十七話 最後はヤツがもっていく
味方を巻き込んだ魔法に流されて、壁だか地面だかとにかく硬いものに叩きつけられる。
激痛に声もだせず、かわりに強制的に息が搾り出される。吐き出した分の酸素を吸い込もうとしたところにしたたかに水を飲み、むせかえったところをまた水中に引きずり込まれた。
なにより恐ろしいのは洞窟内に溢れかえった水流がいつまでもひく気配がないことだ。
人間種族である俺には水中で息をする機能はない。
かろうじて水面に出したところを誰かの腕にひかれるようにして水の中に戻される。水流は殺意をもっているかのようだった。
これは、やばい。
リザードマンどころか、こっちだって。このまま続けられたら抵抗のしようがない――血液に新鮮な酸素が行き届かず、意識が白くなりかけたところで水がひいた。
身体はすぐにでも空気を欲しているのに、喉の奥からありもしない空気を吐き出すように何度も咳き込んでから、ようやくか細い呼吸が許される。
涙目の視界で顔をあげると一面は死屍累々と化していた。
倒れているのはリザードマンだけではない。
仲間たちも、それからマーメイドたちも、ばらばらになってしまっている。
超然として中央に立つのは魚人族の長、ふざけた手足を生やした魚野郎と、それからもう一体。
「だいじょうぶ~?」
まるで水に濡れた気配さえない様子のノーミデスが、のんびりした表情でこちらをのぞきこんできた。
「……これが大丈夫にみえるか?」
「うーん、風邪ひきそぉ?」
「そうだな。ここがあったかい地下でよかったよ」
身体を起こそうとして、背中に走った痛みに顔をしかめる。
骨にひびくらい入ったかもしれない。生粋のインドア派であるところの俺に骨折の経験はなかったから適当にいってるだけだが。
他の仲間は無事かと視線を巡らして、それぞれの安否を確認しているところに声が響いた。
「ほう、まだ立つか」
魚の長の言葉が向けられたのは俺ではなく、大柄な一人のリザードマン。
大剣を杖のように身体を起こしたリザードマン族の長が、ダメージのないはずがない身体で立ち上がり、吠えた。
「じゃるおああああああああ!」
「吠えるな。敗者は大人しく去ればよかろうに」
悠然といった魚が俺を見た。
「言葉が通じん。伝えてくれるか、人間の。いさぎよく負けを認め、一族を連れてこの洞窟から出ていけば命まではとらんとな」
「……断る」
低く、はっきりと。俺は答えた。
「ほう」
魚人族の長の目がこちらを捉える。
まぶたのない魚眼は焦点がこちらにあっているかどうかも定かではない。だが、そのまんまるのつくりものめいた瞳にたしかに嘲りの光がやどっていて、
「通訳にもならんというのなら失せるがいい。邪魔なだけだ。それともなにか? そんななりで他にできることがあるとでも?」
ぎゅっと拳を握り締めた。
――できること。
戦いを止められなかった俺に、いまさらなにができる。
どっちも叩きのめすだなんていった結果がこのざまだ。
大事な仲間たちはみな、傷ついて倒れている。
それが、俺の我儘がまねいた全てだ。
自分ひとりじゃなにもできない分際でいったいなにを思い上がっていたのか。
二つの種族がそれぞれの群れを率いて争う生存闘争に、どれだけの覚悟をもって介入しようとしていたのだろう。
たかが引きこもりの、ダメ魔法使いのくせに、だ。
「……できますよ」
後ろから響いた声はスラ子のものだった。
振り返ると、小さなシィに支えられるようにして立っている。スラ子の表情は辛そうなまま、瞳は爛々と輝いていた。
「マスターには――なんだってできます。私が。なんだって、してみせます」
体調が著しい悪化をあからさまに、
「ご命令を。あの偉そうなお魚さんをぶったおせと命じてください、マスター」
相手の懸命さに、俺は顔中をくしゃくしゃにゆがめた。
スラ子が戦える状況にないのはあきらかだ。
それでもスラ子は本気でいっている。たとえ自分の身体を保てなくなってしまっても、それをやり遂げようとするだろう。
なんのために。
俺のためにだ。
「ボクも。なんだってやります。獣になったってかまいません」
カーラがいった。
「前の身体だったら、ここで骨身を削ってでも!と捨て身のギャグが使えたんですがねえ。まあ長いつきあいですし、あっしもご主人につきあいますよ」
スケルがいった。
「……私は反対ですわ」
ルクレティアがいった。
「ときには負けを認めるということも必要です。それを反省し、次に生かしさえすればよいのですから。それでも絶対に退けないと、不退転の覚悟でご主人様がおっしゃるのでしたら――仕方ありません。阿呆な主に捕まってしまったと懇々と恨みながら、せいぜい華々しく死んでいってさしあげますが」
思わず苦笑してもう一度視線を戻す。
重そうにスラ子を支えたシィは一言もなく、ただこっくりと首をうなずかせた。
ため息がでた。
こんなにもいってくれる相手にどう応えるべきか。すくなくとも俺なんかの安っぽいプライドのために、命を賭けさせていいわけがない。
自分がいいだしたことだ。
それを認めて、諦めるのはたしかに悔しい。
けど、諦めるのは昔から。慣れきってることじゃないか――
言葉をなくした俺から興味がうせたように、魚人族の長は再びリザードマンの長へと気配をむけて、
「まあよい。言葉など通じずとも状況はわかろう。全滅か、逃走か。好きに選べ」
最後勧告をだす周囲でむくりと起き上がるマーメイドたち。
水棲の連中だってあれだけの奔流に巻き込まれれば地面や壁にぶつけられてダメージがあっただろうが、そんな様子はおくびにもみせていない。
「じゅら、しゃらららら!」
大きく吠える長の声に応えるように、リザードマンたちも立ち上がっている。
こちらは誰も彼もが満身創痍というありさまだった。
それでも彼らの眼差しから闘志が尽きることはない。
自分たちの住処が奪われようとしているのだから当たり前だ。退くつもりだってありはしない。
「じゅらああああああああ!」
長が雄叫びをあげた。
傷ついたリザードマンたちが動き出し、それに止めをさすべく魚人族も動く。
再び始まりかけた血みどろの争いと、そう遠くもなく訪れるだろうその決着にもはや為す術もなく。無気力感にさいなまれて立ち尽くす俺に、
「あーいあーむちゃんぴょーーーーーーーーん!」
テンション高く、声がとどろいた。
黄金の光が地下空洞を突き破る。
目をつぶすほどの光量と、音。それから衝撃を受けてもろともに吹っ飛ばされた。
盛大な土煙のあとに立っていたのは一人の少女。
「あ、いたいたー。やっほー、マギちゃん」
傲然と姿をあらわした人型の黄金竜は、周囲の唖然とした空気など感じないように手をにぎにぎしてこちらに挨拶をおくってきた。
「す、ストロフライ。サン……」
「そうだよー。あたしだよー。どしたの、そんなびっくりした顔して」
「いや、びっくりもなにも――いきなり現れて、なにごとかと」
「ん? だって渡したでしょ、鱗」
いわれて自分の胸元に輝く袋を見おろした。
「それがあるから、マギちゃんの場所はすぐわかるからー。あとで合流しようとしてたんだよ」
どうやら自分の鱗から発する魔力かなにかを探知してきたらしい。
それはともかく。
俺は呆然とストロフライが“降ってきた”天井を見上げた。
そこから穏やかな光が注いでいる。
つまり、それは地上の光で、つまり今は昼ということであり。
この目の前の竜は、地上からかなり地下深いここまでを一気に突き抜けてきたのだった。文字通りの意味で。
そりゃ、竜ならなんだって許されるのかもしれないが。それでもこう思わざるをえない。
――なんだそのでたらめさ。
「ん? マギちゃん、これってどういう状況?」
はじめて周囲に気づいたようにストロフライがいった。
突然の乱入者に、リザードマン族と魚人族はぽかんとそれを見送っている。
「しゅら、じゅ、らうじゅうらあ!」
あわてて叫んだリザードマンの長が武器を放りだした。
平伏する長に続いて、次々に他のリザードマンたちも地に顔をこすりつける。
竜はリザードマンにとって信仰の対象だ。
今のストロフライは人型をとっているが、リザードマンの長はどうやってかその正体を悟ったらしい。同じ爬虫類同士の共感というやつか――とは、竜を蜥蜴の王様扱いしたら殺されるかもしれないので決して口にはできないが。
「ん。なんかしんないけど控えおろー」
で、とストロフライはもう一方の魚人族たちに目をやって、
「こいつらはなに? なんか愉快なのが一匹いるけど」
「……竜族とは。高名な彼の一族のお方とまみえることができるとは光栄の至り」
自分のことだとわかったのかどうか、手と足を生やした魚が口を開いた。その魚顔の表情は変わらないが、さすがに声に緊張がある。
「我は魚人族を治めるウゼという者。我らはいま、この地下空洞での居住をめぐってそこの蜥蜴どもと雌雄を決しておるところであります。竜族の方にご迷惑をかけるつもりはありませぬゆえ、どうかお気になさいませぬよう」
「なにふざけたこといってんの?」
ストロフライがいった。
「この山は上から下まで、全部あたしのものなんだけど。居住とか領有とか、いったいどこの誰に断ってるわけ?」
「それは」
魚人族の長が言葉を詰まらせる。
ぴくりと眉を持ち上げたストロフライが、
「なんか変な匂いするなぁ」
つぶやいて、鋭い視線をあらぬ方向に向けた。
「――このあたしの前で、なにコソコソしてんの?」
ずるり、とそれまでなにもなかった空間から何者かが引っ張り出された。
「くっ……!」
驚き慌てた表情を浮かべているその誰かは、全体的な雰囲気がノーミデスによく似ている。
「あ、そんなところにいた~」
ノーミデスがいった。
「精霊って。ウンディーネじゃなかったのか」
驚いた俺に、ん、とノーミデスは首をかしげて、
「いわなかったー? 同族だってぇ」
「いや、精霊族ってことだと――いや、ちょっと待て。魚人族の後ろ盾にいたのって土精霊なのか?」
魚人族は水中に生きているのだから、普通はウンディーネじゃないのか。
「どこの精霊よ? このあたりの匂いじゃない……ああ、そういうこと」
ストロフライが唇を歪めた。
「自分の土地を失った土精霊が、手下どもを焚きつけて新しい住処を奪わせにきたってわけ」
「……!」
引っ張り出された精霊は答えなかったが、その表情が正解であると告げていた。
――魚人族がやけに好戦的だったのはその為か。
俺は納得した気分で考える。
地下湖の居住だけで飽き足らず、リザードマン族そのものを地下洞窟から追い払おうとしたのも。
いつかまた前のように攻め込まれるかもしれないという先制防衛だけでなく、彼女たちの後ろにいた土精霊がそれを望んだから。
「土地をうしなった精霊なんて哀れなもんねー。ま、それであたしの縄張りに手を出したのが運の尽きだけど」
「うるさい!」
吠えた土精霊からなにか大きな気配が生じかけた。
精霊がその身に宿す膨大な魔力を発動させようとしたのだろう。
しかし、そよ風ひとつ起きなかった。
「精霊ごときがあたしに敵うわけないじゃん」
ストロフライがいう。
実際にはなにも起きていないのだから想像するしかない。
だが恐らく、ストロフライは土精霊の魔力を封じてみせたのだ。
精霊は魔力の質の象徴だといわれている。
魔力的な意味でもっとも純度の高いその存在をも子ども扱いしてみせて、
「とりあえず、あたしにケンカうったんだからあんたは死刑確定ね。あれ、スラ子ちゃん。どしたの? 具合わるい?」
シィに支えられたスラ子を見て眉をひそめた。
「なんか魔力へっちゃってるね。だいぶ総量へってたのに、なんか無茶しちゃったんでしょ」
ぽん、と手をうって、
「そうだ。スラ子ちゃん、これ食べちゃっていいよ」
平然といった。
聞き捨てならない台詞に俺は顔をしかめる。
「ちょっと、ちょっと待ってください。スラ子の魔力が減ってたって?」
「んん、気づいてなかったの? ダメだなあ、マギちゃん。スケるんをつくったのってスラ子ちゃんでしょ? 自分自身を魔力ごと分けたんだから、当然減っちゃうよ。前のときと比べて半分近いくらいだったかな? 本人にも自覚がなかったのかもだけど」
そんなこと、気づきもしなかった。
スラ子を見ると、
「そんな感じは、ありましたけど。……実際に限界がどのくらいかまでは、ちょっと。すみません」
「気づかないマギちゃんが悪いよねー」
そのとおりだ。
生命をつくりだすなんてことをしておいて、そのあとでスラ子が何事もなかったようにしていたから問題ないと。勝手に決めつけていたのだから。
「……すまん。スラ子」
「違います、マスター。心配をおかけしたくなくて。ごめんなさい」
「うんうん。スラ子ちゃんは健気だなあ」
機嫌よくストロフライがうなずいた。
「だからね、これ食べちゃっていいよ。土地から離れてだいぶ衰弱してるみたいだけど、ほら。腐っても精霊?」
肉をもたない精霊はそもそも腐らないだろう、なんてツッコミをいれるどころじゃなかった。
「でも、そんなことやったら。どうなるか」
「大丈夫でしょ。だって、スラ子ちゃんのなかってもう別の精霊がいるじゃない」
いったつもりもないことをさらりといわれてぎょっと身をすくめる俺に、黄金竜の少女はけらけらと笑う。
「やだなあ、マギちゃん。そんなの見たら一発だよー」
竜に隠し事は通じない。
背中に冷や汗を感じながらなんとも答えようがないでいると、
「ま、ちょっと面倒なことにはなるかもしんないけど。他全部を捕食でもしない限り大丈夫でしょ。それにスラ子ちゃん、いい子だし。あたしが許す!」
えへんとない胸を張ってストロフライがいいきった。
「マスター」
スラ子がうかがうように俺を見る。その血の気のうせたような半透明の表情を見て、
「……わかった。シィ、様子を見てやっていてくれ」
こくりとシィがうなずいた。
ストロフライの言葉には気になる含みがあったが、ストロフライがそれを許可したということは、問題がないか、あってもどうにかなるということなのだろう。
土精霊を取り込むことで、スケルを生み出した分の魔力が補充できるというなら、悪いことではないはずだ。
「やめろっ。土地を奪われて、あげくにそんなモノに……!」
「うるさいなあ。あたしが殺すって決めたんだから、どう殺したってあたしの勝手でしょ」
ストロフライが冷ややかに睨むと、声帯を――もともとあるわけではないのだろうが――奪われたように、土精霊から声がうしなわれる。
ぱくぱくと懸命に口を動かし、逃げればいいのにそうしないのは恐らくそれすらも封じられているのだろう。
なにかを訴えようとする相手の前にスラ子が立って、
「ごめんなさい。あなたのこと、いただきますね」
どろりと溶けた。
そのままおおいかぶさっていき、声もない悲鳴をあげる土精霊から俺は目をそらす。
「さてと。あと残ったのは下っ端連中?」
鼻歌でも歌いそうな上機嫌さでストロフライが振り向いた。
自分たちの精霊を文字通り目の前で食べられつつあって、それを見せつけられている魚人族たちは声もない。
「まあ、あの土精霊がやらせてたにしたって、あたしの場所であたしに断りもなく、あたしの知らない騒ぎを起こしてくれてたってのは間違いないわけだし。どう落とし前つけてくれるのかな?」
天然ヤクザらしい物言いに、魚人族の長が震える声で答える。
「我らは元いた住処を追われてここにやってきただけのこと。ここが竜族の縄張りであったとは露知らず、謝罪はこのとおり平に」
「ふむふむ。殊勝な心がけはいいことだね」
「だが」
「だが?」
「我らは勝った。勝った者が全ての権利を得るのが魔物の掟であるはず。どうか我らが蜥蜴どもに代わってここに住まうことをお許しいただけまいか」
「却下」
一言とともに、魚人族の長が燃え上がった。
「ああああああああああああああ!」
悲鳴をあげながら踊るさまを愉快そうに見ながらストロフライがいった。
「掟ってなーに? そんなの、あたしが掟に決まってるでしょ」
魚人族の長が倒れ、あとには燃え尽きた焦げ跡だけが残る。
目の前で長を惨殺されて、それでも魚人族の誰一人も動こうとはしなかった。
竜の暴虐に異を唱えられる者なんか存在しない。
たとえそれがどれほど理不尽であったとしても、それを受け入れるしかないのだ。
「さて。じゃあとりあえず、他の連中も一緒に死んどこっか」
楽しげにストロフライがいった。
おののいてあとずさる魚人族たちに、舌なめずりするようにしたストロフライが瞳を輝かせて、
「――待ってくれ」
乾いた声は、なんとか言葉になった。
「んー? なあに、マギちゃん」
ストロフライが振り返る。
「待って……ください。連中を殺さないでやってほしい」
「どして?」
純朴な少女のように首をかしげてくる。
「……魚人族は本来、好戦的な種族なんかじゃありません。土精霊のちょっかいがなければ、きっとこんなことにはならなかった。もっと友好的に共存だってできたはずなんです」
「だから?」
「だから。彼らをこのまま――」
「んん、ちょっと意味がわかんないなー」
ストロフライが笑った。
「精霊が企んだ。長からの命令だった。そんなの、あたしが殺すって決めた、それを覆す理由にはならないでしょ」
それとも、とほがらかに続ける。
「まさかマギちゃん、このあたしに命令するつもり?」
背筋どころか全身が総毛だった。
目で殺す、という言葉がある。
もちろんそれは比喩表現なのだが、こと竜に限っていえばそれは冗談にも言いすぎにもならない。
ストロフライが望みさえすれば、目線だけで俺なんてころっといってしまう。
殺気としかいいようのない濃い気配にあてられて、満足に呼吸することすらできなかった。
じわりと全身が濡れ、視界がゆがむ。
がちがちと歯が鳴りだすのを必死になってくいとめた。
なにをとち狂ってるんだ、と頭のなかで自分が絶叫している。
竜に異見をするなんて正気の沙汰じゃない。
すぐに謝るべきだ。這いつくばって、無様だってなんだっていいから発言を撤回しろ――
「命令じゃない。お願いしてるんです、ストロフライ」
「へえ」
爬虫類の目が細まった。
竜を呼び捨てにしたのなんて、生まれてはじめてだ。
きっともう二度とありはしないだろう。主に俺の人生が数秒後に終わるから的な意味で。
「マギちゃんがお願いなんて珍しいねー」
その表情は上機嫌なまま、だからこそ不気味だった。
「いったいどうしてこんな連中を助けてほしいの?」
次の瞬間には消し飛ばされてしまうかもしれない恐怖に身を置きながら、必死に頭を回転させる。
「……こいつらは、使えます」
「使うって?」
「殺すのなんていつでもできる。せっかく手足になりそうな奴らが迷い込んできたんだから、せいぜい使ってやればいい」
「つまり、家来にしちゃえってこと?」
「はい」
「つまんないよー、マギちゃん」
ストロフライががっかりしたようにいった。
「別にあたし、家来なんかいらないし。もっと面白いこといってみせてよ。じゃないと、マギちゃんもこいつらと一緒に殺しちゃうよ?」
渦巻く殺気が一段と濃さを増し、ほとんど物理的な威圧感となって叩きつけてくる。
足腰の感覚が失せ、自分がまだ立っているのか、目の前の強者の前で情けなくへたりこんでいるのか自分でもよくわからなくなりながら、
「――貸しひとつ。出世払いで」
間抜けな言葉が漏れた。
沈黙。
きょとんとまばたきしたストロフライが、
「ぷ、くくっ」
堪えきれない、といった感じに吹き出した。
「あはは! 今のはちょっとおもしろかったよ、マギちゃんっ」
いつのまにか周囲に張り詰めていた殺気がなくなっている。
「人間が竜に貸し借りって! しかも出世払い! なんかもー、すぐに死んじゃうくせにー!」
なにがストロフライの琴線に触れたのかわからないが、黄金竜は涙を流しながらばたばたと笑い転げていて、
「あー、面白かった。うん。いいよ、マギちゃん」
あっさりと首を振る。
「面白かったから許しちゃう。こいつらまとめて面倒みてあげればいいよ。でもそのかわり、ちゃんと飼ってあげるんだよ? 責任者、マギちゃんなんだから」
「わかってます」
「竜族の貸しはおっきいよー。下手したら世界一個より大きいかもよ?」
「……努力シマス」
「ふふ。なにしてもらおっかなー。しばらくそれ考えるのも楽しいかもー」
もしかしたら、俺はとんでもないことを口にしてしまったのかもしれない。
いったいどんな無理難題をふっかけられるのか、嫌な予感はほとんど確実なものに思えたが、この場で殺されなかっただけで僥倖だ。
「ってわけで。マギちゃん渾身のギャグに免じて、殺さないでおいてあげるから。くだらないケンカなんてやってないで、仲良くするよーに。文句あるのはいる?」
ストロフライが二つの種族に問いかける。
もちろん、反論なんてあるわけがない――そこに、一人の若いリザードマンが進み出た。
「しゃぎゅら!」
「どうしたの、ボク」
「じゅら、しゅらうじゅううりゅら、じゅら!」
「あー。両親がやられちゃってるんだー。仇を討たせてくれって?」
竜を前にして恐れもせず訴えるリザードマンに、ふむふむとうなずいて、
「わかった。仇をとらせたげよう!」
「ストロフライ、それは、」
「いいからいいから。まかせなさいって」
止めようとする俺にぱたぱたと手を振る。
「……わたしが受けよう」
やってきたエリアルがいった。
「その子の親を殺したのは、わたしかもしれない。……証拠などないが。竜よ、どうかこの身を彼の好きにさせてやってはいただけないだろうか」
「ん。いいよー」
ストロフライの許可を受けたエリアルが若いリザードマンの前に出る。
両手を背中で組み、目を伏せる。
リザードマンが剣をかまえる。
俺は目の前で起こるその行為を止められずに、
「しゃあ!」
無骨な剣がエリアルの身体を安々と打ち砕いた。
ぐしゃりと鈍い音。
鮮血が舞い、一撃で絶命したマーメイドが倒れこむ。
「はい。復活」
かと思った瞬間、まるで時間が巻き戻ったようにエリアルが五体満足な状態に復元した。
「なっ……」
「――!?」
呆然と立ち尽くす、殺した者と殺された者の双方に、
「仇討ち終了! めでたしめでたしーっ」
底抜けに明るくストロフライが言い渡した。
「じゅら、しゅら! じゅつりゅあら!」
納得がいかずに声を荒げる若いリザードマンに、
「なあに、まだ足りないの? しょうがないなー。じゃあ、また殺していいよ。また生き返らせてあげるから」
ストロフライは笑顔でいった。
「何回でもいいよ? そのうち、相手の気が触れちゃうかもしれないから、それまで頑張ってみるといいかも。その前にそっちの気が触れちゃうかもしれないけど、ちゃんとそれは治さないでおいてあげる」
リザードマンが絶句する。
「あたしが仲良くしろっていったら、仲良くするの。全員生きるか、全員死ぬか。わかる?」
ストロフライが笑顔でのぞきこんだ。
我儘の極まった台詞に声をうしなった若いリザードマンが、ぎゅっとその手の大剣の柄を握りこんで。
がらん、と床に転がった。
虚しさか悔しさか、武器を手放してうつむく相手を見下ろしたストロフライがにっこりと微笑む。
大きく息を吸い込み、
「戦うのおしまい! みんな仲良く! 全員おっけー?」
身勝手な宣言が、その場の一切を終結させた。
◇
俺たちは地上に戻った。
ひとまず戦闘が終わり、魚人族は地下湖に戻り、リザードマンたちも集落で傷を癒すことになったからだが、両者のこれからについては何度も話し合いをもつ必要がある。
ストロフライの仲裁で、どちらも地下に生きる――生かされる、ことになった。
だが、たとえ場所は住み分けできても、地下の食糧事情が両種族の共存を許してくれるかどうかはまた別の話だ。
地下の恵みにはどうしたって限界がある。
そして、その二つの種族が生きられるようにするのは俺の責任だった。
バランスを崩さないようノーミデスに聞きながら、洞窟内の環境条件を整えなければならない。ストロフライが開けた大穴だってある。大工事が必要かもしれなかった。
人手は、リザードマン族と魚人族、それぞれから借りることにしたって。
「これでマギちゃん、二つの種族を率いる立場になったわけだからー。大出世じゃない!」
とかなんとかストロフライはいったが、とんだ中間管理職だ。
……もちろん、自分でいいだしたことだから不満なんてあるわけない。あるわけないが、頭が痛かった。
身体にはぐったりとした疲労があって、疲れはこのあいだの遠出どころではなかった。
それに見合う充足感に満たされていたわけでもない。
自宅に戻って、まずは自分たちもゆっくりと身体を休めることにして、ルクレティアが町に戻り、他のみんなも部屋にはいり。
俺も倒れこむようにベッドに伏せたが、疲れきっているはずなのにどうにも寝付けなかった。
何度も寝返りをうち、慣れきっているはずの洞窟の湿気が気になり、そのうち我慢できなくなってこっそり部屋を出た。
静かな洞窟のなかを歩いて、外に出る。
外は涼しかった。
森の合間の空間にある湖が月光を映してきらめいている。
夜空に浮かぶ満月に近い真ん丸を視界に移して、しばし物思いにふけっていると、
「――眠れませんか?」
声は当然のようにかかった。
俺のほうでも、声をかけられたことに驚きはしなかった。
振り返らないでいる隣にすとんと誰かが座る。
「もう身体はいいのか」
「はい。平気です」
土精霊を取り込んだスラ子はにっこりと微笑んで、
「こんなところでなにされてるんです?」
「月を見にきたんだ」
「風流なこといっても似合いませんっ」
「……ちょっと泣きにきた。洞窟のなかだと、お前らを起こしそうだったから。こういえばいいか」
「ふふー。そちらのほうがよっぽどマスターらしいです」
ふん、と鼻を鳴らす。
だが泣きにきたというのはそう間違ってもいない。
「――反省してたんだよ」
スラ子は膝をかかえたままなにもいわない。
その沈黙に強制されるわけでもなく、俺はぽつりと口をひらいていた。
「なにを思い上がってたんだろうってな。お前の不調にも気づかないで、他のみんなにも無理させて、怪我させて。調子に乗ってたんだ、俺は」
「そうですか」
いさめるのでも同意するのでもない、ただ受け流すだけの口調に、
「……お前は怒ってくれないよな」
ちょっとした不満をこめて俺はいった。
「はい、マスター」
ため息がでる。
スラ子は俺のやることに異を唱えない。
それは怒ったり、反対してくれることよりよほどやっかいだった。
俺がたとえ間違っていても、スラ子はそれを教えてはくれないのだから。俺は、俺自身で自分が正しいかどうかを常に自問自答しつづけなければならない。
それを間違えれば。今回みたいなことになる。
「ストロフライさん、すごかったですね」
スラ子がいった。
俺は苦く顔をしかめてうなずく。
「……ああ」
圧倒的な暴力と理不尽な言動で、二つの種族の争いをあっという間に収めてしまった。
あれこそが、俺がやりたかったことだ。
もしかしたらできるんじゃないかと思い上がっていたことだ。
自分が気に入らないだけであっさりと誰かを殺して、その一方で自分が気に入らない殺しは一切認めようとしない。
殺されたって何事もなかったようにそれを生き返してしまう。
生命倫理やら物理法則なんて知ったことかといわんばかりの、まさに不条理の塊のような存在。
俺は――
「マスター。マスターは、竜になりたいですか?」
心を読んだような質問に息をとめて。
「魚が滝をのぼって竜になるんだとか。空を見上げ続けた蜥蜴が竜になるとか。そういう話はあるけどな」
重苦しく、吐き出した。
「人間は、竜にはなれない。そんなことわかってるさ」
「そうですか」
スラ子が立ち上がる。
そのまま湖に向かい、岸に立ち。その姿を魔力光が包み込んだ。
月光を集めて溶かしたような淡い光。
闇に溶けたそれが青さをもち、そして呼応するように湖全体から光が浮かび上がる。
なにごとかと見守る俺に、振り返ったスラ子が微笑んで、
「掌握しました。これで、この湖もマスターのものです」
平然といった。
「……管理できそうなのか?」
「はい。前回の水精霊さんと、今回の土精霊さんのおかげで、だいぶ感じは掴めました。精霊っていうのは不思議な存在ですね」
いいながらスラ子が戻ってくる。
その身体にはいまだ淡く青い燐光が残り、ひどく幻想的なたたずまいだった。
俺は目を細める。
そんなことをしても、俺程度のレベルの魔法使いにはなにも見通せない。
スラ子の変化にも気づけない。
だが、と頭のなかでストロフライの言葉を思い出す。
――他全部を捕食でもしない限り。
確かにそういった。
他というのはつまり、他の属性の精霊ということだろう。
水、火、風、木、金、土、光、闇、月。九つある属性の二つをその身に取り込んでいるスラ子が、残り七つを取り込んだらどうなる?
ストロフライの台詞を思えば、それはきっとまずいことになるのだろう。
だが目の前に立つ不定形の生き物を見て、俺の心にあるのはいつもの不安や恐れではなかった。
月明かりの下のスラ子はただただ綺麗だった。
半透明な身体と柔和な表情。
その周囲に祝福するようにただよう魔力光に淡く照らされながら、
「――マスターがなれないなら、私がなります」
スラ子は宣言した。
「私が竜になります。いつか、あのストロフライさんだって越えてみせます」
俺はまじまじと相手を見つめてから、ため息をつく。
「聞かれたら殺されるぞ」
「そうですか? 大笑いされるような気がしますけど」
「どっちだっていい」
ふふー、と笑ったスラ子が抱きついてくる。
「私、なんだってできます。マスターのためなら」
「……とりあえず、程ほどにしておいてくれ。俺がちゃんとお前のマスターでいられるように」
スラ子がストロフライ級になってしまったら、主人面していられる自信はない。
「大丈夫です。マスターだってなんだってなれますっ。竜を従えることだって」
「無理だ」
即答した。
「できます!」
「勘弁してください」
「自分をー信じてー!」
「歌うな」
くすくすと耳元で笑いだす。
ぎゅ、っとスラ子の両腕に力がこもった。
「頑張りましょうね、マスター。もっと。もっともっと」
「……そうだな。頑張ろう」
その言葉だけは茶化すわけにもかわすわけにもいかず、俺は心の底から同意した返事をかえした。
しばらく涼んでから洞窟に戻ると、部屋の壁に一匹の蜥蜴がへばりついていた。
まさかリザードマン族からの使者じゃあるまいなと目をすぼめてから、ベッドに向かおうとして、
「おめでとうございます」
聞き覚えのある声に飛び上がった。
「エキドナ……?」
「首尾よく地下の問題を収められたようでなによりです」
声の主の姿はない。
壁面の蜥蜴がその出所だとわかり、睨みつける。
「どういうつもりだ」
「どういうつもり、とは?」
「なんで地下のことを知ってた。それを俺に伝えたのはなんのためだ」
「前にお伝えしたではありませんか」
笑い声の波動が伝わって、
「アカデミーは一帯の平穏を望んでいます。そのために今回、マギさんには尽力してもらっただけのことですよ」
「なにが尽力だ」
俺にできたことなんかひとつもない。地下の騒動を収めたのはストロフライだ。
「そうですか? しかし結果として二種族が平和的に過ごせることにはなったのでしょう。マギさんは山上のお方の代理監督者としてその上に立つ。素晴らしいことではありませんか」
相手の言い分にひっかかるものを感じて俺は押し黙った。
アカデミーの目的は魔力のバランスと、魔物を生み出す根源である魔力の渦を守ること。
それはたしかにわかるが、この声の主はそれだけではない。
必ずなにか別の目論見があるはずだ。
それはなんだと考えを巡らせて、
「ストロフライか」
脳裏に思いついた閃きを吐き捨てた。
「なんのことでしょう」
「お前はストロフライを引っ張り出したかっただけなんだろう」
エキドナはアカデミーでの栄達を志していて、そのためになんだってする。
その管理する領域のなかでもっとも危険であり、重大でもある存在がすなわち山上の竜。黄金竜ストロフライだ。
エキドナは、ストロフライを利用するつもりでいる。
しかし、ただでさえ竜は協力を請えば首を頷いてくれる気楽な存在でもない。嘆願は常に死と隣りあわせだし、そのうえエキドナはストロフライから疎まれている。
だからこの蛇女は、間接的にストロフライを動かすことにした。
なぜか気にいられている俺に情報を流し、そこからストロフライが動くことを期待した。
俺から確実にストロフライへ情報がいくと決まっていたわけではないし、それを聞いたストロフライが食指を動かすとも限らない。
それはもしかしたら、万が一うまくいけばいいというくらいの企みだったのかもしれない。
だが実際、暇をもてあましていたストロフライは話にくいつき、地下に現れ、そこで起きていた騒動を収めた。
その結果はどうだ。
山を支配する黄金竜が、その手下のさえない魔法使いを介して、二つの異なる種族を支配下にいれた。
事情を知らない周りからはそう見える。
ただでさえ単体として凶悪なまでに強力な竜が、さらに勢力を増そうとしている。
それは周辺勢力からすればもう、脅威どころの話ではない。アカデミーや魔物たちの世界に限った話ではなく、人間側にとってもそうだ。
――エキドナは、ストロフライという存在を政治問題に仕立て上げようとしている。
そうやって、自分の管理する領域の重要度を跳ね上げさせようとしているのだ。それがどんな結果を招くことになるか、わからないはずもないだろうに。
「本気か……?」
俺は相手の正気を確かめたかったが、声の媒介に使われているだけの蜥蜴をいくら見つめてもその向こうにいる相手のなにかを感じとれはしない。
「ストロフライにケンカを売るつもりか。潰されるぞ、アカデミーごと」
火薬の近場で火遊びなんてレベルじゃない。
ストロフライは爆弾だ。下手したらこの世界を丸ごと消滅させかねない程の。
「山上の方には伝わっていないのでしょう?」
「竜に隠し事なんて無意味だって知らされたばっかりだ。それに、俺が話せばすぐに伝わる」
「確かにそうですね」
エキドナの声に揶揄する響きがまじった。
「しかし、よろしいのですか? そんなことをすればアカデミーは地上から消滅します。マギさん、あなたはあまりアカデミーの人間と交友関係はないでしょうが……それでも、知人がまったくいないわけではないのでは?」
「脅迫か」
「とんでもありません。あなたの行いの結果として生じるものについてお伝えしているだけのことです。あなたの行動を掣肘するつもりはありませんよ」
俺はぎりと歯ぎしりした。
あまりよろしくない思い出ばかりのアカデミーだが、それでも知り合いが皆無というわけではない。
たとえばそれはこんな自分を世話してくれたマッドな恩師であったり、こんな自分にも気兼ねなく声をかけてくれたスラ子の容姿の元になった相手のことであったり。
……その二人以外、特に思い当たらないあたりがちょっと悲しかったが、そんなの一人でもいれば十分だ。
ストロフライがアカデミーを滅ぼすと決めたなら、ストロフライは全てを滅ぼす。
俺の知人だから助命するなんてあるわけがない。
貸し一つを許してくれたからもう一つお願い、だなんてほざいたら今度こそ殺されるだろう。あんな馬鹿げた綱渡りは二度とごめんだ。
俺からストロフライに情報がいかないとわかっているからこそ、エキドナはこんな態度をとっている。
「……ちょっと甘いんじゃないか。そりゃ知り合いの命は惜しいが、自分のほうが大事だ。ストロフライに黙ってれば俺が殺される。いわないはずがないじゃないか」
「あなたは小心な方ですから」
エキドナがいった。
「だからこそ悪者にもなりきれない。もしあなたが自分の命のために知人を切り捨てられるようなら――私も、もっと違うアプローチをしたでしょう」
見透かされている。
舌打ちする俺に含んだ笑いを向けて、
「そう怒らないでください。マギさんにとって悪いようにするわけではありません。強力な竜配下の魔法使いとして、麓のダンジョンを支配する。あなたの名声も否応にも高まるというものです」
「でっかいお世話だ」
エキドナの台詞は、つまり俺の周りにトラブルを呼んでくるということだ。
誰もそんなもの望んでなんかいない。
「とにかく今回はお疲れ様でした。素晴らしい働きでした。これからも魔物の繁栄と平穏のため、力を尽くしてくれることを期待します――」
「いってろ!」
我慢できなくなって、俺は近くにあった燭台を壁に投げつけた。
あわてて蜥蜴が壁を這って逃げ出していく。
エキドナの声はもう届いてこない。
「……くそ」
ベッドに座り込む。
ようするにはじめからエキドナの手の内で踊らされていたのだ。
エキドナがもたらした情報なのだから、なにかあることはわかっていた。
それでもいってみなければわからないと、そう軽く考えていたのが俺だ。それも図に乗っていたからだ。
そんな増長のせいで、策略というには偶然の作用が大きすぎるとはいえ、結果的にはエキドナの思惑どおり、ストロフライは動き、周辺が危機感を持つのに十分な結果が生じた。
これからいったいなにが起こる?
竜が単体以上の力を持つ。つまり自衛や気まぐれではなくはっきりとした意思で勢力を拡大するという兆候があった場合、周囲はそれに敏感に反応する。
それは実際に歴史上の過去にあったことだ。
肉を喰らう喜びをおぼえ、世界中の財宝を独占しようと“分相応な”欲望に身を落とした竜を討伐するために、人間たちが隊を組み、それに魔物たちが助勢したことは。
ストロフライの存在が危険視されればそうなる事態はありえる。
ただしそれは今すぐに訪れるということではないだろう。
エキドナが今回の事態について報告し、あるいは噂として流したところでそれが事実かどうかはわからないのだから。
だが、この山とその麓にあるダンジョンが注目を浴びてしまうことだけは間違いない。
そして、それこそがエキドナの目的なのだろう。
本人にいっても話を聞いてもらえないのなら、周囲の状況を変えて無理やりにでも動かしてしまえばいい。
エキドナがやろうとしていることはどう考えたって無茶だ。
相手はあのストロフライだ。
竜族で、しかも同族を二匹相手取って勝ってみせるようなふざけた存在なのだ。
エキドナ程度がなにをどう小細工したところで、思い通りになんか操れるはずがない。
だがエキドナが策に失敗して、それでストロフライの怒りが本人だけに収まるわけがない。
それこそアカデミーを全て滅ぼし、あるいは自分の住む山ごと一帯を殺しつくすことだってあるだろう。
「――そんなこと、させてたまるか」
俺は竜にはなれないし、勇者にだってなれはしない。
立派な悪の魔法使いを目指してはいるが、今回のざまを見る限りいいところ道化師どまりだろう。
だからって。
あんな蛇女の好きにさせるわけにはいかない。
スラ子やシィ、カーラにルクレティア。スケルに、近くの町の連中に、森の妖精たち。そして地下のリザードマンたちや魚人族。
今の俺はもう昔のぼっちじゃない。
だからそれを言い訳にするわけにはいかない。
自分の関わってきたものを守らないといけない。
そのためには、今回みたいに馬鹿な思い上がりをしているわけにもいかないのだ。
小物なら小物にだって、やれることはあるはずだ。
……どうにも気がたかぶってしまい、眠れそうになかった。
頭を冷やすためにまた外に出かけるのもどうかと思い、脳裏にそれぞれの部屋で休んでいるはずの女たちの顔が浮かび上がり。
よし、と決意する。
荒んだ心を癒されるために、俺は飼育部屋のスライムたちの元へと出かけていった。
3章 おわり