四話 暴走抑制計画
もう少しこの椅子の耐久性について実験をしてみようということになり、外にでる。
洞窟の広間に見知った顔があった。
「あー。おぅはよ~」
土の精霊ノーミデスはいつものように眠たげな目つきで、声を間延びさせながらいってきた。
「ああ、起きたのか」
「なんかすっごい魔力が流れたから~。竜?」
「山の上のな。もう終わった」
「ならよかったー。みんな驚いちゃって、あたしもびっくりだよ~」
ちょうどいい。
俺はどこかへふらふらと歩きだそうとするノーミデスの腕をつかんで、
「なーにぃ」
「聞きたいことがある」
「ねむいぃ」
「いつもだろ。ちょっとは我慢しろ」
今を逃がしたら今度はいつ話ができるかわからない。そのまま引っ張って、広間から続く小道を進んでいく。
深い穴をのぞかせる縦穴の前までやってきて、
「飛んじゃうの~?」
「飛ぶか。死ぬわ。……この下って、どうなってるんだ?」
質問すると、きょとんという感じで小首をかしげる。
「どうってー。普通?」
「広いのか。誰かいるのか?」
「そりゃ広いし、いるよ~」
「今まで上まであがってきたりはしてないよな。下にいるのはそういう連中か?」
「うん~。暗いの好きなコばっかりだしー、これからもそうなんじゃないかなぁ」
光が入り込まない地下に生活する生き物を洞窟生物といったりする。
そういう環境では生物の進化にも独特なものが見られるわけだが、当然その影響は魔力を糧としてその吹きだまりから生まれる魔物にもある。
光を求めず、地下に生きる魔物たち。
生きるスペースが違うのなら、互いに適正な距離をたもっていればいい。共生とはつまりそういうことだ。
だが、
「……最近、下でなにか起きたりはしてないか?」
「んー、どうだろぉ」
ノーミデスは右に首を振って、次に左に振って、
「まあどうでもいいんじゃないかな~」
適当すぎる。
この洞窟の管理者がそういう性格だから助かっているのだが、さすがに今回はそれですますわけにもいかず、俺はしかめっ面をつくった。
「世の中、ちょっと適当なくらいがうまくいくと思うんだよ~」
お前のはただのめんどくさがりだ。
「やっぱり、下りてみるしかないでしょうか」
スラ子がいった。
「そうだな。……そこだけで完結してる環境に外から手をだすのはあんまりよくなさそうだが。そのあたりに気をつけて、明日にでもちょっと様子を見てみよう」
「頑張ってね~」
完全に他人事のノリでいってくるノーミデスに、半眼を向ける。
「なにいってんだ。お前もくるんだよ」
「えー」
「お前以外の誰が道案内してくれるってんだ。管理者だろ」
「えーぇー」
ノーミデスはぱたぱたと抗議のように手を叩いた。
「たまには仕事しろよ。なんか起こってからじゃそっちだってヤバいんだぞ」
「だって、ねむいぃ……」
「終わってから寝ろ」
うー、と迫力のない唸り声をあげる。
「……わかったあ。じゃあ、明日になったら来るから~」
適当に話をあわせてこの場をさろうとするが、そんなことで誤魔化されたりはしない。
「スケル」
「合点」
意を受けたスケルがノーミデスを羽交い絞めにする。
「なーにぃよ~」
「お前、絶対明日こないつもりだろ。今日はこっちで寝てもらう」
「ちゃあんと来るってばー」
いいながら目が泳いでいるから、どうやら図星だったらしい。
「ダメだ。もし逃げたら、明日からスケルに延々とこの洞窟内で歌わせ続けるからな。大声で、ずっとだ。二度とお前に平穏はやってこないと思え」
悪の魔法使いらしくびしりと指をつきつけて宣言すると、
「うう、ひどい安眠妨害。陰険~」
「陰湿ですねー」
「ご主人、さすがっす!」
なぜか相手側に立っているようなスラ子たちの発言は無視して、続けた。
「連れていけ。明日まで確保だ」
「あいあいさー」
「いやー。犯される~」
緊張感のない声で、ノーミデスは俺たちに連れていかれることになった。
夕方ごろになってカーラが戻ってきた。
土仕事だったのか、顔や腕が汚れている。スラ子から渡された濡れたタオルで顔を拭きながら、俺の視線に気づいたカーラは恥ずかしそうに身体を背けた。
「あんまり見ないでください」
「ああ、悪い。それで明日なんだが。予定は大丈夫か」
あの夜から、カーラは間違いなく明るくなったのだが、俺へ対する態度だけはよそよそしい。
俺のほうでも、どんな顔をすればいいかわからず微妙な感じだった。
「はい。大丈夫です。明日は、特に急ぎのものはありませんから」
「そうか。じゃあ頼む」
「はい、マスター」
気まずい空気。
なんとなく頭をかこうとすると、その手の動きに反応したカーラがびくりと身体を震わせた。
「あ、ごめんなさいっ」
なんだかえらく傷ついた。
「いや。……ゆっくり休んでくれ。仕事お疲れさん」
「はい。あの、」
カーラがこちらを見上げて、それからなにかに気づいたように目を伏せる。
「やっぱり、なんでもないです。――失礼しますっ」
頬を染めてぱたぱたと小走りに去っていく。
その後ろ姿を見送って、
「――気になりますねえ」
「うおっ」
耳元でささやかれてびくりとのけぞった。
いつの間に寄ってきたのか、すぐ近くにスラ子が寄ってきている。
「びびらすな!」
「ふふー。カーラさん、どうしちゃったんでしょう」
「……さあな。嫌われたのかもしらん」
立場を利用して無理やり抱いたのだ。そうであってもおかしくはない。
「それより、カーラは大丈夫だった。シィはまだか?」
「つい今しがた戻ってきました。シィ、おいで」
どうやら俺とカーラの話が終わるのを待っていたらしい妖精がとてとてとやってくる。
シィには姿を消して町への伝言にでてもらっていた。
「どうだった。ルクレティア、怒ってたか」
「……怒ってました」
ですよね。
「そんな急にいわれても予定があるから無理って?」
シィはふるふると首を振って、
「いきます、と」
明日はちょっと様子を見るだけのつもりだから、無理に来てもらう必要はないのだが。
仲間はずれだなんてことを気にする女ではないだろうが、負けず嫌いというか、そういうところは多分にある性格だった。
まあ、俺たちのなかでもっとも魔法の、特に対応力に長けているのはルクレティアで間違いない。
ただの様子見とはいえ、なにが起こるかわからない状況では一緒にいてくれると助かるのは確かだ。
「じゃあ、明日は全員でいけるか。ちょっと様子を見て戻ってくるくらいでいいから、仰々しい気もするが」
「そうですね。ノーミデスさんが一緒なら危険も少ないでしょうし」
そのノーミデスは今、スライム部屋に軟禁状態だ。
念のためスケルに見張らせているが、別に眠れれば場所はどこでもいいらしく、スライムたちに囲まれながら本人はぐっすりと安眠中らしかった。
「でも、気になります」
スラ子の言葉にうなずく。
「エキドナか? まあ、あんまり深く考えても仕方ないだろ」
あの台詞自体がはったりということもあるし、俺たちがその台詞を聞いて下におりるという、それがはじめから目的ということだってありえる。
裏の裏までありそうで、それを判断するための情報がまるでないのなら、そんなのは考えてもしょうがないことだ。
「あ、いえ。そちらもですけれど。カーラさんのことです」
「カーラの?」
「ええ。カーラさんの、バーサークについて」
俺は渋面になった。
カーラが身体に宿すウェアウルフの血。
それがもたらす狂暴化は圧倒的な戦闘能力を与えるが、同時に問題もある。
なにしろその状態のカーラには敵味方がないから、敵だけに向かってくれるわけがない。
今までもそういうことはあったし、前回なんかそれで俺も死にかけた。
それはメリットというにはあまりに大きなデメリットだ。
「……カーラも嫌がってるしな」
「はい。けれど、普通では敵わない相手にあったら、きっとカーラさんは無理にでも立ち向かって、また狂暴化してしまうでしょう。私たちや、なによりマスターを守るために」
そのあとで、もしこちらにまで迷惑がかかった場合、そのことを知って傷つくのはカーラだ。
それでも、役立たずは嫌だからなにかしなければという健気さは、見ていて痛々しいくらいだった。
自分の居場所をつくろうと、必死な魔物の少女。
そんなもの、無理にしなくてもここにあるというのに。
「マスターのお気持ちは、本人もわかってるでしょう。それでも、頑張ってしまうのがカーラさんなんですよ」
スラ子が微笑していった。
「なにか思いつくか? 狂暴化を押さえ込む魔法とか、方法とか」
「そのことなんですが」
真剣な表情でうなずいて、
「マスターに抱かれたとき、カーラさんは暴走してしまったんですよね」
またそれか、と俺は嫌な顔になる。
「それがなにか関係あるか」
「大有りです」
とスラ子はいった。
「だって、マスターは殺されなかったじゃないですか」
……たしかにそうだ。
あまりにも単純な盲点をつかれて、今さら思いつく。
闘争本能の固まりというのが狂暴化の全てであるなら、あのときに俺は殺されてたっておかしくはない。
しかし、そうはならなかった。
ということはカーラに意識が残っていたのか、それとも。
「危機、あるいは興奮が狂暴化の引き金になっているのは確かだと思います。けれど、ウェアウルフさんたちだって、自分たちの子を成さなければならないわけです。仲間同士ですぐ狂暴化して殺しあってしまっては種の残りようがありませんよね?」
「狂暴化を自制することができるかもしれないってことだよな」
「はい。それが能力的なものか、精神的なものかはわかりませんが。だからこそ、カーラさんも強くなりたいとお考えなのでしょう」
そうやって、自分自身を律することができるように、だ。
なるほど、と俺はうなずいて、
「なら俺たちにできることは、見守ることぐらいか」
「いえ、そうでもありません」
スラ子はそこで妖艶に笑みを含んで、
「不慣れな状況に、カーラさんがパニックを起こして暴走してしまったのなら。それに慣れてもらうことで、自制のきっかけになるかもしれません」
持ってまわった物言いに嫌な予感をおぼえて、俺は顔をしかめる。
「それはつまり、」
ぐっとスラ子が拳をにぎりこんだ。
「つまり、マスターがカーラさんを何度も抱いてあげることが、カーラさんのバーサーク克服の第一歩になるかもしれないわけですよ!」
「待て、その理屈はおかしい」
論理が飛躍してる。しすぎている。
スラ子はふふ、と笑って、
「冗談です。けど、そういうことだってあるかもしれません。それにだいたい、」
と、そこで責めるような眼差しになって、
「マスター、あれから一度もカーラさんを部屋にお呼びになってませんよね?」
「……それがどうした」
「どうした、じゃありません。一回呼ばれてそのあとなんのお声もかからなかったら、カーラさんだって不安になって当たり前です。カーラさんは前回のことを覚えてないみたいなので、なおさらですっ」
腰に手をあてていう。
「ご自分の女にされたのなら、きちんとそのあとまで責任をとってください!」
「だって――」
「だって?」
「だって、また襲われたら怖いじゃないか!」
思わず涙目になりながらいうと、スラ子ははあっとため息をついて、
「そんなことでどうしますか」
「お前はあのときのカーラを知らないからそんなことがいえるんだ……」
俺はがくがくと震えながらいった。
心に刻まれた多くのトラウマのなかでもっとも新しいひとつであるそれは、俺のなかでまだ新鮮な傷痕として深く刻み込まれている。
「ちょっと積極的なくらい、かわして包んで満足させるのが男の度量です、マスター」
「無理だ、んなもん!」
はっきりと宣言すると、またため息をひとつ。
それから怪しい微笑を浮かべて、
「では、私もご一緒しましょうか?」
スラ子が唇に指をあてていった。
「二対一なら、押さえ込むことだってできるでしょうし。私の液を飲んでもらえば、いい感じになってくれるかもしれません」
「……却下だ」
俺は苦い顔でいった。
そんな状況、慣れてないカーラがパニックになるのは目に見えているし、スラ子のそれだってどういう反応を呼ぶかわかったもんじゃない。
「わかりました」
俺の返答を予想していたように、スラ子は笑顔のままあっさりうなずいた。
「では、マスター。頑張ってくださいねっ」
「わかったよ」
まんまと誘導された格好だが、このままカーラと気まずいままでいいわけがない。
にこにこと笑うスラ子に、俺はいった。
「お前はいったい俺にどうして欲しいってんだ」
独占欲が強いのか、弱いのか。
まったく意味がわからない。
「ふふー」
スラ子は笑い、
「私は、マスターに私のマスターであってほしいだけです」
おもいっきりこちらに抱きついてきた。
◇
そして。
夜、俺はカーラを部屋に呼び、
「いやあああああああああああああああ」
悲鳴は高く長く、洞窟中に響き渡った。