二話 ドラゴン・ドリームを掴め
次の日からさっそく作業がはじまった。
スラ子とノーミデスが洞窟の地質を計り、その指示に従って穴を掘り、周辺を整備して、リザードマンの行動範囲を広げていく。
工事には石製の道具を持った大勢のリザードマンたちに加え、魚人族たちも水属魔法で掘削を手伝ってくれた。
洞窟は長いあいだの風化と侵食によって生まれたもので、下手に手をだせば落盤など洞窟の基盤が弱くなってしまう恐れがあるし、生態系についての影響だってある。
ノーミデスは変化そのものに対して寛容だったが、だからってなんでもしていいわけではない。
リザードマンたちの食糧確保を目的とした生息行動範囲、その拡張はあくまで慎重に進められていった。
その一方で、俺はルクレティアからあった提言について悩んでいた。
俺たちが住む洞窟の上層と、そこから深い縦穴を降りて広がるリザードマン族と魚人族の下層部分を繋げて、一つの大きなダンジョンとしてしまう。
自衛の意味では、そのまま規模が大きくなるのだからもちろん意味がある。
罠をはることだってできるし、迷路のように入り組ませて侵入者を迷わせ、分断することもできる。迎撃のためにスライムたちを色々な場所に配置することもできるようになるだろう。
だが、上下を繋いでしまえば、このダンジョンはもう「初心者用」とはいえなくなってしまう。
ストロフライの存在が周囲勢力に警戒を与えてしまうかもしれない今みたいな状況で、そんなことをしてしまえば、ダンジョンだってもちろん目立つ。
町のギルドやそこに所属した冒険者にはルクレティアから手をまわせるとしても、竜の麓のダンジョンの噂を聞いて外から手馴れた冒険者がやってくるかもしれない。
あまり目立ちたくない、という思いは正直ある。
別にリザードマンやマーメイドたちを争いに巻き込みたくない、なんて奇麗事をいいたいわけじゃない。
単純に、争いなんてのはなければないに越したことはないはずで、別にそのことで悩むことが悪いとは思わなかった。
工事の監督(といっても俺にやることはない)をしながら、俺がそのことについて魚人族の長を代行しているエリアルに相談してみると、
「争いを好まないというのは同意だ。我々だけでなく、恐らくリザードマン族もそうだろう」
美貌の人魚は静かな声でいった。
「だが、自分たちが平穏を望んでいても攻められてしまうことはある。実際それで我々は住処を追われてきたのだ。もう二度とあんな無様な思いはしたくない」
「……争いに巻き込まれることになってもか?」
「争いを避けて、逃げた先でも争うことになった。お前やあの黄金竜のおかげでなんとか居住を許されはしたが。争いはしたくなくとも、争わずにすむために力は必要なのだろう。無論、力さえあればというわけでもないだろうが」
「竜くらい圧倒的な力があったって、それで攻められることもあるわけだからな」
「結局は状況や話し合いも含め、どう動くかということだろう。ただし、いざ自分たちが動こうとしたときに動けるかどうかということは大きい。そのための備えだろう」
「そりゃ、話せばわかるから武装なんて必要ない、なんて理想論なんだろうけどな」
ため息をつく俺にエリアルはくすりと微笑んで、
「そういう臆病なところは決して嫌いではないよ。際限のない争いなどというのもゾッとしないしな。だが、戦うことが怖いからこそ、そういう事態を避けられるのではないか」
俺は渋面になった。
そんなことをいわれてしまうと、つい先日、リザードマン族と魚人族のいさかいのなかで増長してしまった記憶が苦々しい。
「どうしてしかめっ面だ? ……ともかく、我々はお前と共にいく。恩義もあるが、別にそれだけではない。自分たちがここで生きるために利用させてもらうというだけだ。だから、お前も我々を利用してくれていい。理不尽な扱いをされれば抗いもするが、可能なことであれば協力は惜しまない」
「わかった」
それから、俺はリザードマン族の長にも話を聞いた。
細かい言い方は違うが、やはり似たような返答がノーミデス経由でかえってきた。
「我々は竜神様に従いー、イスの使いである貴方にも従うのみだぁ」
イスの使いというのは、俺が持ってた椅子のあれのことらしい。妙な呼ばれ方をされてしまっている。
二種族の意思を確認して、俺はもう一度ため息をつく。
どちらともこちらに協力してくれるといっている。つまりそれは、リザードマン族と魚人族たちのどちらの行く末も、俺の肩にかかっているということだ。
「肩、お揉みしますか?」
「いらん」
にこにこといってくるスラ子に答えながら、決断した。
「スラ子、ノーミデスを呼んでくれ。明日から、洞窟の調査と拡張方向を上に向ける。上層と下層を歩いて行き来できるよう、道を繋げるぞ」
食糧確保のための拡張工事が、一気に洞窟全体を巻き込んだ大改修へと化した。
◇
洞窟を丸ごと変貌させるような工事が、一日や二日で終わるわけがない。
地上と地下を繋ぐのだって、一直線に結んでしまえばおしまいというわけにはいかないし、地質によってもろいところや地下水が流れているところは避けなければならない。工事には月単位の時間が必要だった。
「あたし、今まで生きてきて一番頑張ってると思う~」
嫌そうにいいながら、それでも途中で投げ出してどこかにいってしまったりしないノーミデスの協力を得て地下工事をおこないながら、最初はちょくちょく顔を出していた俺だったが、そのうちに地下にいかなくなっていた。
別にサボってたわけじゃない。
いってもやることがなかっただけだ。
俺には掘削魔法は使えないし、スコップを振るってもリザードマンどころかカーラにも及ばない。
シィのように支援魔法でフォローができるわけでもなく、むしろ作業の邪魔になっているだけとくれば、さすがに自分に居場所がないことに気づいてこっそり上に帰るしかなかった。
ちくしょう、泣いてなんかないからな。ほんとだぞ。
「……なにをされているのです」
スライム飼育部屋で膝をかかえて鑑賞している後ろから声がかかり、振り返ると冷ややかな眼差しのルクレティアがこちらを見おろしている。
「大の大人がこんなところでイジイジと。まさか泣いているのですか」
「違わい。心の汗だっ」
「知りませんわ」
ルクレティアがいって、部屋にはいってきた。
「ご報告にあがりました。……泣き止んでくださいませんか、うっとうしい」
「うるさい。なんだ、薬草の売れ行きの話か」
「いいえ。そちらはまだ、取り扱ってくれそうな商人にいくらかあたりをつけたところです。今のところ、実績がある商品でもありませんし、だからといって安く買い叩かれるのも気に入りません。お試しの、短期売買の契約を結んでしばらく釣ってみるつもりです。市場からの急激な反応は難しいでしょうが、効用に間違いはありませんから問題はないでしょう」
「売り方については好きにしろ。前にいったことを守ってくれるんならな」
「はい。それで、今日お伺いしたのは、ご主人様のお耳にいれていたほうがいいと思った内容が入ったからですわ」
「王都の件か?」
いいえ、とルクレティアは見事な金髪を振って、
「竜の話です」
といった。
「竜?」
それを聞いて自然とストロフライのことを脳裏に思い浮かべたが、ルクレティアの話はそちらではなく、ストロフライに倒された黒竜についてだった。
「竜同士が争い、その一匹の躯が落ちたという噂はすでに周辺の町に広がっているようです。それを探そうと活動を開始している冒険者もいるようですわ」
「まあ、そうだろうな」
竜の躯といえば、その希少価値は極上質の宝石以上にもなる。
冒険者というのは結局のところ、金と名誉をどでかく一山あてようという博打思考の連中なのだから、そんな一攫千金を狙ってもなにもおかしくはない。
「ええ。様々な町のギルドで、すでに懸賞クエストが貼りだされ始めているようですわ。自分たちの町ではなく、他所のギルドに遠征依頼を出しているギルドもあるようです」
「そいつはまた、本腰いれてるな」
ギルドというのは小さな町にとって自衛や、なにか異変が起こった際に自分たちでそれを解決するための実行組織という意味合いが強い。
魔物がはびこる世界では、領主やそこに属する騎士団なんかに助けを求めたとしても、すぐに助けが来るわけではない。
そのためにある程度持つことを許された自衛戦力が、ギルドを介して雇われる冒険者や傭兵となるわけだ。
無論、その立場は微妙だ。
領主にとって支配する村や町で独自の戦力があるというのは、反乱の可能性に繋がる。村や町にしてみれば、自分たちを守ってもくれない領主などなんの意味がある、という話にもなる。
だからこそギルドにもあれこれとした制約や、逆に領主からの援助があったりもして、そうした微妙な関係性のうえにギルドという存在は成り立っている。
そのギルドは、小さな村なんかではそれこそなんでも屋のような扱いだが、領主が直接治めるような街にあるギルドだと、意味合いがちょっと変わってくる。
そういった街を治める領主は騎士団や魔法士団といった戦力を持っている。
だからギルドに街の防衛という意味合いはほとんどなくなり、逆に騎士団や魔法士団が出向く必要はない、あるいは出向くわけにはいかないような汚れ仕事を引き受けるようになる。
ようするに、人も組織も場所によって変わるという話だが、
「今朝、ギーツギルドから依頼が入りました」
このあたり一帯を治める大きな街の名前に、俺は眉をもちあげた。
「へえ。どんなだ」
「竜の躯を手に入れた者に、報奨金で金貨5000枚を与えるという広域クエストですわ。このあたり全てのギルドに触れ回っているようです」
「ごせ……!?」
途方もない金額に思わず咳き込む。
「マジか」
「マジですわ」
金貨5000枚。
金貨の価値変動には色々あるが、金の価値そのものは昔から一貫している。5000枚という数字は、たとえそれを鋳つぶしてしまったとしても、ゆうに十年は遊んで暮らせる金額だろう。
それどころか、散財しなければ一生を食いつなぐことだって不可能ではない。
「どこのアホだ、そんな大金を懸けたのは」
「こんな大金を書面に出来る相手は限られますわ。依頼を出したのは領主様です」
「……金持ちの考えることはよくわからん」
「お金というものはあるところにはあるものですから。それに、竜の躯というものにはそれほどの価値があります」
ルクレティアがいった。
「竜というのは最強無比の証明です。倒したものは勇者と呼ばれ、その証を立てた者は一生の誉れを手に入れることができます。その牙を研いだ剣は鋼を裂き、皮で覆った防具は火も矢も通さないとか。そうでなくとも、竜の躯の一片を持っているだけでもそのステータスは計り知れません」
「そりゃ竜の躯なんていったら、詐欺商売の代名詞だからな」
好事家を狙った贋物はいくらでも市場に流れている。
「それだけ竜の躯というものに対する商品価値があるということですわ。それが今回、実際に竜がやられて落ちる様を大勢が確認しているのですから。それを狙おうと動き出すのは冒険者だけのことではありません。権力者にとってはなによりの箔になります」
「それで金貨5000枚か? 馬鹿げた使い道としか思えないが」
その5000枚をもっと違うことに使ったほうがよほど世の為、人の為になるだろうに。
「お金で手に入らないものもありますわ。馬鹿げているとは思いますけれど」
それに、とルクレティアは目線を鋭くして、
「ギルド中に依頼を触れ回っているのはただの保険でしょう。自分たちの手で手にはいるなら、わざわざそんな金を誰かに与える必要もありません」
俺は顔をしかめた。
「領主から直接、声がかかった連中がやってくるかもしれない。そういうことか」
ルクレティアがうなずく。
「まず間違いないでしょう。勇敢な探検者とその持ち帰る冒険譚は、ある意味で黄金以上に権力者の心をくすぐる代物です。その情報収集と探索の拠点に、メジハの町が選ばれる可能性は高いと思われます。ここは黄金竜の麓として以前から有名ですし、竜同士の戦闘があった場所からも近いですから」
なるほど、と俺は息を吐く。
たしかに調査や探索に出向く者たちがいれば、メジハに寄らない理由がない。
「……洞窟まで足を伸ばしてくる連中はいると思うか?」
「どうでしょう。竜の躯という大望が頭にありながら、こんなところまでやってくる暇人はいないとは思いますが」
「こんなところで悪かったな」
俺の半眼をどこ吹く風といった表情で、
「可能性はゼロではないでしょう。注意や対応はしておくべきかと思いますわ。それに、5000枚云々の依頼についても」
「それについてはこっちで対処しようがないだろ。勝手にそんな依頼を出されたんだから」
「この依頼については現在のところ、特に期限が区切られておりませんわ」
ルクレティアはいった。
「つまり、これから延々と冒険者がメジハに流れてくる恐れがあるということです。その全員が素行がよいわけがありませんし、自分たちで雇っているのでもない冒険者というのは得てして問題を巻き起こします。なかには暇つぶし感覚にこの洞窟までやってくる者もいるかもしれません。放置していてよい状況とは思えませんが」
「放置する以外になにがある」
俺が顔をしかめて訊くと、ルクレティアは平然とした態度で答えた。
「決まっていますわ。私どもで竜の躯を手にいれてしまえばいいのです。あるいは、手に入れるのは別の誰かでもかまいませんが、いずれかの結果をこのクエストにつけてしまえば、それで済むお話でしょう」
その日、地下での作業を終えて戻ってきたスラ子たちと夕食をとりながら、俺は昼間の話を全員に伝えた。
「竜さんの躯ですか」
一日の疲れを風呂で流してきたスラ子がいった。
ちなみに焚いたのは俺だ。こんなことしかやることがなかったのだが、なんというか立派な主夫である。
「確か、森の奥に落ちたんでしたっけねぇ」
白すぎる肌に湯上りの透明感を加えたスケルがいい、その隣で健康的な肌色をほのかに上気させたカーラが眉をひそめた。
「お金目当ての冒険者がたくさん来るっていうのは少し怖いかも。いろんな人がいるから」
「ルクレティアもそれをいっていた。治安という問題もあるが……」
冒険者というのは魔物というアウトローに対する準アウトローみたいなもんで、決してお上品な奴らばかりではない。
直接、雇用関係にでもあればまだ御しやすいが、今回の竜の躯クエストでは依頼しているのはギーツのギルドで、メジハの町はただ竜が落ちたと思われる場所から近いというだけだ。
もちろん、人が集まるということはそれだけ物を買い食いして、その代金を落としていくということだ。メジハの町も儲かることにはなる。
だが、町にある食料にだって限りはあるし、柄の悪い連中が町のなかで問題を起こさないとも限らない。
メジハの町にとっても決して喜ばしいだけではないだろう。
「それに、探索者の一行が竜の躯を探すってことは、森の奥まで入り込むってことだ。つまり、森が荒れる」
それまで静かに話を聞いていたシィが眉を寄せた。
「……このあたりの森は妖精たちの領域だからな。ずかずか入り込まれたらいい気分はしないだろうし、もちろん探索者たちだって刃向かってくる相手に容赦はしないだろう。妖精含めて、魔物連中との衝突は全然ありえる」
「それは、ちょっと見過ごせないですねえ」
スラ子がいうのに俺はうなずいて、
「まあな。妖精たちには遊びにくるたびに鱗粉を落としてもらってたりするし、なによりシィの出身だ」
自分のことは自分でやれが魔物の不文律だが、妖精族はただの他人ってわけじゃない。
その場にいる全員が意味ありげな笑みを浮かべた。
「……なんだよ」
「いえいえ。ご主人のチミっこ好きにも困ったもんだなあとか、そんなこと思ってやいませんぜ!」
「思ってるし、いってるじゃねえか。いっとくがそんなんじゃないからな」
「わかってます。マスターはロリもいけるツンデレなだけですよねっ」
「もういいよお前ら」
「――ありがとう、ございます。マスター」
深々とシィが頭をさげた。
俺はなんだか照れくさくなって手を振ってみせる。顔をあげたシィが、俺を見て小さく微笑んだ。
「でも、どうしますか? 他所の依頼でやってくる冒険者たちを全員追い返すなんて、」
カーラがいった。
「まあ無理だな。だが冒険者たちがメジハに居座り続けるってのは俺たちにとってもいいことじゃない。だからやっぱり、ルクレティアがいったとおり、早いとこそのクエストをどうにかしちまうってのが最善なんじゃないか」
「私たちで竜さんの躯を手に入れてしまうってことです?」
「あるいは、他の冒険者にでも手に入れさせるかだな。そりゃ金貨5000枚なんて俺だって欲しいが。それよりも重要なのは、極力このあたりの魔物たちに悪影響がでないようにすませるってことだ」
スラ子が大きくうなずく。
「ということは、遠出ですねっ」
「そういうことになるな」
「ピクニックっ!」
「それは違う」
このあいだのバサの村への出張や洞窟の地下探索など、最近は立て続けに忙しかった。しばらくゆっくりしたいという気分はあったが、仕方がない。
「まずは妖精たちに会いにいこう。森に人間たちが入り込んでくるのは間違いないから、その対処も含めて話し合っておきたい。地下のことはノーミデスとリザードマン、エリアルに任せる。そういうことにしようと思うが、いいか?」
ぐるりと見渡して、異論は誰からも出なかった。