六話 熱き血潮が迸り深い衝撃に痺れる極上のハーモニー
一言で魔物というが、ではいったい「魔物」とはなんなのか。
それは「人の外にあるもの」だ。
魔物は種族じゃない。悪でもない。
それが魔物がどうかを決めるのは、その生き方による。
たとえば俺は、生まれた種族でいえば人間だ。
祖先にエルフや他種族との混血があったなんて話も聞いたことがない、大した魔力も特殊な能力ももってない。
だけど俺は人間ではなくて、魔物の世界に生きている。だから俺は人間ではあるが、魔物でもある。
魔物にはたくさんの種族がいる。
ゴブリン、オーガなんてありふれたものから、竜、エルフ、なんてものまで。
人間以外の時間を生きて、人間以外の考えをもち、人間以外の価値観を尊ぶ。
そういうたくさんの種族、生き物を全てひっくるめてひとまとめにした、人間本意な呼び方。
人間にとっての外。アウトロー。それが「魔物」だ。
だから、魔物というだけで、その全てが人間と敵対しているわけではない。
エルフ族のように人間とある程度の交流を持っている種族もいるし、逆に生まれながらの支配者、竜族のようにまったく気にもとめてないこともある。
人間と完全に敵対している連中だって少なくはないが、人間のなかから「魔物」になるやつだって決して少なくない。そして、そういうやつはだいたいはっちゃけてしまって、人間や他の魔物にまで害を成すようになる。
そういうはた迷惑なことになった相手を、人間と魔物が協力して征伐することだってある。もちろんそれだって、魔物は別に人間のためにとそれをやるわけではないが。
それぞれの利害や感情、本能と牽制がどろどろにまざりあって、混沌としたこの世界はできている。
良いも悪いもない。
大事なのは互いの生き方を尊重し、適切な距離をたもつということ。
「つまり俺がなにをいいたいかというと相互理解にはまず思いやりの心というものが必要でありようするにそれは相手の懐を思いやることでもありケチくさいこといってないでさっさと高値で引き取ってくれればいいんだよほんと今日は久しぶりにお肉が食べたいんですうちでお腹をすかせて待ってる子たちがいるんですお願いします」
「うるさいだまりな」
長々とした台詞を一瞬で喝破され、沈黙する。
小さな町の片隅で道具屋を営む、片眼鏡をかけた婆さんは、俺が得意げに広げてみせた妖精の鱗粉をまじまじと見つめ、鼻を近づけて匂いをかぎ、少し揺らして発光の度合いをたしかめた。おい、鼻が近えよ。間違って吸いこんだりすんなよな。粒だって高いんだぞ、それ。
「ふん。たしかに贋物じゃあないようだね。こんなもの、いったいどうやって手に入れたんだか」
さんざん他人を猜疑心でもって人生をおくってきた証のように、じろりと目つきの悪い眼差しが俺を見る。俺はふ、と笑ってみせた。
「それは仕事上の秘密ってやつだ」
「あんたに仕事なんてあるのかい。いっつもそこらへんの草を売りにくるから、その日暮らしの根なし草とばっかり思ってたんだがね」
こ、この野郎……。
客にむかってなんて言い草だ。しかし、こんなことで怒っていたらこの店では取引にならない。せいぜいひきつった笑みで、婆の嫌味を聞き流した。
「で、どうなんだ? 引き取ってくれるのか?」
「そうさねえ。ざっとこんなところかね」
ぱちぱちとテーブルのそろばんを叩いて、婆さんが提示してみせた金額をみて、俺は顔をしかめた。
金貨30枚。
決して安い金額ではない。俺なんかにしてみれば、とんでもない大金といっていい。
これならあこぎな竜族にみかじめを払ったあとも、しばらく生活費には事欠かないだろう。
だが、
「おい、冗談だろ。妖精の鱗粉だぞ? しかも取れたてのものが、この量だ。いくらなんでも安すぎる」
俺が考えてた値段の半分にも満たない。多少、俺の願望が予想の値段をあげていたとしたって、それにしても安い。
「なにいってんだい。適正だよ、うちは爺さんの代からお客の笑顔を第一にやってきてるからね」
「今、目の前にある渋みにみちた顔が見えないか? 老眼か、もう引退したほうがいいんじゃないか。それとももうすぐなのは人生の引退のほうか、おい」
「さえない男の陰鬱な顔なら目の前にあるけどね。ほんと見るだけで不景気になる面だこと。そこらへんにあったような布で適当にくるんだだけなんだ、ろくな保管処置もしてないなら、値もさがるさ。ほれ、見てみな。もう光が落ちかけてきてるのもあるじゃないか」
「そりゃお前がさっき、揺さぶったりしたからじゃねえか!」
「年上にむかってお前とはなんだい。いい年して礼儀もなってないのかい、この根なし草は。妖精の鱗粉なんてこの辺で買い手がでるかどうか怪しいんだ。そこらへんも見越したうえでの査定だよ」
ぐ、と相手の正論に押し黙る。
たしかに、どんなにいいものだろうと需要がなければ意味はない。そして、相手が強気でいる理由にも、俺にはわかっていた。
テーブルに頬杖をついて、婆は余裕たっぷりにこちらを見上げている。
「で、どうすんだい? あたしゃ別に引き取らなくてもいいんだけどね。もっとも、こんなもの扱ってくれるような店、このあたりじゃうちだけだろうけどね」
この婆さんは他じゃ金にすらならないことをわかったうえで、こちらの足元を見てきているのだ。
「く、この……あこぎな商売しやがって……!」
憎しみをこめてにらみつけるが、長い時間を生きるうちに愛想と一緒に感覚もなくしてしまったらしい婆は、どこ吹く風と平然とした表情だ。
脳裏に俺の帰りを待っている二十匹のスライムのことを思い出す。
いつも水と苔しか食べさせてあげられてない彼ら。
金貨30枚があれば、肉が買える。パンも買える。チーズも買える。スライムに食事の素晴らしさを教えてやれる。スラ子ならともかく、普通のスライムに味なんてものがわかるかという話は置いておく。
だが待て。しかし待て。
本当にここで引き下がっていいのか。
取引っていうのは駆け引きだ。戦いだ。そして戦いというものは、一旦引き下がってしまえばその時点で相手に屈服してしまうということだ。
こんな理不尽な査定を受け入れてしまえば、相手は俺をちょろい相手だと見るだろう。そして、次回以降も同じように買い叩かれる。
今日だけじゃなくて、明日のために。
決して値段のつけられない、一度なくしたら見つからない。そしてなくしてからはじめてその黄金より貴重な価値に気づく「誇り」にかけて、俺はここで退いてはいけないんじゃないか――?
「どうするんだい、そろそろ店を閉めたいんだけどね」
「あ、30枚でおねがいします」
俺は低頭平身、もみ手をこすって相手の査定を受け入れた。
誇りに翼がはえて俺の身体から飛んでいくが、かまうものか。
俺にはスライムちゃんを養っていく責任がある。塵も食えない誇りなんざ無用だ。決して俺が長く口にしていない濃密な味わいやしたたる肉汁を舌に思い出してしまったわけではないことを強く記しておく。
「あれ。ちょっと待ってくれよ。それ、鱗粉の分だよな? 薬草の金は」
「なにいってんだ」
婆さんは呆れ顔だった。
「込みの値段に決まってるだろう。あんたみたいな男がつくった薬草なんざ、飲んだら腹くだしちまいそうだしね。引き取ってもらえるだけありがたいと思いな」
「効能に顔が関係あるか、このクソ婆!」
「きゃんきゃん吠えるんじゃないよ、耳障りだね。ほら、これ持ってとっとと帰りな」
餌を投げるように金貨いりの袋を投げられる。
俺はその場で袋をひらいて中身を確かめた。帰ってから確認しようものなら、もしそこに石ころがつめられていたときに血を吐いて死んでしまう。
「信用できないってのかい? あさましいねえ」
「うるさい、お前みたいな婆をどうやって信用できるか! あほ、あほ、腰いためてベッドの上で唸れ、寝込め! でもこの店がなくなったらすごく困るので健康には気をつかってください!」
金貨は本物だった。最後に自分でもよくわからない捨て台詞を店主に叩きつけて、店の外に出る。
外はすっかり暗くなりかけていた。
店の扉にいらずら書きでもしてやろうかと思ったが、そんなことをしているうちに肉屋が閉まってしまうかもしれない。
30枚の重みに頬をゆるませながら、俺は町のなかを駆けた。
待っててスライムちゃん、今夜はステーキだ!
◇
仕入れた食料品を両手に下げて町の外へ。
見張りの兵士の目が届かないあたりまで歩いて、目印にしていた岩のあたりで立ち止まり、ささやく。
「スライムの香りは?」
「ライムの香り」
「よし」
あらかじめ決めていた合図をかわすと、森のなかから全身をフードに包んだスラ子とシィがあらわれる。
「マスター。この暗号にはいったいどんな必要性が……?」
「雰囲気だ、雰囲気。食料買ってきたぞ」
「お金になりました?」
フードのしたからスラ子がわくわくした声できいてきた。
「ん、まあ。そこそこだな」
適当に言葉を濁しながら答える。
食えない婆さんに買い叩かれたことは黙っておこうと思う。主に俺のプライドのために。
いろいろ買いつけているあいだに、外はもう夜になっている。
全てが暗く闇にしずんで、これから朝までは魔物たちの世界だ。
音はない。風もない。
どこからか息をひそめた獣がこちらの気配をうかがっているような感覚に、俺は二人を帰宅へと急かした。
「さ、帰るぞ。へんなのに襲われる前にな」
「はい、マスター」
答えたスラ子がちらりと後ろをふりかえる。
そのフードに隠れた眼差しが、魔物避けの灯りを灯した町の姿を映していることに気づいて、声をかけた。
「……側まで近づいてみるか?」
俺が町で買い物をしているあいだ、人目に目立つスラ子とシィには町の外で待機してもらっていた。
わざわざ変装までしてついてきたかったのだから、町の外観だけでも見ておきたいかもしれない。
「平気です」
少し考えてから、スラ子が首をふった。
「帰って、はやくご飯にしてしまいましょう。マスターは今日、ずっとお仕事しててお疲れなんですから」
「そっか」
本心ではいってみたいはずだとわかるが、本人がそういうならいいか。
歩き出しながら、スラ子をなぐさめるつもりでいってみる。
「せめて表面だけでも誤魔化せればいいんだけどな。魔法とか」
「私にも、魔法って使えるんでしょうか」
「使えるんじゃないか?」
我ながら適当な返事だと思ったので、補足する。
「魔法ってのはつまり、魔力を扱う技法ってことだからな。お前には魔力もあるし、思考する知性もある。普通に考えたら魔法だって使えるはずだ。そもそも、」
「そもそも?」
俺は肩をすくめた。
「お前が自分の身体を変化させるのだって、立派な魔法の一種だろ。意識するかしないかってわけだな」
相手の魔力を吸収するのだってそうだ。
「なるほど」
「魔法のことなら、シィに習ってみればいいだろう。なんといっても、妖精といえばかなりの魔法の専門家だからな」
話をむけられたシィは、俺とスラ子を順番に見上げてきてから、こくり。
「わかりました。シィ、今後お願いしてもいい?」
こくり。どこまでも無口な妖精だった。
「でも、マスターの専門も魔法……ですよね?」
恐る恐るといった感じに訊いてくる口調が気づかいを感じさせる。
俺は胸を張った。
「ああ。アカデミーをなんとか卒業できたくらいの、エリート落ちこぼれだがな」
「俺に聞け、といわれないところでなんとなく察しはできてました」
ふと。
黙って俺とスラ子のやりとりを聞いていたシィが立ち止まった。
「シィ?」
おくれて、俺とスラ子も気づく。
森のなかを歩く俺たちの後ろから、何者かがついてきていた。
獣か――という焦りは、すぐに安堵の思いにかわる。
「こんな夜更けに森に入っていこうだなんて、物騒だねえ」
暗闇から声をかけてきたのは人間だった。
手元に持ったランタンに、二人の男が浮かび上がる。こんな時間、森で活動する人間なんて限られている。
冒険者。それとも、
「おい、見てたぜ。さっき町でけっこう豪勢な買い物してたみてえじゃねえの。どこに向かってんのか知んねえけどよ、ちょっと俺らにも恵んでくれねえかい」
二人組は野盗だった。
町の外や街道で人を襲い、金品を奪って逃走する。
法に従わない外れもの。そういう意味ではこいつらも俺たちと同じ「魔物」といえるだろう。
俺はほっとしていた。
言葉が通じない獣ならともかく、話ができるならどうにだってなる。
というか逃げるか?
いや、重い荷物を持って、逃げ切れるかどうかわからない。
思考をめぐらせる俺には戦うなんていう選択肢はさらさらなかった。痛いの嫌だし。俺じゃこいつらに勝てるかどうかも怪しいし。
だが、事態は思わぬ方向にいともあっさり解決した。
こちらに近寄ってきた二人組が、急に足元をふらつかせたかと思うと、ぱたんぱたんと倒れる。
なにがあった、と考えてから気づいた。
「シィ、お前か?」
「はい」
シィがうなずいた。
妖精の魔法。スリープかなにかだろう。
重なるようにして倒れこむ二人に近づくと、品のないいびきが聞こえてきた。やはり眠りの魔法だ。
妖精族は魔法に長けている。
相手が熟練の冒険者ならともかく、対抗力の弱い野盗程度なら一発だろう。
「魔法って便利ですね。シィ、えらいえらいっ」
スラ子が頭をなでるのをシィはされるがままになっている。フードのしたでどんな顔をしているのか、ちょっと見てみたい気がした。
「マスター。この人たち、どうしますか?」
「どうってもなあ。野盗ってことは冒険者登録なんざしてもいないだろうし」
冒険者とは、人間と魔物の中間に位置するような連中のことをさす。
人間と違う様々な種族がいる世界では、もちろん日々いろんなことが起きる。
やっかいごと、もめごと。人間の法に縛られない「魔物」が起こすさまざまなトラブルを解決するために生まれたのが、冒険者だ。
連中は魔物と戦い、ときに交渉する。
そういう意味で、冒険者は人間と魔物の橋渡し的な存在といえる。
法を守るアウトロー。言葉としては矛盾しているが、ニュアンスとしてはそんな感じだ。
冒険者はたいてい、それぞれの国や街にあるギルドに登録している。そのほうが仕事を斡旋してもらえるし、保険という意味合いもあるからだ。
冒険者登録をしている冒険者は、なにかあって――具体的には、魔物にやられたりしたときだ――その身柄をギルドが金を払って引き取ってくれる。そういう取り決めがある。
とはいえ、法を守らないことがそもそもの存在意義みたいなところがある魔物連中だから、そんな取り決めなんざ知ったことかと食い散らかしてしまうことも多い。
最近では、ちょっと小ずるいやつが冒険者と結託して保険金詐欺みたいなのをやらかしたことが問題になったりしたらしいが、そっちも俺にはあんまり関係ないことだ。
冒険者となんか戦ってたら命がいくつあっても足りない。立ち位置的に「魔物」に近いだけあって、連中はどこかまともじゃないやつばかりだった。
もしこの野盗二人が冒険者登録をしているなら、ギルドに突き出せば小金くらいにはなるかもしれない。だが、ちょっと考えただけで面倒なことになりそうだったので、
「スラ子、ちなみにこの二人、お前の判定は?」
俺はスラ子に訊ねた。
「んー。あんまり、趣味じゃありません」
「そか」
スラ子の食指もそそらないというのなら仕方ない。
「身包み剥いで放置だな。服とかも売り払えば少しは金になる。こいつらだって、運がよけりゃ生き残るだろ」
まあ、この時間から森に倒れていちゃほとんどその可能性もないだろうが、さすがにそれ以上情けをかける気にもなれない。シィの存在にきづかず襲ってきた自分たちの不幸を呪うといい。
「了解です」
スラ子と一緒になって男たちをむいていく。最大限の温情で下着にだけは手をつけないことにして、
「お、なんだこいつら。昨日までの俺より金もってやがるんだが?」
「悲しいこといわないでください」
あとはその場に捨て置いておく。あとは野となれ山となれ。二人の野盗よ、幸運を祈る。
思わぬ収獲品を手に、帰宅の道を歩きながら、スラ子がいった。
「そういえば。マスターはどうして冒険者になろうとしなかったんですか?」
俺は答えた。
「金がなかったんだよ。やってく腕もなかったんだ。言わせんな、悲しくなるだろうが」
「ほんとに悲しすぎます、マスター」