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十六話 死竜死闘

「ドラゴンゾンビ。あれはヤバい。でかいし硬いし強い。だけど――あれは、竜であって竜じゃない」


 作戦会議。

 こちらを見る一同にむかって、俺は今さらいうまでもないようなことから話しはじめた。


「魔法能力がない。結局のところはここに尽きる。攻撃してくるのが爪や尾、それにあのブレスなんかに限られるだけでもだいぶ対策も楽だが、特に防御面。どんなに硬かろうが絶対じゃない。ただ、尋常じゃないくらいめちゃくちゃ硬いってだけの“普通”の魔物だ」


 たとえば、山頂の黄金竜ストロフライがほんのたわむれに力を込めただけの安っぽいボロ椅子は、それだけで我が家で最硬の家具イスと化した。


 正直、あんなことをされたらなにも打つ手はないが、あの死竜にそういう魔力的な防護はかかっていない。

 死者さえ一瞬で甦生させる、できないことなんてあるのかと思える竜魔法とは関わりなく、今あの生屍竜が持ち合わせているのは生まれつきの外皮だけだ。


 それも、ひどく痛んでしまっている。


 ストロフライにやられた肉体はいたるところが朽ちて、腐った内臓が露出している部分すらあった。

 竜皮というだけで絶大な防御性能があるとはいえ、その力は半ば以上うしなわれているはずだ。


「とはいえ、あのエルフさんが不可能とおっしゃったほどです。相当な防御能力が残ったままだと考えたほうがいいでしょうね」

「ああ、そうだな」


 スラ子の言葉にうなずく。


「森の一角を消し飛ばした全力射。あれでは足りないと想定しておくべきだ。……このなかに、なんでもいい。同じ条件であれと同じ威力を叩きだせるってやつはいるか?」


 見回した顔から肯定的な反応はない。

 最後に見たルクレティアが、豪奢な金髪をゆっくりと振って、


「不可能ですわ。あの矢撃に込められた魔力、威力、効果範囲。おおよそ人の身で練り上げられる範疇を超えています。あれはもはや、天災といってよいレベルでした」


 ただでさえ高い魔道の素質をもつエルフが、契約した精霊の力を貯めこんで放った一撃。

 あるいは人間のなかにも、あれと同等の威力を生みだせる大魔法使いだって存在はするのだろうが、そんな輩が都合よく辺境のメジハにいたりはしないし、俺たちのなかにもいない。


 恐らくこのメンバーで一番の破壊能力を持つスラ子に視線で問うと、


「どういった基準で考えるかによりますが……あのエルフさんの攻撃の総体と比較すれば、今の私の全力でも半分くらいでしょうか。あれほど破壊に特化した使い方はやったことがありません」


 水精霊と土精霊をとりこんだスラ子は、理屈だけでいえば風精霊と同等の潜在能力を持っているはずだ。


 今のは、つまりスラ子のいう全力はあくまで自信を持って制御できる範囲でという話だろう。

 スラ子がそうした自分の限界を想定してくれていたことはむしろ嬉しかったが、


「なら、十分だ」


 俺の台詞に全員が怪訝そうな表情になり、代表してルクレティアがいう。


「どういうことですか。ご主――、マギさん」

「同じ条件でそれなら。あとは状況次第だ。なにも正面から力任せにぶん殴るのだけが破壊力じゃない」


 それから俺の考えを披露すると、聞き終わった一同はしばらく沈黙。


「なるほど……。そういうことですか」


 ルクレティアが思慮深げに顎に手をあてて、


「確かに、そこまで限定的な状況をつくりだせることができれば――成功の可能性はあります。ドラゴンゾンビとは決して無敵の存在ではないのですから。時間、それから人手。竜の侵攻速度。そういった諸々を考えなければなりませんが」

「そうだ。これは、一人じゃまず無理な作戦だ。時間がなくても準備が間に合わない。すぐにだって始めないといけないし、それぞれの負担だって大きい。……特に、スラ子。お前が一番だ」


 この作戦には全員の力が必要だが、鍵になるのは結局のところスラ子になる。

 申し訳ない気分で見た半透明の不定形生体はにこりと微笑んで、


「問題ありません。私は、マスターがやろうとしていることを全力で実現するだけです」

「無理は――あんまり。するなよ」


 無理をするなと。そんな必要はないと、そういえないことが歯がゆかった。


「了解ですっ」


 渋面に、スラ子はびしりと敬礼じみた真似で応えてみせる。


「シィ。お前はすぐに伝言に向かってくれ。この作戦には、妖精たちの力も借りないといけない」

「はい」


 頭にドラ子をのせたシィがこくりとうなずく。


「カーラ、ルクレティア。リーザ。お前たちは作戦準備と、威力偵察にでてもらう。竜の動き、行動パターン。タイムリミットがいつかも把握しとかないと。可能なら陽動もだ。準備には少なくとも数日はかかる。なんとしてもそのあいだの時間は稼がないと」


 カーラには町にいってもらう予定だったが、メジハには探索隊から連絡がでるということだから、その必要はなくなっている。

 それなら、今は一人でも戦力が欲しかった。


「わかりました」

「かしこまりましたわ」

「じゅ」


 俺は最後に、先ほどからまったく口を開かず黙り込んでいる人物へ顔を向ける。

 探索隊護衛隊長をつとめる壮年の男はこちらの視線に気づいてちらりと顔をあげ、厳しい表情で見返してきた。


 無言の迫力に気おされて唾を飲み込む。

 口を開こうとした俺にかわって、


「ジクバール様。私達はあの竜を打倒するために、以上の行動をとろうと思います。行動の自由を認めていただけますか?」


 ルクレティアがいった。

 ちらりとそちらに目をやったジクバールが、


「……領主様からご子息と、その護衛の任にある隊をあずかる者として。そのお言葉には到底、了承できませんな」


 低い声でいった。

 ぴくりと眉をもちあげるルクレティアがなにかいいかけるのを制して、息を吐く。


「――ただし、今は火急の事態。我々としてもあの竜を放置するわけにも参りません。我々は我々で独自の行動をとらせていただく。そのまわりで蠢動するなんらかの動きがあろうと……正直、手はまわらないでしょう」

「では」

「活動拠点を我らと同じ陣所に留めおく。進捗状況も含め、相互に連絡がとれる状況ならば」

「問題ありません」

「けっこう。連絡は直接、私まで願いましょう。部下にはそう伝えておきます」


 短いやり取りをかわし、最後にその場に居合わせるバラエティ豊かな面々を眺めるようにしてから、


「では、ルクレティア様。私はこれにて」


 男はなにもいわず立ち上がり、テントを去っていった。

 その背中が消えてから、


「つまり。黙認、してくれるってことか?」

「利用できるものは利用しようということでしょう」

「……いいのか。俺たちのことを、あの男は」


 町の権力者が魔物に通じている。

 そんなことを知られてしまうのはルクレティアにとって致命的であるはずだったが、弱みどころではない情報を握られたはずのルクレティアは平然と、


「知られてしまったのですから仕方ありません。それに、ありがたいことに頭の固いただの軍人ではないようですから。あの口調を聞く限り、あとで交渉することは可能でしょう――それも、今回の件がうまく収まればの話ですが」


 それより、と美貌の令嬢は続けた。


「気になることがあります。準備や時間が必要なのは当然として、この作戦にもっとも必要なのはタイミングでしょう。それを図るために、あの竜の行動を正確に予測しておかなければなりません」

「ああ、そうだな」

「速度は測れます。行動パターンも、ある程度把握することは可能でしょう。しかし、実際にあの竜が我々の用意した罠を踏んでくれるかどうか。それがなにより重要です。いくら精密に作りあげたところで、罠というものは外されてしまえばそれで一巻の終わり。次を用意する余裕などありません。時間的にも、距離的にも」

「そうだ」


 切れ長の視線が見つめる。


「では、確実にあの竜を罠まで誘い込む考えがおありになるのですね」

「――ある」


 鋭い眼差しに俺はこくりとうなずいて。

 シィを見た。


 正確には、その頭のうえで不安そうにしている小さな生き物を。


「ドラ子を囮に使う」


 ◇


 死竜。生屍竜。ドラゴンゾンビとはつまり、生にしがみつく竜のことだ。

 一度死んで蘇り、既に知性はうしなわれて目的もなければ意志もない。


 ただ生きながらえるためだけに襲い、喰らう。そうやってわずかずつでも魔力を得ながらいつか訪れる終わりを少しでも長引かせようとするだけの狂った竜。


 そして、ドラ子はその竜の血が流れて植物に宿ったものだと、あのエルフはいった。


 両者は元をたどれば同じモノだ。

 ならば、あの死竜にとってドラ子は、かつての己自身でもあるドラ子という存在は、魔力の糧と同等、あるいはそれ以上に無意識で欲するものであるはずだった。


 もしドラ子が目の前にあらわれれば、目によらずなにかを感じ取る死竜がそれに食いつくだろうという予測は難しくない。


 実際に竜はそのとおりに動いてみせた。

 魔力の糧を探し求めてさまめながら、しかし一直線にメジハやその前の森のなかにある妖精の泉に向かうのではなく、なにかを探すように不可解な動きをとることがある。


 そして――竜の動きに不可解さがあるとき、必ずその近くにはドラ子がいた。


 その事実は俺たちに三つのものを与えた。

 竜を誘導できることで稼いだ時間的余裕、もっとも罠をはるのに適した場所を選ぶ地理的条件。それから、竜を罠に導くための確証。



 全ての用意を整えるのに俺たちに与えられた時間は二日だった。


 ◇


「――ご主人様」


 周りをはばかった小声に振り返ると、ルクレティアが立っている。


「……用意は」

「配置を確認。全て整いました」

「竜は?」

「二次警戒線を通過しましたわ。カーラとリーザさんが牽制しつつ、誘導中です」

「方角は」

「真っ直ぐこちらへ向かってきています」


 よし。と応えたつもりの言葉が声にならず、口のなかで弾けた。

 ちらりと周囲の様子をうかがう。森のなかで例外的に視界がひらけたその場所には他に誰の姿もない。


 今朝、陣所をでたときにみた光景が気になっていた。


「ジクバールたちは、なにを狙ってると思う?」


 護衛隊や一部逃げ出さずに残った冒険者たちを率いて、ジクバールは独自の行動を続けていた。

 大勢を使って森の木を倒し、削る。


 ジクバールは自分達の意図をこちらに教えるつもりはないらしく、黙認状態で動いている俺たちのほうからそれを訊くわけにもいかなかった。


「切った丸太は全て、先端を尖らせていました。普通に考えれば、私達の作戦が失敗したとき、侵攻する竜に対しての馬防柵を用意しているのだと思いますが……わざわざこちらの近くで伐採する理由がわかりません。伐採して森を平坦にすることで、竜の侵攻方向をある程度でも誘導できないか試みようとしているのかもしれませんわ」

「なるほど。――まあ、好きにやってくれればいいか。こっちだって好き勝手やってるんだ」

「はい。こちらの意図は伝えてあるのですから、邪魔にさえならないのであれば放置しておいてよろしいでしょう」

「わかった」


 ずしん、とわずかな振動が響いた。

 遠くでばさばさと鳥が飛び立ったのが見える。


 また、ずしん。

 距離はまだある。だが、近い。


「どうかなさいましたか?」


 ルクレティアの言葉に黙ってうなずく。


「大丈夫だ。――はじめよう。ルクレティア、お前も配置につけ」

「……かしこまりました」


 振り向かないまま、相手が去っていくのを気配で感じる。


 息を吐く。

 口笛みたいなまぬけな音が漏れた。


 ――ちょっと笑えた。


 ふっと気が抜けてしまった瞬間、猛烈な恐怖が襲ってくる。

 背筋がふるえ、ガチガチと歯の根があわなくなるのを必死にこらえた。


 今からやらなければならないことを考えれば、恐怖はむしろ当然のものだった。

 知性も魔力もうしなったとはいえ、竜を。

 あの絶大的な存在の成りの果てを相手にしようっていうのだから。


 怖い。怖くてたまらない。

 生まれつきのビビり性が首をもたげ、そんなときにそっと背中に寄り添ってくれるスラ子は側にいない。


 そのかわり、胸元に持ち上げた手のひらから小さな生き物がこちらを見上げていて、その不安そうな眼差しに無理やりに笑ってみせた。

 ものすごいひきつった笑顔だっただろうけど。


 それを見たドラ子は笑わなかった。

 目にいっぱいの涙をためて泣きそうになっている。


 逃げよう、といってるようだった。

 逃がして、といっているようでもあった。


 ドラ子のそんな姿を擬態だと、あの口の悪い辻撃ちエルフはいった。

 弱いから。誰かに保護してもらうためにとりつくろった生態に過ぎないと。


 ――だけど。


 だったら、なんだっていうんだ?


「……ドラ子。世界には、いろんな生き物がいるんだ」


 震えのおさまらない声でささやく。


「強いのも弱いのも。しゃべるのも、しゃべれないのも。凶暴なやつ。臆病なやつ。火を吹くのだっているし、とんでもない魔法を使うのもいる。そうじゃなくったって、爪があったり、牙があったり、甲羅があったり、羽があったり。色々だ」


 ドラ子に俺の言葉は伝わらない。

 頭にマンドラゴラを生やしたこのちんまい生き物とのあいだに、意思疎通はかなわない。


 だから、こんなふうに口に出すのは。

 相手に語りかけているようで実際には自分自身にいっているのにすぎない。


「いろんな生き物がいる。別に強いやつばっかりじゃない。強くないといけないなら、この世界にいていいのは竜だけじゃないか」


 こちらを見あげる手のひらの生き物に力強く、


「だから。お前だって、生きてていいんだ」


 眉をひそめたまま、ぱちくりとドラ子が大きな瞳をまたたかせる。 


「弱くても。護ってもらっても。おんなじように弱っちい俺だって生きてるんだぞ。お前が生きて悪い理由なんてどこにある。……もし、あのゾンビ竜が。お前が生きることを許さないっていうなら――そんな理由は、俺たちがぶっ壊してやる」


 威勢のいいことをいってから、そんな自分に笑ってしまう。


「……俺だけでなにができるわけじゃないけどな。でも、絶対にそうしてやる。護ってやる。そのために、俺にできることだってある。だから、お前にしかできないことだってあるんだ」


 言葉に力をこめて、それを鼓膜に響かせて自分を奮い立たせる。


「強くなくても。弱くたって。爪がなくても、倒せなくても。できる。俺とお前は、今からそれをしよう。できることがあるんだから。――全力でやってやろう」


 ドラ子は、もちろん俺の言葉なんかわからないから、ぶるぶると震えたままこちらを見上げたままで。

 ただ、泣きそうなまま、唇をぎゅっと噛みしめた。ように見えた。


「よし」


 手のひらの生き物をそっと頭にのせる。


 ドラ子装着。

 ぎゅっとドラ子が痛いぐらいに髪の毛をつかみ、戦闘態勢が完了した。


 そして、まるで俺たちが覚悟を決めるのを待っていたように、



「――――――――――ッ!!」



 咆哮が轟いた。


 ばりばりと木々が倒れる音がする。

 大地を踏みしめる鼓動は、鳴り響くたびにこちらの身体を浮かすほどになっていた。


 鬱蒼としげった前方の森から、まるで闇をひきつれたように。真っ黒い巨大な生き物が空をおおってあらわれた。



「はっ――!」



 死竜の姿を確認した瞬間、俺は溜めに溜めた魔力を空に向かって放つ。


 赤の魔力光を狼煙に、周囲に作戦の開始を告げる。

 同時に、それには目の前の相手に自分たちの存在を知らしめる意味もあった。


 果たしてその意味があったのかどうか。眼球の失われた死竜の眼差しの示す先はこちらからはわかりようがない。


 ただ、



「――――ッ!」



 短くあげた叫びは間違いなく、俺たちへ向けられていた。


 首まで切り裂かれたあぎとがばくりとひらかれる。

 いきなりのブレス態勢。


 あれに巻き込まれたらおしまいだ。死の吐息から身を守る防御魔法も、空気を遮断する風魔法の心得も俺にはない。

 狙いをつけられて、この場にとどまっていていいわけがない。


「いくぞ、ドラ子!」


 頭のうえに一声かけて、かえってくることのない返事を待たずに駆け出した。



 俺とドラ子にできること。


 それは近距離で死竜の注意をひきつけて、目標の場所に誘導すること。

 そのために、ただひたすらに走ることだ。


 ◇


 ……一。二、三!

 カーラやリーザが威力偵察で計ってくれていたブレスのタイミングをはかりながら、目の前にある穴のなかにすべりこむ。


 斜めに掘られた土穴を摩擦熱でこすりながら駆け下りて、そのまま走り出す。

 ごわっと、地上を死の息が通り過ぎる音が背中に届いた。


 ブレスのほとんどは地上をすべるように通過していくとはいえ、一部は穴の地下にまで入り込んでくる。

 それに巻き込まれてあっけなく終了、なんてマヌケな結果にならないよう、途中途中に松明のともる地下穴を全力で走った。


 穴の全長は短い。

 これは逃げ延びるためのものではない。


 俺とドラ子は地下に逃れて、相手から姿をくらまして、


「――こっちだ!」


 出入り口から地上にでて再び魔力光の狼煙をあげる。色は白。



「――――――――――ッ!」



 目に寄らずこちらの存在をかぎとった黒竜がこちらを振り向いた。

 ずしん、と地響きとともに一歩を踏み抜く。


 立て続けのブレスはない。

 それも調べがついているとおりだ。


 魔力を用いた手段の一切をもたない死竜にとって、あのブレスはあくまで爪や尾と同じもの。

 とりこんだ空気が肺のなかで腐った血肉に汚染され、吐き出される。

 だからこそ回数に制限はないが、真っ黒い吐息がある程度の濃度を得るためには、一定の時間がかかる。


 とはいっても十秒程度のわずかな時間だが、延々とひたすらあんなものを吹かれ続けないだけマシだ。

 相手がブレスの充填中に、次の場所にむかって駆ける。


 視界には点々と、穴。

 緊急避難先であり、俺とドラ子の目的地をつげる合図でもあるそれらに向かいながら、俺は竜の動きに注目していた。


 二発目のブレスはまだない。

 爪も牙も届かない。

 そんな距離で気をつけないといけないのは、長く太い尾による攻撃。


 あれを横薙ぎにされて、当たればもちろん即昇天だ。

 その竜の後ろから、カーラとリーザが牽制を続けてくれているのが俺には見えていた。


 石の大剣と、己の拳を武器にした二人が、竜の注意をひきながら、尾撃がこちらに向けられるのを防いでくれている。

 こちらへ向かってゆっくりと両足を前に踏みしめながら、尻尾にまとわりつく二人は竜にとっては小蝿のようなものだろうが、こちらにとってはなによりありがたいサポートだった。


 二人の援護を受けて、走る。ひたすら走る。



「――――――――ッ!」



 ブレスの充填が終わったのを宣言するように、死竜が吠えた。


 すでに目の前には次の避難穴がぽっかりと口をあけて俺たちを待っている。

 すべりこむ。


 ぢりぢりと太股が焼け焦げる感触。

 顔をしかめながら穴底に到着するのを待って、固い地面を踏みしめると同時に走り出す。


 松明の誘導をたよりに駆け出す。

 後方でブレスがあったことが、松明の炎がわずかに揺れたことで悟った。


 息を止める。


 全速力で走り続けているせいで、すでに息はあがりはじめていた。

 呼吸をとめてもすぐに限界はやってくる。

 すぐに身体中が酸素を欲しがって、肩で息をしながら明るい光をさしこんでいる出口に向かって、


「ダメ!」


 わずかに耳に届いたカーラの声に、嫌な予感を全身でおぼえて反射的に身を伏せた。


 入り口に蓋をするように、真っ黒いなにかが打ちつけた。

 それが竜の尾だと気づいたときには、風圧を受けてあっけなく吹き飛ばされている。


 地下穴を転がり、反射的に頭のうえのドラ子を胸元に抱えながら、身体を丸めて衝撃に耐えた。

 いったい自分が何回転したか、すくなくとも今までの人生で最高回数であることだけは確信しながら、いつのまにか自分の身体が止まっている。


 起き上がろうとして、ずきりと背中に痛みが走った。


「ドラ子、ドラ子! 大丈夫かっ」


 あわてて確認すると、ちんまい生き物はなんとか踏み潰されずに無事だった。

 ほっと息を吐き、そこでまたずきりと身体が痛む。


 まずい。……速度は何割減になる?

 焦って考えながら、出口があるはずのほうを見る。


 光は完全にうせて闇に閉ざされていた。埋もれていた。

 大丈夫。用意しておいた出口はひとつではない。


 心配そうにこちらを見るドラ子を再び頭にのせ、俺は痛みをこらえて走り出した。



 前方の光に飛び込む。


「マスター……!」


 遠くから、こちらの姿を確認したカーラがほっとした声をあげた。

 それに応答する余裕はなかった。


 俺はいそいで手のひらに魔力を込め、空にむかって狼煙を打ち出す。

 燦々と輝く黄色の信号が、作戦が計画にそって動いていることを知らせる。――順調にとは、いかなかったが。


 痛みをこらえて走り出す。

 手を振り、足を投げ出す。


 痛みを無視していつもと変わらないように走っているつもりでも、それまでと変わらない速度がだせているはずがなかった。


 こちらに負傷があることを見てとったのだろう、カーラとリーザがそれまで以上の勢いで竜に飛びかかっていく。

 二人に感謝しながら、俺は懸命に次の目標に向かって走る。


 今までやり過ごしたブレスは二回。

 あと二回、耐えればいい。時間にすればたった三十秒ほど先だ。


 そこに、俺たちのゴールがある。


 痛みは背中から全身、それに首から頭へと段々とのぼってきていて、痛みに視界がにじんでいた。

 整った呼吸ができない。全速力で走れない。


 これじゃあ、次のブレスが来るまでに。避難穴に届くか――



「第一陣、かまえィ!」



 野太い声が響いた。

 首をめぐらすと、そこには森の奥から姿をあらわした大勢の姿。


 決死の表情をした男たちがあらわれたのは一箇所だけではない。遠く、竜の向こう側でも同じような人数。そして、おなじようなもの。


 先端を鋭くとがらせた丸太を、十人からの人間が抱え込んでいた。

 それが片側に二本ずつ。両側で計四本。


 いったいそれがなんなのか俺が理解する前に、


「いけェ!」


 ジクバールの号令。


『おおおおおおおおおおお!』


 絶叫じみた掛け声とともに、男たちが駆け出した。


 丸太を抱え、全力走。

 なだらかな平坦の道を駆ける男たちの目指す先には、死竜の大地を踏みしめる二本の太い肢があった。


 男たちの吶喊は、ほとんど転がるような勢いだった。

 実際、一組はコケた。


 残る三組が破城槌と化した丸太とともに、一切の減速をなしに竜へと体当たりをして――その三本とも、硬い竜皮の前にあっさりと砕け散る。


「一陣、さがれ! 第二陣、用意! 観測送れ!」


 見れば、吶喊を終えた逃げ出す男たちにまじって、カーラやリーザとおなじ至近距離で竜に挑みかかる数人の姿。


「右、外二本指付け根に内臓露出あり!」

「左、踵に深い裂傷あり!」

「第二陣、かまえ! 露出した裂け目を狙え!」


『おおおおおおおおおおお!』


 声に応えて、別の男たちが丸太を抱えて走り出す。

 四本の槌が竜を目指す。



「――――――――ッ!」



 竜が吠えた。


 それまで統率よくあった足並みが途端に乱れる。

 一組がコケ、一組の速度がいちじるしく落ちた。残る二組もその勢いは弱まりかけ、あっけなく崩壊しかける士気に、


「走れ!」


 ジクバールが叱咤する。


「走れ! 走れ! 全員が一本の槍と化して竜を突け! その一本がたとえ針の如き程度のものであれ、ならば次は十本で貫け! 竜から見れば塵芥のような我らなれど、十で足らねば百で穿て! 今こそ命の捨てどきだぞ!」


 そして、自身も走り出した。


 命令をくだす立場にある者が、危険をおかして前線に出る意味なんてあるか――?


 だが、少なくとも。

 上の者が命を懸けなければ、下のものだってついていくはずがない。


『おおおおおおおおおおお!』


 指揮官の無謀に応えて男たちが吠える。

 失いかけた衝力を取り戻そうと、それまで以上の全力で走り出す。


 その一組に、竜の尾撃が打ち下ろされた。

 声すらなく、丸太ごと空に吹き飛ばされる男たち。


 尾の先端はそのまま止まらず、竜にむかって駆け出していたジクバールまで伸び、


「……ッ!?」


 ジクバールの身体が宙に舞った。

 小石のように林へ吹き飛ばされる姿を目撃して、しかし残る男たちの勢いはとまらず、


『おおおおおおおおおおお!』


 まず二本が飛び込んだ。

 一本があっさりと砕け散り、もう一本は砕けこそしなかったが目測を誤り、死竜の柔らかい肉を突くことができずに跳ね返される。


 遅れて突き出される三本目、



「――――――ッ!?」



 竜があげたそれは咆哮ではなく、間違いなく悲鳴だった。


 死竜の右肢。

 その踵に、深々と丸太の切っ先鋭い先端が突き刺さっている。


「左、有効確認!」


 男たちから歓声があがる。それに重なるように、


「第三陣!」


 ややかすれて響くジクバールの声。

 林から姿をあらわした壮年の指揮官は、額から血を流し、折れた左腕をかばいながら、裏返った声を続けた。


「第三陣! かまえィ! 竜殺せエ!」


 必ず自分たちが竜を倒すのだという覚悟、あるいは蛮行。


 生まれてはじめて。

 俺は、人が竜を滅することがあるという、そんなおとぎ話じみた事実を信じられる気分になっていた。


 そこにあるのはまさに、竜殺しの種族の姿だった。



『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』



 不屈の闘志をみせる指揮官に、従う男たちの声はもはや絶叫と化していた。




「――――――――ッ!」



 熱狂する突撃行為に竜が吠える。


 あぎとがひらかれた。

 竜に突進する四組、そのいずれかを間違いなく全滅させる死のブレスがまさに放たれようとするその瞬間、


「フレアボール!」


 その口元付近で炎球が爆発する。

 吸い込み、吹きかけようとするそのタイミングを狙われた死竜が苦しげに身悶えし、


「この程度ではダメージは期待できませんか。しかし嫌がらせとしては十分でしょう」


 冷ややかな眼差しのルクレティアがいう。


「男達が自らの命を賭した一撃というなら、それを邪魔させるわけにもまいりません」


 ルクレティアの一撃が、男たちにかけがえのない時間をもたらしていた。

 ついに丸太は、四本中三本までが突き刺さった。



「――――――――――――ッ!??」



 竜の慟哭。

 両肢に丸太を生やした竜が痛みに耐えかねるように天を仰ぎ、


「……ッ!」


 全周に尾撃がうなった。

 円を描いた横薙ぎの一撃が、範囲内にいる全員に叩きつけられる。


「第四陣、中止! 負傷者を救い、森に逃げよ!」


 熱狂的な攻撃指示をだしていたジクバールだったが、その判断は早かった。


 第三陣の攻撃を果たした男たちは、そのほとんどが今の尾撃に巻き込まれて地面に倒れている。

 攻撃ではなく救出を目的に切り替えた指令に、男たちが仲間を助けようと飛び出していく。


 死竜が地面に転がる人間たちにとどめのブレスを吐こうとする。


 カーラが駆けた。

 死竜の足元で、今まさに踏み潰されようとしている一人の冒険者に手を伸ばし、担ごうとする。


「お前は、……離せ! 化け物!」


 その男はカーラの身元を知っていたらしかった。

 嫌悪に身体を強張らせて拒絶する男に、


「うるさい!」


 カーラは一喝。


「化け物だってなんだっていいから、助けさせて!」 



 ――そういうやりとりがあったらしいことを聞いたのは、後のことだったりする。


 俺にはもはやそんな余裕なんて毛ほども残っておらず、ジクバールや大勢の冒険者、カーラやルクレティア、リーザたちが懸命につくってくれた時間のあいだに痛む身体をひきずって走っていた。


 すでに第三の計画通過地点は過ぎている。

 ジクバールたちのおかげで三度目のブレスは来ず、避難穴で時間をロスすることもなかった。そのために合図としてあがっていなかった狼煙の魔力光を、俺は死竜の鼻先に叩きつけた。


 紫色の発光を間近に、眩しそうに顔を振る姿がひどく滑稽に見える。


「……お前の相手は、こっちだろ」


 虚無の双眸が怒りの気配に満ちてこちらを睨みつけた。



「――――――――――――ッ!」



 一歩を踏み出す。

 足元の有象無象など目に入らないとばかりに、死竜がやってくる。


 そのあいだに、カーラやルクレティア、ジクバールの部下たちが負傷者の救出に向かっているのを確認して、俺は最後の工程を消化にかかる。


 全身が重い。

 痛みはすでに痛覚の限界を超えて麻痺しはじめ、思ったとおりに動かない身体がひたすらにもどかしい。


 もう涙は止まっているはずなのに、さっきから視界はぼやけたままだ。

 気づかなかったが、どこかから血が流れてるのかもしれない。


 そういえばやけに軽い気がする身体をひきずりながら、最後の地下穴へむかって交互に足を投げ出して、


「マスター!」


 悲鳴。

 振り返る間もなく、背後からの猛烈な風に吹き飛ばされる。


 ごろごろと地面を転がって、意識が暗転しかけて。

 やばい、ブレスか――と思ったが、そんな思考ができている時点でそんなはずはなかった。


 ずきずきと傷む頭を持ち上げて、俺は自分が受けたのが与えられない距離から振りぬかれた尾撃のただの風圧だと知った。


 は、と気づく。


「ドラ子!」


 ドラ子の姿がない。

 まさかと思って自分の身体の下をみて、下敷きになってないことにほっとする。


 倒れたまま首を巡らせて、少し離れたところに倒れたちんまい姿を見つけた。


「ドラ子――」


 起き上がろうとして、ぞっと血の気が引く。


 まるで力がはいらなかった。

 身体に、神経さえ通っていないような違和感しかない。


「ドラ子……! 起きろっ!」


 うつぶせに倒れたドラ子がぴくりと震える。

 意識がぼんやりとしているのか、焦点のあってない瞳が俺をみて、そこから上をみあげて、恐怖に凍った。


 そこにあるものは、振り返って見るまでもない。

 自分を求める死竜の姿に恐れおののき、泣き出しそうに顔をゆがめるドラ子に、


「走れ!」


 叫んだ。


「走れ、ドラ子!」


 咳き込む。赤いものが地面に飛び散るのが見えて、そんなことはどうでもいいから叫ぶ。


「走れ! 生きるなら、走れ!」


 ――勝たなくたって。逃げるのでもいいから。


「走れえええええええ!」


 竜を見上げて固まっていたドラ子が俺を見た。


 泣きそうな顔がぶるぶると震えたまま、こっくりとうなずいて。

 走り出す。


 ……それでいい。


 あとほんのすこし先にある、地下へ通じる穴。

 仕掛けの用意をしてスラ子が待つ、その場所へ走るドラ子の姿を見送って、全身の力を振り絞って仰向けに転がる。


 地を這うような低い前傾姿勢で迫る死竜の姿がすぐそこにあった。



「――――」



 肉の腐る匂い。

 口元から垂れるのは涎か、それとも腐食したなにかなのか。


 ただの暗がりである双眸が、俺のことなどどうでもいいとばかりに、小さな歩幅で懸命に走るドラ子の姿を追っているのがわかって、


「ゾンビ野郎――」


 俺はそれにむかって、腰から取り出した袋を弱々しく投げつけた。


 至近距離で、初級の炎を呼び出して着火。

 凝縮して詰め込んだ妖精の鱗粉が大爆発を巻き起こす。


 爆風にまともに煽られる。

 受身もとれず、顔にせまる火傷だけでも防ごうと腕でかばって。


 土煙のあとには、まったく無傷の死竜の姿。


 だが、その眼差しが見ているのはドラ子ではなく、


「……お前の相手は、こっちだって。いっただろ」 


 虚無の奥底で憎悪の灯火がともったように思えた。


 あぎとがひらく。

 ふしゅるううううと、ブレスの前兆音を聞きながら。


 目は閉じなかった。

 諦めたわけじゃない。


 だけど、俺は知っている。

 自分の雑魚さ加減も。竜をまともに足止めすることさえ満足にできないことも。


 そして、こんな自分を助けようとしてくれる相手がいることを。



「やあああああああああああああああああ!」



 裂帛の声とともに殴りつける豪腕一閃。


 死竜の顔面が後ろに吹き飛んだ。

 ぐらりと揺れ――酔ったようにたたらを踏む。ずうん、と不恰好に尻餅をついた。


「ははっ」


 そのあまりに爽快な光景に、思わず声をあげて笑ってしまう。


 いったい誰がこんなこと信じるだろう。

 ――巨大な竜が、人間の拳ひとつでよろめいたなんて。


 その一撃を見舞った人物は、小柄な身体で握りしめた拳にうっすらとした魔力の輝きをともなって、


「マスター、大丈夫ですか!」


 振り返った表情はいつもどおり真っ直ぐに素直な眼差し。

 そこには、かけらだって狂暴化の兆しなんてありはしなかった。


「……ああ。うん。すごいな」


 いわれて、カーラははじめて気づいたように自分の拳を見る。


「わ、わ。これって――」


 びっくりしたように目を見開く。カーラの言葉が続く前に、



「―――――、ッ!??」



 吠えかけた死竜の口元で炎が爆発した。


「――まったく。そんなことをしている場合ですか」


 冷ややかな声、冷ややかな表情でやってきたルクレティアが、虫をみる目でこちらを見おろしてくる。


「無様ですわね、ご主人様」

「……おう」

「無理をするな、と。ご自分がおっしゃったことだと思いましたが」

「……無理は。してない」


 ぴくりと眉をもちあげる怜悧な表情に、


「信じてたさ。来てくれるって」

「マスターっ」


 嬉しそうに微笑むカーラはさすがの素直さだが、ルクレティアはまったく感動した素振りもなく、


「どちらがです?」


 まったく冷静な声音でいった。


「……え?」

「ですから、どちらが来ると信じていらっしゃったのですか」


 ――一瞬。気絶したふりをしようかと本気で思ってしまった。


「ふふー。とても面白そうなお話ですが、それは後ほどにしましょうか」


 不意に声。

 足元の地面から盛り上がるように姿をあらわしたのは、半透明の質感をもった不定形の美女。


「とはいえ、今回ばかりはお二人に遅れてしまいましたね。ポイント負けも甘んじて受け入れますっ」

「……ドラ子は?」


 冗談につきあう気力も、ツッコむ体力も残っていない。

 そんな満身創痍の俺を見てスラ子はにっこりと、


「シィにまかせました。大泣きでしたけど、頑張りましたね」

「ああ。準備は」

「滞りなく。カーラさん、ルクレティアさん。こちらへ。飛びますよっ」


 二人が近くに寄ったところで、


「ウォーターライド!」


 間欠泉じみた勢いで放射する水流に持ち上げられる。そのままどこまでも高く上り続け、身体を襲う痛みに耐えながら、下をみおろす。


 死竜があごをあげてこちらを見上げている。その姿が徐々に遠ざかり、


「……ルクレティア、ジクバールたちの避難はっ」

「お待ちください――完了しているようです。範囲内に人影は残っておりません」


 よし、と息をついて、


「スラ子、やれっ」


 俺の指示を待ちに待ったような満面の笑顔で、スラ子が魔力を解き放つ。


「――アースクエイク!」



 地面が、崩れた。

 局地的に縦横から力を受け、でたらめに押され、引き裂かれた大地が悲鳴をあげる。


 土属性。大規模殲滅魔法。

 その威力もさることながら、今回の場合むしろそれは余技のようなものだった。



「――――――――――ッ!??」



 崩壊する足場に、竜が声をあげながら沈みゆく。


 死竜の足元には、スラ子によって竜一体を丸ごと飲み込むほど広大な空間がぶちあけられていた。

 その上に蓋をするようにあった地層がスラ子の魔法で崩れ、その結果が目の前のこれだ。



「――ッ!!?」



 落とし穴にはまりこんだ竜が怨嗟の咆哮をあげる。

 その巨大な落とし穴の縁に着地し、スラ子はすかさず次の魔力を練り上げる。


「アースバインド!」


 落とし穴の縁から、徐々に土が生成されて蓋をつくっていく。

 じわじわと円周を狭める土壁をつくりながら、スラ子はいつになく余裕のない表情だった。


 無理もない。これだけの規模で、しかも事前に魔力を大量消費した後だ。

 いくら精霊の力をとりこんだスラ子だろうが、余裕なんてあるはずがない――


「手伝ってやろうか?」


 嬉々として響いた台詞にふりかえると、ずらりと小さな姿が列をなして揃っていた。


 何十人という妖精たちの姿。

 その先頭にたった長髪の妖精は、隣で胸にドラ子を抱いたシィの手をとってなぜか嬉しそうに、


「出番が遅い! 待ちくたびれたっ」

『びれたー!』


 唱和する妖精ズ。


「あー……。でも、そういう魔法は使えないんじゃないのか?」

「馬鹿にするな! 惑わすだけじゃない! いくぞ皆!」

『やってやるぜー!』


 両腕を突き出した妖精たちが、むむむと全員で魔力を込める。


 ぎょっとした。

 周囲の森林から、うにょうにょと蔦のようなものが伸びてきた。


 草や植物の集合体だとすぐに気づいて、それらが落とし穴の円周から宙に向かって伸びていく。

 その蔦に沿うようにして、上からスラ子の土壁がおおっていく。


「なるほど。これはよいですね」


 スラ子を手伝って土壁をつくっていたルクレティアが薄く微笑した。

 自重による崩壊をまぬがれるだけでも、かなりの補助になる。ただの土壁より、骨格として内部に植物や蔦を含んだもののほうが耐久に優れる道理だった。


 妖精たちの支援で、徐々に落とし穴の円周が狭まっていく。


 しかし。



「――――――――――ッ!」



 咆哮とともに、竜の尾撃がふさがりかけていた土壁を打ち崩した。


「ああ、せっかく作ったのに! おい、どうにかしろ!」


 こちらに文句をいってくる妖精の女王をかわしながら、俺は顔をしかめた。


 ――落とし穴が浅すぎたか。

 竜の体長や、尾の長さも計算には入れていたはずだったが、暴れまくる尾の範囲は予想以上に広く、天井に蓋をしようとする土壁を容赦なく打ち壊していく。


 俺は必死に対応策を考えた。

 どうする。穴を深くするか? それとも、尾が届かないところから一気に岩を落とすなりして、蓋を――いや、そんな岩をどうやって用意する。


 考えがまとまらないうちに、竜の尾撃はついに蓋だけでなく、その周辺にまで被害を及ぼしはじめていて、


「これでは、穴がもちません!」


 ルクレティアが悲鳴じみた声をあげる。



 ――詰めが甘ェよ。ドボンクラ



 そこに、風に乗った声。

 空から無数の流星が降り注いだ。


 ◇


 それはまるで昼間に訪れた流星雨のような光景だった。


 天からの射が竜の尾を打つ。

 見るからに威力を秘めたその一撃を受けて、ダメージはともかく竜の尾の動きが止まる。そこにさらに二射。三射。


 絶え間なく降り注ぐ射撃が、竜の尾の動きを封じている。



 ――なにしてやがる、さっさとしろ、ボケ



 耳元で怒鳴られているような声は聞き覚えがある口の悪さで、おもわず周囲にその姿を探しながら、俺はスラ子たちに告げた。


「いまだ! 一気に蓋をしろ!」

「了解ですっ!」


 蔦が伸び、土が覆う。

 徐々にせばめていくあいだ、天からの射撃は一瞬の間もあけず間断なく続き。


 ついに、竜が落ちた穴に完全な蓋が閉じる。

 だがこれで終わりではなかった。


 こんなのでは意味がない。こんなものでは封印にもなりはしない。

 俺が助力を求めた妖精たちの出番はこれからだ。


「頼む」

『イエー!』


 さらに放出される魔力は、俺にとってもシィがよく使って馴染み深いものだった。


 アンチマジック。プロテクション。

 対象の耐性をあげる支援魔法を、妖精たちが落とし穴の壁面にかけまくる。


 広い範囲を、ところどころ重複しながら全員で全てあますところなく。

 もちろんそれは、壁面だけではなく穴底と、そして天井にもかけられている。



 ――ついでだ。中の具合もいい感じにしといてやる。さっさとすませろ、タコ



 こちらの意図を見通した声が響いて、それっきり気配が消える。


 最後まで口の悪い台詞に苦笑じみたものをおぼえながら、俺は妖精の女王の顔を確認する。

 うなずきが返ってくる。


 スラ子を見た。

 さすがに疲労の色が濃い、半透明の表情がこちらを見る。


「よろしいですか、マスター」

「……ああ。いい加減、もう疲れた。クタクタだ。だから――やっちまえ」

「りょーかいですっ」


 最後の大仕事とばかりに、スラ子が魔力を集中させる。

 両手をひろげ、それを全力で放出するのは――地下。



「エクス、プロージョン!」



 ――威力なんてどうにでもなる。

 そんなものは、置かれた状況や環境、その他の外的条件でいくらだって変化するからだ。


 たとえばそれが、狭い密閉空間だったなら。

 周囲を補強され、硬いものに余すことなく塞がれ。まったく圧力の逃げ場がない場所だったなら。


 そこで起こされた爆発の威力は平時とは比べ物にならないほど。加速度的に、上昇する。


 足元で、星そのものを揺るがすような長く深い、鈍い振動。

 妖精たちの何重の支援魔法のうえでも、あまりの衝撃に耐え切れなかった“蓋”ががらがらと崩落していく。


 俺たちは全員でそのなかを見おろして、確認した。


 もうもうとした土煙が収まって、そこにあったのはもはや生き物ではない。

 死んでなお動く生きた屍でもない。


 密閉して跳ね回り、存分に暴れ狂った爆発とその衝撃のことごとくを浴びて吹き飛ばされたそれは――ただの竜だったものの残骸に過ぎなかった。



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