十三話 蜥蜴が怒り少女は殴り、笑う骨子は流されて
「じゅるあう!」
リザードマンの長があげたのは、わざわざノーミデスに確認するまでもなく怒りの咆哮だった。
周囲からは無数の爬虫類の鋭い視線が集まっている。
群れ一つにケンカをうってしまったことに、少なくとも外見には怖気づいた様子はみせないようにして、一歩足を踏み出す。浮遊の魔法はすでに解けていた。
「じゅら、しゅらうじゅあらら、じゅ!」
長がなにかをがなりたてる。
俺は困惑顔のノーミデスに向かって、
「なんていってる?」
「いったいなんの真似だぁ、って」
「その贄をこっちに渡してもらおうって。伝えてくれ」
すぐに返答がかえる。
「いくら神の使いといえど、そんな横暴が許されるものかって~」
まあ、そうだろう。
連中が欲していたのはあくまで「自分たちに都合のいい」伝説だ。
群れの士気を高め、勝利を信じさせるための戦意高揚策。
もちろん自分たちの言い伝えを信じている気持ちだってあっただろうが、だからこそ、思い通りに振舞ってくれない言い伝えなど意味を持たないはずだ。
戦意と復讐に凝り固まっているところに、争いをやめよう!などといいだしたところで聞いてくれるはずがなかった。
あれは神の使いなどではなかった、となるのが落ちだ。
だから、まずは認めさせなければならない。
伝説とか、神の使いとかではなく。どちらが強いのかということを。
「無理やりにでもそうする」
「ケンカはやめてほしいんだけどぉ~」
「ほっとくと、もっとひどい争いになるぞ。伝えてくれ、悪いようにはしない」
「うー、ほんとにそうならなかったらひどいからねぇ」
ノーミデスが恨みっぽく俺を見て、相手に向かって通訳する。
「じゃら!」
長が吠えた。
リザードマンたちが武器をかまえ、武器を持っていなかったものたちはそれを取りに戻る。
相手が攻めてくる方向は前、右、左の三方。
それぞれから押し寄せるリザードマンたちに備えてスラ子が正面に立ち、カーラとスケルがそれぞれ左右に開く。
「まったく。ただでさえ魔法を使いづらい地形だというのに、そのうえ殺してはならないなんて。我儘なご命令ですこと――」
文句をいいながら、中央のルクレティアが大きく掲げた杖を輝かせる。
「ウォータースプラッシュ!」
生み出された水流が弾けた。
前方を中心に四散して押し流していく水の流れに、リザードマンたちが足場を乱す。
それに乗じて、スラ子とカーラの二人が駆けた。
「じゅわ!」
一気に目の前まで距離を詰めた相手に、リザードマンが声とともに石剣を振りかぶる。
連中の武具は石製だ。
刃だけではなく、柄まであわせて岩から削り作られた重量はひどく重い。
自然、大降りになる一撃を悠々とかわして、
「はッ!」
カーラの正拳が相手の胸を打ち抜いた。
「……!」
悲鳴もあげられずに吹き飛ばされるリザードマンの奥から新手。
やはり重量のある武器を相手が振りかぶったときには、すでにカーラの体勢は整っていて、
「――やあ!」
かわしざま、半回転の蹴りがリザードマンの側頭部を直撃する。
そのまま身軽さを生かして先手を取り続ける。魔法を使わず、大降りの攻撃を多用するリザードマンたちは、通常状態のカーラにとってもっとも相性のよい相手だった。
一方、正面を受け持つスラ子はいつもどおり遠距離からの攻撃が主体。
「ウォータープレスっ」
水流で相手の動きを止め、あるいは制限したうえで、自在に変化可能な腕を鞭のようにしならせて痛撃する。
もともと中央にいたリザードマンたちの数がすくなかったこともあり、スラ子の前からはすぐにリザードマンたちの姿が除外されていった。
問題はもう一人。
左方面を受け持つスケルだった。
「シィさん、援護お願いしやすっ」
いいながら駆け出すスケルの手に武器はない。
スケルは魔法を使えない。スラ子のように身体を変化させることもできないから、一人で大勢のリザードマンたちの相手をするのには無理があった。
背中の羽をはばたかせて、シィがスケルの援護につく。
淡く輝いた妖精の羽が眠りの波動を送り込むが、魔法耐性に強いリザードマンたちに変化はない。
「じゃら!」
「うひゃ!」
石の大剣を危ないところでかわし、屈みこんだ全身の力を乗せて、
「スケル・アパカーッ!」
バネのように伸び上がった拳が見事にリザードマンの顎先をとらえた。
「……ありゃん?」
それを微動だにせず見おろすリザードマン。
体格こそ同じ程度ではあるが、冒険者を目指して鍛錬を続けてきたカーラとスケルでは、同じような攻撃でも与えるダメージに差がありすぎる。
「スケル、避けろ!」
大声でいうが、間に合わない。
そのときには既に動作にはいっていたリザードマンが斜め下から石剣を跳ね上げていて、
「ッ!」
スケルの身体が両断された。
「――ああ、なるほど」
どこか間の抜けた声。
たった今、鈍器のような剣で無理やりに引きちぎられた自分の身体を見おろすようにして、
「そういう特性ってわけですかい」
苦笑じみた表情でスケルがいった。
両断されたはずの切断面が吸い寄せられるように近づき、元に戻る。
まるでなにごともなかったかのようなスケルの様子に、あっけにとられたリザードマンが動きを止めて、
「てーいっ」
無防備な相手をスケルがおもいっきり押し倒した。
地面に倒れ、頭でも打ったのか悶絶して転げまわるリザードマンを見おろしながら、息を吐く。
「我ながら微妙ですねぇ。まあ、壁役くらいは務まりそうですが」
俺は遠くで見た光景に目を疑っていた。
あの瞬間、確かにスケルの体は両断されていた。
それがすぐなにごともなかったかのように元に戻った。
まるで、スライムのように。
スケルの骨にスラ子のスライム質が肉となった今のスケルの特性。
つまり――身体を変化させられないかわりに、どんな攻撃を受けてもすぐに元に戻るという。
それがどの程度の攻撃にまで耐えるのかという疑問はあるとして、ちょっと考えただけでも厄介な特性だった。
なにしろ、骨とスライム質が溶け合って構成される今のスケルには急所というものが存在しない。
攻撃を受けても即座に修復するスケルを滅ぼすためには、修復作用の速度を上回る攻撃を与えるか、あるいは修復するのに使われるスケルの体内魔力を枯渇させるか。
戦って負けることはないが、いざ倒そうとすると厄介きわまる。
スケルが生まれながらに備えているものはそうした特性らしかった。
「さて。今のあっしじゃ足止めくらい。シィさん、ルクレティアさんと替わっていただいてもよろしいですかい?」
シィが得意とする魔法は支援系統で、耐性の強いリザードマンたちへの効果は薄い。
スケル自身に彼らを圧倒する攻撃力がない以上、スケルの援護にはルクレティアが向かうべきだった。
「ルクレティア、頼む」
「かしこまりました。しかし、よろしいのですか。ご主人様の護衛だけでなく、カーラさんへの援護まで遠くなってしまいますが」
全体的な支援をするには、ルクレティアには中央に構えておいてもらっておいたほうが都合がいい。
俺は問題ない、とうなずいて、
「こっちはスラ子と合流する。中央はもうほとんど掃討できてるから、あとは二人で組んでもらえば大丈夫だろう」
「お気をつけくださいませ」
戻ってきたシィと入れ替わりに、ルクレティアがスケルの援護に向かう。
いくら切りつけてもまったくダメージを受けた様子がないスケルに、数人のリザードマンがむきになっているところに、
「トルネイド」
「ひいやああああ」
指向性の強い水流が渦を巻いて彼らを打ち倒した。
一緒くたにスケルまで押し流されてるような気もしたが――まあ、大丈夫だろう。
左方面はルクレティアとスケルに任せて、俺はシィと中央を進む。
既にその一帯はスラ子が制圧していた。
広場の中央、祭壇のようになったところまでリザードマンたちの姿はなく、彼らは広場の奥にまで押し込まれてしまっている。
カーラはどうかと右側を見てみると、一対一では常に優勢に戦闘を進めながら、やはり多勢に無勢ということで大勢に囲まれつつあった。
「奥の連中を牽制しつつ、カーラを援護して右の連中も押し込んでやってくれ。後ろに回られて包囲されるとキツい」
「了解ですっ」
スラ子に指示をだしてから、俺は目の前の状況に呆然としているエリアルを見おろした。
「……いったいなんのつもりだ」
一瞬、本気で考え込んでしまう。
「なんだろうな」
「おい」
「冗談だよ。なんとなく気に入らないからやった」
「子供か? お前のせいで、せっかくの一族の未来が、」
「未来がなんだって?」
まなじりを吊り上げかける相手をさえぎって、
「死んだあとのことを誰かに任そうとするやつが、そんなこといえるのかよ」
マーメイドがぐっと唇をかんだ。
「……仕方がない。他に方法がないだろう、この身をもって非を償う以外にどうすればいい」
「仕方がない」
俺は繰り返した。
「そういうのをやめることにしたんだ。俺は。仕方がない、しょうがないってのを」
仕方がないでひきこもるのはやめて。
しょうがないであきらめるのも卒業した。
小物な俺は、また立派な悪の魔法使いを目指すことにしたのだから。
「なんのことだ」
眉をひそめるエリアルに首を振り、
「もしここであんたが死んで、それで始まるのは話し合いだけだ。なにも問題が解決したわけじゃない。そりゃ話し合いをするのに互いの感情は大事だが、ちょっと落ち着いた感情なんてすぐ再燃するもんだ。実際、重要なのはあんたらとリザードマンたちが共存できるかどうかだろう。この地下で」
「それは、」
「あの湖はリザードマンにとっても大事な食料源なんだから、問題はどうしたって起きる。それが解決できなきゃ無駄死にだ。別にあんたがどうなろうが知らないが、無駄な犠牲なんてものを目の前で許したっていう、それが嫌だ。ウンウン悩んでしばらく眠れなくなるのはごめんなんだよ。死ぬならそこらへんをしっかりやってからにしてくれ」
目の前の相手が不憫だからとかそんな理由じゃない。
自分のちっさい器を守るために、俺はこんなことをしている。
「……なら、おまえにはなにか考えがあるのか。我々を生かし、リザードマンたちを納得させて、どちらも共に生かしてくれるというのか?」
「知るか。今から考えるさ」
吐き捨てる俺に目をまたたかせ、表情を厳しくしたエリアルが睨みつける。
「勝手なことをいう」
「そうだとも。俺が勝手にしてるだけだ、こんなもん」
いいながら、マーメイドの腕をとる。
「どいてくれ。それがないと自分の身も守れない」
俺は椅子のうえから強引にどかした。
されるがままに地面におりながら、エリアルが憎々しげに俺を見上げて、
「お前のせいで一族が傷つくようなことがあれば。殺してやる」
肩をすくめて周囲の状況を確認する。
戦況は、徐々に佳境へ向かいつつあった。