十三話 凶行突破
「マスターっ」
隠れ家の入り口ではほっとした表情のスラ子が待っていた。
「ご無事でよかったです」
「ああ。みんな揃ってるな。すぐ出発しよう」
俺たちのやることははっきりしていた。
森の奥へ向かい、竜の躯の元にたどりつく。
当初からの目的ではあるが、結局はそのことがあの辻撃ちエルフに対する一番の対抗策になるはずだった。
昨日の戦闘でわかるとおり、相手の戦闘能力は強大だ。
弓の腕。魔法、精霊。それから森への被害をものともしない攻撃性。
そんな相手にいつどこから狙われるかわからず、びくびくしながら森を進むなんて冗談じゃない。
奇襲側の優位というのは、まず自分で機をえらんで仕掛けられることにある。
狙われるほうはいつ襲われるか気を張っているだけで精神を消耗してしまう。そうして疲労や油断の重なったところで襲撃を受けるのが一番まずい。
だったら、逆にこっちから圧力をかけてやる。
あのエルフはあきらかに、俺たちを含め人間を森の奥へいかせたがっていなかった。
ドラ子を探しながら冒険者たちを襲撃していたのはそのためだ。
ということは、俺たちがそっちに近づいてしまえば、向こうだってこちらの疲労を待つなんてことはできないだろう。
相手の間をはずす。あるいは焦って仕掛けてきたところを、迎撃する。
つまりこちらの短期的な狙いはまずあのエルフをどうにかすることにある。
話はそれからだ。
冒険者たちへの撹乱を森の妖精たちに任せ、森の奥へ。
妖精の泉近辺を越えてさらに進む。
森は泉周辺からその下流、東へ流れる広い範囲が特に妖精族の領域で、今回おかしな気配になっているというのはその反対側だった。
まさに竜が落ちたという目撃情報が寄せられている北西の方角へと、俺たちは進んだ。
異変は問題の一帯に近づくまでもなく訪れた。
固まって藪にひそんだ目の前を、数匹のオークが歩いて立ち去っていく。
息を殺して連中が遠ざかるのを待ってから、ふうっと息を吐いた。
「まさか、ここまでひどいとは」
あたりには昼間から魔物たちの姿があふれかえっていた。
いくら森のなかでもあきらかに多すぎる。生物が適当な距離感をとって過ごせる密集分布ではなかった。
探索にはいっているはずの冒険者なんてどこにも見かけやしない。おおかた逃げたか、隠れているかしているのだろう。
俺たちもハイドの魔法をかけているから今のところ難をのがれてはいるが、いったん見つかってしまえばたちまち取り囲まれてしまうのは間違いなかった。
「……来ると思うか?」
後ろのスラ子とルクレティアに訊ねると、
「来ると思います」
「間違いなく来るでしょうね」
異口同音の返事がかえってきた。
「あのエルフにしてみれば、多勢に無勢という不利条件をひっくり返す絶好のシチュエーションです。正々堂々などという考えをする方にも見えませんでしたし、こちらが戦闘状態にあるところへの強襲を目論んでいることでしょう。それに、遠距離からの大規模範囲攻撃では目標を確実に仕留められたか確認がとれません」
「混戦になってしまうと怖いですね。かといって、森はどこも魔物がいっぱいで抜け道なんてありそうにないですし。夜になったらもっと数が増えちゃいそうですし」
「強行突破しかないか」
このままじっとしていれば並みの魔物から看破される恐れはないが、そうやっていても事態は好転しない。
それどころか、夜になればスラ子のいったとおり魔物は活発になるし、今度は夜襲の線だってでてくる。なんとか日のあるうちに、森でもっとも北西にある妖精たちの隠れ家まで辿り着いていたいところだ。
妖精の隠れ家には魔物たちは近寄らない。あのエルフの襲撃までは防いでくれなくても、それだけでだいぶ危険は違うはずだった。
「シィ、方角はこのままでいいか?」
隠れ家の位置を知るシィにたずねると、こくりとうなずく。
その頭のうえにちょこんと座っているドラ子が不安そうにこちらを見ているのに気づいて、俺はだまってその小さな頭をなでて、
「――よし。一気に抜けよう。スラ子、あいつがでてきたら、任せるぞ」
「お任せください」
「殺すなよ。あのエルフには聞かなきゃならないことがある」
「了解ですっ」
スラ子がにこりと微笑む。
遠くでゴブリンとオークがなにやら騒ぎ始めていた。
魔物同士はいつだって弱肉強食だ。多すぎる数が集まれば当然あんなふうにいさかいも起こる。
とたんに騒がしくなる森のなかを、先陣をきってカーラとリーザが駆け出した。
「――ッ!!」
すぐに一匹のオークと遭遇する。
けたたましい叫び声をあげる豚面の魔物が手にした木斧を振り上げる前に、リーザの振りかぶった石大剣がその頭ごと打ち砕く。
響き渡る悲鳴。
これで、俺たちの存在は森中に知れ渡った。
遠からずあのエルフにも感づかれてしまうだろう。その前に少しでも距離を稼いでおきたいところだ。
『アイスランス!』
さっきまで争っていたゴブリンとオークが仲良くこちらに向かってくるのに、スラ子とルクレティアが氷の槍を先制して叩き込む。
カーラとリーザが道をひらき、遠距離からスラ子とルクレティアが駆逐して、シィは支援とレビテイトの魔法役。俺は重さの失せた荷物を抱えてひたすら走る。
息が切れるまで走り、うまく魔物たちから距離をあけたらハイドの魔法で潜んで小休止。そして移動。
それを繰り返して森のなかを進み、
「――来ます!」
スラ子の鋭い声とともに、殺気は上空から襲い掛かった。
木々を薙ぎ倒しながら斜めに空間を貫いた矢が地面に突き刺さると同時、周囲に破壊を撒き散らす。
あわてて破壊範囲から離れて合流を図る、俺たちから一人だけ違う動きでスラ子が飛び出した。
「トルネイド!」
渦巻く水流が向かう先、樹上にひそんだ射撃手から放たれた矢が容易く水流を打ち破る。
「夜まで待てなかったなんてせっかちですね、エルファンキーさんっ」
「ぶっ殺す!」
樹から降りざま、立て続けに三連射。
相手からの射撃をかいくぐるようにスラ子が迫り、着地の隙を狙う。
しかし、強襲を仕掛けてきたエルフは地上に降りたたず、その途中で文字通り空を蹴った身体が直角に機動を変えた。
接近戦を仕掛けようとしていたスラ子は勢いをかわされることになり、
「死にやがれ!」
そこに上空からエルフの矢が降り注いだ。
数本をまとめて一度に乱射し、タイミング的には避けようがない攻撃に対して、
「ウォータースプラッシュ!」
スラ子は溢れる水流を自分の真下に放った。
すかさず四方に流れて散る水に同化。幾つもの矢が水面を穿つが、水流に紛れて広がったスラ子に致命傷を与えることができない。
「チッ。……やっかいな野郎だ」
少し離れた場所で元の人型に身体を戻すスラ子を睨みつけ、銀髪のエルフが舌打ちした。
鋭い目つきがこちらを向く。
俺の周囲では、カーラやリーザが襲いかかる魔物たちを撃退しているところだった。それを遠距離魔法でサポートしながら、ルクレティアがエルフへの注意も怠っていない。
シィとその頭のうえのドラ子をかばうように後ろにさがらせる。
さすがに、スラ子を相手にしながら同時にこちらを狙う余裕はないはずだ。
視線を戻したエルフが、まずは標的を目の前の存在に定めたようにぎらりとした眼差しで、
「いったいどれだけ針ネズミにしてやればいいんだか。てめえの存在核はいったいどこだよ?」
「教えると思います?」
「はっ。――まあ、全部ぶっ飛ばしてやればいいだけだろ!」
吠えて、駆けた。
遠距離を得意とするはずの利を捨てて接近戦を挑む。
接近戦用の武器も持ってないようにみえるのに、普通に考えればありえない行動だが、もちろん自棄になったわけではないはずだ。
恐らく。スラ子が身体を変容させるより早く、至近距離からの一撃を叩き込んでやろうというつもりなのだ。
スラ子は魔力の込められた攻撃に弱い。
そして、たとえ多少の耐魔力があったところでどうにもならないほど、精霊の加護を得たエルフの攻撃力はずば抜けている。
あとは如何にその一撃をあてるかということになる。
遠くからの攻撃を身体を自由に変化させて逃げられるのなら、近距離でぶん殴ってやればいい。
乱暴な考えだが間違いではないかもしれない。
スラ子のほうも、逃げるばかりでなく自分から攻撃するためにはいつまでも水のなかに隠れているわけにはいかないのだから。
だが、それはスラ子にとっても望むところだ。
スラ子が相手を無力化するためには近づく必要がある。
それを相手からやってきてくれるというのなら、むしろ展開としては歓迎すべきものであるはずだったが、
「いっけえ、ツェツィ!」
「っ――!?」
空を駆けるエルフの速度は、離れて見ている俺でも追いかけるのがやっとというほどだった。
身体能力の強化というよりは、足の裏に凝縮した風の押し出す力を受けているかのような爆発的な加速。
「くっ……」
あわてて身体の一部を変化させ、かろうじて間に合った腕の刃で、スラ子が弓で殴りつけられた一撃を防ぐ。
すれ違いざまに攻撃を加えたエルフは、スラ子に反撃の暇も与えず距離をとり、間をおかずに再接近して次の攻撃を仕掛ける。
体勢を立て直す余裕すらないスラ子は防戦一方だった。
エルフの速攻には魔法を使う隙間さえなかった。
挙動そのものは近づいて離れるというたったそれだけの単純さ。
だが、速度があまりに違いすぎる。
それでもスラ子がなんとか耐えられているのは、速すぎるあまりエルフの攻撃がかえって直線的になり、予想がしやすいからだ。
それに、エルフが手にしているのはただの弓だった。
あれでは殴りつける以外に攻撃方法がない。当たり前だが弓ってのは接近戦をするような武器じゃない。
その攻撃力も昨日のものに比ぶべくもなかった。
日頃から愛用し、研鑽してきた熟練の手法だからこそ、あれだけの威力を得られるのだから。
それがあのエルフの弱点だ。
森の一角に大規模な破壊痕を残した全力射は恐ろしいの一言だが、裏を返せばあそこまでのものは矢撃以外にはありえない。
それが精霊魔法。加護という祝福の“呪い”。
あるいは接近戦でスラ子の体勢を崩し、至近から必殺の射撃をぶつけてやる心積もりなのかもしれないが、
「ナイフくらい、お持ちのほうがよかったのでは――っ?」
圧倒的に反応で負けているスラ子が、直線的な動きを予測することで徐々にエルフの攻撃に慣れてきていた。
「余計な世話だ!」
振りかぶったエルフの弓が、ついに正面から防がれる。
弓の柄を握りしめたスラ子が不敵な表情で微笑んで、
「やっぱり、弓はアウトレンジに徹したほうがいいんじゃないかと思いますっ」
「――そうでもねえさ」
にやりとエルフも獰猛に笑った。
空いた左手が後ろ手にまわり、矢筒へと伸びて、
「別に矢は、射たなきゃいけないってわけじゃねーだろ、タコ」
握りしめられた鏃がスラ子に突き刺さる。
込められた魔力の光が輝き、次いで風を巻き起こす。
「――――」
俺も、スラ子も。
近くで戦闘中の他の誰一人として声をあげることもできなかった。
「……っ! あ、」
荒れ狂う暴風が、半透明の質感をもったスラ子の全身をずたずたに引き裂いた。
弾け飛ぶ。
「ハッ――」
あっけなく宙に霧散するスラ子の残滓を嘲るように、エルフが高らかに勝利を宣言するより早く、
「ツェツィ! 下!」
悲鳴じみた声。
それに重なるようにして響いた声は、
「――同化できるのが水だけだなんて。いってませんよ?」
はっとしたエルフが下を見る、その足元を掴む一本の腕があった。
地面から生えた半透明のそれが見る間にエルフの身体をはいあがり、全身をあますことなく絡めとっていく。
「て、めえ……!」
「ふふー。お互いによい騙し合いでしたね? ちょっとびっくりしました」
潜んでいた地面から全身をあらわしたスラ子が余裕のある表情でいった。
……びっくりしたのはこっちだ。
いつのまにか止まっていた呼吸を再開させて、俺は恐々と息を吐く。
無謀にみえる接近戦を仕掛け、隙をみて直接スラ子に魔力を叩き込んだエルフ。
それに対して、スラ子は前もって自分の一部を地面に同化させていた。
いや、むしろ地上で戦っていたほうこそが一部だったんだろう。
その一部を、やられる瞬間に切り離した――とかげのしっぽ切りみたいなもんだ。
互いが互いに誘いをかけた攻防は、スラ子に軍配があがった。
「クソ――、……がっ!?」
無理やり抗おうとするエルフの全身が痙攣する。
全身に絡みついたスラ子が反撃の余裕を相手に与えるはずもなく、エルフの表情が苦悶のそれに歪む。
「ツェツィ!」
「やめたほうがいいと思います。お友達がどうなるか、心配でしょう?」
エルフの喉元に手をあてて、声をあらげる風精霊にスラ子がいう。
俺がいうのもなんだが、きっぱりと悪役の台詞だった。
「この……!」
「ふふー。別に殺そうというわけじゃありませんから。大人しくしていてくださいね」
憤慨して、しかし攻撃することもできずシルフィリアが唇を噛みしめる。
スラ子のほうは決着が着いた。
一方、俺たちの周囲でもいったん魔物たちの襲撃がおさまっていた。
カーラ、リーザ、ルクレティアに怪我はない。三人の足元にはたくさんの魔物たちが返り討ちになって転がっている。
もちろん、またすぐに第二波がやってくるから、長くここに留まっているわけにはいかない。
周囲に警戒しながら、俺たちはエルフを捕獲したスラ子に寄っていった。
「聞きたいことがある」
銀色の眼差しが烈しい殺意を向けてくる。
「……なんで竜に近寄らせようとしない? ドラ子を狙う理由はどうしてだ」
「誰、が――いうかよ! がっ……!」
電流を浴びたように身体がびくりと跳ねる。
「教えてくれ。別に俺たちは森をどうこうしたいわけじゃない」
「死ね、このクソボンク――、っっ!」
俺はエルフとの会話をあきらめ、苦痛に悶えるエルフを見つめてほとんど泣き顔になっている風精霊のほうを向いて、
「シルフィリア。教えてくれないか」
「イヤだ! ツェツィを離せ、バカ!」
いっぱいに涙をためた眼差しで罵倒された。
腕を組む。
どうしたものか。
こんなところで時間をくうわけにもいかないし、かといってこんな危険な連中を野放しにしておいたらまた襲ってくるだろう。
竜、そしてドラ子になにかがあるのは確実なのだから、それを聞き出さないといけない。
なんとか相手が口を割ってくれるアイデアはないかと考えあぐねていると、
「マスター、私にいい考えがあります」
そういったスラ子の笑みは無垢そのものの邪気に満ちていて。
久しぶりに見るその表情に、俺はなにをする気だと聞くまでもなく嫌な予感をおぼえていた。
◇
「――っ」
押し殺した声が漏れた。
鬱蒼とした森の木々が風に揺れ、それで生じる葉擦れの音にまぎれるかすかな音が、絶え絶えに続く。
あたりには魔物たちの死骸から濃い血の匂いがたちのぼり、周囲には強い日差しを緩和して風になびく自然の風景。
似つかわしくないそうしたコントラストに、さらに彩を添えて――というには、弱々しく。
だが、似あわないというならそれ以上の光景が、目の前で繰り広げられていた。
真っ赤になったカーラがシィの目をふさいでいる。
目をふさがれたシィも頬を染めていて、両手は自分の頭のドラ子の目と耳を隠し。リーザは表情の読めない蜥蜴顔で不思議そうに眺めて、その隣のルクレティアは顔中をしかめさせていた。
「……嫌なことを思い出しますわね」
苦々しいつぶやきを聞きながら、俺はそっと空を見上げる。
森の隙間からのぞく青空はよく晴れていい天気だった。
あ、鳥だ。
あれはシジツグミか。可愛いなー。
「ほら、鳥さんも首をかしげてこっちを見てますよ? 可愛い声ですね。ふふ、エルフさんもあんなふうに可愛い声を聞かせてくれてもいいんですよー?」
現実逃避の気分をあっさり台無しにされ、渋面で顔を戻す。
目の前で絡み合う二人のあられもない痴態に向かって、
「タイムオーバーだ、スラ子」
厳格な審判をくだした。
「日が落ちる。魔物たちもやってくる。隠れ家に向かうぞ」
「うーん。なかなかの強情さんです」
残念そうにスラ子が息を吐く。
身体中を弄ばれ、それでも口を割らなかったエルフが壮絶な笑顔を浮かべて、
「ハッ。ざまぁ……みろ。この、クソが――」
「続きはあとで、ですねっ」
にっこりといいはなったスラ子の極悪な笑みに、声をうしなった。
「なっ……」
「今のままではお辛いでしょう。ちゃあんと責任をもってなぐさめてあげます。ルクレティアさんとどっちが我慢強いか楽しみですっ」
うふふふふ、と嬉々として告げる不定形の邪悪な生き物に、
「そういう話で私の名前をだすのはやめてください」
心底嫌そうにルクレティアがいった。
一週間近くスラ子になぶられ続けたことのある身としては、ちょっとは同情する気分なのかもしれない。
俺はため息をついて、
「とにかく、いくぞ。……シルフィリア。悪いがお前も一緒にきてくれ」
その風精霊は、こちらの声なんて聞こえてないみたいにさっきから大声をあげて泣きじゃくっていて、
「わーん! ツェツィが汚されたー!」
そういいたくなる気持ちはわかるから、俺はその嘆きを聞き流すしかない。
「安心してください、エルフさんの身体には傷ひとつつけたりなんかしてませんよ?」
――そういうことじゃないだろう。
多分、その場にいる全員が心のなかでツッコミをいれていた。