三話 妖精の友達
「というわけで、妖精たちに会いにいってくる」
「そうですか」
スラ子たちに出かける準備を整えてもらうあいだ、俺はカーラとメジハの町へ向かった。
食料などの買出しがあったからで、カーラがそれらを買い付けているあいだ、一人で町長の家に寄る。入室した俺の発言に、自室で書類仕事にかかっていたルクレティアの返答はそっけなかった。
「……興味なさそうだな」
「そのおっしゃりようですと、私は留守役をおおせつかるのでしょう。お気をつけていってらっしゃいませ」
と顔をあげもしない。
……頭がまわるからいちいち話は早いが、やっぱり態度はむかつく。
渋面になりながら、とにかく話を続けた。
「妖精の泉はここからなら正味で二日ってとこだろう。森の様子次第じゃ待機や迂回路をとるかもしれないから、往復でもう少しかかるかもな」
「バサまで森を迂回してから森へ入るのが安全ではあるかと思いますが、わざわざここからというのは視察――いえ、偵察ですか」
本当になんでもよく見通すやつだ。
「前の騒動のあと、森にいってないしな。どういう状況になったんだってのも気になる。それに、動きが早い冒険者ならもうこのあたりまで来てるかもしれない」
「今のところ、町には竜目当ての余所者は入ってきておりませんわ。十分な準備や下調べもなしに森へはいる愚か者など、たいした連中ではないかと思いますが」
「バサから入るルートもあるって、たった今お前がいったじゃないか」
「そのバサから連絡がありました。少なくとも昨日の時点で、見慣れない冒険者の姿はないそうです」
「……初耳だ」
「つい先ほど入ってきたばかりですので、お昼にご報告にあがるつもりでした」
町の権力者の令嬢はしれっと答える。
「バサに売りつけた恩は、上手く活用できてるみたいだな」
「こちらも税の肩代わりで少なくない負担がありました。この程度の見返りは十分に求めてよいでしょう。近隣の集落と密接なラインをもてるというのは、将来を見越しても悪いことではありませんし」
いったいそれがどんな将来を見越してのものか皮肉っぽく返してみたかったが、聞いたら聞いたでとんでもないことをいわれそうなので、俺はその衝動をこらえた。
「とにかく、そういうことでいってくる。お前に残ってもらう意味はわかるな」
「情報収集ですわね。やってくる冒険者たちの動向も含めて」
「そうだ。それと、洞窟地下の件についてはノーミデスたちに任せるが、一応気にかけておいてやってくれ」
「それはかまいませんが」
さらさらと流れるように動いていた筆がとまり、はじめて顔をあげる。
「……随分と自由な行動をお認めになられるのですね」
「不満か?」
「そうではありませんが、侮られているとしたら不愉快ではあります」
ルクレティアがいった。
「ご不在のあいだ、私が貴方様を陥れるよう策動するとはお考えになりませんの」
「自分でいってどうすんだ」
俺は呆れてみせるが、相手はにこりともしない。
「それも含めて反応を確認しているだけかもしれません。この胸に呪印がある限り、正面から貴方を刺し殺すことはできませんが――何事にも、やりようはあるものですわ」
まったく冗談気のない台詞に、嫌な気分になる。
ルクレティアには自分自身がさしだした隷属の魔法がかかっているが、それにはかなりファジーな部分があった。押しつけられた主人を出し抜く方法、なんてものもあるのかもしれない。
それならそれで面白い、などと受け流す剛毅さなんてあるはずもなく、俺は顔をしかめて吐き捨てた。
「そうしないように命令してみろ、って聞こえるぞ」
「そう聞こえましたか?」
「ああ。聞こえた」
「気のせいでしょう、とは申しませんが。あまり腑抜けた無様を晒さないようにとは願いますわ。仮にもこの私の主であるおつもりでしたら」
主人に主人らしくしろなんてどんな傲慢だ。
俺はため息を吐いた。
目の前のこの高飛車な女も、例えば呪印にひとこと命令するだけでなんでも頷くイエスマンに、本当に従順な下僕にしたてあげることはできる。
だが、相手から自発的な言動を取り上げれば、あとに残るのは人形だ。
そうなれば全てこちらから指示をださなければならない。
完全に受動的な相手に一々全てを命令して、相手の能力を十全に活用できる。そんな器量は俺にはとてもなかった。
かといって、対等な立場で相手に従属を認めさせるようなこともできないから――結局は強制的な魔法で相手を縛っているわけだ。
それなのに、相手の自由意志を求めるなんて馬鹿げた話ではあるだろう。
そんな中途半端さを目の前の相手に責められているように思えて、脳裏にエキドナの台詞が蘇った。
――悪者にもなりきれない。
挑発した表情でこちらを見るルクレティアにその蛇女の幻を重ねて、いった。
「……なら、命令してやる」
ぐ、とルクレティアが覚悟するように唇を噛む。
その切れ長の瞳のなかに映る自分自身を見るようにして、
「俺たちが帰ってくるまで、語尾ににゃんってつけろ」
ルクレティアの顔が歪んだ。
「なにをおっしゃっているのですかにゃん」
呆れたようにいってから、自分で驚いて瞳を見開く。
俺は思わず吹き出してしまった。
「可愛いじゃないか」
「ふざけたことを、はやく撤回してくださいまし――にゃん」
駄目だ。
似合わなすぎて逆に笑える。
「命令しろっていったのはお前だろ」
「誰がこんな馬鹿げた命令をしろと申しましたか……にゃん!」
「馬鹿げてるか? 意外と、その喋り方なら町の連中とだってすぐに打ち解けられるかもしれない」
「余計なお世話ですにゃんっ」
はっきりと怒気をみなぎらせるルクレティアが、今にも机の上のものを投げつけそうに振り上げる。
俺は慌てて扉に向かいながら舌をだして、
「人のことを挑発するからだ。帰ってくるまでちょっと謹んどけ、筆談があれば仕事はできるだろ」
「下種な男ですことにゃん……!」
真っ赤に怒った顔に見送られて部屋から逃げ出した。
長の家を出て、そのまま町の道具屋に顔を出す。
「いらっしゃい。……なんだ、あんたかい」
薄暗く寂れた店内はいつものように客の気配がなく、その奥に鎮座している不機嫌な皺くちゃ顔も変わらない。
「客に向かってご挨拶だな」
「客ならなんか買っていきな」
「それが買わせようとする態度か?」
棘のあるやりとりが懐かしかった。
「カーラは来てないか?」
もみあげの長い、ボーイッシュな短髪少女の姿は店内にいない。
「来てないね。相も変わらず、他人の店を逢瀬の場所に使おうってのかい」
「逢引やら逢瀬やら、いちいち古臭いな。なら、ちょっと待たせてもらうぞ」
「なにか買っていきなっていってんだろ」
嫌そうに文句をいいながら、それでも追い出しにはかからない。
まあ、家計担当のスラ子から毎月の小遣いはもらっているので、なにか使えそうなものがあれば買ってもよかった。
……なにか遠出に使えるやつなら、経費として認められるかもしれない。
どうせなら小遣いからの出費じゃないほうがいいに決まってた。
俺がけっこう真剣に店のなかを物色していると、カウンターから気のなさそうな声がかかる。
「あの子は元気にしてるのかい」
「カーラか? まあ、元気なんじゃないか」
「適当だね」
むっとした声に振り返る。
皺くちゃの顔をゆがめたリリィ婆さんが思いっきり睨みつけてきていた。
「あの子がいきなり町を出るなんていって、こっちはびっくりしたんだ。あんたのとこにいるんだろう?」
「……うちで働いてもらってる。別に適当に答えたわけじゃない。最近はギルドの仕事にも来てるだろ、店にだって顔見せてるんじゃないか?」
「馬鹿だね、こっちの見てないときのことを聞いてんのさ」
話のわからない阿呆を見る眼差しで見られる。
「――元気。だと思うが」
「思うってなんだい」
最近のカーラはすっかり明るくなって、少し前みたいに思いつめた感じはなくなっている。
スラ子たちともよくおしゃべりしているし、よく笑う。
元気だと思う。
だが、別に本人に確認したわけじゃないし、だいたい「元気か?」なんて聞くのは間抜けすぎる。
普段の反応から確かめようにも、カーラはあんまり俺と目をあわそうとしない。嫌われているわけではないと思う、のだが。
ちなみに夜は相変わらずだ。その点についてはどうかそっとしておいてほしい。
ふん、とリリィ婆さんは鼻息を吹かせて、
「いいけどね。あの子だって子どもじゃないんだ、自分のことくらい自分で世話するだろうさ」
遠くを見る視線が少し寂しげだった。
婆さんは以前から、町で疎まれていたカーラのことを心配していた。
目の前の老婆の歳からすれば、あのくらいの孫がいたっておかしくない。カーラを自分の孫のように思っているのかもしれなかった。
「カーラと、町の連中とは、」
「変わらずさ。みんな、偏屈だからね」
町を襲ったというウェアウルフ。
カーラにはその魔物と同じ血が身体に流れている。
別にカーラがなにか悪いことをしたわけじゃなくても、カーラと町の人々のあいだにある確執は深い。
いったい、カーラはどんな思いでギルドへ出かけているのだろう。
任された依頼が手伝えそうな内容なら、スラ子たちと手伝いにいったりはしているが、いつもそれができているわけではない。
いつもでかけるときには元気そうな表情だから、勝手に大丈夫だろうと思っていたが、もう少し気にかけておくべきだった。
今度、カーラに話を聞いてみることにしよう。
――それにしても。
メジハのギルドの実権をルクレティアが握りつつある状況で、カーラとルクレティアがもう少し仲がよければ、カーラの様子も気をかけてもらうことだって出来るのに。
二人が仲間になってから一月近くがたつが、その仲は相変わらずだった。
決して正面から口論をしたり、視線で火花を散らしているわけではない。
ただ、一緒の空間にいても二人が会話をしたりしているところはまったくといっていいほど見かけない。
消極的な冷ややかさ。そんな気配だった。
というか、ルクレティアがまず周囲の誰にたいしてもつっけんどんなので、誰にでも明るく接するカーラがルクレティアに話しかけないだけで完全に会話がなくなってしまう。
前に妖精の泉へ向かう途中、森のなかに野営したときに二人がかわしていた会話を思い出す。
あれがきっかけになってちょっとでも距離が近づいてくれればと儚い希望を持っていたのだが、どうやら儚いままで終わってしまったらしかった。
一応、一方の雇い主でありもう一方は主従関係の上位である立場からすれば、もう少しこう、どうにかなってほしいと切実に思うわけだが。
……女同士の話に首をつっこんでも、ろくなことになる気がしない。
そのうちなんとかなってくれるといいなあ、と夜の枕に情けなく願うしかなかった。
「それでも、まあ心配だね。あの子は若いころのあたしによく似てる」
俺はおもいっきり半眼をつくって、水気の枯れきった婆さんを睨みつける。
「前はルクレティアになんとかいってなかったか」
「どっちともいいとこどりだったんだよ。すごいだろう?」
「頭がボケて過去を改竄してるだけだろうが」
からん、と店の扉にかかった呼び鈴の音。
「お待たせしました、マスター」
両腕いっぱいに食料品を抱え込んだカーラが器用に扉を開け、満面の笑みをむけてきた。
◇
洞窟に戻って用意を終え、その日のうちに妖精の泉へ。
うっそうとした森のなかは前回のように不自然な静けさに包まれていることもなく、光と音が適度に触れて気持ちのいい気配だった。
昼のうちは魔物たちの姿も少なく、早い夜がやってくる前に妖精の隠れ場所で野営をして。結局、妖精の泉に辿り着くまでたいした襲撃にもあわなかった。
『スラ子たちだー!』
集落に足を踏み入れた瞬間、歓声が沸きあがる。
泉の周辺でひょこひょこと頭をあげて姿をあらわした妖精たちが、一気にとびかかるようにやってくる。
「スラ子だーっ」
「シィもだ、なんでなんでー」
「遊びにきてくれたのー?」
わらわらと群がる妖精たちを抱きとめたり振り回したりしながらスラ子が笑顔で応える。
「ちょっとお話があって。女王さんはいらっしゃいますか?」
「あっちにいるよー」
泉の中央手前で、小さな妖精の姿が腕組みをしてこちらを見つめている。
そちらに足を向けようとして、
「スラ子、回転スラ子ラウンドやってー」
「あたしもー」
「順番、順番!」
困り顔になったスラ子が俺をうかがって聞いてきた。
「すみません、マスター。妖精さんたちのお相手をしていても大丈夫です?」
「わかった。すまん、頼む」
こんなに大勢をぞろぞろとひき連れていったら話どころじゃない。
スラ子の尊い犠牲をその場に、残るメンバーで泉に向かう。
「なんのようだ、人間。……お前もだ、シィ」
ふんぞりかえって腕を組んだまま、しかめっつらを俺にむけたあとにシィを見る口元がわずかにゆるんでいる。
……シィが来て嬉しいなら嬉しいって素直にいえばいいのに。本当にわかりやすいやつだ。
「話がある。ちょっと時間をもらえるか」
わざとらしいむっつり顔の女王が、ちらりと周囲を見るようにしてから、
「いいだろう。飲み物を用意させる。適当に座っていろ」
適当に、といわれても下にあるのはくるぶしくらいまで伸びた草だけだ。
まあ汚れないしな、と思って腰を落としかけたところで、足元の草がぐにゃりと伸び、からまって椅子のような形をとった。
おお、と思って座ってみると、ふんわりとした感触。
上等な敷物のような心地よさだ。
「どうぞ」
泉の周辺にそびえる大木を繰りぬいてそのまま家にしたような、その中からすぐに柔和な笑みを浮かべた女性がやってきて、小さめのコップを渡してくれる。
妖精たちのサイズにあわせて少し持ち辛い木のコップのなかに満たされているのは、透き通った搾り果汁だった。
飲んでみると、甘みがほどよくてすっきりした後味。
美味い。冷えていればもっと美味そうだ。
「それで、話というのはなんだ」
シィにはなつかしい味なのか、無言のまま少し嬉しそうに果汁を飲んでいる。
そんなシィを見て微笑んでいた妖精の女王が、こちらの視線に気づいてあわてて顔をひきしめた。
「さっさと用件をいって帰れ」
「竜のことだ」
「竜?」
「少し前、このあたりに竜が落ちた。でっかい声とか音があっただろう?」
「ああ、あれか。それがどうした」
「竜はこの森の奥に落ちていったはずなんだ。それを探して、大勢の人間が森にやってくる」
「それがどうした」
小さな女王は繰り返した。
「人間が森にやってくるなんてよくある」
「いつもそういう人間たちにはどうしてるんだ?」
「からかって遊んだり、驚かせて遊んだりだ」
基本、遊ぶことは変わらないらしい。
話の内容はそんなことかとつまらなそうに、まるで危機感のない相手に俺は強い口調をつくった。
「それは村人とか、そのあたりの冒険者あたりだろう。今度はもっと酷い連中がやってくるかもしれない。魔物とみれば殺しにかかってくるような連中だ」
「だから、それがなんだ。どれだけ人間がやってきても幻にかけて追い返してやる」
妖精族は支援魔法や幻覚を得意としている。
たしかに俺たちも前に食らったような、幻だと気づきもしないうちに認識を変えてしまう――あの幻覚があれば、大半の冒険者は追い返せるかもしれない。
だが、
「俺には効かなかったじゃないか」
「それは、」
女王が顔をしかめた。
「まあ、俺が効かなかったのは運がよかっただけだが。でもな、竜の躯を探しにやってくる冒険者には、俺なんかより警戒心もあれば、腕もとんでもなく凄いのがいるかもしれない。この森に妖精が住んでいると知ってれば、あらかじめその対処だってやってくる可能性は十分ある」
俺は静謐な泉の空間をぐるりとみまわして、
「お前たちは最近、巣分けがあったばかりだろ。群れの数だって減ってるはずだ。戦力の乏しい状況でもし幻覚を破られたらどうなる。妖精は死んでも生き返るっていったって、連中はここまでやってくるかもしれないぞ」
泉を媒介に復活するのが妖精なら、そこを汚されてしまえばどうなるか。
それはけっして妖精たちにとって好ましいことではないはずだ。
「……なにがいいたい」
「森が荒らされるのはこっちも困る。だから、俺たちの利害は一致してる」
息を吸い、
「人間たちをどうにかするのに、協力しないか」
女王がじっと俺を見てから、吐き捨てた。
「お前だって人間じゃないか」
そりゃ、俺がいくら人間だが魔物なんだといったところで、妖精たちからしてみたら同じ人間だ。
こっちの人間はいい人間で、あっちは悪い人間。
そんなふうに簡単に区別してもらえるなら話ははやいんだが。
さてどうやって納得してもらおうと口を開きかけたところで、
「……女王さま。わたし、嫌です。森が荒れるのも。みんなが傷つくのも」
それまで黙っていたシィがいった。
「手伝わせて、ください。わたしと、マスターと。わたしの家族に」
小さな声でぽつぽつと、しかしはっきりとした口調。
苦虫をかんだような表情になった女王が、
「――家族。そうだな、もうお前は我々の家族じゃない」
「はい」
ほとんど責める口調のそれにシィは臆さずうなずいて、
「でも……友達、です」
ぴくりと女王の眉が揺れた。
「友達」
「ごめんなさい。――だったら、いいなあって……思ってます」
そこまでいってから伏し目がちにうつむく。
まじまじとシィを見つめた女王が、それから俺のほうを睨みあげる。
「おい、馬鹿人間」
「なんだ、馬鹿妖精」
たとえ相手が子どもにしか見えなくても、悪口をいわれたら大人気なく返してみせる俺だった。
「……私とお前は、カクジツに友達じゃないからな」
「知るか。シィの友達は、もれなく俺の友達なんだよ。セット販売だ、抱き合わせだ」
「とぼしい交友関係を広げようと無理やり顔を繋いでいくご主人、ぱねえっす!」
後ろから茶化してくるスケルの声は無視して舌をだしてやると、女王は憎たらしそうにこちらを睨みつけてから、もう一度シィを見て。
「――しょうがない」
苦々しく息を吐き出した。
「……友達に免じて。お前を信用して、協力してやる。いったいどうすればいいか教えろ」
それから俺たちは妖精族と話し合い、一泊して次の日に妖精の泉を出た。
話し合いを終えてから日帰りで帰るには日が暮れてしまっていたし、妖精たちがシィやスラ子を帰そうとしなかったという理由もある。
同族のシィはわかるが、スラ子の人気には相当なものがあった。
あやすのが上手いのは見ていてわかるが、結局、集落にいるあいだずっと大勢にはりつかれて、さすがに疲れ果てた様子のスラ子が、
「それで、話し合いは上手くいきましたか?」
「ああ。お前とシィのおかげでな。とりあえずまとまったのは、最低限のところだけだが」
まだ今の段階では、冒険者やそれ以外の情報もなにもないから詳細まで詰められはしない。
ひとまずは基本的な行動と注意点、準備などを確認して、俺たちは一旦洞窟に戻ることにした。
ルクレティアが新しい情報を仕入れているかもしれない。
計画はそれを基にして練る必要がある。
すぐにまた訪れることになる妖精族たちには、それまでのあいだ積極的な戦闘を控えてもらうことと、もう一つ頼んでおいた。
「竜さんの躯探しです?」
答えをいう前に自分で正解にたどりついてみせたスラ子にうなずいて、
「そうだ。すくなくとも連中が普段、活動してる範囲に落ちてはいないようだったからな。少し、その先まで様子を見にいってもらっておくことにした。竜の墜落場所ははやい段階で知っておかないとな」
「見つけたらそのままギルドに持ち帰って、ばぁんと大金いただいちゃいますかっ」
どうだろうな、と俺は首を捻る。
「そういう大仕事をやり遂げたってなると、どうしたって顔がでる。素性だって詮索されるだろうし、ちょっと怖いな」
“魔物”な人間としては、まずいことになる将来しか見えない。
「ルクレティアさんに表立ってもらうとかじゃあどうですかい?」
「そうだな。それならいけそうだ」
メジハにも金が入るとなれば、ルクレティアだって反対はしないだろう。
まあ獲らないうちから皮算用ばかりしていても仕方がない。
まずは戻って情報の確認だ。
竜の躯の探索にはしばらく洞窟を空けることになるから、そのあいだの地下のこともしっかりと話をしておかないといけない。
リザードマン族とマーメイドたちはつい先日まで争っていたばかりだ。
監督者で第三者でもある俺たちが不在になって、すぐに揉め事を起こされたりしては困る。
出立までになにを済ませておくべきか、他に忘れていることはないか、あまり回転がよろしくない頭をフルに使ってうんうん唸っていると、ふと隣を歩くシィが後ろを振りかえっているのが見えた。
「……集落に残ってもいいんだぞ」
透明な視線がわずかに不安そうにこちらを向く。
俺はあわてて首を振って、
「いや、シィだってなつかしいだろ。集落で待機しててもいいぞってことだ。もちろん、すぐに迎えにいく」
ほっとしたように表情をゆるめたシィが、首を振った。
「そうじゃないんです。……さっきから」
「さっきから?」
「なにか――ついてきてる、ような」
ぎょっと全員が足を止めた。
カーラとスケルが身構えて、スラ子が注意深く周囲を見渡す。
息を止める。
森には吹いた風の音がざわざわと鳴り、どこにも襲撃者の気配はなかった。
少なくとも俺にはなんの異常も感じられない。
「あそこです」
スラ子が指差した。
半透明の人差し指の先には、一本の太くよじれて周囲と重なり合うように伸びた大木。
「……木?」
無言で首を振ったシィがゆっくりと歩き出す。
そのあとについていった俺たちが、立ち止まったシィの足元を見ると、そこにはなにもない。
見覚えのある草が雑多に生えているだけだ。
「げ、マンドラゴラがあるじゃないか。こんなとこにも自生してるのか」
他にも薬草に使えるものや、ザ・雑草といったものがあるなかにシィが屈みこんで、
「っ」
いきなりマンドラゴラの根元をつかんで、引き抜いた。
「馬――」
鹿、と続ける間もない。
マンドラゴラ。
死を呼ぶ悲鳴と呼ばれるその植物は毒性が強いことで知られているが、引き抜いた際に声をあげ、それを聞いたものを呪い殺してしまうといわれている。
その呪いは魔法耐性が強ければ問題なく弾くことができるが、俺やスラ子、それにスケルは基本的な耐性能力が低い。
聞きたくもない金切り声を予想して目をつぶり、いつまでもそれがやってこないことに恐る恐る目をひらく。
――妖精たちの悪戯かと思った。
シィが引き抜いたそれは間違いなく植物で、ただしその見覚えのある小さな葉と茎の下、本来あるべき根のところに、冗談のようなものがくっついている。
それは細く伸びた腕であり、足であり、簡単に折れてしまいそうな華奢な身体であって。
頭に植物を生やした小さな手のひらサイズの人形みたいな生き物が、うるんだ瞳でこちらを見上げていた。