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十一話 犠牲と正義

 地底にある湖のなかは当然のように暗く、少し先だって見えない。

 スラ子やルクレティアたちが周囲に数個の魔法の灯りを撃ち出して、それがゆっくりと下降していく。白々とした光のなかを泳ぐエリアルのあとを追った。


 光さえあれば、流れのない穏やかな水中はよく透んでいて、近くを泳いでいる魚の群れが通った。


 水中にも当然ある魔力とその流れ。吹き溜まり。

 そこから発生する微生物を食べる小生物が生まれ、今度はそれを糧とする生物が登場し。地上と変わらない生態系の一端を視界におさめながら、降りる。


 深い湖だった。


 人間が水のなかで生身でいられないのはもちろん呼吸ができないからだが、周囲からの圧力という問題もある。

 水の力は深くなれば深くなるほど強まる。そういわれていた。



 普通では絶対にただではすまないくらいの時間を降下したころに、ようやく目の前に目的地らしきものが見えてきた。


 魚人族の集落は地上の村や町みたく建物があったりすることはない。

 身体を休めそうな岩が隆起したあたりに何人ものマーメイドたちの姿があって、魚人族も夜目が効くわけではないから、湖底にはいくつもの魔法の灯りが浮かんでいる。


「やっぱり、いないのか」


 つぶやいてから、この状態ではほとんど声が伝わらないことを思い出す。


 それに気づいたエリアルが顔を近づけてくる。

 ほとんど肌に触れそうな距離まで身体を寄せて、


「なんだ?」


 耳元に声。それから俺の口元に自分の耳を近づける。


「マーマンは、群れにいないのか?」 


 慣れない水中でのコミュニケーション手法にちょっと焦りながらいうと、エリアルはまた俺の耳元に唇を寄せて、


「男たちはみな、ここに逃げ延びる前にやられてしまった」


 なんといえばいいかわからず、表情に困る。

 エリアルはそんな俺を至近距離から見て気にするなと小さく笑い、身体を離した。


 なんだか背後から刺さるような視線を感じる。

 ――気にしないでおこう。


 突然の奇妙な訪問者に、マーメイドたちからは注目が集まっていた。

 決して友好的ではない視線を受けながら湖の底に降り立って、そこから少し歩く。


 盛り上がった小山に横穴があいていた。

 上り坂になっている道を歩いて、俺は眉をひそめた。

 水面が見えた。


「ここで待っていてくれ」


 俺の耳元でエリアルがささやき、そちらに向かっていく。

 境界を過ぎた相手の姿が揺れるのを見て確信する。


 空気だ。

 この水面の向こうには、大気のある空間が広がっている。


 ……湖の底で、しかも水中で生活する魚人族の集落で、どうしてそんな場所が?


「どういうことでしょうね」


 耳元でスラ子。


「魚人さんがたも、ずっと水中にいるわけにはいかないんでしょうかねえ」


 もう一方の耳元でスケル。


「さあな。とりあえずお前ら、離れろよ」

「よく聞こえません、マスター!」

「まったく聞こえませんぜ、ご主人!」

「絶対聞こえてるだろうが!」


 カーラの困ったような視線とルクレティアの冷ややかな眼差しを受けながら、スラ子やスケルを引き剥がそうと試みる。

 後ろからこっそりシィに抱きつかれた時点で、俺はそれ以上の抵抗を諦めた。


「楽しそうだな」


 エリアルの声。

 振り返ると、水面の向こうから呆れ顔がこちらを見ている。


 その手が薄い唇に触れ、水面に触れて、伝播してなにかが伝わってくる。


「長がお会いになる。こっちだ」


 魔力を媒介した声がいった。



 魚人族の伝説は多い。

 たとえばそれは岬で男たちを誘うセイレーンであったり、人間との種族違いの悲恋をする人魚姫であったり。


 だから、男のいない魚人族の長と聞いて自然と物凄い美人を想像してしまったのは、きっと誰のせいでもなくていつまでも少年心を失わないでいたいという純粋な気持ちのあらわれで、


「どうした、客人」


 そんなものはいつだって現実の前にむなしく崩れ去るものだ。


 魚人族の長は魚だった。


 ひらべったい、大きな魚にそのまま手と足がくっついて、まるで冗談かと思えるような造形が目の前に存在している。

 この世界の創造主とやらのセンスを疑いたくなった。それともある意味で芸術的な仕業に感嘆すべきなのか。


 長の両隣には世話係なのだろう、マーメイドが控えているからなおのことそのギャップが映える。

 悪い意味で。


「いくら長がお綺麗だからといって、そう凝視するものではないぞ」


 本気かよ、と思えるエリアルの表情はまったく本気だった。

 美醜の感覚なんて種族で違ったっておかしくないが。にしたって納得がいかない。


 騙されたわけでもなんでもないのだが。だが。


「ふふ。わらわのように美しいものに出会えたのだ。声を失い、目を奪われても仕方ない。だが心だけは放さぬようしかと自らのうちにしまっておくがよい」


 悠然とうそぶく長に、イラっとした。


「それで。エリアル、さきほどの話だが」

「はい。彼らがリザードマンに我らの意思を伝え、返答を持ち帰ってくれました。その内容が、先ほどお伝えしたものです」

「贄、か」


 魚人族の長の言葉に揶揄する響きがまじる。


「野蛮な地上の生き物らしい要求よな」


 嘲弄に俺が反感を抱く前に、エリアルがいった。


「彼らの住処に押し入ったのは我々です。彼らが謝罪を求めてくるのは当然です」


 群れの長に向かって堂々とした物言いを受けて、魚顔が不快そうに鼻を鳴らす。


「捨て置け。どうせ連中、この水底まではやってこれまい」


 リザードマンは水辺を好むが、決して水中深くに生息するわけではない。


 俺はこっそりとため息をつく。

 エリアルがやけに度量がある性格だったから、魚人族全体がそうなのかと思ったら。もちろんそんなことはなかった。


「それはそうですが。しかし」

「それとも。エリアル、お前は一族の誰かをあの野蛮な連中に差し出せと? 男どもを失い、傷つき数を少なくした一族をさらに減らせというのか」


 長の言葉に、エリアルは眉根を寄せて、


「……生まれた亀裂は放置すれば深まるばかりです。このままでは、我らは彼らとのあいだに百年の呪いを残すでしょう。自分たちが受けたことを、他の種族に繰り返してよいのでしょうか。長、我々が今リザードマンたちにしていることこそが、まさにそれなのです」


 エリアルは苦しげだった。


「彼らと一緒にやってきた若いリザードマンと会いました。言葉も分からず、表情も読み取れない。しかしその相手が向けてきているのは間違いなく、憎しみでした。恐らく親しい誰かを我々との争いでなくしたのでしょう」


 息を吐き、


「わたしはこの場所で生まれてくる一族の新しい命に、そんな枷を背負わせたくありません」

「エリアルよ、お前のいいたいことはわかった」


 長がいった。


「だが、わらわの隣にいる者たちの顔を見てみよ。いったいどちらが群れの総意であるか、わからぬはずはあるまい」


 隣に控えるマーメイドたちの表情をみれば、たしかに長の言葉のとおりだった。

 彼女たちが浮かべているのは、敵意と、エリアルへの反感。


 エリアルの台詞は正しい。俺が聞いていてもそう思える。

 だが、理想的なだけでは誰も納得しない。


 唇を噛んで沈黙するエリアルからこちらに視線を移し、魚人の長がいった。


「客人、わざわざ仲介を買ってくれたことには礼をいおう。できればここからは場を外してくれまいか。これからは一族の話になる。そなたらが長くここにいると、場が乱れてしまうようだしな」


 押し黙ったエリアルの横顔を見てから、俺はうなずいた。


「わかった。湖の前に戻っておくから、結論がでたら聞かせてほしい」

「使いをだす。正式な礼もいずれまた、今の状況が落ち着いてからさせてもらおう」


 ◇


 魚人族の住処を出て、俺たちは湖の岸に戻った。


「おかえりぃ。どうだったー」


 地べたに寝転がったノーミデスがいってくる。


「しばらく待機だ。風邪をひかないよう暖まっていよう」


 シィの魔法でも、さすがに服や身体が濡れるのまでは防げない。

 ルクレティアの熾した魔法で暖をとりながら、若いリザードマンが俺が水中に持っていかずに置いておいた椅子に視線を固定しているのに気づいた。


「気になるのか?」 


 ノーミデスを仲介した言葉に、無表情な蜥蜴顔がこちらを見て、


「ふじゃ、じゃらうじゅ」

「くれ、だってぇ。この武器があれば、あいつらを~」


 俺はため息をついて、椅子に手をかけた。


「あのな。いいこと教えてやる」


 自分の近くまでひっぱりよせて、その椅子に座ってみせる。


「これは、こういうものなんだ」


 爬虫類の目が、ぱちくりとまばたきした。


「どういうことだってぇ」

「だから、こうだよ。これが正しい使い方なんだ」

「……そんな使い方でどうやって敵を倒すんだ~」

「知らん。とりあえず、これはこうだ。こんなふうに使えるなら、譲ってやってもいいぞ」


 椅子から立ち上がって押しつけると、相手は無表情だけどわかる困惑さで椅子を手にして立ち尽くした。


 俺がやってみたみたいに椅子を置いて、座って。揺らして、バランスを崩して盛大に転んだ。ぎゃ、と悲鳴をあげる。

 異文化コミュニケーションの妙を楽しんでいると、


「マスター。ちょっと気になることがあるんです」


 スラ子が真剣な表情でいってきた。


「なんだ?」

「さっきの場所なんですけれど。どうして空気があったんでしょう」

「ああ。確かにおかしかったな」


 魚人族は水棲だ。

 あんな湖の底に空気があるはずがないし、別にこもった感じもしなかった。

 明らかに作為的に用意されたものだ。


「はい。それに、なんというか……あそこは少し雰囲気が違ったように思うんです」

「雰囲気?」

「魔力のバランス、ということになるのかもしれません」


 ルクレティアを見ると、金髪を振って答えた。ルクレティアには察知できていない。


「シィ、お前はどうだ」


 精霊に近い妖精族のシィに訊ねると、


「違う精霊の気配、しました」

「……あそこがノーミデスのいう違和感の元ってことか?」

「そうかもしれません。精霊さんは姿をお見せになりませんでしたけど。それに」


 スラ子は少しいいよどむようにしてから、


「魚人族の長さんが、場が乱れるっていうようなことをおっしゃっていました」


 そういえばいってた。

 似たようなことを以前、地上の湖を管理していた水精霊もいっていたことを思い出し、スラ子を見る。


 ――お前のようなものがいると迷惑だ。

 そういって、スラ子にはっきりとした敵意を向けていた水精霊。


 人型をかたどった不定形な生き物は不安そうな表情で、


「ま、気にしないでいいだろ」


 ぽんと頭を撫でると、スラ子は不安そうな表情のまま笑顔をつくる。


 本当は、気にしなければならないことだ。

 ノーミデスに聞いてみたいことがあるが、それをスラ子の前で聞くのはちょっと怖い。スラ子を不安定にさせることになりかねなかった。


 あとでこっそりノーミデスに聞いておこう。そう心に決める。


「いいんでしょうか」

「いいんだよ。気になってるのはノーミデスなんだから、ノーミデスが気にすればいい。俺たちには関係ないしな」

「えー」


 のんびりした口調でノーミデスが文句の声をあげる。


「ちょっとは協力してくれても~」

「土地の管理はお前の仕事だろ。いつも寝てるのが悪い」

「うぅ、そうだけど~」


 リザードマンに視線を戻すと、カーラとスケルが二人で椅子の使い方を教えてやっていた。


「うーん、他にも椅子と机が欲しいですねえ」

「うん。一つだと、どうしても座ってどうするんだ、って感じ」


 ぽん、と手をうったスケルが、


「ご主人。ちょっと椅子になってくれやせんか」

「断る」


 そんなことをしているうちに時間が過ぎて、湖面が波立って一人のマーメイドが姿をあらわす。


「待たせたか」

「いいや」


 やってきたのはエリアルだった。

 他の魚人族の姿はない。


「結論、でたんだな」

「ああ」

 岸にあがったマーメイドは、顔にかかった長髪を後ろに流し、


「提案を受けることになった」


 意外な返答に、俺の反応は遅れた。


「どうした?」

「……いや、意外だなって。とてもそんな感じには思えなかった」

「ああ。まあ、全面的な同意というわけでもないが。ある条件のかわりに長から承諾をいただいた」

「条件?」


 話し合いの前に誠意をみせろといっているリザードマンたちに、それをする前に条件を突きつけるというのは少し難しい話という気がする。

 顔をしかめた俺に、エリアルは小さく微笑んで、


「そうではない。向こうへの条件ではなくて、長からあったのはわたしへの条件だ。向こうに送られる贄、一族からの犠牲について」

「それは、ようするに?」


 なんとなくその条件とやらがなんのことかわかりそうで、それでも念のために相手に確認すると、


「簡単だ。わたしが彼らへの贄になる。長がだした条件がそれで、わたしはそれを了承した。彼らの元に連れていってくれ」


 平然とした態度でいった。



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