五話 地下探索と最強の椅子
「おはようございます」
翌日、洞窟にやってきたルクレティアはいつものように不機嫌そうだった。
上質なローブを羽織り、前の戦闘で砕けた杖も新調してある。
重量のあるゴーレムも今回は供におらず、かわりに大きめのパックを肩から斜めにかけていた。
「おはようございます、ルクレティアさん」
「……おはよう、ございます」
「おはようっすよー」
「ぅはよ~」
スラ子、シィ、スケルの三人も普段どおり。
その隣でまだ夢のなかにいるような様子でふらついているノーミデスの存在には、ルクレティアはどうやら無視してかかることにしたらしい。
誰とも問わずに鋭い目つきが俺を見て、
「それはいったいなんの冗談でしょうか、ご主人様」
「見てわかるだろ」
頬にひっかき傷をつくった俺も、負けないくらい不機嫌な声で答える。
「椅子だよ。椅子」
俺がよりかかっているのは、木製のいかにも安っぽい見た目の椅子。
「見てわかります。私が聞いてるのはどうしてそんなものをご主人様が持ち出しているのか、ということですわ。洞窟の縦穴の調査にいくはずだと伺っておりましたが、それともピクニックの間違いでしたかしら」
「ピクニックなら椅子を持ってっていいのかよ」
「ご主人様でしたらそのくらいの酔狂はありえるかと」
この野郎、とにらみつける。
「まあまあ」
とりなすようにスラ子があいだにはいった。
「ルクレティアさん。この椅子、ただの椅子じゃないんです。竜さんの魔法がかかってるんですよ」
「竜」
ぴくりと眉を持ち上げたルクレティアが目を細め、軽く見開いた。
「……たしかに、でたらめなことになってますわね」
「はい。そんじょそこらの武器でも魔法でも傷ひとつつかない。まさに最強の椅子ですっ」
「それをご主人様に持たせるということは、盾がわりにでも使うおつもりですの?」
「そのとおりです」
スラ子がにっこりと微笑む。
「私たちにとって一番大事なのは、マスターの身の安全ですから。その椅子なら、きちんと受けさえすればどんな攻撃だって効きません」
そのことは昨日さんざん試してみたことだった。
燃やしても、凍らしても、潰しても。
どんな方法をつかってもこの椅子を破壊することはできなかった。
もちろん、効かないのはあくまで「盾」だけだ。
ろくに面積もない木を組み合わせただけのものが、衝撃や爆風まで防いでくれるわけではない。
だから、あくまで持ち主がしっかりと扱えればという前提で、この椅子は最高の防御手段になりえる。
そうスラ子はいって、俺にこの椅子をもっていくよう薦めてきたのだ。
「まあ、武器につかっても、殴りつけるだけでも強いとは思いますが」
「……聞いたことがありやす」
神妙な表情でスケルがうなずいた。
「はるか東方の彼方。海を渡った先にある島国には、一子相伝の椅子真拳なる武術が存在していると――」
「んなもんねえよ」
馬鹿なことをいっている俺たちを呆れた眼差しで眺めたルクレティアが首を振る。
「わかりました。ドジや間抜けで勝手に死なれては迷惑ですからね」
「そういうことです」
いっていることはあってるし、俺のことを思ってもくれているのだろうが、なんか腹立つ。
ついでに一人だけ椅子を抱えてる図がどうにも格好悪すぎた。
……まあ、俺が雑魚なのは確かだし、命は大事だから我慢するが。
「それにしても。昨日、上空に何匹も竜があらわれたときにはこの世の終わりかと思いましたが。やはりご主人様に関わりがあったのですね」
「勝手に関わらせるな。山の上の竜に絡んできた連中がいたってだけだ」
「山頂の黄金竜、ですか」
ため息と怖れをふくめた口調でルクレティアがつぶやいた。
「竜が戦っているところははじめて見ましたけれど、さすがに肝が冷えましたわ」
そりゃそうだろう。
いくら度胸のすわった人間だろうが、あんなものを見て恐怖を抱かなかったら頭がおかしい。
「メジハも、あれだけは怒らせないようにしろよ。竜のなかでも普通じゃないみたいだからな」
「二匹の黒竜相手に子ども扱いに見えましたわね。一匹は、どこかに焼け落ちたようでしたが、」
肩をすくめて、
「竜の死骸を見つけることができれば、町の財政も潤うとも思いましたけれど。どれだけ労力がかかるか考えて、さすがに諦めましたわ」
「ああ。落ちた場所を特定するだけでも難儀だろうな」
黒竜がどこかに落ちたのか、方向こそわかるが実際の距離まではわからない。
竜たちはかなり高い位置で戦っていたようだったし、ろくな測定もなしに探しにいくのは無茶な話だった。調査には人もかかれば金もかかる。
「国をあげての調査団とかでしたならともかく、さすがにそのような余裕はございませんし」
「ギルドで依頼だしてみればいいんじゃないか? 一攫千金を夢見る冒険者なんていくらでもいるだろ」
「竜が落ちたのは妖精の泉よりもさらに森の奥深くのようでした。そんな魔物の巣窟に送りだせる冒険者はこのメジハにはおりません。――まったくあてがないわけではないのですけれど」
意味ありげな視線に俺は肩をすくめて返す。
「冗談じゃない。そこまで暇じゃないぞ」
ただでさえ、慣れない遠出をしたばかりでしばらくどこかにいくのは遠慮したい気分でいる。
いくら大金を得る可能性があるからって、それでわざわざ危険極まりない森の奥深くにいくなんてまっぴらごめんだった。
「だろうと思いましたわ」
ルクレティアは、はじめから期待していないとでもいうような表情。
見下された感がありありだが、そんな態度にももう腹を立てる気分にはなれず、
「さて。んじゃいくか。地下探検だ」
俺たちは洞窟へむかった。
洞窟が新米冒険者たちの修練場だったころ、広間にはそのクエストの達成目的だった白石鉱が置かれていた。
今も放置されたままの鉱石の先、一本の先のない小道に、その深い穴はぽっかりと口を開けている。
大の大人が四、五人いればなんとか周りを囲めそうな大穴。
覗き込めばさらに濃くなっていく闇にひきこまれそうな気配があった。
「ノーミデス、ここから落ちて、足場まで深さはどれくらいだ?」
「んー。人間なら、落ちてる途中で気をうしなっちゃうかも~」
めちゃくちゃ深いじゃないか。
試しにそのあたりにあった石ころを落としてみると、まったく音が聞こえない。
だいぶ待ってから、わずかにかつんと音がした。ような気がした。
「……やっぱりやめとくか」
「なんでですか」
スラ子が半眼でいった。
「冗談だよ。ルクレティア、レビテイトは使えるな?」
「いけますわ」
「なら、シィと二人がけで頼む。一応、みんなで手をつないでおこう」
俺の指示にしたがって全員で手をつなぐ。
俺は手に持った椅子を強く握りしめた。
この椅子には重力制御も効かないことはすでに試してあった。うっかりすべらせれば落としてしまう。
それでも壊れないだろうが、変なところにはまってしまったら面倒だ。
『レビテイト』
シィとルクレティアが唱和する。
身体から重さが失せ、そのまま俺たちは深い穴へと降りていく。
「ライト」
スラ子の魔法が周囲を照らした。
縦穴は、まっすぐに深く深く続いていた。
途中に横穴があったりもしていたが、基本はひたすら縦に貫かれている穴が、いったいどのくらいの長い時間、自然に侵食されてつくられたものか見当もつかなかった。
突如、騒がしい音をたてて空気を揺らしたのはコウモリたちの大群だった。
暗闇に住んで群れをつくる連中が、異物の侵入者に抗議するように甲高い声をあげる。
「さすがに数が多いな」
「匂いもひどいですね。糞や死骸もたまっているのでしょう」
コウモリは洞窟の外でも生活する生き物だ。
昼は洞窟に隠れて、夜になって外にでて行動する連中は、いわば洞窟の外と中をつなぐ存在といえた。
どれほど時間がたったのか、ふいに足元に違和感をおぼえて見ると、水気を帯びて灯りを反射している地面。
「着きましたね」
見上げてみても、俺たちが降りてきた穴はもちろん見ることはできなかった。
「あー」
声をだしてみると、反響音が返ってくる。
どうやらそれなりに広い空洞であるらしい。空気は湿っていて温かった。
「とりあえず、目印だな」
「はい、マスター」
上に続く穴を見失ったら、ここから出られなくなってしまう。
カーラやスケルが反応石や松明をたて仮拠点の構築にとりかかる。
「マスター」
ふとスラ子が俺を見て眉をひそめた。
「なにか光ってませんか?」
ん、と思って自分を見おろしてみると、確かにスラ子の魔法の灯りではない光がそこにあった。
「なんだこれ」
取り出してみると、ストロフライからもらった竜の鱗をいれた袋だった。
胸からさげたそれが淡い輝きを放っている。
……知らなかった。竜の鱗って光るのか。
「便利ですねえ」
「いや、そういうあれでもないと思うが。なんだろうな」
竜の鱗は素材としても最高級のもので、竜の身体の一部だから魔力が秘められていてむしろ当然ではあったが――
「まあいい。ノーミデス」
気にしないことにして、俺は近くでふらふらと揺れているノーミデスに呼びかけた。
「なぁにぃ」
「聞いてなかった。このあたりにいる優勢種はなんだ?」
「優勢種ってー?」
「食物連鎖の上位。数がおおいやつ。このあたりで幅をきかせてる連中だ」
「ああ、それなら~蜥蜴のコたちかなぁ」
「蜥蜴? ……リザードマンか」
地底。水気。温暖。
この環境にばっちり適した種族ではある。
「ご主人。リザードマンというのはどういった魔物なんです?」
スケルに訊かれて、俺は頭のなかの記憶を思いだしながら、
「イメージだと、地下のゴブリンってところか。連中よりはまだ好戦的でもないはずだが。群れをつくって、社会生活を営んでいる。もっとも、地下には光が届かないから資源も乏しい。文明といってもその幅はひどく狭く、限定されたものである――だったか。アカデミーの本にはそう書いてあったな」
「というと、あんな感じで?」
スケルの指差すほうを見る。
「ああ。そうそう、まさにあんな感じだ」
スラ子が周囲に放った明かりを受けて、一体の中背の姿が浮かび上がっている。
爬虫類の顔にやや猫背の体格。
防具じみたものを身につけているのは知性の証明でもある。手には、あきらかに大振りな剣をひきずっていた。
木が生えず、怪力であるリザードマンたちの武装は剣や槍だ。
しかも刃や穂先だけでなく柄まで石から削りだした、そんな重く無骨がものが好んでよく使われている。
そんな知識を思い出しながら、おお、本当にそのとおりなんだなあと考えて。
「え」
間抜けな声がでた。
それに応えるように、
「じゅら!」
リザードマンが鳴いた。
そのまま低い姿勢でこちらに駆け出す。
「マスター、どいてください! アイスランス!」
すかさずスラ子が迎撃するが、相手の動きは予想以上に俊敏だった。
撃ちだされた氷の槍をかいくぐって振り上げられた剣に、俺は内心で死ぬほど焦りながらとっさの行動を忘れなかった。
「椅子ガード!」
思いっきり手にした椅子を突き出す。
重い衝撃。
椅子を持った両腕が弾き飛ばされるが、ダメージはない。椅子本体はもちろん無傷。
「じゅわ!?」
驚きの声をあげるリザードマン。
しかし驚きに固まることなく、即座に追撃に移ってきた。
今度は大上段から剣を振り下ろしてくる相手に、目の前に椅子をしっかりと固定して構える。
――おちつけ。要は角度の問題だ。
さっきは自分が衝撃を受ける形だったが、今回は違う。
しっかりと地面に根をはやすように置かれた椅子の背もたれに、リザードマンが振り下ろした衝撃がダイレクトに伝わる。
そして、竜の加護を得た椅子はあくまで無傷。
だから、リザードマンの一撃の衝撃はそのまま自分自身に跳ね返り――
全霊を込めた一撃を返され、反動で大きく腕を跳ね上げさせたリザードマンの無防備な顎先に、
「椅子アターック!」
おもいっきり椅子をぶちかました。