がよい宣伝媒体になってくれます。人伝に今日のことが流れれば、これからあの薬草を売り出していくことにもさほどの苦労はかからないでしょう。長期的にみれば、今回の騒ぎで使った出費など取るにたらない利益が返ってきます。欲をいえば、あの竜の躯を素材なりなんなりできればもっとよかったのですけれど、仕方ありませんわね」
生屍竜と化した黒竜はほとんど木っ端微塵に吹き飛んでしまい、なにかに利用できるようなものはまったく残っていなかった。
ジクバールたちは竜討伐の証となる欠片を探して拾っていたようだが、それを使って武器や防具などに有効利用するようなことは不可能だろう。
せいぜい、本物か贋物かわからないような骨片やら皮膚の切れ端やらが、高値で裏に流通するくらい。
そしてそんな詐欺紛いの商売に手をだすつもりは俺にもルクレティアにもないのだった。
「強欲だな」
「強欲です」
堂々と宣言され、嫌味もいえなくなる。
「あの、領主の息子はどうなんだ?」
「どうとは?」
「知り合いなんだろ」
「……王都におりましたころ。家の関係で、色々と。私がこちらに来ていることを知って、よい機会とでも思ったのでしょう」
「つまりあのお坊ちゃんは、お前に会いにきたってことか?」
「そうとは申しませんが。領主様のお考えもあることかと思います」
「へえ」
ルクレティアが不快そうに眉をひそめた。
「それだけですか」
「なにがだ?」
「……なんでもございません」
怒った口調でいって、
「私からもお聞きしてよろしいですか」
「ああ」
「なぜ、呪印を使って訊ねられないのです?」
冷徹な眼差しが俺を見た。
「この印に命じれば、全て隠すことなく知ることができます。それをせず、あいまいな聞き方であいまいに受け取られる行為の意味が理解できません」
俺は渋面をつくって、なにか適当なことをいってかわそうかと思ったが。こちらを見る表情が真剣だったので、息を吐いた。
「――一回、訊いたら。次も訊きたくなるだろ」
眉をひそめるルクレティアに、
「俺は意思が弱いからな。一度そうしたら、もうそれ以外で接することができなくなる。相手のなんでも知って、なんでも叶うなんて、そんなのは人形だ。人形の責任をとるなんて、考えるだけでゾッとしない」
「隷属させておきながら。その隷属させた者を、奴隷のように扱うことができないと?」
ルクレティアは嘲るように口をゆがめた。
「小胆ですね」
まったくもってそのとおりなので弁解のしようがない。
「相手を人間扱いしたいなどと思うのなら、呪いなど必要ないでしょう。呪った以上、相手の気持ちなど忖度せずに気ままに玩び、自分の欲望に弄るべきでしょう。そんなことさえ、できないとおっしゃる――」
心の底からついたようなため息。
「小悪党にもなりきれない。つくづく見下げ果てた小物ですわね」
その顔が近いことに、気づいたときは遅かった。
甘い香り。
薄い体臭と、かすかな酒味と、それ以外のなにかの甘ったるさに意識が奪われる。
離れようとした身体を抑えつけられ、そのまま無言のやりとりをかわして、
「――この呪いを受けた者が。呪いを与えた者を殺す方法を教えてさしあげますわ」
そっと顔を離したルクレティアがささやいた。
「呪いが縛るものは行為。思いまで、その縛りを受けることはありません。嫌悪も、好意も。だからこそ――呪いを受けた者が呪いを与えた者を愛したとき。その想いこそが、相手の生命を奪うことになるのです」
「……どういうことだ?」
呪いは、主人の命を護らせるはずだ。
たとえ命令が重複したときにさえ、呪いはまずそれを厳守させる。
「ご自分でお考えになってみればよろしいでしょう。女心というものの、よい勉強になるでしょうから」
ルクレティアは意地の悪い微笑でいって、
「貴方を愛します」
そんなことを言い放った。
絶句する俺に、意地悪く小首をかしげる。
「お喜びいただけませんかしら」
「今の話を聞いて。どうやって喜べっていうんだ」
殺されるために愛されるなんて冗談じゃない。
「疑われるのでしたら、呪印に命じてお聞きになればよろしいですわ。それもできないのでしたら――仕方ありません。ご自分の身体でじっくりとお確かめに」
また、息を止められる。
その瞬間、真っ白になりかけた意識におぼえたのは恐怖だった。
――取り込まれる。
抵抗しないといけない。なのに身体の自由が効かない。
まるでスラ子に媚薬を漏られたように、ぞっとするほどの気分が身体の奥底から湧き起こって、そのなかに溺れないようにするのに必死だった。
やばい、と思いながら抗うこともできず、次第に思考能力がなくなっていって、
「――――」
ぎりぎりのところで、自由になる。
いつのまにかルクレティアの視線が部屋の入り口に向けられていた。
「皆さん揃って出歯亀とは、あまりよい趣味ではありませんわね」
こっそりとこちらの様子を見守るいくつもの視線。
スラ子、シィ、カーラ、スケル。ドラ子までいる。
「ふふー。どうぞ、気にせず続けちゃってくださいっ」
「そのような趣味は持ち合わせておりませんわ」
不快そうにいったルクレティアが俺から距離をおく。
「お覚悟なさいませ」
振り返りながら、
「前に申し上げたとおり。私が貴方のものである以上、貴方もまた私のものです。女を奴隷のように扱えないなどとふざけた寝言をおっしゃるのでしたら、是が非でも扱える器量になっていただきます。私の主ともあろう方が、いつまでも悪党になれない小さなままでは困りますので」
宣言して歩き出す。
部屋をでる途中、唇をかんだカーラがルクレティアを見て、
「……負けないから。ルクレティア」
ぴたりと足をとめた。
「お好きになさい、カーラ」
からみあった目線がはなれ、去っていく。
「私もっ。私も負けませんっ」
「あっしだって! ご主人、閨ポイント発行はいつになりますか!」
頬を染めたスラ子とスケルが突撃してきた。
「帰れお前らはあああああああ! 酒臭いぞ、酔ってるだろ!」
「酔ってます! 酔ってることにして襲いにきたんです!」
「ふざけんな、こちとら慣れない全力疾走で筋肉痛だ、全身怪我までしてるんだ! いいから他の連中と、下で溺れるほど酒飲んでこい! 飲んで寝ろ!」
「ひとりにしたら寂しくて死んじゃうマスターを置いてなんかいられませんっ」
「ウサギか! いいから帰れ! 看病なら、シィとドラ子に残ってもらう!」
は、とスラ子とスケルが身をひいた。
「シィだけでもたいがい犯罪なのに、ドラちゃんまでなんて鬼畜の極みです!」
「パねえっす! ご主人、いっぺん死んだほうがいいですぜ!」
「お前らが死ね! いったいどういう思考回路を経たらそんな結論になるのか、意味わからん!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいると、
「どうしたー!」
「まつりかー?」
「のりこめー!」
うるさいのを聞きつけた妖精連中までやってきてしまう。
そればかりか眠たげなノーミデスやリーザやエリアルまでそれぞれの種族を率いてやってきて、なんだなんだと部屋のなかの人口密度が大変なことになってしまっていた。
「ねらいはだれだー!」
「あいつだつぶせー!」
「シィ、大好きだー!」
おい最後。女王、お前なにいってんだ。
楽しそうに苦笑するカーラ。
困惑気味に微笑むシィときょとんとしたドラ子。
馬鹿騒ぎなんて知ったことかと歩み去るルクレティアの後ろ姿まで見えて、
「お願い! お願いだからゆっくり寝かせて! マジでけっこう重傷だから、俺! こら、ベッドに突撃してくんな、つぶれる! ぎゃああああああああああっ」
本気の涙を流しながらの懇願なんて、誰一人として聞いてくれるはずもないのだった。
4章 おわり