六話 リザードマンの集落
人間と蜥蜴人はもちろん異なる生き物で、見かけも生態もだいぶ違いはするが、一方で基本的な部分での類似点も多い。
どちらも骨があってそれに守られた脳があり、二足歩行をしている。
つまり、脳への衝撃には弱い。
うまいぐあいに顎先にクリーンヒットでもしたのか、リザードマンは椅子の一撃を受けて悲鳴もなく崩れ落ちた。
おお、と自分で自分にびっくりする。
俺つええ。てか、椅子がつええ。
「マスター、ご無事ですかっ」
後ろから駆け寄ってくる気配に、地面にのびたリザードマンの様子に気をつけながら、とりあえず首に椅子の脚をギロチンみたくひっかけて自由を奪っておく。
「ああ。周りを警戒しろ。新手が来るかもしれない」
しかし、不意に襲われてしまったのだから反撃は仕方ないとはいえ、いきなり戦闘状態なんてついてない。
別に俺たちはケンカを売りにきたのではない。
穏便に地下の様子を探ることができれば、それで一番だったのだが――
「じゃっ!」
椅子の下で目を覚ましたリザードマンが奇声を発した。
なにかしゃーしゃーいっているが、残念ながらリザードマン語の素養はない。
「誰か、いってることわかるやつは?」
「わかるよ~」
ノーミデスがやってきて、しゃーしゃーうるさいリザードマンの言葉にふむふむと首をうなずかせる。
「帰れ、侵略者! ってー」
「侵略者?」
まあ、いきなりこんな変な連中が降りてきたら、そんなふうにも思われるかもしれない。
「誤解だ。そう伝えてくれ、そんなつもりはない」
「うん~。……嘘だ! って。あいつらの仲間がいるじゃないかって~」
「え? 私ですか?」
指をさされたスラ子がきょとんと瞳をまたたかせた。
「うん。……う~ん、興奮しててよくわかんないなあ。奴ら、とか。殺す、とか?」
「とりあえず、リザードマンと敵対してる連中がいるってことか。ノーミデス、心当たりはないのか?」
「う~ん、しらないぃ。このコも、まだ子どもみたい。あんまり難しい話は聞けないかも~」
「子どもなのか」
そういえば、リザードマンにしてはやけに身体が小さい。
成人したリザードマンなら人間の大人よりも上背があると聞いていたが、目の前の相手は俺よりも低いくらいだ。
俺だって平均的な身長しかないから、リザードマンのなかではよっぽど小柄になる。
「……子ども」
「子どもに暴力を振るってどや顔とは。さすがっす」
「下種いですわね」
ひそひそと女たちの声が聞こえて振り返る。
目をそらしたのが半分、冷ややかな視線が半分。
なんだろう、せっかく活躍したってのにこの仕打ち。涙が出そうだ。
「スラ子」
「はい、マスター」
俺はスラ子にリザードマンの武器を拾わせて、安全を確認してから椅子の拘束をといた。
あわてて飛び起きた若いリザードマンが警戒態勢をとる。
低く姿勢をかまえて、いったいどうして自分を解放したのかと探るような気配だった。
「ノーミデス。お前はリザードマンたちに会ったことはあるんだよな」
「あるよぉ」
「なら、群れに案内してくれっていってくれ。俺たちは敵じゃない、話を聞きにきただけだって。お前のことも、群れの連中に聞けばわかるっていってな」
「いいよぉ」
こちらの様子をうかがうリザードマンに、ノーミデスがなにかを語りかける。
リザードマンの表情なんてわからないから、無表情にしか見えない相手がそれをじっと聞くようにして、俺を見て、スラ子を見て、もう一度俺を見て。
「じゅら、じゅゆわ」
なにかをいった。
「なんだって?」
「お前は何者だって。どこから来たってー」
「何者だっていわれてもな」
「小物ですね!」
すかさずスラ子が茶化した。
「うまいこといったつもりか。……上に住んでる人間だよ。敵じゃない」
俺の発言をノーミデスが通訳する。
また無表情のままなにかを考えるように沈黙したリザードマンが、
「じゃ」
短くいって、歩きだす。
「ついてこいってか?」
「うん。案内するって~」
「待て。……目印は大丈夫か。ここの場所を見失ったら洒落にならない」
「反応石を埋めておきました。松明は、しばらくしたら消えちゃうけど……」
「近くまでくれば、反応石で場所はわかりますわ」
カーラとルクレティアが答える。
よし、と俺はうなずいて、
「わかった。いこう」
少し先を歩き、ついてこないのかとこちらを振り返っているリザードマンのあとを追う。
地下は広く、とんでもなく入り組んでいた。
上り、下り、縦横無尽にひろがる地下網。はじめての道を歩きながら、たどった経路をおぼえておくことなんてとてもできそうにない。
俺たちのなかにマッピングの技能者はいない。
スタンプの魔法なら俺にも使えるが、あれは魔力の痕跡がわかりやすく残るから(というかそういう魔法だから当たり前だ)、それを誰かに察知されてしまう恐れがある。
リザードマンと敵対関係にあるという、まだ接触していない何者かがいる状況で目立つことはできるだけ避けたかったから、俺たちは代わりに反応石をところどころに埋め込みながら進んだ。
これも魔力で走査されてしまえば一発だが、スタンプを置いておくよりはましだろう。
「じゅらら、らっ」
埋めては進み、埋めては進んでちんたらとした俺たちに苛ついたように、若いリザードマンが鋭い声を発した。
「なにをしている、ってぇ」
「道しるべだよ。どこに連れていかれるかわからないから、当然だろ」
ノーミデスを介して伝えると、つかつかと戻ってくる。
「じゃろ」
「やめろって~。……群れの場所をバラすつもりなのかって怒ってる~」
「そんなつもりはないけどな」
心配はわかるが、こっちだってこんな地下で迷子になるわけにはいかない。
「ノーミデス。お前、あとからここまで案内できるか?」
「できるよぉ」
あっさりいうのが、いまいち信頼がおけない相手だった。
「信じて信じて~」
「……わかった。頼むから、うっかり忘れたとかいわないでくれよ」
「だいじょぶだいじょぶー」
それからさらに歩き、自分たちの居場所どころか方角だってわからなくなったころ、目の前に灯りがみえた。
獣脂かなにかだろう、橙色の焚火が燃やされた岩窟の住処。
番兵よろしく立った二人のリザードマンが、鋭い眼差しを向けてきていた。
案内してくれたリザードマンがなにかを告げ、番兵リザードマンたちがあらためてこちらを見る。
相手の表情がまったく読み取れないというのはかなり不気味ではあった。
次の瞬間には襲い掛かってくるかもしれない、そんな緊張感に心臓の鼓動をはやくしながら、
「なんだって?」
「んー。長老に会わせたいっていってるかなー」
ノーミデスが教えてくれる。
若いリザードマンと番兵の話し合いはしばらく続いた。
「なんかもめてないか」
「そんな感じー。でも、だいじょぶかも。あの若いコが説得してくれてる~」
できれば平和的にすませたい。頑張って欲しいもんだ。
背後からは、スラ子たちが万が一のために用心している気配がつたわってくる。
連中の話が終わるのを待ちながら、俺は視界の奥、暗闇にひろがるリザードマンたちの集落の様子をうかがった。
奥行きのありそうな空洞にぽつぽつと浮かんだ灯り。
おそらくは断層状の生活空間にそれぞれが住んでいるのだろう。
この集落がどれほどの規模かまではわからないが、灯りの数をかぞえても決して少なくはない。
地上とはまるで異なる別世界。
自分が長く住んでいた洞窟の下にそんなものが広がっていたということは新鮮な驚きで、同時に今までの自分が本当に名ばかりの「管理者」であったことには苦笑いするしかない。
ふと思った。
縦穴の地下を俺に教えたのはアカデミーの査察員、エキドナだ。
あの女は前から洞窟の地下に住むリザードマンたちのことを知っていたのだろうか。
だとしたら、いったいなぜそのことを隠していて、このタイミングで俺に伝えたのか。
考えても答えが出るものではないかもしれないと思いながらも、やはり気になるところではあった。
あの女は信用できない。
遠出から戻ってきた俺たちが見た、崩れたスケルの頭蓋骨にあいた穴。
あれがエキドナの仕業だという証拠はなかった。不意をつかれたらしいスケルは、スラ子の手で復活したあと、自分を襲った相手のことは誰かわからないといった。
だが、エキドナが俺がいないあいだに家に忍び込んでいたことは事実だ。
自分が出世するためならどんなことでもやる、あの狡猾な蛇がなにを企んでいるかは最大限注意するべきで、だからこそ今こんなところにまでやってきている。
物思いから意識を戻すと、どうやらリザードマンたちの話はついたらしい。
「じゅゆゆ、らら」
「長がくる、って~。変なことをしたら殺すっていってるよー」
石剣をひきずって一歩、俺に近づく。
人質(蜥蜴質)か、あるいは長に危害を加えるつもりならまず自分が盾になろうというつもりか。
ともかく大した心構えだ。俺なんかよりよっぽど男前じゃないか。
「マスター」
「大丈夫だ。用心はそのまま頼む」
後ろから声をかけてくるスラ子にうなずいて、長とやらを待つ。
やがて奥から姿をあらわしたのは見るからに体格のよいリザードマンだった。
数人の供を連れたその姿は、人間の長という言葉から想像するような老いた印象はない。
ある一定まで成長したあとに鈍化するとはいえ、死ぬまで成長を続けるリザードマンに、人間でいう老化という概念はない。
周りのリザードマンより一回り以上は巨大なその姿が、文字通りの意味で年長者の証明だ。
「じゅらるあ、じゅらあ」
「ようこそ客人。人間が精霊を連れていったいなんの用だ、って~」
「地下で変わったことが起こっていないか調べにきた」
「じゅあら、じゅじゅら」
「お前たちには関係ないだろう~」
まあ、そうなんだが。
「別にあんたたちがなにをしていても、それを邪魔をするつもりはない。それが地上まで影響がないかどうかが心配なんだ」
「じゅらららら、じゅら、じゅるうじゅあらら」
「影響など起こるときは勝手に起こるものだ。お前たちがここに降りてきた時点で、その影響はすでに発生している。そうではないかー」
「それは、そうなんだけどな」
予想に反してというか、理路整然とした言葉に痛いところをつかれ、俺は渋面になった。
「……悪かったよ。これ以上、迷惑をかけないうちに俺たちは退散する。それで許してもらえるだろうか」
もともと、今日は様子見のつもりだった。
相手を怒らせる前に帰っておいたほうがいいと思ったのだが、
「じゃろ」
「ダメだ」
リザードマンの長は爬虫類独特の無機質な眼差しで俺をみおろして、いった。
「じゅゆら、ららじゅ」
「影響は、すでにある~」
「ゆじゅららうじゅ、じゅうらじゅう」
「謝罪は受けるが、その責任はとってもらお~」
なんだか話がきなくさい感じになってきた。
「……領域を侵した罪をつぐなえと?」
「じゃろ――じゅあ、じゅうじゅるあじゅり」
「いいや――ただ、試させてもらう~」
長の言葉に、二人のリザードマンがなにかを持ってくる。
一見して石柱にしか見えないそれは、巨大な石の大剣だった。
人間の大人なら数人がかりでやっと持ち上げられそうなそれを、長は片手で無造作につかむと、
「じゅ、じゅらじゅらら、じゅうゆじゅらじゅじゅゆ!」
「もし、そなたがそれであるなら防げるはずだぁー!」
「それってなんだよ!」
「わかんない~聞いても答えてくれないぃ」
長が立ち上がり、剣を構えて微動だにしない視線がじっと俺を見据えた。
周囲のリザードマンたちも同様に、無言でこちらへ注目している。
無表情にしか見えない一同から視線を浴びて、気味がわるかったり怖かったり。
重苦しい雰囲気のなかで気づいた。
リザードマンたちが見ているのは厳密には俺ではなかった。
長も、若いリザードマンも、それ以外も。
全員が注目しているのは俺ではなく、俺が手に持つ椅子だったのだ。
――なるほど。
いったいどういう理由かはわからないが、連中が知りたがっているのは俺なんかじゃないらしい。
ならばいいだろう。
天然やくざなお気楽黄金竜が戯れにつくりあげたこの椅子の力、とくとみせてやろうじゃないか。
俺はせいぜいもったいぶって、手に持った椅子を高く掲げてみせる。
じゅおお、とリザードマンたちがざわめいた。
あ、なんか気分いいわ。これ。
調子にのった俺は芝居がかった動作で、ゆっくりと椅子を目の前に置き構える。
長の持っている大剣は見るからに重い。
さっきのように上手く地面にかみ合わせて衝撃を地面に伝えられなければ、俺程度の体重で支えても軽く吹き飛ばされてしまうだろう。
相手の打ち込んでくる角度を予想して、置き方を調整して。
背もたれを前に椅子の座面に両手をついて、全体重をかけた。
「マスター……」
後ろから、心配そうな声がかかる。
振り返ると、スラ子を中心にした女たちが眉をひそめていた。
俺は真剣な表情でうなずいて、
「――椅子を信じろ」
思ったより格好よく決まらず、気を取り直して視線を戻す。
「いいぞ」
ノーミデスを介して伝えられた合図に長がゆらりと距離をつめて、
「じゃあらあああ!」
裂帛の気合とともに無骨すぎる凶器が打ち下ろされる!
気迫も迫力も、さっきの若いリザードマンの一撃とは桁が違った。
恐ろしいほどの破壊力を秘めた長大な石剣の先端が背もたれに触れて、
「――!?」
あっさりと弾き飛ばされた。
じゅおおおおおお、と周囲からどよめきの声があがる。
大地そのものに切りかかり、弾き返された自分の両腕を呆然と見上げるようにしてから、
「……じゅらぁ」
長はゆっくりと大剣を降ろし、そして。
俺の前に、かしずいた。
「へ?」
「じゅら、じゅららじゅうううらじゅうあありじゅう、じゅうあるあらら」
「え? へ?」
「じゅうじゅあじゅ、じゅらああああ、らじゅあじゅううらいりじゅ!」
「いや、なんかテンションあげられてもわかんねえし。ノーミデス! 通訳!」
顔をあげ、無表情なまま昂った声をはりあげる長のテンションに恐怖を感じてノーミデスを見ると、のんびりとした土の精霊は緊張感のない表情のまま、むう、と首をうなずかせて、
「大変なことになってしまったのよぉ」
「だから、なにがだよっ」
周囲では長がなにか大声で宣言しはじめて、それに呼応してリザードマンたちが歓声らしき反応をあげている。
わけのわからない状態に、俺ばかりかスラ子たちも不安を感じていた。
俺たちはいつ興奮したリザードマンたちが襲ってきても対処できるよう円陣を組んで身構えた。
「えっとねー、んとねー」
「はやくいえよ、怒るぞ!」
「怒らないでよぉ。実はね~」
あくまでマイペースなノーミデスの言葉の続きを待って、俺たちは息をのみ、
「なんとねぇ。あなたはたったいま、リザードマン族の危機を救うために地上からやってきた神の使い、救世主っ。つまり伝説にいうところの勇者に間違いないと認定されてしまったのよ~」
『な、なんだってー!』
突然の展開に、声をあわせてそう叫ぶしかなかった。