七話 豪華な晩餐と素敵なダンジョン
その日の夕食は、何時ぶりだろうって思うくらいに豪勢なものになった。
分厚い肉を香ばしく焼き上げ、みずみずしい野菜を豪快に使い、その日に焼いたばかりのふかふかのパンを並べる。奮発して買った果実酒までつけちゃったりなんかして、それまで貧相な食生活しかしてこなかった俺は食卓からのぼる匂いだけをかいで一日を過ごしたいくらいだった。
「まったくもう、マスターは」
だというのに、それらを調理したスラ子はさっきからご立腹で、
「お金が入ったからって、すぐこんなに贅沢して。ご自分のおかれた状況がわかってるんですか」
どうやらシィの鱗粉で得た稼ぎをすぐさま散財してきたことを怒っているらしい。
「いや、そりゃわかってるけどな。……ちょっとくらいいいだろ」
「ちょっとじゃありません」
ぺちん、とスラ子の手がテーブルをうった。スライムだから音に迫力がない。
「竜族の人たちに支払うお金を用意して、罠とか、戦力を用意しないといけないんですよっ。無駄使いしてる余裕なんかゼンゼンありません」
ぺちん、ぺちん。テーブルを叩くスラ子の手を、シィが視線だけ動かして追っている。
「そんなことだからお金がなくなったりするんです。余裕があるときにこそ貯蓄しておかないと、いざというときに大変なことになっちゃいますよ?」
なんだろう。
ひどく複雑な気分だ。
スラ子の容姿は俺がイメージしたものだ。それには俺の知っている相手を使っている。
だから当然、スラ子はその人物にかなり似ることになるわけで――その相手からこんなふうに怒られるのが、とてもむずがゆい。
嫌ってわけじゃない。そのイメージ元につかった人物を、俺は憎からず思っていたからだ。
それどころか、
「……わかった。すまん、これから気をつける」
とにかくスラ子の意見はまっとうな正論で、口答えはできない。俺は素直にあやまった。
それを聞くと、スラ子はにっこりと微笑んで、
「はい、わかってもらえたらいいです。いっぱい作りましたから、たくさん食べちゃってくださいね。マスターが頑張ったお金なんですから。今日はお疲れ様でした」
本当に、ずるい笑顔だ。
ちょっと口うるさいことをいわれても、この笑顔一発で帳消しどころかそれ以上の破壊力がある。卑怯だ。反則だ。可愛いなちくしょう。
「よし。じゃあ飯にしよう」
三人で食卓を囲む。もちろん、別室のスライムたちにも豪勢な食事がふるまわれているところだ。
誰かと一緒にとる食事というのには、奇妙な感慨があった。
このダンジョンにきてからずっと一人だった。一緒にいたのはスライムと、雑用係のスケルトンが一体。どちらとも会話はできない。
昨日まで洞窟のなかで一人だったっていうのに、こんなふうにわいわいと過ごすのは、懐かしかったり、戸惑ったり。照れくさかったり。
……悪い気分じゃないことだけはたしかだ。
ぼっち飯に慣れた身には、誰かが用意してくれた食事ができたてという温度以上のあたたかさを伝えてきてくれて、俺は二人に隠れてこっそり目元をぬぐった。
にぎやかな食事が終わろうとしたころに、
「今日のお金、どういうふうに使いましょうか」
必要なのは魔力供給なので、食卓にはほとんどつきあいで座っているだけのスラ子がいった。ついでにいえば、妖精であるシィも野菜スティックしか口にはしていない。
「人間にあらされてる洞窟をどうするか。まずはそこから考えないとですよね」
「どうするか、なあ」
ランタンの吊るされた天井を見上げながら考える。
俺は一応、派遣されてこのダンジョンを預かっている。
俺を派遣しているのは、無法者、というより唯我独尊の集まりといえる魔物たちにある、ほとんど唯一の意思共同体で、その団体が運営する魔物アカデミーだ。
人間っていうのは貪欲な生き物で、この世界の全てを支配しないと気がすまないから、やつらは未開の地をきりひらき、そこを自分たちの生きやすいように作り変えていく。
別にそれについてどうこうじゃない。だが、その場所にはもともとそこを縄張りとしている生物がいて、種族がいる。ひとまとめに魔物と呼ばれるのがそれだ。
アカデミーを運営するような団体が魔物たちのあいだで設立されたのは、そうした人間たちに対抗するためだ。集団には集団、というわけだ。
もっとも――唯我独尊な性格が多い魔物のことだから、共同体といってもその規模は決して大きくない。
むしろ自分に自信がある種族や個体になるほど、個人でなんでもやってやろうとする。わかりやすい例が、俺の家の上をお気楽に飛びまわって好き勝手しているあの連中だ。
魔物の多くの発生には、魔力の吹き溜まり、魔渦が関わっている。
人間はそんなやっかいなものはできれば失くしてしまいたいと思っている。一方の魔物は、そんな真似をされると迷惑だと思っている。
これが人間と魔物のあいだに起こる、もっともポピュラーな争いの原因だ。
「でも、それならどうして人間は、ここの魔渦をそのままにしてるんでしょう?」
スラ子の質問に、俺は肩をすくめる。
「洞窟の前の看板、見ただろ」
「はい」
「初心者用。そういうことだ」
小首をかしげたスラ子が、すぐに、あ、とうなずいた。
「練習場所、ですね」
「ここは吹き溜まりが濃くないからな。生まれる魔物も限られるし、対処も難しくない。冒険者になったばっかのルーキーどもに戦闘のいろはを教えるには格好の場所ってわけだ。連中、自分達でここを管理してるつもりなんだよ」
「なるほどー。あれ、でも」
スラ子が逆側に小首をかしげる。
「それって、大丈夫なんですか? マスターは、アカデミーからここを管理するよういわれてるんじゃ……」
「俺がアカデミーからまともな査定評価をもらえてたら、こんなに貧乏してると思うか?」
「なるほど」
スラ子は苦笑とともに納得した。
人間から好き勝手にされて、あまつさえ殺し続けるために生かされてるような現状が、もちろん評価なんてされるわけがない。
そんな駄目管理者の俺がそのままでいられるのは、つまりは魔物側からみてもこんな程度のダンジョン、とるにたらないからというだけに過ぎない。
人間側の打算と魔物側の無関心によって、俺は生かされている。
情けない話だ。
それもこれも、悪いのは全て俺。全部、自分が弱っちいのがいけない。
「ということは。もし私たちがここのダンジョンを強化したりすれば――」
表情を真剣なものにあらためたスラ子に、俺もうなずきを返す。
「管理してるつもりになってる場所で問題が起きれば、当然、本腰をいれるだろうな。渦の湧きを潰しにくる可能性だってある」
「やっぱり、慎重に行動しないといけませんね……」
スラ子のいうとおりだった。
まったくの雑魚だからこそ、お目こぼしを受けているのが現状だ。下手なことをすれば悪い結果になるだけかもしれない。
だが、それならどうする? このままこそこそ隠れて一生を生きていくのか?
冒険者どもから隠れ、竜族にせびられ、妖精たちにからかわれながら?
ふと思いついて、俺は会話をじっと聞いているシィへ顔をむけた。
「シィ、お前から妖精族に話をつけてもらうことは無理か? 協力なんざ、そうそうしてくれるような連中じゃないことはわかってるが」
寡黙なはぐれ妖精は大人しい視線でこちらを見て、そっとまつげを伏せた。
「……無理、だと思います」
やっぱりか。
なにか仲間たちの元から離れた理由があるらしいから、そんなことできるはずがなかった。
うつぶせになったシィの悲しそうな顔を見て、ふと思った。もしかしてシィは、仲間たちからいじめられてたりしたんだろうか。だとしたら仲間だ。ぼっち同士の勝手な共感が生まれる。
「マスター。いただいた知識のなかに、お金を払って魔物を雇えるっていうのがあったと思うんですけれど。それってどういうものなんでしょうか?」
「傭兵のことか? アカデミーのやってる事業だな。どこも金集めには苦労してる」
好き勝手ばっかりな魔物たちの世界で、なんとか集団じみたものを維持しようと日々努力しているその組織が手がけるいくつかの事業の一つ。
やってることは人間の冒険者ギルドとたいして違いはない。
兵士や戦力を必要とする魔物に、アカデミーから傭兵を派遣する。派遣される魔物はその強さによってもちろん値段が違い、契約にある期間のあいだ、契約主のもとで戦ったり、雑用をこなす。
「それでこちらの戦力を増強するのは、有りですか?」
「有りか無しなら、そりゃ有りだろう。だが問題もあるぞ」
「どういう問題でしょう」
「魔物はしょせん、魔物だ。傭兵に忠誠なんざ求めるほうが間違ってる」
「いうことを聞いてくれないってことですか?」
「それくらいならまだいいが、なかには雇い主を殺して金目のものを奪ったりとかな」
うわあ、とスラ子が眉をひそめた。
もちろん、そんなことをしたらアカデミーからペナルティはある。
むこうにもメンツというものがあるので、討伐隊を出したりもするだろうが、自分が殺されたあとにそんなことをしてもらったってなんの意味もない。
「雇うんなら、自分の手に負える――弱い魔物にしておいたほうがいいな。そして、そうなると違う問題も出てくるわけだ。自分より弱い魔物をわざわざ大金を払って雇う価値があるか。まあ、数の暴力ってのもあるけどな。そうなると今度は維持費がキツい」
「ままなりませんねえ」
しみじみと、スラ子が腕を組む。
「人生なんてそんなもんだ」
さすがこれまでの人生を負けっぱなしできた男の台詞には、他の誰にもない重みがあるもんだと我ながら思ってしまった。
「あ、そうだ。マスターの魔法で、私のようなスライムをたくさん作るというのはどうでしょうか?」
「ああ。まあ、材料さえあればできるだろうが……」
俺が長年をかけた研究の過程と考察については、当然まとめてある。再現性は恐らく確立できていると思うが、俺は及び腰だった。理由はある。
一人目として生まれたスラ子は、まず成功といっていい。大成功だろう。あくまで今のところではあるが、スラ子には完全な知性、そして自立性がある。
そのスラ子の提案で、シィという強力な味方を手に入れることもできたのだ。もっとも、シィの場合はかなり偶然の要素が強い一件ではあるが。
ともかく、スラ子の優秀性については疑いようがない。
だが、だからこそという不安も残った。
もしスラ子に続く二人目、三人目をつくって、もしそこでなにかの問題があった場合。果たしてそれは俺の手に負えるのか、ということだ。
アウトローをやってると自負する俺にだって、節度はある。それになにより、まず俺自身が生き残るために、研究の拡大には慎重な姿勢が必要だった。
……ぶっちゃけると、スラ子一人の時点ですでに手のうえで転がされてる感がぬぐえないので、第二、第三のスラ子をつくりだすことに不安をおぼえているだけだったりもする。
「私のような存在をつくるのが難しいのなら、その他にも。マスターの研究を生かすことってできると思うんです」
「そうだなあ。たしかに色々長くやってきてるから、スライムの性質変容だったりはけっこうできたりするが。衣服だけを溶かしたりとかな」
くだらない例としてあげたつもりだったのだが、スラ子は案外真面目な表情でうなずいて、
「武器や防具を溶かせる、ってことですね。相手が死なないってことは身代金になりますし、使えますね。上手く誘導と、そのあとの処置を考えられれば……」
ふむふむとなにやら思索している様子。
冗談のつもりなんだけどな、と言いかけたそのときだった。俺の脳裏に天啓がひらめいた。
スライム――衣服だけ――つまり、裸。
「それだ!」
俺は吠えた。
「やってきた冒険者どもを罠にはめて、スライム部屋に誘導する! そこにいるのは相手の衣服だけを溶かしてしまうというなんともまいっちんぐなスライムの集団だ! 男の裸なんざ激しくどうでもいいが、罠にはめられた女冒険者たちは阿鼻叫喚! そしてそれを別室の観賞部屋から見守るスケベ野郎ども! もちろんそいつらからは入場料をいただく! 人間なんざ真面目なこといっても根はスケベなんだから、これならきっと暗黙の了解みたいになって手出ししてこないはずだ、いざとなったら賄賂でもなんでも送ってやれ! そして事業拡大、店舗拡大! 世界はエロでまわってる!」
息を吸って、
「風俗王に、俺はなる!」
「あれ。そういう方向性になっちゃいます?」
威勢良く立ち上がって高らかに宣言する俺を見上げて、スラ子は困ったような顔でつぶやいた。