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十四話 ちいさなドラ子と死んだ竜

 森に魔物があふれても、妖精の隠れ家の周辺には静寂があった。

 妖精が自分達の寝泊りによく使う大木の洞。そこには自然と彼らの鱗粉が溜まり、周囲に溶けたそれが半永続的な幻惑の効果を生み出している。


 なんにしろ助かる。さっきの森の様子じゃ、外では一晩を過ごすのだって命がけだっただろう。


 荷物をおろして身体を休める。

 カーラやシィが食事の準備にとりかかり、ルクレティアは念のために擬装をほどこそうと外にでていった。リーザもその護衛についていき、残った室内では、


「随分と慎ましい胸ですねー。エルフさんって皆さんスレンダーな方々なんですか?」

「知る、か……ボケ!」


 さっそくスラ子が捕らえた辻撃ちエルフへの尋問を再開している。


「ツェツィを離せ、このヘンタイー!」


 風精霊がわんわんと泣いていた。……まったくもって、どっちが悪役だかわかったもんじゃない。


 実際、それはそのとおりなのかもしれなかった。


 自然を護るエルフと、自然そのものである精霊。

 俺たちは、それらにはっきりと敵対視されている。


 正義か悪かなんていうのはただの主観だ。

 だけど、どうしてそういうふうに見られているのかということを知ることは。そのうえで行動することは、大切だろう。


 少し離れた焚火の前で、シィの頭から調理の様子を覗き込んでいるドラ子を見る。


 楽しそうにニコニコとしていた小さな生き物の横顔がふいに持ち上がる。

 きょろきょろと周囲を見まわす表情は、まるでなにかに怯えているようだった。


 目が合わないよう視線をはずして、俺はスラ子たちに近づいていった。


「……クソが!」


 床に倒れた若いエルフからぎらりと睨みつける眼差しを受ける。

 催淫作用のあるスラ子の分泌液を含まされているせいで鋭く整った顔色は高潮していたが、瞳の強さはそのままだった。


「マスター、こちらに」


 スラ子の注意を受けて、シルフィリアから距離をおく。

 手にもった灯りが暗がりのなかで絡みあう二人をぼんやりと浮かび上がらせて、それがやけに淫靡な光景に見えたので、ちょっと離れたところに灯りを置いた。


「教えてくれ。いったいドラ子はなんなんだ?」


 声を抑えて訊ねる。


「精霊っぽい気配だが、ドートリーには見えない。頭にマンドラゴラを生やした木精霊なんて聞いたこともない。力だって弱いし、意志疎通さえできない。ドラ子がどういう存在なのか、知ってるんだろ」

「ハッ――」


 銀髪のエルフは荒い呼気とともにこちらを嘲弄して、


「……存在、だ? ンなモン、決まってるだろうが――」


 呪いの言葉のように吐き捨てた。


「生きてちゃいけない存在だよ。あいつも、てめぇらも……!」

「それは、エルフ族としての総意なのか?」


 深い憎悪の眼差しに心を寒くしながら問いを重ねると、エルフの表情がゆがんだ。


「関係ねえ。あんな臆病な連中……っ」


 少なくともエルフ族としての行動ではない。

 ひとまずそのことが確認できただけでもほっとして、俺は今度はめそめそと泣きじゃくる精霊のほうを向いて、


「シルフィリア。お前はこのエルフと契約してるんだよな。このエルフと一緒に行動してるのはその契約があるからか? それとも、精霊としての意志か?」

「うるさい! ツェツィを離せ、ツェツィは間違ってない!」


 短い髪を逆立てた風精霊は子どものようにわめきたてた。


「悪いのはお前らだろ! お前なんか、お前なんか――死んじゃえばいいんだ!」


 言霊を受けたように、くらりと頭が揺れた。


 ……なんだ?


 魔法? けど、魔力の放射は感じなかった。

 なのに、意識が――


「――やめなさい。大事なお友達の目をえぐりますよ?」


 半ば暗転しかけた視界に声。


 うっすらと視界の明かりが戻り、意識が覚醒する。

 自分が呼吸にあえいでいることに気づいた。まるで、標高のある山頂にでもいるかのように。


「落ち着いて呼吸をなさってください。あせらず、ゆっくりと。深呼吸です」


 指示にすがるよう、ゆっくりと肺を膨らませる。

 ようやく身体の隅々に血がいきわたって、今さらながらに全身の冷や汗に気づく。


 顔をあげると、風精霊が憎々しげにこちらを睨みつけている。その喉元にスラ子の伸ばした手刀が突きつけられていた。


「マスター。やはりこの精霊さんを自由にさせておくのは危険だと思います――いっそのこと、食べてしまいますか?」


 冷ややかな眼差しのスラ子に、


「やめ、ろ……っ」


 スラ子に押さえつけられたエルフが懸命にもだえる。

 俺はゆっくりと首を降った。


「いや。お前がエルフを抑えてれば、大丈夫だろう。今のは俺が油断したんだ、悪い」


 シルフィリアは情緒不安定気味になっているから、はじめから気をつけておくべきだったのだ。


 ……今この場でスラ子が風精霊を取り込んだりしたら、なにが起こるか。

 前回は特に問題は起きなかったが、水精霊のときのように変調をきたしてしまう可能性だってある。


「わかりました」


 こちらの抱いた不安にはまるで気づいていない様子で、スラ子はにこりとうなずいた。 

 俺はため息をひとつ。


「――ともかく。なにも話してくれないっていうなら、俺たちだって黙って殺されるわけにはいかない。勝手にこっちで竜を探させてもらうだけだ」

「やってみろ。殺してやる……!」


 まったく戦意の衰えていない様子に渋面になる。


 この口の悪いエルフと相方の精霊を無力化しつつ、尋常でない数の魔物たちがはびこる森を探索する。

 少し考えただけでも嫌になるが、話を聞きだす前にこの二人を解放するわけにもいかない。もちろん殺すわけにも。


「お考えなのは明日からのことですか?」

「ああ。日がのぼってるうちに精一杯動くしかないな」 


 明日には妖精の領域を外れるから、安全な隠れ家を利用することだってできなくなる。

 そもそも一帯がおかしくなっているというその状況がどんなものか、まずは実際に見てみないとなんともいえなかった。


「うーん」


 エルフをなぶる手をとめて考え込むようにしたスラ子が、


「なら、やめちゃいましょうっ」

「いや、やめちゃいましょうってな」

「そうではなくて。地上をいくのをです」


 にっこりと微笑んだ。


「地下なら、日がのぼっているのも落ちているのも関係ないですよね?」


 ◇


 翌朝。

 隠れ家には地下に続く巨大な空洞ができあがっていた。


 ちょうど大人二人ぶんくらいの高さに、二人が手を広げて隣に並べるほどの横幅。

 その横穴の隣で、一晩でこさえたスラ子がやけにすっきりとした表情で胸を張っている。


「いい仕事してみましたっ」


 そのスラ子と仲良く身体を重ねるようにしているのは銀髪のエルフで、単純な睡眠不足以外の消耗に全身をぐったりとしていた。

 その疲労は、鬼畜なスライムに一晩中責められたからというわけではなかった。


 エルフという種族は高い魔道の資質を持っている。

 スラ子はその優秀な魔力を源として利用して掘削魔法を連発し、たった一晩で地下を進む長大な横穴をつくりあげたのだった。


「この、野郎――」


 スラ子に肩を抱かれているエルフのつぶやきがひどく弱々しい。

 限界以上に自身の魔力を吸収されつくして、さすがに憎まれ口を叩く余裕もない様子だった。


 エルフの反抗する力を奪いつつ、安全に進む道を確保する。

 まさに一石二鳥というしかないが、


「ふふー。さすがに疲れちゃいましたね。けれど、さすがエルフさんです。ほとんど自分の魔力は使わないですんじゃいましたから」


 にこにこと悪気のない表情でいうスラ子は間違いなく悪役の立ち位置だった。

 スラ子といい、ルクレティアといい。怖いのばっかりだ。 


「それで、どのくらい掘れたんだ?」

「今から歩き始めて、だいたいお昼になるくらいまでの距離でしょうか。そのあたりがどうも限界のようでしたので」

「もろい地質とぶつかりでもしたのか?」

「いえ、そうではないのですが……」


 スラ子はそこで笑みをおさえて真剣なものに変え、


「……詳しくは実際にいってもらうのが早いと思います。とにかく、それ以上を掘り進むのは危険だと判断しました」


 俺は眉をひそめ、うなずいた。

 スラ子がそういうならなにか理由があるのだろう。


 カーラたちが用意してくれた朝食をすませ、準備を整えて横穴にもぐる。


「……空気とか大丈夫か?」

「さすがに通気孔まではつくっていませんが」


 スラ子が苦笑する。


「けれど、問題ありません。ちょっとした大気の流れをつくってもらっていますから、循環できているはずです」


 視線の先には、泣き腫らした表情で黙り込む風精霊シルフィリアの姿。

 ああ、またスラ子が脅すなりなんなりして協力させたんだろうなあ、と思ったので詳しくは聞かず、頬をかく。


「わかった。いこう」


 灯りの魔法を用意して、列になって横穴を進んだ。



 歩く。

 歩く。

 暗闇のなかをひたすら歩く。


 まったく代わり映えのしない暗がりを延々と歩き続け、さすがに気が滅入ってきたところで先頭のスラ子が立ち止まった。


「――ここまでです」


 さすがに深く入り込んできているせいか、さっきから妙な息苦しさがある。

 薄い呼吸を繰り返しながら前に進み出た。


 照らされた先にあるのはそれまでといたって変わらないように見える地質で、とくに掘削するのに障害があるようには思えない。


「どういうことだ?」


 目の前の壁に手をつけようとして、


「気をつけてください。ずいぶんと崩れやすくなっています」


 崩れやすい?


「そういう地層なのか」

「……マスター、さきほどから息苦しくはありませんか?」

「ああ、そうだな。さすがに空気が濁ってきてるか」

「正確には、このあたりの空気も濁っている、ということになると思います」


 微妙な訂正に、ふと気づく。

 周囲の大気にただよう微細な魔力の粒子がひどくよどんでいる。


 これは――


「……瘴気、か?」

「はい。徐々に濃さが増しています。地中まで侵食して、土の力が弱まっていて。これ以上を掘ってしまえば恐らく支えきれません」

「これが、おかしな気配の正体か」


 俺はうめいた。


 瘴気とは、一言でいえば汚染された魔力の吹き溜まりのことだ。

 魔力はこの世界のいたるところにあり、それぞれ形を変えながら常に循環している。


 魔物が発生する吹き溜まりと呼ばれる状態も、その例外ではない。魔物という存在それ自体が、魔力の循環した形態のひとつでもあるからだ。


 その正しいプロセスからなんらかの要因で外れ、まったく害を成す形でしか意味をなさない状態。

 それが瘴気と呼ばれる。


 瘴気は人間、魔物どちらにとっても好ましくない。むしろ有害だ。

 俺は、なぜあれほど多くの魔物たちが妖精の領域内に密集することになっていたのか理解した。


 連中は逃げてきたのだ。

 濃い瘴気のもとから、綺麗な大気のもとへ。


 そして、当然のようにもうひとつの類推にもたどりつく。

 こんな瘴気を発生させる要因――そんなもの、竜の躯以外には考えられない。


「とりあえず。順調に、目標には近づいてるわけだな」 

「はい。どの程度の距離かまではわかりません。これ以上は、地下をいくのは危険だと思います」

「そうだな。……瘴気が満ちてるっていうなら、魔物に取り囲まれるってこともないだろう」


 瘴気を苦手としない魔物もいるにはいるが、極少数だ。


「耐性がないときつそうだな。シィ、全員に――」


 振り向きながらいいかけて、言葉がとまった。


 ドラ子が震えていた。

 ぶるぶると、全身をまるめてシィの手のなかで凍えている。

 シィがそれを心配そうに見つめていた。


「瘴気にあてられたのかっ?」

「――怖がって、ます」 


 首を振ったシィがいった。


 怖がる。


 瘴気の濃い場所にいくのは決して気分がいいものじゃないし、抵抗力の悪い相手にとっては命にかかわったりもする。

 怖がるのだって別におかしいことではないが、


「……殺してやる」


 ぽつりと、スラ子に抱かれたエルフがいった。


「弱っちくて、惨めなヤツ。怖くて仕方ないってんなら、オレが。殺してやる――」


 うわごとのような台詞を聞いて、俺はもう一度シィの手のなかの生き物を見た。

 こちらを見上げている弱々しい視線と目があう。

 青ざめた表情が、なにかを訴えていた。


「……シィ。ドラ子にプロテクションを。他の全員にもだ。上にのぼろう」


 シィが唇をかんだ。

 ドラ子を心配しているのだろう。


 せいいっぱいの非難を眼差しに込めてこちらを見る寡黙な妖精に、俺はその気持ちは十分にわかるつもりだったが、応えるわけにはいかなかった。


「――わかり、ました」


 しばらく無言でにらみあい、観念したようにゆっくりとシィが息を吐いた。



 森は静かだった。


 緑。木。土草。

 森林という環境を構成するパーツは他と同じようにそろっていて、しかしそこには全てひとつずつ、なにか大切なものが欠けてしまっていた。


 たとえば木々が揺れる音がなく。

 たとえば隙間から漏れる光が寒々しい。

 そして圧倒的に、そのあたり一帯からは生き物の呼吸が消えうせてしまっていた。


 かわりにあるのは低く深く充満する負の気配。

 決して目に見えておどろおどろしく存在するわけではない、だからこそ目をそむけるのも耳をふさぐこともできない不快さが身体の芯にじわじわとにじんでくる。


「シィ、ドラ子は――」


 大丈夫か、と問うまでもない。

 マンドラゴラを頭に生やした小さな生き物は、シィの手のひらでまるで極寒に耐えるようだった。 


「なんとか我慢させてやってくれ。……多分ドラ子は、いかないといけないはずだ」


 なにかいいたそうにしたシィが、結局はなにもいわないまま小さくうなずいた。

 せめてドラ子を温めようとするかのように胸に抱く。


「……いくぞ。もうこの近くのはずだ」


 あてずっぽうな台詞は、すぐに現実のものとなった。


 小山のような死骸。

 全体が黒く焦げつき、いまだそのあちこちから黒いくすぶりが消えずに立ち昇っている。


 まるでそれこそがこのあたりを覆っている瘴気の正体なのではないかと思えるような煙がまだ続いている、巨大な竜の死骸がそこにはあった。


 どれほどの高さから落下したのか、その大質量の衝撃が地をえぐり、木々をなぎたおしてクレーターを作り出している。

 その中央にある物体は、衝撃を受けてなおバラバラに砕けることなく、ほぼ完全な五体のままで鎮座するようだった。


 ストロフライの攻撃痕だろう、あちこちが焼け焦げて、骨格と内臓が露出している部分がある。


 もちろん息はない。

 だが、今にも頭をもちあげて咆哮を轟きそうな、そんな圧倒的な存在感があった。


 その竜の躯を囲んでなにかの魔法陣が描かれている。


 石と線と、文字。

 まるで永遠の眠りについた竜を奉るか、あるいは封じるようなその魔法陣に眉をひそめて、


「ドラ子っ」


 シィの声。

 振り返ると、ドラ子が苦しそうに悶えていた。


 シィがかざした手をむずがるようにして撥ね退ける。声にならない悲鳴をあげた。


「――そいつは。精霊なんかじゃねえ……」


 スラ子に担がれてぐったりとしたエルフがささやいた。


 声は朦朧として、ほとんど意識がないような顔色が虚ろにあごをあげる。

 魔力を奪うためにもてあそばれ、媚薬じみた分泌液を受け続けたエルフの肉体、精神ともに正常な状態であるはずがなかった。


 それでも頑として一切を口にしようとしなかった強情な箍が外れ、 


「そいつは……竜の、残りかす。流れた血がそのあたりの植物に宿った、ただのカスだ」

「竜の血?」

「生き物なんかじゃねえ。ただ生きたいっていう竜の本能がかたどらせただけのデク人形。自分ひとりじゃ生きることもできやしねー……。だから、擬態して誰かに自分を護らせる」


 見るからに弱々しく、庇護意識をかりたてるその姿を見る眼差しに光が戻る。

 自分の漏らす言葉のひとつひとつに力を取り戻すように、


「それだけだったらどうでもいいがな。そのクソったれは――竜のマナを留め続ける楔になってるのさ。そいつがいる限り、この竜はずっとこのまま、瘴気を垂れ流す。……自然に還ることなく、命の残り香を求める――そいつは、在っちゃいけないのさ。――だから、殺すっ」 


 脱力しきった身体で眼光だけがなお鋭く輝いた。


「……どうして教えてくれなかったんだ?」


 銀髪のエルフは弱く、だがはっきりと馬鹿にしたように笑った。


「いったらどうした? 殺したか? そいつとおんなじような“モノ”を作り出しやがったお前が……。そいつを殺してたのかよ」


 スラ子はエルフに肩を貸したまま、黙っている。


「わかったら――俺にそいつを、殺させろ。それから……次だ。てめえらも、殺してやる」


 ほとんどうわごとのようにいって、がくりと力が抜ける。

 気を失ったらしいエルフから、俺はそれを心配そうに見つめるシルフィリアへ顔を向けた。


「シルフィリア」

「……なにさ」


 泣き腫らした目が見る。


「あの竜をどうにかするのに、他の手段はないのか」

「――あるもんか」


 風精霊は吐き捨てた。


「竜っていうのは、それひとつで完結してる。本質的に奴らはあたし達を必要としていないんだ。自然がなくたって生きていけるような連中なんだから、拒もうと思えばいくらでもそうしていられる。楔さえあれば。そいつがいる限り、瘴気は生まれ、森は死ぬ。弱かろうが、小さかろうが関係ない。――そいつは、自然の敵だ」


 空をみあげて、俺はため息をついた。

 いったいどうしてこんなことになるんだと悪態をつきたい気分だった。


 ストロフライが勝手に落とした竜が懸賞金をかけられて、大勢の冒険者たちが集まってきて。

 森を荒らされないようなんとか秘密裏にそれを処理しようとして紆余曲折、ようやく竜の躯の元まで来てみたら。


 ――ドラ子を殺せだって?


 やらなければいけないことがそれだということはわかってる。


 瘴気を垂れ流しにするわけにはいかない。

 森を滅ぼすわけにはいかない。


 だが、そのためにはシィの手のひらで震えているこのちいさな生き物を手にかけないといけない。


 全員の視線が俺を見つめていた。


 スラ子、カーラ、ルクレティア、リーザ。

 ――そして、シィ。


 無口な妖精は泣きそうな表情で俺を見上げていた。

 その表情が手のひらのドラ子のそれと重なって見えて、目をつぶる。


 結論を出すのは俺だ。

 そして、出した結論にむかって行動しなければならない。


 目を開けた。

 ドラ子を見る。


 ――在ってはいけない。――自然の敵。


 ぎり、と奥歯を噛みしめる。


「……考えろ」


 自分自身にむかって、唱える。


「なにか、方法があるはずだ。俺はドラ子を殺したくない」

「――マスター」


 表情をやわらげるスラ子たちの隣で、


「また、ですか」


 冷ややかにいったのはルクレティアだった。


「ご主人様。また貴方は前回の失敗を繰り返すおつもりなのですか」


 鋭い眼差しが見据える。


「ご自分の感情のまま動いても、なんら益することはないと。貴方は前回の件で学ばれたのではないのですか。ご自分の程度を知り、そのうえで最善を尽くすとお考えになったのではありませんでしたか。そのうえでの判断がそれですか?」


 感情の凍てついた言葉が胸に刺さり、直接、心臓を萎縮させるようだった。

 正論すぎる言葉に顔をしかめて、


「これが、こんなものが最善か?」

「子どものようなことをおっしゃらないでください。自分にできることの最善が、つまりは最善ですわ。できもしない夢想を口にするものではありません」


 ぴしゃりといわれ、言葉を失う。

 それでもなんとか口答えを続けようとして、


「――ハッ」


 エルフの嘲笑が耳をうった。


「笑わせるぜ……。ふざけんな。――人間ってのは、そうやって……いつかこの星を食い潰す」


 はっきりとした憎悪の眼差しで、


「甘えたことだけいってんなら、ベッドのなかに潜って夢見てやがれ。俺は、滅ぶとわかってそれを受け入れるような里の連中とは違う。お前らが森を、星を滅ぼすなら。その前にお前らを根絶やしにしてやる……っ」


 こちらの背後に人間という種族全体を見据えた台詞を黙って聞いて。


 不意に、背後でがさりという物音がした。

 魔物かと思っていっせいに振り返った先、一人の見知らぬ冒険者が姿をあらわした。


 きょとんとした顔で俺たちをみて、それから後ろの竜の躯に目をやって、


「竜だ! 竜がいたぞー!」


 大声で叫んだ。



 すぐにわらわらと大勢の冒険者があらわれた。

 身なりも装備も違う数人が、目の前にある巨大な躯に口々に驚嘆の声をあげる。


 その彼らのあとからやってきたのは、統一された装備をもついかにも手馴れた集団で、


「ああ、ルクレティア!」


 重装備の護衛たちに護られたノイエンが、ルクレティアの姿をみつけてぱっと顔色を輝かせた。


「よかった! 無事だったんだね! 一人で先にいくというから、とても心配していたよ――」

「ノイエン様。どうしてこちらに」


 長々と口上をはじめる男の台詞をさえぎって、ルクレティアがいった。

 ノイエンは気分を害した様子も見せずに爽やかに微笑んで、


「もちろん、君のことが心配で駆けつけたまでさ! まさか、君がもう竜の躯にまでやってきているとは思わなかったけどね! これはつまり、僕は負けたってことなのかな。さすがだね、ルクレティア!」


 なんともいいがたい表情で、ルクレティアがちらりと俺を見る。

 それに応えるまえに、ノイエンと共にあらわれた壮年の男が油断のない表情で口を開いた。


「ルクレティア様」

「――ジクバール様」


 俺は思わずスラ子たちを見る。

 小さく首をうなずかせてみせる、スラ子たちはすでにハイドの魔法をかけているらしかったが、


「……どうにも奇妙なお連れがいらっしゃいますな」


 ジクバールにはすでに看破されてしまっていた。

 黙って答えないルクレティアに、ジクバールは渋面で頭を振った。


「ともあれ。お話は後でうかがわせていただきます。ルクレティア様、よろしいですな」

「……ええ」

「そうさ! 今は竜だよ! みたまえ、凄いじゃないか! これこそまさに、僕が求めていた冒険だ!」


 嬉々としてノイエンが指をさす、そこではすでに冒険者たちが竜の躯に群がっていた。

 餓鬼の群れのごとく、躯をつつき、剣を突き立て、なかには遺骸を登ろうとしている者までいる。


 砂山で遊ぶ子どもを見ているような、そんな呆れた気分で眺めていると、


「駄目、だ……。やめさせろっ」


 スラ子の肩に捕まったエルフが唸り声をあげた。


「ん? いま、誰かなにかいったかい――」

「あの石に、触れさせんな……!」


 石?


 エルフがいったのは、竜の躯の周囲にはりめぐらされた魔法陣に使われる小さな柱のようなものだった。

 ひとりの冒険者がそれに足をかけ、しげしげと眺めて――倒した。


「バカ野郎、が……っ」


 ろくに身体に力もはいらないくせに、尋常でない剣幕でまなじりを吊り上げるエルフに訊ねる。


「どうしたんだよ。あの竜は死んでる。別に、危険なんて――」


 ずぐん、と。


 地が鳴動した。


 いや、違う。

 それは地面ではなく、大気の振動で――実際にはそれですらなかった。


「……バカか。ああ――大バカか」


 心の底から軽蔑しきった眼差しを俺に向けたエルフが、吐き捨てる。


「てめぇは……、あいつらが。たった殺されたくらいで死ぬ連中だと思ってやがんのか――?」


 その言葉を証明するように。

 再び、ずぐん、と音が鳴り響いて。


 まったくの唐突に俺は理解した。

 これは……、“鼓動”だ。


 そして。

 眼前の出来事が信じられずにぽかんと見上げるしかない一同のまさに目の前で、



「――――――――――ッ!!」



 ゆっくりと首をもたげた死竜が、全ての生物に死を賜るような不吉な咆哮をあげた。



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