八話 地底遭遇
すぐに話が伝わり、長が案内役にと一人のリザードマンをつけてくれた。
やってきたのは俺より身長の低いリザードマンで、
「子どもじゃないか」
「じゃお、じゃるるるるっ」
「俺は子どもじゃない! って怒ってるよ~。お前たちをここまで案内してきた責任がある、ってー」
やっぱりさっきの若いリザードマンか。
「顔だけじゃ判別つかないな。まあ、よろしく頼む」
握手でもと思って伸ばした手は無視されて、舌先がしゅっと伸びてひっこんだ。
そのまま先に立ってとことこと歩いていく。ひきずっている石の剣がいかにも重そうだった。
「若いのになかなかのツンデレさんですね」
「リザードマンには握手の文化ってなかったかな。知らんけど」
先導するリザードマンの後を追った。
俺とスラ子たちだけで六人、ノーミデスとリザードマンをいれれば総勢八人にもなる。
大所帯で洞窟を歩きながら、ふらふらとたよりなく歩く土の精霊に声をかけた。
「ノーミデス。眠くないのか」
「眠いぃ」
「帰り道を案内してくれるなら、リザードマンの集落で休んでおいてよかったのに」
んー、とノーミデスはあごに手を当てて、
「そっかー。でも、ちょっと気になるから~」
「魚人族のことか」
「それもだけどー。このあたり、魔力の流れが変わってるなぁって~」
魔力の流れ?
気になって、スラ子とルクレティアを見た。
「私にはわかりませんわ」
ルクレティアが首を振り、
「私も、流れがあることは認識できますが、それが異常かどうかまでは……以前の状態を知っていなければ比較はできないと思います」
スラ子がいった。
「ルクレティア。お前のいっていることも、スラ子と同じ意味か?」
確認すると、ルクレティアは難しい顔で眉を寄せた。
「……どうでしょう。確かに魔力があることはわかりますが、流れというのとは少し違うような感じですわ。私にはそれが見えていないだけなのかもしれません」
俺は自分の抱えている椅子を見おろす。
竜の加護を受けた椅子。その異常な状態、魔力がかかっていることにはスラ子とルクレティアの両方が気づくことができた。
しかし、今はスラ子は認識できてルクレティアはそれが認識できないという。
それが両者の能力の差である可能性はあるが、単純に種族としての差かもしれない。
ルクレティアは人間だ。
そしてスラ子は――断言するのが難しい存在だが――一つ確かなことは、その身に水の精霊ウンディーネを取り込んでいること。
「ノーミデス。お前以外の精霊がこのあたりにいるかもしれないか?」
精霊という存在に近いスラ子だから、認識できる。そういうことかもしれなかった。
「うん、そんな感じぃ」
やっぱりか。
「そういえば、精霊って土地ごとにつくんだろ。森みたいな複数属性持ちの環境で互いにバッティングしたらどうなるんだ。縄張り争いみたいなことになるのか?」
「えぇー、そんなことしないよ~。面倒だしー。お仕事してくれるんなら任せちゃうー」
まあ、ノーミデスならそんなことにはならないだろうが、精霊と一口でいっても色々だ。
神経質なほど仕事熱心で、誰か他者の介入があれば歯を剥いてきそうな精霊の存在にも俺は心当たりがあった。
「ノーミデス、前のリザードマンを呼んでくれ。聞きたいことがある」
「はーい~」
若いリザードマンが足をとめる。
感情の読めない眼差しにむかって訊いた。
「さっき、スラ子を見てあいつらの仲間だといったな。魚人族には精霊がついているのか? もしかして、それはウンディーネなのか」
疑問をノーミデスが通訳する。
じゃうじゃうとリザードマンが答えて、ふむふむとノーミデスが首をうなずかせる。
「わからないってー。あたしに似てるけど、ちょっと違う。スラ子ちゃんのほうがもっと似てるから、連中の仲間かと思ったって~」
「……ウンディーネかもしれないな」
「そうですね。可能性は考えていたほうがよさそうです」
「しかし、精霊が一勢力に肩入れするなんてありえるか? ああ、もしかしたらリザードマンの側が侵略者だって相手方は思ってるかもしれないのか……それでも、精霊の助力なんて反則じゃないか」
「ノーミデスさんに無理いって案内役をさせてるご主人にいえたことですかい」
「そうだそうだー」
「うるさい。洞窟で毎晩歌ってもらうぞ、スケル」
「それはやめて~」
ノーミデスは本気で嫌そうだった。
「精霊というのは人間や他の魔物にも無関心。彼らはただ、自分たちの土地が乱れないことにだけ気をつけている存在だと聞いていましたけれど」
ルクレティアの認識は正しい。
そもそも精霊という存在を、人間がいう「魔物」という括りで捉えようとするのが無理がある。
精霊は生き物としても存在としてもかなり異質だった。
彼らには食欲や征服欲などがない。
眠い眠いとことあるごとにいっているノーミデスは、かなり睡眠欲が強いようだが……ただ単にずぼらなだけかもしれない。
「相手方に精霊がいるかもしれないってことなら、気をつけないとな。別に殴りこみにいくわけじゃないが」
相手から仕掛けてくることだってあるのだから、用心をしておいて損はない。
それに。相手がもしウンディーネだというなら、スラ子がいるだけで敵対視されてしまう恐れもある。
湖の前に住んでいた水精霊は、スラ子が湖に近づくことをひどく嫌がった。
結局、その理由はわからないままだが、おなじように他の水精霊もスラ子に強い敵意を抱いてくる可能性はある。
それに、スラ子はそのウンディーネを捕食して、力の一部を自分のものにしていた。
「マスター。私、リザードマンさんたちのところに待機しておきましょうか」
自分の存在が余計な摩擦になることを考えたのだろう、スラ子がいった。
俺はちょっと考えて、
「一緒でいいんじゃないか」
「いいんです?」
俺たちのなかで一番、戦闘能力が高いのはスラ子だ。
カーラは暴走してしまえば敵味方がなくなってしまうし、魔法に長けたルクレティアはここでは地形条件の足かせが強い。
こんなふうに湿気が強く、地面が濡れた閉鎖的な環境では、ルクレティアがよく使っている火系統や雷系統の魔法を十全に扱うことはできないだろう。
シィが得意とするのは支援だし、スケルについては未知数だが、スラ子のように身体を自在に変化させる能力は持ち合わせてはいない。
スラ子がいなくなってしまうのは痛いし、
「ぼっちってのは嫌だろ。完全に二手にわかれるのは、さすがに戦力的に怖いしな」
俺がいうと、スラ子はふふーと笑った。
「なんだよ」
「マスターはあまあまですねえ」
「悪かったな。どうせ小物だよ」
ウンディーネの懸念を考えれば、スラ子一人を待機させておくほうがいいのだろう。
しかし、なんとなくそうする気分にはなれなかった。
「小物っすねえ」
「小物ですわね」
スケルとルクレティアがいった。
シィとカーラも黙ったまま、それぞれ微苦笑のようなものを浮かべている。
俺はふてくされて、
「うるさい。小物だからお前らが守れよ。こんなもんじゃ、打撃くらいは防げても範囲型の魔法なんて喰らったら一発なんだからな、俺は」
右手に持った椅子をふりかざしながら怒った口調でいった。
それからしばらく歩いてから、先を歩いていたリザードマンが止まった。
「これから連中の領域だから、気をつけろって~」
「わかった。……わかったが、いきなり攻撃してくるような相手なのか?」
「じゃるう」
「ありえるって~」
どんだけ好戦的な魚人族なんだか。
そうなると、ここからは敵襲にも十分に気をつけておこう。
先頭に若いリザードマンとノーミデス。次にスラ子とカーラが並び、その後ろに俺とルクレティア。最後尾ではスケルが後方に注意しながら進んだ。
接触があったのは、ほんのすぐあとだった。
「ライト」
ゆるやかに道をくだってついた空間。
反響音から広さがうかがえる空間に魔法の灯りが浮かび上がり、きらきらと光を反射させて揺らめいた。
「……地底湖、か?」
広大な水場が暗く、目の前には横たわっていた。
俺は苦い思いだった。こんなものがあるなんて、それこそここにウンディーネが存在する理由になってしまう。
「誰!」
水面を跳ねる音と、声。
長髪を濡らした女が湖から姿を見せている。
艶めかしい上半身は人間のそれだが、こんなところに普通の人間がいるわけがない。
マーメイド。
きっと陸にあがれば、その女の下半身には二又にわかれた尾びれが見れることだろう。
「ああ、俺たちは――」
「ウォータスプラッシュ!」
挨拶しようとした途中、問答無用で相手の呪文が先制した。
水流が弾け、激しい流れを撒き散らす。
「ウォータープレスっ」
スラ子が放った水流がいくらか相殺するが、全ては殺しきれない。
足元をすくわれないよう姿勢を低くして踏ん張っているところに、声が続いた。
「ウォータガン!」
「マスター……!」
追撃の呪文とほとんど同時、カーラが強引に俺を押し倒した。
じゅん、と鋭い音が耳をかする。すぐ近くの地面に深い穴が穿たれ、俺はぞっと背筋を震わせた。
高圧力の水弾。
文字通り点に限定した攻撃だが、その威力は高い。カーラが助けてくれなければ危なかった。
「助かった、カーラ」
「はい、マスター」
カーラが笑い、それから顔を真っ赤にして慌てて飛び退る。
その反応も気になったが、今はそれより先に対処しなければならないことがあった。
「マスター、やります!」
「殺すなよ!」
「はいっ!」
短い命令を即座に理解してスラ子が駆ける。
マーメイドの注意がそちらに向きかけるのに、
「ファイアアロー!」
ルクレティアの放った魔法が相手を牽制した。
周囲に満ちた水属の気配に、火の魔法はその威力を減衰される。
それでも向かってくる魔法を直撃するわけにはいかないし、多数を相手に一人で戦うことの不利を察したのだろう。
増援を呼ぼうと水中に逃げ込みかけるマーメイドに、
「レビテイト……っ」
空に逃れていたシィの魔法がかかった。
重力を失い、ふわりと相手の身体が水面から浮き上がりかける。
それでも、水中を力強く掻いて泳ぐ魚人の両手と尾びれがあれば、レビテイトの影響なんて気にせず潜ることは難しくはないはずだった。
だから、マーメイドが見せたのはたった一瞬の隙だ。
そのわずかなあいだに距離をつめていたスラ子が、右腕を大きくしならせ、反動をつけて長く伸ばし、
「げっとー!」
釣りでもしているかのように、マーメイドを捕獲した。