五話 異文化な者々
魔という言葉は人間が作り出したものだ。
人間にとって抗うことができない。扱いきれず、理解が及ばない範疇の外にある存在。
それらは魔力と呼ばれ、魔法、魔物と呼ばれてきた。
ときに神という概念にそれは置き換えられたし、自然という現象のなかにそれが見出されることもある。
そうすることで、人間は自分たちの認識へとそれらを落とし込んできたのだ。
この世界には神秘があふれていて、その神秘には理由がある。
水、火、風、木、金、土、光、闇、月。
世界を構成する九つの属性に最後の一つを加えた十の意味から物事は成っている。
その在り方を端的にあらわしているのがそれぞれの属性の精霊たちだ。
水のウンディーネ、火のサラマンデル、風のシルフィリア、木のドートリー、金のゴルディナ、土のノーミデス、光のシャイネ、闇のダーク、月のムーニイ。
はじめの六体を地の六種といい、残る三体が天の種族。
前者と後者では立ち位置が異なるが、それぞれの立場で自然を見守っているのは変わらない。
精霊は自然そのもの。
それは古くから人間や他の魔物にとって信仰の対象であり、同時に怖れの対象だった。
数を増やし、文明を築き、魔を扱う技術としての魔法を研鑽してもなお、いまだに彼女たちは人間にとって遠い存在のままだ。
あの圧倒的な暴力をもつ竜と人間とのあいだにある、どうしようもない差とはまた異なる意味で、きっと人間が精霊に対して完全に理解が及ぶことはないのだろう。
だからこそ、竜は魔力の力の象徴であり、精霊とは魔力の質の象徴であるといわれているのだが、
「…………」
目の前で、つぶらな瞳がこちらを見上げている。
頭にマンドラゴラを生やしたちみっこい生き物を見おろして、しみじみと考えた。
――たしかにこんなもの、どうやって理解しようってんだ。
なぜ頭から植物を生やしているのか。どうして人型をとっているのか。そしてなぜ人の顔を指差してそんなに笑っているのか。
声もなく、ただ楽しそうな笑い方には愛嬌があって、人を不快にさせなかった。
それでもなんとなく悔しかったのでわざと変な顔をつくってみせると、それを見たドラ子がお腹をおさえて笑う。
笑われたんじゃない。笑わせたんだ。
ちっぽけな自尊心を満たして、ふと視線に気づくとエリアルから呆れたような眼差しを向けられていた。
「……また不思議なものを拾ってきたものだ」
「こういうのを他に見たことはあるか? あったら、なんなのか教えてほしいんだが」
「いや、水中でそういうものに遭遇したことはない。小人族というやつではないか?」
「それだともう少しでかいはずなんだよな。頭に植物を生やしてるなんて話も聞いたことがない」
「精霊の気配に近いものは感じるが。眷属なのかもしれないな」
「眷属なあ」
精霊とはそれぞれが独立した種族だ。
彼女たちは純粋な属性の身であるからこそ、進化もなければ退化もしない。
そこに多少の個性差はあっても、眷属や亜種などに枝分かれするなんて聞いたことがなかった。
「ノーミデス。そういうことってあるのか? ドラ子を見てなにかわからないか」
テーブルにぐてっとだらけている土精霊に話を向ける。
んー、と顔をあげたノーミデスがドラ子を見て、にへらと相好を崩した。
「かわいぃ」
「いや。そうじゃなくてだな……」
「んー、木のコっぽい~? けど、不思議ー。こんなに小さく生まれて来るなんてないからぁ」
「やっぱりそうなのか」
「少なくともあたしたちには、大人も子どももないしー。他の精霊がどうかはわかんないけど~」
精霊はそれぞれ独立した種族だから、在り方や特性が違っていても不思議ではない。
木精霊にそんな種族特性なんてあっただろうかと頭をひねったが、たいしたことは思いつかなかった。
「――いた。……ごめんなさい」
部屋にやってきたシィがドラ子を胸に抱え、ばたばたとドラ子が暴れる。ため息をついたシィが頭にのせるとむふーと笑った。
シィがぺこりと頭をさげ、そのまま去っていく二人を見送ってから、
「……まあ、なんでもいいか」
エリアルが細い眉をもちあげる。
「意外と肝が太いんだな」
「身近に変な連中が多いからな。耐性がついてきた」
肩をすくめる俺に、隣にひかえるスラ子から声がかかった。
「いったい誰のことです?」
「誰のことだろうな」
髪の毛を引っ張られて、後ろを睨むとスラ子がそっぽをむいている。
エリアルが笑い、先ほどから黙って椅子に座っているもう一人を気にするように笑みをおさめた。
「すまない。話を戻してくれ」
話し合いに呼ばれたリザードマン族の長は、無言で俺たちの会話に聞き入っている。
といってもこちらの言葉はノーミデスの通訳を介さなければ理解できないから、世間話をされてもつまらないだろう。
「ああ、悪い。さっき話したとおり、俺たちはしばらくこの洞窟を離れる。期間は……よくわからない。一月も帰らないってことはないと思うが」
あの黒竜がどこに落ちたのかわからないから断定はできないが、あまり留守にしていたらストロフライにみかじめを払う日が来てしまう。
実際問題として、二週間程度が探索の猶予期間になるだろう。
それまでにあの竜の躯探しのクエストになんらかの決着をつけられればいいのだが。
「ここにはルクレティアが残る予定だ。地下の作業はノーミデスと、あいつの指示に従ってくれ。それから当座の食料を用意しておいたから、あとで下に運び込むのを手伝ってくれると助かる。新しい掘削道具も用意しているところだ。こっちはもう少し時間がかかるが……他になにか用意したほうがいいものはないか?」
「そこまでしてもらうと申し訳ない気がするが」
「気にしないでくれ。来月のみかじめの肩代わりとあわせて、給料みたいなもんだと思ってくれればいい」
リザードマン族の食糧問題ではじめた作業だったが、今では意味が違ってきてしまっている。
それなのに無償で働かせるなんて尻のおさまりが悪い、という気分もありはするが、それだけではなかった。
リザードマンたちとマーメイドたちの関係はよろしくない。
それぞれが抱えている鬱憤を代償行為で昇華させるためにも、暇をあかして余計なことを考えないためにも、なにかの作業に従事するのは悪いことではないだろう。
頭を冷やすためなら、距離をあけて時間をおくというやりかたもあるが、それでは両者のあいだにある溝も今のまま冷えて固まってしまう。
本当の意味で彼らにこれから地下で共に生きてもらうのなら、そんなふうになってもらっても問題だった。
もちろん、共同作業のなかで問題が再発する危険性だってある。
疲れたらイライラするのは人間も魔物もおなじだ。腹が減れば衝突だって起こりやすくなるだろう。
それを回避するために少しでも疲労の要因は取り除いておきたい――ようするに、俺が彼らの就労環境を気にするのは最初から最後までこちらの都合だ。
そんなことをわざわざ口にするのは、正直という言葉に馬鹿がつくことではあるのだが。
微妙な俺の内心をはかったように、微笑を浮かべたエリアルがうなずいた。
「なるほど。なら、そうだな。最近、群れの若い者が腰布のようなものを欲しがっている」
「腰布?」
「地面を這うとどうしても鱗がこすれてしまう。そういうのを気にするのもいるんだ」
「ああ、なるほど」
魚人族には先が大きく分かれた尾びれがある。
それは水中での活動に適している反面、どうしたって陸上行動には向かない代物だ。
「……無理して手伝ってくれなくていいんだぞ」
「いや、そういうわけではない。それにただ鱗を護るやり方なら、少し力を使えるならできなくはないからな。水の加護をまとえばいい」
「ああ、なるほど」
それなら、魔法を扱う技術に長けているマーメイドたちが腰布なんて欲しがる理由はいったいなんだろう。
「お前達の影響、ということになるのだろうな」
美しい裸体を長い髪で隠した人魚がいう。
「俺たちの?」
俺たちのなかで着衣しているのは、人間族のカーラやルクレティアはもちろん、妖精のシィや見た目が白っぽい人間にしか見えないスケルもだ。
スラ子や精霊のノーミデスは服を着ているわけではないが、それぞれ隠れるところは隠れていて、あまり裸にみえる格好ではない。
スラ子はたまに気分で服を着ていたりするが、普通の服では半透明の質感にあわないため、それよりむしろ自分の身体の細部を微妙に変化させて違いを楽しんでいることが多かった。
前述の服装組にしたってそれぞれで、カーラはいつも動きやすそうな質素な格好だし、ルクレティアはやたら質のよい生地しか使っていない。
シィが着ているのは妖精族のひらひら、ふわふわした薄い羽衣みたいなやつで、スケルは大きめのシャツをだぼっと着ているせいで首元が露わになってしまっている。
服装というのは保温や身体を護る意味が第一だが、個性や立場の表れでもある。
日によって違うそうした服装の様子を見ているうちに、着衣の習慣をもたない魚人族の一部が興味をもってしまったということか。
ちなみにそのカーラたちは今、別室でドラ子の着るものをつくっているところだ。
メジハの道具屋で買ってきた布生地をああでもない、こうでもないと裁縫していて、生地や刺繍についてわいわいと一種の女子限定空間と化していた。
「そのほうがマスターも助かるかもしれませんね」
スラ子がいった。
エリアルが不思議そうに首を傾げる。
「どういうことだ?」
「今も目のやり場に困ってしまってますもんね?」
楽しげに解説するスラ子に、俺は渋面で息を吐いた。
「……スラ子。なにか肩に羽織るものを持ってきてくれ」
「はい、マスター」
スラ子が肩掛けをもってくる。
それを渡されたエリアルがそれを肩にかけられるのをみながら、しぶしぶと認めるしかない。
「まあ、あれだ。人間にしてみればマーメイドの見かけがちょっと刺激的なのは確かだ」
「変か?」
「変じゃないんだが。困る」
「困る?」
きょとんとする美形の相手に、これ以上なんと説明すればよいものか俺が答えあぐねていると、
「欲情しちゃって大変ということです」
スラ子があっさりといった。
眉をひそめ、ああ、とエリアルが得心した様子でうなずく。
「人間は見た目で欲情できるのか。……大変だな」
「ほっといてくれ」
そりゃ生まれてずっと誰も彼もが裸なら慣れだってするだろうさ。
「そういうわけだから、話し合いのときとか、今度から上に来ているときだけでもそういうのを掛けてくれてると助かる。無理にとはいわないし、そっちの文化や習慣にとやかくいうつもりはないんだが」
こっちの習慣を無理やり押しつけるつもりはない。
「困るけど、嬉しかったりもしますもんねっ」
「黙っててくださいお願いします」
「……なるほど。これから気をつけよう。気づかずにすまなかった」
「いや、こっちこそだ」
異なる文化をもつ者同士が近くに生きるというのは、本当に大変なことだ。
似たような感想を抱いたらしいエリアルが苦笑のようなものを浮かべる。
「お互いを理解するためには、時間が必要だな」
「そうだな」
黙っていることがいいこととは限らない。
本当に互いを知るためには、異なる意見をぶつけることだって大切なのだろう。
「こういう感じで羽織ればいいのか?」
「ばっちりです。マスター、ちょっぴり残念です?」
「その質問には答えないという回答で応えさせてもらう」
くすりとエリアルが笑った。
「わかった。まあ、欲情してもらえるというのは嫌なことではないが。こういう感覚も違うものか?」
そんなことを俺に言われても答えようがない。
かわりにスラ子が答えた。
「同じだと思いますよ? ただ、人間さんたちはそういう本音をあまり口にしないかもしれませんね」
「そんなものか。それで、さっきのことだが頼めるだろうか。難しいならそう伝えるが」
「いや、大丈夫だ。できるだけ用意してみる」
どうしたって地面をこすることを考えれば、布ではなく厚手の皮のほうがいいのだろうか。
しかし、お洒落目的なら皮ってのはどうなんだという気もする。
……やめよう。
俺なんかがあれこれ考えるより、女性陣にまかせたほうがよさそうだ。
「他にはないか?」
「大丈夫だ。ああ、戻ってくるのは二週間程度だったか?」
「長くてもそれくらいだな。なにかあるか?」
「いや。群れには何人か身重の者がいるんだが、その一人があと一月ほどで予定日を迎える」
「へえ、おめでたいな」
「ああ。もし都合があえばお前達にも見守ってもらいたい。この新しい住処で、はじめて生まれる一族だからな」
嬉しそうに微笑むエリアルの表情は、まるで自分がその母親のように穏やかだった。
「わかった。ぜひ立ち合わせてもらうよ」
「……そのときは、できればそちらにも来てもらえたらと思うのだが」
エリアルが振り向いたのは、それまでじっと沈黙して会話に参加していないリザードマンの長。
恐ろしげな表情を静かに、爬虫類の眼差しがエリアルをとらえて、それから俺に移る。
しゃしゃしゃ、と鋭さのある言葉が発せられた。
「ノーミデス。……おい、ノーミデス」
テーブルに伸びきった土精霊はぴくりともしない。
もちろん、眠っているだけだ。
「マスター。私が訳します」
そういったスラ子を振り返って俺が顔をしかめたのは、スラ子も同じように眉をひそめていたからだ。
「問題ない。が、これから起こりうる。とおっしゃっています」
◇
その日の夜から、我が家で食卓に座る人数が増えた。
「はい、どうぞ」
スラ子から深皿を手渡され、感情の読めない無機質な瞳がぱちくりとまばたきする。
ちらりとこちらを見た若いリザードマンが、俺がスプーンを持っているのを見て、テーブルの手元にあるそれをとり。
スープを不器用にすくって、口に運んだ。
「美味しいです?」
返事はない。
なんともいえない表情、というか無表情で固まっている。
「お口にあわないんでしょうかねえ」
「どうだろうな。地下じゃ調味料の類はなかっただろうが。だが、ここで生活するっていうんなら、ある程度は慣れてもらわないとな」
昼間、リザードマン族の長がいった問題。
それがこの目の前の若いリザードマンについてだった。
俺にはリザードマンの見分けはつかないが、それでもこの相手のことはなんとなくわかる。
この若いリザードマンは俺たちが地下におりたとき、はじめて遭遇した相手だ。――両親を魚人族との争いで失ったといって、激しい敵意を抱いていた。
問題はその周囲なのだ。
リザードマン族の長はいった。
ストロフライの仲裁を受けて魚人族との共生を受け入れたリザードマン族だが、やはりというべきか、そのことを面白く思っていない連中はいるらしい。
そして、そんな連中のなかに、あの日恐れ多くもストロフライに意見をいったこの若いリザードマンを押し立てる気配がでてきているのだという。
「押し立てる? 反乱でも考えてるってことですかい?」
「どうだろうな。ストロフライに叛旗なんざひるがえしたら皆殺しだってことくらい、わかってると思うが。長派、反長派ってことかもしれない。そういう動きをみせてるのは若い連中らしいから、世代闘争って意味もあるのかもな」
「一族のなかで、主導権を争ってるってことですか?」
カーラにこくりとうなずいてみせる。
「多分な。それで、御輿にかつがれそうなこの若いリザードマンをしばらく外にだして、他の連中の頭を冷やさせたいらしい。しばらくこっちに置いてやってほしいって長から頼まれたよ。形としては俺の護衛として」
「よーするに、ご主人はやっかいごとを押しつけられたわけですか」
「そーいうことだ」
俺は渋面でうなずいた。
「まあ、長にしたって一族を割ることはしたくないだろうし、頭が痛いんだろう。俺だって面倒ごとになってもらうのはごめんだ。手伝えることなら手伝いたいとは思うが」
「案外、そればかりではないかもしれません」
スラ子がいった。
「どういう意味だ?」
「魚人族さんたちへの牽制ということも考えられます。決して恨みを忘れたわけではないということの意思表示や、群れの者を送り込むことで監督者との距離を縮めようという目論見という可能性も。少し、穿った見方にはなってしまいますが」
話し合いの場にルクレティアがいない場合、スラ子がかわって客観的、批判的立場をとるようになるのは、もちろんわかってやっていることだろう。
俺はためいきをついた。
「どっちにしたって面倒な話だ」
「でも、長さんのいうこともわかりますし……追い返しちゃうわけにもいきませんね」
「そうだな。そのつもりはない。だが、こんな時期に洞窟を留守にしなきゃならないのはちょっとあれだな」
リザードマンの長派と反長派がすぐに一族同士で殺しあう、なんてことにはならないと思うが。
なにか問題が起きたときにその場にいないというのは怖い。
「竜さんクエストも、延期というわけにはいかないっすもんねえ」
竜の躯に5000枚の金貨がかけられた依頼がメジハのギルドに届いてから、すでに一週間がたとうとしていた。
最近ではメジハにもあちこちから集まった冒険者の姿が増え、なかには腕が立ちそうな連中もいるという。
領主が直々に送ってくる一団もこの週末ごろにはメジハに到着するだろう。
そうなればこちらも行動開始だ。
この数日、俺たちは森へと向かう冒険者連中への対処を考えて準備をしてきた。
妖精たちにも協力を頼んで竜の躯を探してもらっていて、いよいよこれからだというところでこれだった。
「マスター。リザードマンさんにも作戦に参加してもらうことになりますよね?」
「ああ、一人にしておくわけにもいかないだろ。人目にはだせないけどな」
半透明のスラ子や背中に羽があるシィ以上に目立ってしまう。
「王都あたりじゃリザードマンなんかも冒険者をやってるって聞くが、このあたりじゃそういうのはちょっと厳しそうだからな」
ウェアウルフに襲撃を受けたということも影響があるのだろう、メジハの町の連中は基本的に排他的だ。
「となると、妖精さん組のほうに入ってもらうしかないですね」
「そうだな」
今のところ考えている計画では、俺たちは二手に分かれて行動する予定になっていた。
簡単にいえばそれは竜の躯担当と、冒険者連中の担当ということになる。
「とりあえず、飯にしようか。冷めちまう」
「あ、マスター。リザードマンさんの呼び方はどうします?」
「俺がつけなくても、名前くらいあるんじゃないのか?」
「はい。そうなんですが、どうも人間さんには発音しづらいみたいです。愛称みたいなものがあったほうがいいかもしれません」
スプーンを一口しては固まる。
そんな動作をさっきから繰り返している若いリザードマンを見て、
「じゃあ、リーザで」
「それじゃ女の名前じゃないっすか、ご主人」
すかさずスケルのツッコミがはいった。
「いえ。女の子みたいですよ?」
え、と全員がスラ子を見た。
「……そうなのか?」
「ええ。なので、正確にはリザードレディさんですね。やりましたね、マスター。女の子が増えましたよっ」
「なんでそこでやりましたねになるんだよ」