十話 和解のために必要な
スラ子やスケルはわかるが、まさかシィやカーラからも突っ込みがあるとは思わなかった。
「前振りのようでしたので」
全員を代表するように、冷ややかな眼差しでルクレティア。
そういうつもりがなかったわけではないのでなにもいえない俺に、
「それにしても、難しい話ですねえ」
スラ子がいった。
「非道な侵略者ってわけではゼンゼンないっすねー」
「あの人たちも自分たちの住処を追われてきた、ってことだよね」
スケルやカーラの口調は同情的だった。
エリアルと名乗ったマーメイドの態度は誠実だった。いい心証を持つのもわかる。
「しかし、それはリザードマン族にしてみればまったく関係ありませんわ。相手にどんな事情があるにせよ、彼らが一方的に奪われた立場であることは変わりません」
こういう場合には必ず誰かが担う必要がある反対意見を、ルクレティアが口にする。
「リザードマンには落ち延びてきた他種族を受け入れてやる理由なんてないしな。それで実力行使にでられれば、そりゃ怒る」
「言葉が通じないというのもネックですね。話し合いのしようがなかったでしょうし」
「もともと魔物ってのは実力主義、てか暴力主義な世界ですしねえ。ご主人、どうするおつもりで?」
スケルから問われ、渋い顔になる。
「今の話をリザードマンの長に話してみるしかないな。魚人族が種の殲滅とか、この洞窟地下を全部占拠しようなんてもくろんでるわけじゃあないっぽいのは確かなんだから」
「それで争いは終わってくれるでしょうか」
「まあ。無理だろうな」
互いに事情があって、だから戦わずに仲良くしようというくらいで終われるなら、世界はとっくに平和になっているはずだ。
若いリザードマンに顔を向けて、訊いた。
「ノーミデス、訳してくれ。魚人族がリザードマン族との和平を求めているとして、お前はいったいどうすればあいつらを許せそうだ?」
それを訊ねたノーミデスに対するリザードマンの答えは短かった。
「じゃるぅ、じゃらうじゃ」
「父を、母を返せ。ってぇ」
俺は無言で首を振る。
争いってのはどうしようもない理由で始まって、気づいたときにはどうしようもない事態にまで勝手に転げ落ちていく。
個人の事情とか思いなんて二の次で、だけど実際に死ぬのは個人で、殺すのだって個人だ。
「……ひとまず帰るか。ここでこうしてたってしょうがない」
リザードマンたちの集落に歩き出しながら、ノーミデスに声をかける。
「やっぱり他の精霊が干渉してそうか?」
「うん~。湖のあたりが特にそんな感じぃ」
エリアルは答えなかったが、連中がここまで辿り着いたのにはやはり精霊が関わっているのだろう。
だが、
「ノーミデス。お前、地下で魔物同士が争ってても仲裁なんてしないよな」
確認のために訊ねると、マイペースな土精霊はあっさりうなずいて、
「うん、しない~」
精霊は土地につくものだ。
魔力の調和を第一に、というかそれ以外についてはどうでもいい。
他種族の衰勢になんて興味をもたないはずなのに、それがどうして魚人族を導いたりする?
「干渉してる精霊ってのに、お前から呼びかけてみることはできないのか? 事情を知りたいんだが」
「難しいかな~。あたしたち、別に仲間ってわけじゃないからー」
それぞれ個体差だってあるにせよ、ノーミデスとウンディーネではいかにも反りがあわなそうではある。
「ちょっとひっかかるとこなんだよな」
「マスター、どんなところがです?」
「ウンディーネが魚人族に新天地を教えたりするってこともだが、それ以外にも。うーん」
胸のなかの違和感を言葉にしてみようと試みて、上手く表現できない。
結局、もやもやはため息になって外にでた。
「まあいい。戻ろう」
しっくりとしないまま、俺たちは集落に戻った。
リザードマンの長にマーメイドの言葉を伝えると、長はじっと眠るようにノーミデスの言葉を聞いてから、低く落ち着いた言葉を発した。
ノーミデスが能天気な口調でそれを訳してくれる。
「――無理だ。って~」
「だと思ったよ」
「こちらにも犠牲が出ているー。どんな事情があろうが、襲ってきたのはあちら、襲われたのはこちら。目には目を、失には失がなければ群れの者に示しがつかないー」
まあ、そりゃそうだろう。
魚人族たちの事情は気の毒だと思うが、だからってリザードマンたちが縄張りを奪われていい理由にはならない。
襲ってきたのはあくまで魚人族なのだから、リザードマンたちの怒りは正当だ。
「じゃあ、向こうが謝ってきたら? 死んだ連中の復讐に、相手を皆殺しにしなきゃ気はおさまらないのか?」
長はまたしばらく沈黙してから、
「そうではない~」
とノーミデスを介して意思が伝えられた。
「だが、このままでは我々も剣を収めることはできないー。身内や友を失った者の怒りや嘆き、それを納得させるためのものが必要だぁ」
具体的にそれがなにかを訊ねると、長は短く、中継したノーミデスがいった。
「贄だー」
◇
「どうします?」
長のもとから下がって、俺たちは客間として与えられている広い横穴に戻った。
水気のある、固い地面にそれぞれ腰をおろしながら答える。
「そりゃ、やっぱり伝えるしかないだろ」
「なんだかお使いみたいな感じになってきやしたねえ」
スケルの言葉はとても的確に現状をあらわしていた。
結局、俺たちがやっていることはつまり、言葉の通じないリザードマンとマーメイドの通訳というだけだ。
しかもそれを実際にやっているのはノーミデスで、あとの俺たちはただあっちへいってこっちへいってをしているだけ。
「でも、生け贄なんて。そんなこと、マーメイドさんたちが了承するのかな」
カーラが眉をひそめた。
差し出された相手はもちろんリザードマンたちに殺されてしまうだろう。
理不尽な扱いを受けたリザードマンたちの怒りや怨念を一身に受け、感情の行き違いを水に流すための犠牲。
「どうだろうな。これから延々と小競り合いが続いたら、それだけ死傷者が増える。それを考えれば安い代償なのかもしれん。リザードマンが求めてるのは結局、けじめってやつだからな。事情はわかった。話を聞いてやらんでもないから、その前に誠意を見せろってわけだ」
「仕掛けたのは魚人族さんたちですからね」
「それはわかりますが。なんだか、こう……すっきりしませんねっ」
とスラ子。
「わたしたちは部外者ですから、口を出す立場ではないかもしれませんが……」
「しかし、確かに長がいっていたとおり、けじめは必要だ。それすらなかったら話し合いどころじゃない」
「少ない犠牲で争いが収まるのなら、悪いことではないんだとは。思いますけど」
「だからといって、彼らがここで共存できるかどうかはまた別ですわ」
ルクレティアがいった。
「この地下でとれる食料は決して豊富ではないでしょう。リザードマンにとっても、あの地底湖は重要な食料源になっているはず。簡単に譲ってよい場所とは思えません」
地底には日の恵みがない。
植物はほとんど苔のようなものばかりで、それを糧として生息する動物にも限りがある。
蜥蜴人族と魚人族たちが共に生きるということは、そもそもの土地のキャパシティからして難しい話なのだった。
「そうなれば、結局はまた争いになるか」
「はい。好戦的云々よりまず先に、ないものは分け与えることはできません。湖から獲れる恵みも無限ではないでしょう。当然、それらについてどちらとも気づいていないはずがありませんわ」
俺は息を吐く。
ややこしい話だ。どうして関係もない連中のことでこんなに考え込まないといけないんだ、という俺の思考を読んだように、スラ子がいった。
「いっそのこと、地上に帰ってしまいます?」
その半透明な眼差しは俺に考えを託すようでもあり、試すようでもある。
俺はスラ子に答えず、他のメンバーに視線を移していく。
「……助けてあげたい、です」
「ボクも。なんとかできるなら、どっちも。なにかしたいです」
良識派のシィとカーラが控えめに意見をいって、
「どちらでもかまいませんので、助力してさしあげるべきですわ。売れる恩は売っておいて損になりません」
「あっしはどちらでもいいですかねえ。ご主人がめんどいなら帰っちゃいましょうよ」
「あたしは、とりあえず眠いぃ」
ルクレティアは計算を忘れることなく、スケルは適当に面倒くさがる。
最後のノーミデスは置いておくとして。
それぞれの意見を聞き終えてから、俺は最後にもう一度スラ子に視線を戻す。
「マーメイドさんたち、美人でしたね」
「そうだな」
うなずいて、いった。
「とりあえず会いにいくか。なにしろ美人だからな」
「はい、マスター」
スラ子はくすりと微笑んだ。
地底湖に戻って湖面をぱしゃぱしゃやると、すぐに一人のマーメイドが姿をあらわした。
「エリアルはいるか」
警戒した表情を見せる相手にいうと、こくりとうなずいて水中に潜っていく。
……どうでもいいが、魚人族には男だっているはずだが、さっきから姿を見るのはマーメイドばっかりだ。男連中は全員怪我でもしてるのか?
それからエリアルがやってくるまでなんとなく時間をつぶす。
今回も若いリザードマンが俺たちに同行してきていた。
こちらを見る眼差しがやけにきついものに思えるのは、表情なんてわからないのだからきっと気のせいなのだろう。
「待たせたな」
岸にあがった相手に長の言葉を伝えると、美形のマーメイドは冷静な態度にそれを聞き終えて、
「筋が通っている話だと思う」
といった。
「……受けるのか?」
俺の言葉に小さく肩をすくめて、
「それはわたしの決めることではない。今から長に報告するので、少し待ってもらえるか――いや。ただ待たせておくのも申し訳ない。よかったら、中にこないか」
中。それはつまり、水のなかということか。
「ああ。人間は長くいられないか?」
「いや、そういう魔法もあったはずだが。シィ、どうだ」
支援魔法に長けた妖精を振り返ると、シィはこっくりとうなずいた。
「いけます。……一日中とかじゃなければ、多分」
「そうか。ならぜひ来てくれ。長もお前たちにお礼をいいたいといっている。お前たちが来てくれなかったら、話もできないまま徒に互いの血を流すだけだったからな」
アリエルの態度で、水中で魚人族から襲われることもないだろう。
メリットがない。
念のために後ろを振り返ると、スラ子たちも反対の意思はないようだった。
視線が背の低いリザードマンで止まって、
「ノーミデス。一応、聞いてみてくれ」
「わかった~」
若いリザードマンは答えた。
「じゃろ」
なんだか少し連中の言葉がわかってきた。言葉の意味というか、発音のニュアンスだが。
「嫌だって?」
「うんー。あたしも、水中にはいっちゃうとバランス崩しちゃいそうだから、ここで待ってるよぉ。みんなでいってきて~」
魔力のバランスってそういうもんなのか。
よくはわからなかったが、そんなものかと頷いて、
「じゃあ。ちょっといってくる。どっかいったりしないでくれよ。頼むから」
ノーミデスがいてくれないと、俺たちは地上に帰る道がわからない。
「だいじょぶだいじょぶ~」
ひらひらと手を振ってくる相手に一抹の不安をおぼえながら、
「シィ、たのむ」
「はい。――ブリージング」
背中の羽の輝きとともに、俺たちの肌に薄い魔力の膜がうまれる。
水中での呼吸を可能にし、周囲の圧力から身を守ってくれる魔力の加護を受けて、湖に身を投じた。